我々「近代建築探訪メーリングリスト」の仲間でした成相脩さんの著作です。2012年2月29日に、惜しくも逝去されました。謹んでお悔やみを申し上げます。
]]>「まちかどの近代建築写真展in長井Ⅴ」(通算第70回)
テーマ「医院建築」
・会 場:小桜館(旧西置賜郡役所)
・会 期:2017年10月28日~11月5日(10月30日は休館)
・時 間:9:00~16:30(初日は15:00より。最終日は16:00まで)
・会 場:小桜館(旧西置賜郡役所) (山形県長井市十日町1-11-7)
・入場料:無料
・主 催:(特)長井まちづくりNPOセンター
・企 画:まちかどの近代建築写真展実行委員会
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埼玉県入間市の「入間市文化創造アトリエ アミーゴ」にて、約2か月間にわたり「まちかどの近代建築写真展」を開催いたします。前期は「郵便局」を、後期は「駅舎」を展示いたします。
会場の「入間市文化創造アトリエ アミーゴ」は、昭和12年築の旧埼玉県繊維工業試験場入間支場の建物などを利活用した施設です。
「まちかどの近代建築写真展in仏子アミーゴ」第46回
会期:2015年6月7日(日)~7月26日(日)
会場:入間市文化創造アトリエ「アミーゴ」
(埼玉県入間市仏子766-1)
交通:西武池袋線仏子駅下車徒歩5分
アマゾンで3万円を切った!! 4か月前に4万円を切ったので買ったのに(泣)
]]>今回で通算30回目を迎える「まちかどの近代建築写真展」です。ちなみに、第1回目は2004年に、同じ札幌の開催でした。
お近くの方、ぜひ、ご覧いただければ幸いです。
]]>みなさまのお越しをお待ち申し上げます。
「まちかどの近代建築写真展in大阪Ⅷ」(第29回)
今回のテーマは懐かしの学び舎「学校建築」
会期:2012年3月2日(土)13:00より4月6日(土)15:00まで
会場:天満屋ビル 2-3階 「お茶と雑貨のハaハaハa」
大阪市港区海岸通1-5-28 3階イベントスペース
時間:7:30~18:00 土・祝は11:00~18:00(定休日:水曜、日曜)
主催:お茶と雑貨のハaハaハa
企画:まちかどの近代建築写真展実行委員会
協力:近代建築探訪メーリングリスト
今回は、埼玉県志木市での開催です。埼玉県内だけの近代建築を集めての展示ですが、これもまた思わぬ発見があったりして楽しい展示になりました。
会期も、あと今日1日だけですが、ぜひお越し下さい。
◆名称:「まちかどの近代建築写真展in志木」
◆主催:社団法人日本建築学会関東支部埼玉支所
NPO法人東上まちづくりフォーラム
まちかどの近代建築写真展実行委員会
◆協力:近代建築探訪メーリングリスト
◆会場:志木サテライトオフィスセンター
(東武東上線柳瀬川駅西口徒歩1分)
◆会期:2012年11月10日(土)、11日(日)
◆時間:10日(土) 午前12:00~午後4:00
11日(日) 午前10:00~午後4:00
◆入場料:無料
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「なごみの塔」からの展望
立地や開催時期に難があったか、はたまた展示内容に全く関心がなかったか(笑)、まるで図書館にいるように毎日数冊の本を読み終えました。
小生の地元での開催でしたので、数十年ぶりの懐かしい再会もあり、とても貴重な機会となりました。
また、ミニコーナーとして展示した「関根要太郎」については、市役所の方の関心が高く、いろいろお話をうかがうことができました。関根要太郎は、戦後、埼玉県内の学校建築を多数建てたのですが、その採用工法である「平衡構造工法」というのが、今日では問題があるようで…。説明を聞くと、なるほどと思わざるを得ないものでした。
お出でいただきました皆さま、ご協力いただきました皆さま、誠にありがとうございました。
]]>◆名称:「まちかどの近代建築写真展in上尾」
◆主催:まちかどの近代建築写真展実行委員会
◆協力:近代建築探訪メーリングリスト
◆会場:上尾市役所ギャラリー
埼玉県上尾市本町3-1-1(市役所東棟1階)
◆会期:2012年8月8日(水)~8月14日(火)
午前10:00~午後8:00
但し、8/8は午前中設営につきPM1:00より、
8/14は撤収によりPM4:00まで
◆入場料:無料
この映画は、1963年製作の日活映画で、原作は山中恒、脚色が今村昌平、監督は若杉光夫。小樽ロケにより撮影された社会派ドラマ。出演は田中鈴子、小沢昭一、南田洋子。ちなみに、南田洋子はこの映画でブルーリボン助演女優賞を受賞しています。
ずっとビデオ・DVD化を期待しているのですが、貧困をテーマとしているためか、なかなかテレビ放映すらありません。南田洋子が亡くなった後、追悼でテレビ放映があったようなのですが、残念ながら見逃してしまいました。
当時、小樽でエキストラ出演した子供たちの呼びかけで、2006年の夏、小樽で上映会を開催しています。これも、後日、小樽市内でポスターを見て知った次第。
1960年代の小樽が、フィルムにどのように映されているか、とても興味があります。実は、この映画のロケを小生の両親が見ていて、わが家ではよく話題になっていたのです。小沢昭一や南田洋子がサムライ(屑屋)の扮装のまま町を歩いていて、誰だか判らなかったという話なのですが。
「いちご白書」のように、誰かが話題を広げてくれれば、上映されるかも知れません。「サムライの子」をもう一度!!
