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旧長崎刑務所の価値を否定したのは誰か

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旧長崎刑務所が、まだ残っていると信じて!!

旧長崎刑務所で検索していたら、「うさたろう日記 はてな版。」に興味深い資料がリンクされていました。平成18年10月10日付の「第55回国有財産九州地方審議会議事録」というもので、この中に、この旧長崎刑務所の民間不動産業者への売却にあたって、一部でも保存できないものかという審議会委員で九州大学名誉教授の樗木武氏の質問に対し、北村管財部長が説明をしています。

「(前略)それから、今、委員のほうから赤レンガ等の旧刑務所庁舎につきましての、文化財としての価値ということでございますが、この建物を文化財として保存するかどうかにつきましては、地元であります長崎県、諫早市が文化財保護法でありますとか、長崎県の文化財保護条例に基づきまして、保存を要するかどうかということを判断されることになっております。本件につきましては、私どもが長崎県、諫早市に確認した結果、いずれも保存することには該当せず、国が売却しても構わないという旨の回答を得た上で、一般競争入札を実施したところでございます。」

北村管財部長の説明では、旧長崎刑務所の保存価値について判断するのは県や市であると言っています。しかし、まずは所有者である国が判断すべきなのではないでしょうか。財務省では価値判断ができないということであれば、文化庁なり、あるいは建築学会なり建築士会なり、価値判断のできるところに聞くのが筋でしょう。この説明では、長崎県、諫早市が、旧長崎刑務所には価値がないと言ったから、保存する必要はないのだと言っています。しかし、本当に県や市は、旧長崎刑務所に価値はないと言ったのか。価値がないと言ったのではなく、保存するお金がないと言ったのではないでしょうか?

国の所有する旧長崎刑務所に対して、県や市が「保存する価値がある」と言うことは、すなわち引き取るということになるのではないか。財政的に厳しい県や市には、そのようなことを言い出すわけにはいかないだろうことは、想像できます。旧長崎刑務所には価値がないと言った当事者は、県や市であるとされていますが、これはすり替えではないか。純粋な価値判断と財政的な判断とは、全く切り離して行わなくては、判断を誤ります。

そもそも、県や市に聞く前に、所有者である国自身が旧長崎刑務所の価値判断をすべきでしょう。北村管財部長の説明では、そのことを、全く無視しています。

長崎県の担当者、諫早市の担当者の方々。旧長崎刑務所に保存の価値なしという誤った判断をしたのは、本当にあなたたちで良いのですか? 所有者としての、国の判断はどうなのですか?

かくして、正当に価値判断をされることなく、国(財務省)によって、旧長崎刑務所は売却され、今や解体寸前となっているのです。国民の、いや人類の、貴重な遺産である旧長崎刑務所が、真っ当な価値判断もされずに売り飛ばされてしまったのです。このことを、ずっと明記しておきたいと思います。

旧長崎刑務所の設計者

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引き続き、旧長崎刑務所です。何としても残したい一心です!!

さて、この旧長崎刑務所の設計者ですが、山下啓次郎(やましたけいじろう)です。ジャズピアニストである山下洋輔の祖父としても有名です。

山下啓次郎は、1867年(慶応3年)鹿児島県生まれ。帝国大学工科大学(現在の東京大学工学部)で辰野金吾に建築を学び、卒業後、警視庁、後に司法省営繕課で技師として、明治の五大監獄と呼ばれる千葉、金沢、鹿児島、奈良、長崎の刑務所や、名古屋控訴院・地方裁判所・区裁判所などの設計を担当します。1931年(昭和6年)没。

千葉刑務所
千葉刑務所(明治40年築)は、煉瓦造の管理棟や正門などが現役で使われています。

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金沢刑務所(明治40年築)は、昭和45年の移転にともない解体されましたが、中央看守所と監房の一部、そして正門が明治村に移築され、いずれも国登録有形文化財です。

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鹿児島刑務所(明治41年築)は、昭和61年の移転にともない解体されましたが、保存運動の結果、石造の正門のみが現地に保存されています。国登録有形文化財です。