下記のブログに写真が載っていました。
「kazzpの音楽&映画」
http://ameblo.jp/kazzp0610/entry-10669256747.html
「chic et luxe dans la vie」
http://blogs.yahoo.co.jp/directricee/27115203.html
「ナマ風呂」
http://namaburo.jugem.jp/?eid=255
今回の特集は、「全国の煉瓦建築」。「日本赤煉瓦建築番付」に載っている物件を中心に、約300件強の煉瓦物件の写真が並ぶ予定です。大阪や神戸、門司、そして松本では展示しましたが、関東で全部が並ぶのは初めて。赤い写真ばかりが並ぶ壁面は、なかなか迫力があります。
ちなみに、「日本赤煉瓦建築番付」とは、1985年の横浜開港資料館版と、2000年の赤煉瓦ネットワーク版があります。テキスト版はリンクからご覧下さい。
FILE
横浜開港資料館版
http://www.jmam.net/matikado/renga2.html
FILE
赤煉瓦ネットワーク版
http://www.jmam.net/matikado/renga1.html
さて、本日、その関連イベントであるシンポジウム「伊東忠太が目指した日本の様式建築」の参加証が届きました。申込順先着200名ということでしたが、無事に入れることになりました。通し番号がなんと1番ということで、これは一番目の申込みだったのでしょうか? 大阪では、伊東忠太は人気がないのかなぁ~と、ちょっと心配しています。まだ定員に達していないのかも知れませんので、関心のある方は、どうぞお申込み下さい。シンポジウムの開催は、7月6日(金)の18:30から20:30まで。大阪市中央区本町の竹中工務店大阪本店「いちょうホール」(御堂ビル1階)です。
小生は、夜行バスで大阪入りの予定。シンポジウム翌日は、京都の西本願寺伝道院を見てこようと思っております。修復工事が終わってから、まだ見ていないもので。
]]>以前、『「前村」さん研究室』というページを作り、前村姓についていろいろ調べたのですが、その際、南米ボリビアでチェ・ゲバラと共に戦ったフレディ前村という日系二世がいたという情報を得ていました。
今日、ひょんなことから、フレディ前村の評伝が出版されていることを知りました。これは、読んでみなければなりません。書評によれば、フレディ前村の父親は鹿児島出身の前村純吉という人で、移民としてベルー経由でボリビアに渡り成功したようです。
全国の前村さん! 同姓の前村さんに、こういう人もいたのですよ。
]]>◆名称:「まちかどの近代建築写真展in上尾」
◆主催:まちかどの近代建築写真展実行委員会
◆協力:近代建築探訪メーリングリスト
◆会場:上尾市役所ギャラリー
埼玉県上尾市本町3-1-1(市役所東棟1階)
◆会期:2012年8月8日(水)~8月14日(火)
午前10:00~午後8:00
但し、8/8は午前中設営につきPM1:00より、
8/14は撤収によりPM4:00まで
◆入場料:無料
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◆名 称:「まちかどの近代建築写真展in藤村記念館III」
◆テーマ:「わが町のレトロ郵便局」
◆主 催:NPO法人甲府駅北口まちづくり委員会
甲府市教育委員会
◆協 賛:日本郵政グループ労働組合・山梨連絡協議会
日本郵政グループ労働組合・山梨甲府支部
◆協 力:近代建築探訪メーリングリスト/まちかどの近代建築写真展実行委員会
◆会 場:甲府市藤村記念館(甲府駅北口よっちゃばれ広場)
◆会 期:2012年 4月 21日(土)から5月13日(日)まで
AM9時からPM5時まで(最終日はPM4:00まで)
休館日:月曜日(月曜が祝日の場合は翌日)
◆入場料:無料
◆関連展示:近代郵便の歴史資料も併せて展示します。
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読み返してみて、「日航ジャンボ機墜落事故」の影響を受けてのものかと思いましたが、調べてみると事故よりも5年前に書かれたものでした。卒業後の生き方について、書いたものです。
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低空飛行の安全性について
ともかくも、現在の飛行機は恐しいほどの高さを飛ぶ。しかも、それはものすごいスピードだ。--それはすなわち何を意味するかと言えば、便利な分だけ危険である、ということではないか。
落ちても死なない方がよっぽど良い。私はそれに決め込んだ。低空飛行は、落ちてもけがをする位だ。乗客全員死亡などという悲惨なことはおこりえない。低く飛ぼう。要は、行き先が同じであることだ。
行き付かないかも知れない、ユックリズム。その間にジェット機は三十往復しているかも知れない。あるいはえらく怠惰で、目的達成後は遊んでいるかも知れない。あるいは、ものすごいせっかちで、次の目的、次の目的と、終わりなく忙しくしているかも知れない。けれども、ユックリズムはマイペース。遊んでいるのでもなければ、なまけているのでもない。しかも、自分を見つめながら行くのである。これこそ最高の旅ではあるまいか。
そんな飛行機会社は商売になる訳がない。--商売をするつもりがないのだ。けれども食いはぐれることもない。つつましやかにも食ってはいける。低空飛行の飛行機会社は、僕一代だけの自己満足である。不安ではあるけれど、つまりは決して自信ではないけれど、絶望もないのだ。小さな飛行場を小きざみに飛んで、しらみつぶしに飛行場を利用して行くのだ。
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戸口の上部の石組みは、アーチの上の楔石のようでもありますが、アールデコのデザインなのかも知れません。
会期:2010年10月23日(土)~10月31日(日)
時間:10月23日(土) 12:00~20:00
10月24日(日)~31日 10:00~17:00
(会場の開館は毎日概ね10時頃)
会場:門司赤煉瓦プレイス・赤煉瓦写真館Fu.地下
(北九州市門司区大里本町3-6-1)
http://mojirenga.navitown.com/index.html
主催:特定非営利活動法人門司赤煉瓦倶楽部
(連絡先:TEL.093-372-0962 FAX.093-863-0665)
企画:まちかどの近代建築写真展実行委員会
協力:近代建築探訪メーリングリスト
札幌からスタートした「まちかどの近代建築写真展」も、今回、とうとう関門海峡を渡ります。
全国各地の煉瓦の建物たちを、ぜひご期待ください。
]]>会期:2010年10月9日(土)~10月11日(日)
時間:10月9日(土)13:00~17:00
10月10日(日)9:30~17:00
10月11日(日)9:30~15:30
会場:旧神戸生糸検査所1階旧フィラメント検査室
兵庫県神戸市中央区小野浜町1番地
主催:まちかどの近代建築写真展in神戸実行委員会
企画:まちかどの近代建築写真展実行委員会
協力:近代建築探訪メーリングリスト
協賛:港まち神戸を愛する会
現在、神戸市の所有する旧神戸生糸検査所の建物は、今後どのように活用していくか、さまざまな試行錯誤行われています。
今回は、400枚の写真を白い一室に一堂に展示した初めての写真展でした。他地域の物件との比較が面白く感じられる、そんな写真展になりました。
]]>会期:2010年10月2日(土)~10月3日(日)
時間:2日(土)10:00~15:30 3日(日)9:30~15:00
会場:神奈川県立柏陽高校(神奈川県横浜市栄区柏陽1-1)
教室棟4階の2年7組教室
企画:まちかどの近代建築写真展実行委員会
協力:近代建築探訪メーリングリスト
高校の文化祭での開催でした。
高校生たち、そして写真展目当てではなかった方々には、どのようにご覧いただけたか、とても興味があります。
]]>改修工事後の根津教会の見学ついでに、写真展もご覧いただければ幸いです。
まちかどの近代建築写真展in根津III(第17回)
~現存する煉瓦建築特集~
会期:7月11日(日)~7月25日(日)
時間:10:00~17:00(最終日は16:00まで)
会場:日本基督教団根津教会(東京都文京区根津1-19-6)
HPによれば、教会、司祭館共、昭和26年(1951年)築のようです。
http://www.omijapankorea.net/ja/history/history4.html
午前中に設営を完了する予定だったのですが、思いのほか準備に手間取り、午後3時近くまでかかってしまいました。設営に馳せ参じていただいた皆さま、ご苦労さまでした。
今回の展示は、全国の現存する医院建築の特集です。メンバーに募り集まった写真のうち、266点を会場の壁という壁に展示しました。まだ見たこともない建物がいくつもあり、次の旅への思いが膨らみます。実は、募集で集まった写真は400点ほど。展示しきれなかった写真は、泣く泣く持ち帰ってきたのでした。
個人医院と言えば、白衣を着たおじいさん先生が看護婦さんと2人だけでやっているような、子どもの頃にお世話になったことのあるような、そんな懐かしさや消毒液の匂いの感じられる建物の印象があるのですが、皆さまはいかがでしょうか? 映画のロケなどにも登場しそうですネ。
「まちかどの近代建築写真展in大阪V」(第16回)
●今回のテーマはこじんまりと趣のある「個人病院」
・会期:2010年3月13日(土)午後~4月10日(土)午前
・会場:天満屋ビル2階「お茶と雑貨のハaハaハa」
大阪市港区海岸通1-5-28 東展示室
・時間:7:30~18:00 土・祝は11:00~18:00(定休日:水曜、日曜)
・主催:お茶と雑貨のハaハaハa
・企画:まちかどの近代建築写真展実行委員会
・協力:近代建築探訪メーリングリスト
今回のテーマは「個人病院」。全国各地には、かわいらしい個人医院が数多く残っています。地方都市で洋館といえば、まずは個人医院ですから。
昨年秋に川越で開催した展示を、さらにパワーアップしてご覧いただきます。
ぜひ、お越しくださいますようご案内申し上げます。
「まちかどの近代建築写真展in大阪V」(第16回)
●今回のテーマはこじんまりと趣のある「個人病院」
・会期:2010年3月13日(土)午後~4月10日(土)午前
・会場:天満屋ビル2階「お茶と雑貨のハaハaハa」
大阪市港区海岸通1-5-28 東展示室
・時間:7:30~18:00 土・祝は11:00~18:00(定休日:水曜、日曜)
・主催:お茶と雑貨のハaハaハa
・企画:まちかどの近代建築写真展実行委員会
・協力:近代建築探訪メーリングリスト
会場は川越市役所に近い川越の町家「本町の長屋」で、蔵造りの伝建地区からも近いところです。お時間が合えばぜひお出で下さい。
まちかどの近代建築写真展in川越
全国個人医院特集
●会場:川越「本町の長屋」(川越市元町1-12-2)
●会期:11月28日(土) 13:00~17:00
11月29日(日) 10:00~17:00
12月 4日(金) 10:00~17:00都合により中止
12月 5日(土) 10:00~17:00
12月 6日(日) 10:00~15:00
●企画:まちかどの近代建築写真展実行委員会
●主催:日本建築学会関東支部歴史意匠専門研究委員会
データベースワーキンググループ
●共催:川越蔵の会/建築から学ぶ会
●協力:近代建築探訪メーリングリスト
近代建築を訪ねて温故知新
http://agen.at.webry.info/200803/article_16.html
2007年の夏に、旧長崎刑務所は正門と管理棟の一部だけを残して、慌ただしく解体が進められました。当時、全面保存は無理でも正門くらいは残さなくてはならないと思い保存運動を行なっておりましたが、管理棟の一部も残してくれたと聞いて喜んでいました。しかしながら、ネットで検索して探し出した解体後の写真を見て、その何とも無残な姿に愕然としておりました。
ようやく今回、解体後の旧長崎刑務所へ行く機会を得、敷地はどのような開発が進んでいるのかと思っておりましたら、現地は広々とした土色の更地が広がるばかり。煉瓦造の旧長崎刑務所の正門と高い塀の一部、そして管理棟の中央の塔屋部分がポツンと残されておりました。あの2007年の夏に、なぜ解体を急いだのか。結果論ですが、その後の経済状況の変化を考えると、あの夏さえ持ちこたえていれば旧長崎刑務所の建物群は今もまだ残っていたかも知れません。更地のまま、こうして今も開発計画が頓挫したままとなっているのですから。
今は、この解体を免れた旧長崎刑務所の正門と管理棟の塔屋を、どうすれば良いかを考えなければなりません。ただのモニュメントとして保存するのではなく、地域の誇るべき歴史的文化財として活かしてほしいと願うばかりです。よもや、再度の解体など無いように。まずは、文化財指定を進めるべきでしょう。
]]>【緊急シンポジウム「東京・大阪中央郵便局の文化財的価値」開催のお知らせ】
日時:2009年3月22日(日)13:00~18:00
会場:建築会館ホール(東京都港区芝5-26-20)
http://www.aij.or.jp/jpn/symposium/2009/20090311.pdf
【日本建築学会の東京中央郵便局庁舎、大阪中央郵便局庁舎に対する歴史的価値に関する見解 2009年3月11日】
http://www.aij.or.jp/jpn/databox/2009/20090227.htm
【緊急シンポジウム 近代建築を考える・駅前シンポジウム 大阪中央郵便局舎をもっと良く知ろう!】
日時:2009年3月26日(木) 18:00~20:00(17:30受付開始)
会場:大阪市立大学文化交流センター大阪駅前第2ビル6階(06-6344-5425)
参加方法:当日自由参加
http://www.aij.or.jp/jpn/databox/tadantai/20090313.pdf
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「まちかどの近代建築写真展 IN 大阪IV」(第14回)
―今回はアンコール!さらに新たなレンガ造りの建物を中心に
(「海岸通建物物語4」関連企画)
会期:2009年3月9日(月)~4月17日(金)
会場:お茶と雑貨のハaハaハa
大阪市港区海岸通1-5-28 天満屋ビル2階 東展示室
時間:7:30~18:00、土・祝は11:00~18:00(定休日:水・日)