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奈良刑務所(明治41年築)は、現在も奈良少年刑務所として、煉瓦造の本館や正門などが現役で使われています。

長崎刑務所
長崎刑務所(明治41年築)は、平成4年に移転にともない閉鎖され、そのままの形で保存(放置?)され、現在に至ります。今年(平成19年)の6月中に解体予定の計画が発表されています。

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名古屋控訴院・地方裁判所・区裁判所(大正11年築)は、現在、国の重要文化財に指定され、名古屋市市政資料館として活用されています。

旧長崎刑務所は、施設がそのまま残されており、史料としても貴重です。修復・補修して文化財に指定し、何らかの形で現地に保存するべき価値の高い建物群です。

【追記】
山下啓次郎と同じ1867年(慶応3年)生まれには、建築家伊東忠太(帝国大学工科大学も同期)や、文豪夏目漱石、ジャーナリスト宮武外骨、博物学者南方熊楠、そして、海外では建築家フランク・ロイド・ライトなどがいます。

旧長崎刑務所の価値

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一昨日、昨日と、諫早の旧長崎刑務所の一般公開でした。ずっと、ブログでウオッチングを続けています。

多くのブログに、撮影してきた写真が公開されています。写真を見ると、昨年見たときよりもさらに老朽化が進んでいるように見えます。メンテナンスをしない建物は、こんなに簡単に廃墟化が進むものなのですね。

旧長崎刑務所の解体について、世間であまりニュースにならないことが悲しいです。旧長崎刑務所は、とてつもなく貴重な建物です。近代建築探訪メーリングリストで小生は、「東京駅解体と同じくらい大きな問題だと思う」と書きました。地域文博・高炉館の庵田さんは、「煉瓦造建築としては、西日本内で最大級の規模であると確信します」と書かれています。ただ、このことが話題にならないことについてALL-Aブログのtksさんは、「刑務所であるが故」と書かれています。

そうなのです。刑務所もそう、旧遊廓もそう、旧軍事遺跡もそう。無かったことにしたいものは、抹殺してしまうのです。

たとえば、登録有形文化財の登録基準の一つとして「再現することが容易でないもの」という項目があります。旧長崎刑務所のように大規模な煉瓦造の建物は、すでにこの基準にかなうはずです。

建物は、資産価値や効率化だけで評価すべきものではないはずです。予算が無いという理由だけで解体してしまうのは、何も価値を評価していないということです。

旧長崎刑務所の場合、使われていない刑務所を15年間も放置してきたこと自体がおかしいことなのですが、所有者だけの判断で解体してしまうこともおかしい。近隣の方々からの評判が悪いというのは、小樽運河のときもそうでした。それは、未来のある、近い将来のプランが示されないことが問題なのだと思います。旧長崎刑務所は、解体後のプランも無く、ただ解体するだけだとか。このまま放置されても困るが、何も目的もなく解体されるのも酷い話です。

旧長崎刑務所を解体するのは惜しい、残念だと言うだけではダメです。旧長崎刑務所には価値がある、残せと言わなければなりません。

価値を知る者がその価値を伝えなければ、誰もその価値を知ることができません。旧長崎刑務所を知る人は、ぜひ、価値があると声を挙げてください。価値を知る人が増えれば、展開の可能性も増すでしょう。少なくとも、価値ある旧長崎刑務所のことが世に知られぬまま、覆い隠すように解体されてしまうようなことがないように。

旧長崎刑務所、解体へ

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昨年、念願かなって訪問することのできた諫早にある旧長崎刑務所ですが、今月中旬にも解体されることが決まったとの情報を得ました。

長崎新聞の記事
http://www.nagasaki-np.co.jp/kiji/20070526/02.shtml

「地域文化博物館・高炉館」の庵田さんの掲示板ブログで、先月末、急に一般公開されたことを知り、見に行きたかったと残念に思っていたのですが、解体に向けての一般公開だったとは……。あまりの反響の大きさに、再度、今週末に一般公開を行なうようです。行きたいが、行けそうにない。