主催:お茶と雑貨のハaハaハa
企画:まちかどの近代建築写真展実行委員会
協力:近代建築探訪メーリングリスト
お隣の商船三井築港ビル「ステムギャラリー」さんでも、レンガの企画があります。こちらも、併せてご覧ください。
「海岸通建物物語4―赤レンガに会いに行こう!―」
会期:2009年4月1日(水)~5月15日(金)
会場:ステムギャラリー
大阪市港区海岸通1-5-25 商船三井築港ビル1階
時間:11:00~19:00(日曜休廊)
今年も「まちかどの近代建築写真展」を、大阪・天保山の「ハaハaハa」さんで開催いたします。
「まちかどの近代建築写真展 IN 大阪IV」(第14回)
―今回はアンコール!さらに新たなレンガ造りの建物を中心に
(「海岸通建物物語4」関連企画)
会期:2009年3月9日(月)~4月17日(金)
会場:お茶と雑貨のハaハaハa
大阪市港区海岸通1-5-28 天満屋ビル2階 東展示室
時間:7:30~18:00、土・祝は11:00~18:00(定休日:水・日)
主催:お茶と雑貨のハaハaハa
企画:まちかどの近代建築写真展実行委員会
協力:近代建築探訪メーリングリスト
なお、3月7日(土)午前に会場設営を、また4月18日(土)午後に会場撤収を行ないますので、バタバタした状況ではありますが一部をご覧いただくことも可能かと思います。お時間が許せば、ぜひお越しいただければ幸いです。
お隣の商船三井築港ビル「ステムギャラリー」さんでも、レンガの企画があります。こちらも、併せてご覧ください。
「海岸通建物物語4―赤レンガに会いに行こう!―」
会期:2009年4月1日(水)~4月18日(土)5月15日(金)
会場:ステムギャラリー
大阪市港区海岸通1-5-25 商船三井築港ビル1階
時間:11:00~19:00(日曜休廊)
「昭和のレトロ食堂」さんも、気になる存在としてちゃんと取り上げておられました。
http://syouwa.blog54.fc2.com/blog-entry-284.html
ブログ「昭和のレトロ食堂」さん
http://syouwa.blog54.fc2.com/blog-entry-126.html
「国重文の煉瓦工場公開 深谷」(読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/saitama/news/20090119-OYT8T01083.htm
この工場は、東京駅の煉瓦を焼いたことで有名で、国内に現存する数少ない「ホフマン窯」も見学できます。
天気がよければ、小生も見に行こうかと思っています。
【追記】
1月25日、終了間際に駆けつけて見学してきました。
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ホフマン窯のイメージとして、シモレンの円形のものを思い浮かべてしまいますが、この旧日本煉瓦製造のものは楕円形でした。しかも、トタンの覆い屋で覆われており、ちょっと残念でした。
24日に約1,500人、25日に約2,000人が見学に訪れたとのことです。教育委員会の方の説明では、今後も公開の機会をつくりたいとのことでした。
「東京駅や日本銀行もここから 窯など一般公開」(朝日新聞)
http://www.asahi.com/national/update/0124/TKY200901240065.html
「旧れんが工場 24日から公開 深谷」(埼玉新聞)
http://www.saitama-np.co.jp/news01/23/01.html
>国土交通省のHPによれば、日本では「1934年に日本で初めて東京都の和田倉門交差点に設置されて以来、1941年までに43交差点が整備されました」とあります。
>http://www.mlit.go.jp/road/soudan/soudan_06_07.html
この戦前の43交差点がどこかが、興味の中心です。おそらく、このロータリーは国道に設置されたものと思われます。
最近、2カ所ほど、戦前の旧ロータリーであろうと思われる交差点に出会いました。
・桐生市「錦町ロータリー」
検索してみると、このロータリーには、かつて中央に噴水があったとか。
大きな地図で見る
・岡山市「柳川ロータリー」
ロータリーではなかったという記載もありますが、周囲の建物はどうも戦前ではないかと思われます。
大きな地図で見る
この他、岡山市内には次のような旧ロータリーかと思われる怪しい交差点があります。ただ、戦後に整備したような気配もあって、確信は持てません。
]]>竹筋コンクリート造の「旧和田橋」はどんな姿だったのか、竹筋コンクリートが使われていたのはどの部分だったのか、そして、倒壊する前から竹筋コンクリート造ということが知られていたのか等々、知りたいことばかりです。
ネットで検索してみると、岡崎直司さんのブログのコメントに、ちょっと出てくる程度です。「旧和田橋」について、もっと詳しい情報をお持ちの方、ぜひお知らせください。
どうも、現存の竹筋コンクリート造には、なかなか簡単には出会えないようです。
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現在の和田橋
竹内源造は小杉町に生まれた鏝絵職人で、富山県を中心に、東京の帝国ホテルの貴賓室や大連の朝鮮銀行なども手掛けています。
「鏝絵の名人竹内源造ワールド」
http://www.genzou-world.net/
Priea(プリア)は、2006年11月にスタートした広告付無料写真プリントサービスでした。デジタル写真をプリントするのに大変重宝していたサービスでしたが、会員急増にシステムが追いつかず、本日をもってサービスを終了するとのことです。先月より、ずっとメンテナンス中でサービスが停止していたので、あるいはと思っておりましたが、とうとう終了となってしまいました。
Priea(プリア)は、プリント代が無料なだけでなく、送料も無料でしたので、会員が増えればそれだけ送料分の負担も大きくなっているだろうと思っておりました。また、このご時世ですので、広告主を集めるのも苦労していたのではないかと思います。普通、会員が増えれば喜ぶものですが、Priea(プリア)のサービスでは、送料分の負担が増えるばかりですので、厳しくなってしまったのではないかと思います。
Priea(プリア)は画期的なサービスでしたので、今回の終了は誠に残念でなりません。今後、こうした広告付無料サービスの撤退が続くのではないかと懸念されます。何か、新しいビジネスモデルを見つけないといけませんネ。
なお、会員には特典付で、日本ヒューレット・パッカード社が運営する写真プリントサービスSnapfish(スナップフィッシュ)への移行を紹介するとのことですが、Snapfish(スナップフィッシュ)は送料がかかるのですよね。写真に広告は付かないけれど。
]]>しかし、北海道で「中華まんじゅう」(あるいは略して「中華」)というと、違う食べ物を指します。
それは、お葬式の際の「葬式まんじゅう」なのです。ただ、普通の「葬式まんじゅう」とは違って、大きなどら焼きの皮のような生地一枚にこし餡をくるんだような形状のもので、大きなぎょうざのような、バナナのような形をしています。
なぜ北海道の「葬式まんじゅう」が「中華まんじゅう」になったのか、また、いつから「中華まんじゅう」が使われるようになったのかについては諸説あるようですが、詳しくは下記のHP「北のお菓子たち」を御参照ください。
http://www.hokkaido-jin.jp/issue/sp/200405/special_07.html
「中華まんじゅう」は、普段、普通に食べられるものではないので、そのズッシリと重い触感とともに甘い記憶として甦ります。
最近では、お葬式で「中華まんじゅう」を配ることも少なくなったようです。ただ、時々、道内のスーパーやお土産屋で見かけることもあります。が、それは、記憶にあるような大きな「中華まんじゅう」ではなく、薄く小振りなものだったりします。本当の「中華まんじゅう」はもっと大きくて、こし餡のギッシリ入った、ふっくらとしたものでした。
さすがに、「葬式まんじゅう」ですので、デパートなどでの「北海道展」では見かけません。もし見かけたら、すぐに買ってしまうのですが……。
]]>余談ながら、小生の父親が工業高校(道立小樽千秋高等学校)を出て地元の建設会社(株式会社萬組)に勤ていた頃、この校舎の建設に携わったと聞いています。
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こちらが東側の校舎。
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こちらは西側の校舎。グランドに面しています。
NHKの連続ドラマ「ちりとてちん」で、主人公の母校としてロケ地になりました。
]]>「まちかどの近代建築(全国編)」
「まちかどの近代建築(長井編)」
地元の亀ヶ岡遺跡から発掘された国の重文の遮光器土偶(愛称「しゃこちゃん」)を、巨大化して取り付けています。叩いてみるとコンクリート製で、中は空洞ではなく充填されていました(足の部分以外は、あるいはハリボテかも知れません)。ウィキペディアによれば「以前は列車の発着に合わせて土偶の目を点滅させていた(「いらっしゃいビーム」)が、子供が怖がるため最近は自粛している。リクエストがあれば点滅可能らしい。」とのこと。
※なお、この「しゃこちゃん」は高さ17.3mとの記載もありますが、どう考えてもそれほど巨大ではないです。17.3mというと、6~7階建てのビルに相当しますから。2階建ての駅舎に付いているのですから、せいぜい7~9mくらいでしょう。
で、この「しゃこちゃん」ですが、五能線の列車の乗客からは全く見えないというのも、困ったものです。どうやら、町民向けに立っているようです。
それにしても、木造(きづくり)という地名は、検索には困ったワードです。木造駅舎は、各地の「もくぞう」の「えきしゃ」がヒットしてしまいます(笑)。
]]>たまたま数日前に知ったのですが、今月、民事再生法の申請をした株式会社アーバンコーポレーションが、この広島大学本部跡地の再開発事業を受注しており、再開発計画は白紙に戻るともいわれています。
広島大学本部跡地の再開発計画
http://www.urban.co.jp/news_contents.html?id=725
さて、今年の5月、中国の四川省で大地震があり、その直後に書き始めた、書きかけの文章があります。なかなか結論が出せずに、ずっと書きかけのままとなっていたのですが、昨日の民家倒壊のニュースを受けて、これは発表しておかなければならないと思い、少し手直しをしてUPすることにしました。
中国・四川省大地震では数多くの校舎が倒壊し、生徒・学生たちの痛ましい状況が報道されました。
この報道を受け、「日本の学校は大丈夫なのか?」という声も多く聞かれました。朝日新聞の記事によれば、1981年以前に建設された、古い耐震基準が適用された公立小中学校の校舎が、全国で約8万棟。そのうち、改修済みが約2万7千棟で、残りは、耐震診断で危険と判定されたか、耐震診断自体を受けていない校舎なのだとか。
さて、ここでかねてよりの疑問なのですが、古い建物は即、危険な建物なのでしょうか? 時間を経過した建物は、当然、老朽化します。しかし、老朽化とは、配管や塗装などの設備面の劣化が中心ではないかと思うのです。もし、構造自体も老朽化するのだとすれば、町の建物は一定の経年ごとに建替えられなければならないことになります。つまり、古い建物は全て一掃し、常に新しい建物に建替え続けなければならないことになります。しかし、何か変ではないでしょうか。だって、古い建物の街並みは、確かに存在するのですから。
木造は別として、鉄筋コンクリート(RC)造の建物について考えてみたいと思います。小生が子供の頃(40年くらい前)、RC造の建物は、「永久建築」とか「100年持つ」と聞かされていました。その後、大人になってから、RC造の建物の寿命は50年とか、40年とか聞くようになり、「アレ?」と思っておりました。
設備面での劣化に対しては、適切な保守を行なうのは当然です。これは、何もRC造の建物に限ったことではありません。しかし、もし仮に、RC造の建物の構造に対して、経年係数のようなものがあるのだとすれば、これまでの考え方を根本的に考え直さなければならないことになります。建築の専門家の方にぜひお聞きしたいのですが、老朽化=危険という図式は本当に正しいのでしょうか。
適切にメンテナンスを続けていけば、建物は半永久に保つことができるのではないでしょうか。「老朽化」が危険なのではなく、「必要なメンテナンスを怠ること」が危険なのではないでしょうか。
もちろん、手抜き工事や、偽装設計などは、当然ながら論外なことです。そういったことを除外したうえで、真っ当に建てられた建物についても、「老朽化」即「危険」と報道され、それが世間で正しいことと認知されていることに、どうしても納得がいきません。古い建物が危険なのではなく、必要な手入れを怠った建物が危険なのです。
建築家の方々、建設会社や工務店など建築を職業とするプロの方々、どうぞ、この当たり前のことを公言してください。世の流れは、誤った認識によって誤った方向に向かいつつあるように思われてなりません。
]]>4年ぶりの宮崎駿監督によるジブリ映画『崖の上のポニョ』が、来週7月19日より公開されます。作品の出来も気になるところですが(笑)、小生としては、どうしても主人公の家である「崖の上の家」が気になります(爆笑)。
http://www.ghibli.jp/ponyo/
イメージアルバムのジャケット画にもなっている「崖の上の家」ですが、何かモデルになった家でもあったのでしょうか。NHKでやっていた宮崎駿監督のドキュメンタリーでは、広島県福山市の鞆ノ浦で構想を練っており、海を見渡す崖の上の家がお気に入りだったとか。ただし、その家は純和風の家で「崖の上の家」とは全く似ていません。
http://swan.srv7.biz/
「崖の上の家」を見て、小生が似ていると思ったのは、昨年、愛知県犬山市の明治村に移築復元された「旧芝川又右衛門邸」です。
http://www.meijimura.com/visit/s68.asp#a01
あるいは、大阪府堺市の「旧是枝近有邸」とか。
http://www.city.sakai.osaka.jp/kyoiku/_syougai/_kyouiku/bunkazai/koreeda.html