長らく廃墟状態で放置してあったのは、解体するには惜しいと思ったからに違いありません。しかし、経済状況が改善に向かい、民間デベロッパーも動き出せば、文化遺産もただの無駄な空き地に見えてくるのでしょう。

その論理に、真っ向反論できる論理を構築しなければ、いつもいつも負け戦ばかりです。

http://www.jmam.net/blog/archives/472.html
http://www.jmam.net/blog/archives/474.html

焼失した坂邸と映画「Love Letter」

先週5月26日午前、北海道小樽市の坂邸が全焼しました。
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/society/28391.html

この建物は、田上義也設計、昭和2年築の洋館で、岩井俊二監督の映画「Love Letter」(平成7年公開)で主人公の家という設定で登場します。

設計者田上義也は、明治32年栃木県生まれ。F.L.ライトの帝国ホテル建設事務所の募集に20歳で応募し、現場でライトやレーモンドに学びます。帝国ホテル完成後、たまたま汽車に乗り合わせた宣教師バチェラーの啓示で北海道に渡り、札幌に個人設計事務所を開設し、道内各地に作品を残しました。
http://www2u.biglobe.ne.jp/~komichi/Home_page/architecture/tanoue.htm

田上義也と札幌モダン 若き建築家の交友の軌跡
田上義也と札幌モダン

岩井俊二監督の映画「Love Letter」は、中山美穂主演の淡いラブストーリーで、小樽各所でロケが行なわれ、沢山の小樽の近代建築が使われています。なぜか韓国や台湾で大ヒットし、海外からの多くの観光客が小樽を訪れロケ地めぐりをしています。

建物の焼失は、取り返しのきかない悲しい出来事です。せめても、失われた建物に残された物語を映像で呼び起こし、記憶にとどめたいと思います。

Love Letter
Love Letter

映画中、図書室でのエピソードは、小樽ゆかりの作家伊藤整が小林多喜二の思い出として書いているものに似ています。そのエピソードをもとに、小生も高校時代に小説を書いたことがありました(汗)。

アサヒビール福岡工場

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2002年の夏、アサヒビール福岡工場に見学に行った折、ガイドの方に頼んで撮影させてもらった敷地内の赤煉瓦の建物です。数年前に解体されてしまったとのことで、今となっては貴重な記録となりました。
こんな赤煉瓦の建物が工場内に残っていることを知らず、驚いて、見学コースが終わった後で頼み込んで、逆戻りして撮影させてもらいました。九州方面に大きな台風が上陸しているときで、見学者は小生1人でしたが(笑)。
煙突の上にある兜状のものは、古いビール工場には必ずある、風向きによって煙の向きを変えるフードです。
ガラス越しの撮影だったり、ピンボケですが、ご容赦を。本当に、惜しいことをしました。

藤森建築と路上観察

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先週木曜日、会社帰りに「藤森建築と路上観察」展を見てきました。

この「藤森建築と路上観察」展は、昨年イタリアで開催された第10回ヴェネチア・ビエンナーレ建築展の、凱旋帰国展です。イタリアの人々に、この奇妙な藤森建築が理解できたかどうか……。写真は樹上茶室ですが、まるで「ゲゲゲの鬼太郎の家」です。

また、路上観察学会の活動の記録のスライドは、懐かしく見入ってしまいました。もう、20年以上前の写真ですから。トマソンとか、純粋階段とか、原爆物件とか。本当に、懐かしいなぁ。

新宿の東京オペラシティアートギャラリーで、7月1日(日)まで。
http://www.operacity.jp/ag/exh82/index.html

美しい日本の歴史的風土100選

2月17日に「美しい日本の歴史的風土100選」が公表されました。

この「美しい日本の歴史的風土100選」は、財団法人古都保存財団内にある美しい日本の歴史的風土100選実行委員会が、昨年10月より一般からの推薦を募り、選定委員会の審査・選定により決定したとのことです。
http://www.kotohozon.or.jp/best.html