「崖の上の家」は、まあ、普通の2階屋ではありますが、崖の上にそびえ建っているからでしょうか、階高が高いように感じられます。総2階建てで、出窓があったり、テラスがあったりするところが、洋館っぽい感じです。
皆さんにとって「崖の上の家」は、どの家をイメージされることでしょうか。
]]>現在、東京中央郵便局(昭和6年築)と大阪中央郵便局(昭和14年築)の両局が、建て替え・解体の危機にあります。この両局を設計したのが、逓信省営繕課の吉田鉄郎でした。
昨日のシンポジウムでは、まず第一部として、富山テレビが制作したドキュメンタリー「平凡なるもの~建築家 吉田鉄郎物語~」が上映されました。
http://www.bbt.co.jp/bspe/index336.html
この作品は、東京中央郵便局、大阪中央郵便局の建て替えの情報を契機に、吉田鉄郎の出身地である富山のローカル局のディレクター東亜希子氏が、吉田鉄郎の生い立ちと作品に込めた思いを、冷静に丁寧にまとめたものでした。ナレーションは女優の中島朋子、ドイツやスウェーデンのロケまであり、地方局がよくここまで取材できたものだと思います。本気度が違います。
この作品は、今年の5月19日に地元の富山だけで放送されたとのことでしたが、それだけでは惜しい、上質な作品でした。今回の上映会などのように各地で上映の機会を持つべきだし、おそらく、いずれ全国ネットで放送される作品だろうと小生は期待しています。富山テレビのネット局であるフジテレビに放映を要望すれば、全国放送への一助になるかも知れません。
休憩をはさんで第二部では、時間が押してしまってほんの短い時間でしたが、東大の鈴木博之先生、日大の田所辰之助先生、建築家の兼松紘一郎氏、「東京中央郵便局を重要文化財にする会」の多児貞子氏、そして富山テレビディレクターの東亜希子氏のお話を聞くことができました。
今、東京駅前に立つと、まるで四角いケーキに羊羹を突き立てたような、あるいは地面に置いたナットに頭の付いていない太いボルトを挿したような、そんなバランスの悪いビルがあちこちに建つ「異様」で「奇妙」な光景が広がります。東京中央郵便局も、同じような形で建て替えるという計画が発表されました。これ以上、こんな形での建て替え物件を増やしてはいけないと思います。できれば、今のままの形での保存が良いのですが……。ちなみに、東京駅は、昔の姿に復元工事が始まったところです。
吉田鉄郎が設計した、現存するおもな物件は下記の通り(ウィキペディアより)。いずれも、地域の人々に愛され、多くは文化財として大切に保存されています。
・京都中央電話局上京分局(現・カーニバルタイムズ) (大正13年築) 京都市登録有形文化財
・京都中央電話局(現・新風館) (大正15年築) 京都市登録有形文化財
・検見川無線送信所 (大正15年築)
・別府市公会堂(現・別府市中央公民館) (昭和3年築)
・別府郵便局電話事務室(現・別府市児童館) (昭和3年築) 国登録有形文化財
・馬場邸(現・最高裁判所長官公邸) (昭和3年築)
・東京中央郵便局 (昭和6年築)
・馬場烏山別邸(現・第一生命グラウンド光風亭) (昭和12年築)
・大阪中央郵便局 (昭和14年築)
・馬場熱海別邸 (昭和15年築)
まず、今回の展示で、これまで小生が勝手に思いこんでいたことが誤りであることに気付きました。時代順に「アール・ヌーボー」-「アール・デコ」-「バウハウス」だと思いこんでいたのですが、展示されていた年表で見ると「アール・ヌーボー」-「バウハウス」-「アール・デコ」の順だったのですね。とすると、バウハウスが突き抜けて、現代につながる画期的なものだったということです。装飾性を排した、無機質で機能的なデザイン。あるいは、装飾、その反動で非装飾、再び装飾という、揺り戻しだったのか。
バウハウスは、1919年から1933年までというほんの短い間に、ドイツで展開した教育機関の実践活動でしたが、そのインパクトは衝撃的であり、その後の世界への影響力は今もなお続いています。今回の展示もそうですが、バウハウスの活動は多方面にわたっています。多様な才能を持った教育者が集まり、デザイン、絵画、写真、工芸、染色、舞踏、演劇、そして建築など、さまざまなジャンルでの実験的な活動をくりひろげました。
過去、セゾン美術館や宇都宮美術館でのバウハウス展での展示でもそうでしたが、小生の興味は、家具、ポスター、建築といった分野にのみ惹きつけられてしまいます。絵画や舞台芸術などは、どうも前衛すぎて面白くないというか、わからないというのが実情です。
今回の「バウハウス・デッサウ展」は、ハウハウス中期から後期にかけての、現在も残るデッサウのバウハウス校舎での活動を中心に展示しています。
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第一部は「バウハウスとその時代」で、バウハウスに到る様々な運動や活動、そしてヴァイマールでの初期バウハウスの活動を、地下1階の展示室を使ってざっと紹介しています。まあ、言われてみればそうなのですが、ジョン・ラスキンやウィリアム・モリスから説きおこすかと思いました。創設期のバウハウスの工芸品の数々のいとおしさ。機械化、量産化を目指しながらも、多分に手工芸的なところを残した陶磁器やテーブルランプなどが、印象に残っています。
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第二部は「デッサウのバウハウス」。3階の広い展示室を使った、今回のバウハウス展の中心展示です。まず、各教授たちの基礎教育の授業内容の紹介。そして、工房の紹介として、金属、家具、織物、壁画、印刷・広告の5工房に絞っての作品の紹介。さらに、実験的な写真芸術、舞台工房の映像や舞台装置の図案など。小生の興味は、やはり家具や金属に向かいます。
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工房での試作と外部での量産という「バウハウススタイル」、多様なユニット化の試みなど、バウハウスの活動は、その後の機械化・工業化の生産につながる先駆けであったことがわかります。ただし、決して意図したものではないのでしょうが、バウハウスの時代にはまだ手造りの親しさ・温かさが残っており、その後の時代の工業製品の疎外感・冷たさはありません。
印刷・広告では、肉太の黒々としたレタリング、様々な級数で構成するタイポグラフィなど、派手さはないものの、訴える力のあるデザインが印象的でした。そして、効果的に使われる朱赤。それはちょうど、日本の書道や日本画などの落款印のような効果があります。まるで日の丸の旗のようなデザインの展示もありました。
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第三部は「バウハウスの建築」。世界遺産となった「バウハウス校舎」などの模型と写真、図面の展示、そして校長室が原寸大で再現され、その室内へ立ち入ることも許されています。恥ずかしながら、バウハウスの「バウ」とは「建築」のことだったと、今回初めて知りました。バウハウスの最終目標は建築であるとする「バウハウス宣言」は、建築に興味を持つ者にとって、どれだけ力強い支えとなっていることでしょう。諸学の中心が哲学であるように、諸芸術の中心が建築であると。