リストを見ると、今後の世界遺産をめざしたような内容になっています。近代建築系の場所も、ちらほらです。

「美しい日本の歴史的風土100選」リスト
http://www.jmam.net/b/kindai/rekisi01.htm

「美しい日本の歴史的風土 準100選」リスト
http://www.jmam.net/b/kindai/rekisi02.htm

「美しい日本の歴史的風土100選(特別枠)」リスト
http://www.jmam.net/b/kindai/rekisi03.htm

「郡役所・半世紀の光芒」展

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1月20日より、埼玉県立文書館では「郡役所・半世紀の光芒-郡長たちのアーカイブズ-」展が開催されています。
http://www.pref.saitama.lg.jp/A20/BA18/shuzouten-190120-52-1.html

郡役所とは、明治11年に政府により設置され、大正12年に廃止された、都道府県と市区町村の間に位置する地方行政の組織でした。

建物としては、県庁などに次ぐ官庁の建物として、全国各地に威厳ある個性的な庁舎が建てられ、現存するものもあります。残念ながら、埼玉県には現存しておりません。
http://www.jmam.net/matikado/gunyakusyo.html

今回の企画展は公文書館の開催ということもあり、公文書の展示が中心ですが、埼玉県内にあった郡役所の写真パネルも展示されています。

ちなみに、埼玉県には18の郡があり、郡役所は複数の郡を組み合わせて、下記の9つがあったとのことです。

・北足立・新座郡役所:浦和宿(現さいたま市)
・入間・高麗郡役所:川越町(現川越市)
・比企・横見郡役所:松山町(現東松山市)
・南埼玉郡役所:岩槻町(現さいたま市)
・北埼玉郡役所:行田町(現行田市)
・北・中葛飾郡役所:杉戸宿(現杉戸町)
・大里・幡羅(はたら)・榛沢(はんざわ)・男衾(おぶすま)郡役所:熊谷宿(現熊谷市)
・児玉・賀美(かみ)・那珂(なか)郡役所:本庄宿(現本庄市)
・秩父郡役所:大宮郷(現秩父市)

大正時代に朝日新聞ビルの上にあのタワーが建てられていれば……

13日、「山田守展シンポジウム」へ行ってまいりました。大変面白く、また、一方では個人的に宿題を与えられてしまった内容でした。

まず、建築博物館館長の林昌二氏のあいさつ。山田守との接点として、山田守が長沢浄水場の仕事をしたとき、林氏はその下水処理場の仕事をしており、完成した浄水場を見に行って「とてもモダンな建物だ」という印象を持ったとのことでした。また、京都タワーの構造が応力外被構造であるということを今回の展示で知り、驚いたとのことです。缶詰のように外被で成り立っている塔だといいます。

次に東京工業大学の藤岡洋保先生が山田守の作品の紹介。続いて、パネル講演として、まず、東海大学の岩岡竜夫先生の東海大学キャンパスの案内。井上章一先生の「衰弱してくると人気が出てくる」という話。最後に、藤森照信先生の「山田守の建物の表皮」の話。外壁にタイルを使用する特殊性を述べていました。

休憩の後、パネルディスカッションです。さまざまな話題が出ていましたが、建築史上での山田守の位置づけが難しいという点、京都タワーを認めるかどうかという問い、メタ景観論争の問題などが印象的でした。藤森先生が、大正時代に東京の朝日新聞社ビルの上にあのタワーが建てられていれば、日本建築史での金字塔となっていたが、あの時代に京都という場所ではという評価をしておりました。

旧朝日新聞社社屋(「分離派建築博物館」HPより)
http://www.sainet.or.jp/~junkk/ishimoto/asahi.htm

明日より「フランク・ロイド・ライトと武田五一」展

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広島県の福山市にあるふくやま美術館で、明日より特別展「フランク・ロイド・ライトと武田五一」展がスタートします。会期は、2007年1月13日から3月11日まで。
http://www.city.fukuyama.hiroshima.jp/fukuyama-museum/schedule/special/flw_takeda/

今回の特別展にはずいぶんと力を入れているようで、記念講演会が4回も、そしてシンポジウムも予定されています。

ふくやま美術館では、2004年に特別展「武田五一・田辺淳吉・藤井厚二~日本を意匠した近代建築家たち~」を開催しており、その際の図録が好評でした。

何とか、3月に行きたいと思っています。

先月に続き「登録有形文化財」の告示

先月に続き、昨日の官報に「登録有形文化財」の告示が出ておりました。
http://www.jmam.net/b/kindai/touroku51.htm

今回の告示では、新潟のサフラン酒造の土蔵とか、豊岡の旧兵庫縣農工銀行豊岡支店、飯塚の嘉穂劇場などが有名どころでしょうか。

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嘉穂劇場

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旧兵庫縣農工銀行豊岡支店

次回の告示には、いよいよ大阪の通天閣が登録される予定です。今月の答申でしたから、告示は来年の2~3月位でしょう。

それともう一つ、悲しいお知らせです。同じ官報に、金沢の白雲楼ホテルの登録抹消の告示が出ておりました。

平面図から入る山田守

昨日、仕事が終わってから、建築博物館で開幕した「建築家山田守展」へ行ってきました。午後6時頃でしたが、結構入っておりました。

展示は、壁面全面に図面と写真、そして建築模型が8点14点ほど。パーテーションは立てず、余裕のある展示です。個人的には、建物の写真がちょっと少ないかナ~。ケースに、スケッチや手紙などがありました。

一番の見どころは、現存作品のスライド上映ではないでしょうか。写真展示の代わりにスライド上映を行なうのは最近の展示の傾向で、この建築博物館での伊東忠太展のときもそうでした。築年順に、細部まで撮影された各地の山田守の作品が上映されています。

山田守の病院はどれもY型で、マタの部分に開口部を設けています。車寄せの庇が、初期は漏斗型でしたが、その後は平らなものに落ち着いてきています。京都タワーの原型が、東海大学で試されていたり。山田守は、円やY型、X型など、平面図での形から入る建築家だと思いました。

戦後の作品は、戦前の逓信省時代の作品とは全く異なる、別人の作品のようです。こうなると、山田守にとって戦前の作品は習作だったのかも知れません。

これまで、小生の守備範囲である戦前までの近代建築に関心を向けてきましたが、山田守の戦後の作品も見ておかねばと感じました。

建築家山田守展

日本建築学会建築博物館で、来週火曜日より企画展「建築家山田守展」が開催されます。
http://www.aij.or.jp/jpn/hall/gallery/gallery.htm

山田守といえば、小生の認識では、分離派建築会で、旧逓信省の数々の特徴的な建物や聖橋の設計者という認識ですが、日本武道館や京都タワーなども彼の作品でした。

小生の認識は、これまでに語られ文献に表されてきたごく一般的な認識だと思います。今回の展示では、そういった戦前の作品だけでなく、生涯にわたっての全貌を網羅し「再評価を試みるもの」とのことです。

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「建築家 山田守 展 -流動するフォルムにみた合理性-」
開催期間/2006年12月12日(火)-2007年1月31日(水)、12月30日~1月4日は閉館
開催場所/日本建築学会建築博物館ギャラリー(港区芝5-26-20 建築会館内)
入場無料

また、シンポジウムや見学会も予定されています。シンポジウムも面白そうです。

シンポジウム「再考/山田守の後期の作品を検証する~京都タワーを中心に~」
開催日時/2007年1月13日(土)午後1~4時
パネリスト/井上章一(国際日本文化研究センター教授)
      岩岡竜夫(東海大学教授)
      藤森照信(東京大学教授)
      (司会)藤岡洋保(東京工業大学教授)
開催場所/建築会館ホール(港区芝5-26-20 建築会館内)
参加費/無料、当日先着順、定員300名

見学会
2007年1月5日、午後2時~4時/山田守自邸
参加費/無料
定員/申し込み先着60名
予約申込先:日本建築学会事務局
メール: tosho@aij.or.jp
ファクス:03-3456-2085