バウハウスの建築の特徴は、鉄とガラスとコンクリートであり、現代に続くモダニズム建築の先駆けでもあります。しかし、工芸でもそうだったように、バウハウスの建築も親しさ・温かさを感じるのは、彼らには不本意だったかも知れませんが手作業の残る仕上がりゆえだと思われます。技術的にも未熟であり、実験的な試行錯誤による建築現場での作業により、それまでにない新しい建物を実現させました。バウハウスの建物を象徴するものは、建物から飛び出した、飛び込み台のような支えのないテラス(ベランダ)ではないかと思いました。鉄パイプの手すりとともに。
今回、ブロガー特別鑑賞会という、願ってもない機会を与えてくださった主催者の方々に、厚く御礼を申し上げます。お土産にいただいた図録の、なんと厚いことか。746頁もあります。最近の図録は、厚さを争っているのでしょうか(笑)。
最後に、以前は週末の夜間開館を実施している美術館や博物館が結構ありました。わざわざ美術展のために都心まで出てくるのではなく、仕事帰りにフラリと気軽に鑑賞できるということは、どんなに素晴らしいことでしょう。スタッフの方々のご負担も大変かとは思いますが、週末の夜間開館の実施について、ぜひご検討いただきたいと思いました。
バウハウス・デッサウ展 BAUHAUS experience, dessau
http://www.bauhaus-dessau.jp/
【会期】2008年4月26日(土)~7月21日(祝・月) 月曜休館
【開館時間】午前10時~午後5時(入館は午後4時30分まで)
【会場】東京藝術大学大学美術館[東京・上野公園]
(〒110-8714 東京都台東区上野公園12-8)
【主催】東京藝術大学、産経新聞社
【共催】バウハウス・デッサウ財団
【巡回先】2008年7月29日(火)~9月7日(日) 浜松市美術館
2008年9月13日(土)~10月19日(日) 新潟市新津美術館
2009年1月25日(日)~3月29日(日) 宇都宮美術館
このところ小林多喜二の『蟹工船』が売れに売れ、新潮社では古い文庫本では異例の2万7000部の増刷をかけたということがニュースになっていました。
小林多喜二といえば、小樽生まれの小生にはなじみ深い作家です。小樽にゆかりのある作家といえば、石川啄木、伊藤整、そして小林多喜二と、だいたい相場が決まっていました。いずれも市内に文学碑があり、ガイドブックには必ず載っています。小林多喜二の文学碑は、小樽港を見下ろす旭展望台にあり、労働者の首の付いた煉瓦色の文学碑は、子ども心に怖かった思い出があります。
http://www.otarucci.jp/kankou/bunka/bungakuhi/bungaku002.html
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旧北海道拓殖銀行小樽支店(大正12年築)
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旧三菱銀行小樽支店(大正11年築)
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旧第一銀行小樽支店(大正13年築)
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旧三井銀行小樽支店(昭和2年築)
小林多喜二は、生まれは秋田県の下川沿村(現大館市)ですが、4歳のときに小樽に渡り、大正13年に小樽高等商業学校(現小樽商科大学)を卒業後、市内の北海道拓殖銀行小樽支店に勤務します。現在「ホテルヴィブラントオタル」となっている旧北海道拓殖銀行小樽支店の建物は大正12年に建てられましたので、新築翌年の銀行の建物で勤務していたことになります。なお、この拓銀のある交差点には、大正11年築の旧三菱銀行小樽支店、大正13年築の旧第一銀行小樽支店が、また拓銀の並びには昭和2年築の旧三井銀行小樽支店の建物が現存しています。小林多喜二が勤務していた頃は、ちょうど小樽の銀行の新築ラッシュだったのです。
昭和4年に『蟹工船』が発表。同じ年に発表した『不在地主』が原因で拓銀を解雇され、翌年、小樽を離れ、東京に移り住みます。そして、昭和8年に特高に逮捕され、築地警察署内での拷問により獄死します。
今、大ヒットしている小林多喜二の『蟹工船』ですが、小生は今から30年くらい前、中学生のときに読みました。小生の感想としては、ちょっと読みにくい、粗削りな作品という印象があります。小林多喜二の『蟹工船』よりも、葉山嘉樹の『海に生くる人々』のほうが、読みやすく、小説としても完成していると思いました。ちなみに、小林多喜二は、葉山嘉樹の『海に生くる人々』を読んで『蟹工船』の執筆を決意したといいます。
小林多喜二の『蟹工船』を読んだ方は、ぜひ、葉山嘉樹の『海に生くる人々』や『セメント樽の中の手紙』、徳永直の『太陽のない街』なども読んでみてほしいと思います。
なお、少々時代が下りますが、小樽の映画館の数は、ピーク時には23館もありました(昭和30年~35年頃)。当時、小樽市の人口は約18~9万人だったので、「小樽は人口比で8000人に一館の映画館を持つ、北海道随一の映画館のまち」でした。大正末には、小樽には10を超す映画館があり、小林多喜二の日記には、小樽の映画館で見た映画の感想などが綴られているといいます。
また、小樽の銭湯の数も、ピーク時(昭和40年頃)には72軒もあったといいます。同じ町内に何軒も銭湯があるという状況でした。今では、銭湯の数は20軒ほどになっていますが、町の規模からすると、今でも小樽は銭湯の多い町です。
]]>とうとう、デジタル一眼レフカメラを買ってしまいました。NikonのD60。今月初め、アマゾンで、レンズ付キットが5万円台になっていたもので、思わず買ってしまいました(今は1万円高くなっている!)。※6/20再び5万円台です。
思えば、小生が自分の一眼レフを手にしたのは、今から30年も前、高校に入学したときでした。CanonのAE-1です。入学祝いとして、親にねだって買ってもらった一眼レフでした。当時、予算は5万円までと提示され、ボディのみを購入しました。レンズは、親が持っていたCanonの標準レンズを借りて(勝手に!)、使っておりました。当時、小生の高校の写真部では、OLYMPUSのOM-1を持っている者ばかりでしたので、CanonのAE-1の評判は散々でした。
高校卒業時に、お年玉を貯めて標準ズームレンズを買いました。これも、5万円弱程度。ボディと同じくらいの値段のレンズを付けて、京都の下宿でのひとり住まいを始めました。
どこへ行くのでも、このAE-1を担いで歩きました。周遊券を使っての北海道や九州への2週間の長旅でも、持って歩きました。当然ながら、自分でパトローネに充填したモノクロフィルムを何本も持っての旅です。厳寒の根付半島のトドワラで、シャッターが下りなかったり、フィルムが切れてしまったりしたした経験もありました。
このAE-1の難点は、フィルムカメラでありながら、電池が切れると全く使えなくなってしまうことです。電池が切れても、シャッターくらい下りてくれても良さそうなものですが、一切使えなくなってしまうのです。しかも、AE-1で使っている電池は旅先ではなかなか売っていないような特殊なもので、しかも結構高かったのです。旅先で電池切れになり、持って行ったカメラがただのお荷物になってしまったという経験も、幾度となくしました。前日に交換した電池が、翌日には切れているという漏電の故障で、修理に出したこともありました。
大学を卒業後、仕事も忙しくなり、旅先へもコンパクトカメラを持って行くようになり、やがてはカメラ自体からも遠ざかっておりました。
CASIOのQV-10の登場でデジカメに飛びつき、その後、画素数が上がる度に何台買い換えたことか。そして今回、やっとデジタル一眼レフカメラデビューです。
数年前、デジタル一眼レフカメラが10万円を切ったときに、一度購入を検討したことがありました。しかし、バッテリーの持ちの問題で、断念していました。長旅には持って行けそうになかったからです。今回、ようやく購入を決めたのは、バッテリーの持ちが相当良くなったことと、5万円台になったことでした。NikonのD60は、重量も500gを切っており、日帰りや一泊旅行くらいには持って行こうかと思っています。
AE-1などのフィルム一眼レフカメラの時には、フィルム巻き上げレバーに親指をかけて構えていたものですが、デジタル一眼レフカメラには当然それが無く、親指の引っ掛かる部分が無いので片手持ちではちょっと心配です。カメラ前面のグリップに指をかけて持つのでしょうが、親指が遊んでしまって……。
当面は、デジタル一眼レフカメラと、デジタルコンパクトカメラとの両方を持ち歩くことになりそうです。
今回、NikonのD60とD40、CanonのEOS Kiss X2、そして新製品のEOS Kiss Fを購入対象として検討しました。まあ、最近はNikon系のデジタルコンパクトカメラを使っていたので、あまり深い考えもなく、NikonのD60になりました。はたして、夏の旅で使えるカメラかどうか。
]]>さて、官報にときどき「登録抹消」の告示が出ることがあり、建物が火事になったのか、解体されてしまったのかと心配になることがありました。実際には、市町村や都道府県、国の重要文化財に指定されること(格上げ)で、登録文化財の登録が抹消される例が多いのですが、今までその実態を掴めずにおりました。
今日、たまたま文化庁のHPで、「登録の抹消について」というページを見つけました。
http://www.bunka.go.jp/bunkazai/shurui/touroku_yukei_masshou.html
このページの情報によれば、平成19年12月5日現在、登録文化財の抹消総数は145件、そのうち、焼失や解体などによる抹消は44件とのこと。この数字、多いのか、少ないのか。小生の感想では、これは予想外に多いと感じました。
小生のHPに登録文化財のリストを公開しておりますが、この抹消情報も加えることにしたいと思います。
(文化庁の方にお会いする度に、登録文化財の抹消理由を明らかにして欲しいとお願いしていたのですが、これで少しは安心できます。)
]]>(9,954歩)
]]>(10,697歩)
]]>(-歩)
]]>(-歩)
]]>(11,136歩)
]]>(10,647歩)
]]>(12,422歩)
]]>(24,219歩)
]]>(36,823歩)
]]>(32,002歩)
]]>(30,802歩)
]]>5月5日の子どもの日に「かしわ餅」を食べる習慣は、一体いつから始まったのでしょう。童謡「背くらべ」では「ちまき」を食べていますが、小生の家では、5月5日の「ちまき」というものを見たことも食べたこともありませんでした。大人になってから中華料理の「ちまき」を食べて、これが子どもの日の「ちまき」かと思ったくらいです。京都の祇園祭で、山鉾から投げる「ちまき」がそれかと思ったりもしましたが、これも違うとのこと。どうも関東圏では、「ちまき」ではなく「かしわ餅」を食べる習慣が一般的のようです。数年前、大阪の和菓子屋さんでたまたま「ちまき」を見つけ、ようやく「ちまき」の実態を知りました。餡も何も入っていない、新粉餅のような白いかたまりでした(笑)。
さて、「かしわ餅」ですが、小生の家の「かしわ餅」は、一般に見られるような餡の入った柏の葉にくるまれた餅ではありません。今は「べこ餅」と呼ばれるものを、「かしわ餅」と呼んでいました。ちょうど葉っぱの形で、箸で葉脈の型押しをして作るので、疑いもなく「かしわ餅」だと思っておりました。「べこ餅」という呼び方は、一般的な「かしわ餅」と区別する必要性から「べこ餅」と呼んだのではないかと思っていますが、同郷の道産子の方々、いかがでしょうか?
「べこ餅」は、北海道と東北地方の一部で食べられている、上新粉をこねて作る蒸し餅です。上記のように葉っぱの形に成型します。普通の砂糖を混ぜた白い部分と、黒砂糖を混ぜた黒い部分とを併せて、ちょうどホルスタインのような柄にします。子どもの頃、母親といっしょに「べこ餅」を作りましたが、粘土細工のようで楽しかったものです。経木、または笹の葉を四角く切り、その上に一つづつ載せ、蒸し器で蒸して出来上がり。出来立ても美味しいのですが、数日たって固くなった「べこ餅」を、餅網であぶったのもとても美味しいものです。
「べこ餅」については、下記のHPに詳しく載っています。デパートなどの北海道展で売れば良いのに。
北海道人「北のお菓子たち」
http://www.hokkaido-jin.jp/issue/sp/200405/special_01.html
(10,106歩)
]]>(-歩)
]]>(11,465歩)
]]>(-歩)
]]>(10,627歩)
]]>(-歩)
]]>(-歩)
]]>(10,815歩)
]]>(9,511歩)
]]>(10,551歩)
]]>(10,240歩)
]]>(11,501歩)
]]>(22,171歩)
]]>(35,439歩)
]]>(12,401歩)
]]>(10,092歩)
]]>(10,668歩)
]]>(8,829歩)
]]>(9,158歩)
]]>(-歩)
]]>(-歩)
]]>暁斎とは河鍋暁斎のことで、幕末から明治にかけて活躍した日本画家です。河鍋暁斎と近代建築の関係で言えば、日本の近代建築の父であるコンドルが暁斎に弟子入りして日本画を学び「暁英」という画号を授かっており、暁斎の臨終も看取っています。さらに、当前村記念博物館としては、河鍋暁斎が江戸本郷の狩野派絵師前村洞和の弟子であったことも見逃せません。
これまで河鍋暁斎の大規模な展覧会は開催されておらず、今回の特別展では海外からの里帰り作品や未公開作品なども多く、他には巡回しないというのですので、これは見に行くしかありません。
来週の土曜日、4月19日に、大阪の天満屋ビル「ハaハaハa」さんで開催中の「まちかどの近代建築写真展」撤収の行きがけに、暁斎展を見てこようと思っています。夜行バスで行くことになりそうです。
京都国際マンガミュージアムでも、特別展「明治日本のギャグマスター 暁斎漫画展」をやっており、こちらも見なければ。両方を半日で見るのは無理そうですので、やはり泊まり掛けで行くしかないかナ。
暁斎は速筆・早描きで多作な人でしたので、各地で掛け軸や額を見ることがありますが、今回のような大きな会場で一堂に会して見ることのできるチャンスはなかなかありません。また、今回の特別展は、埼玉県蕨市にある「河鍋暁斎記念美術館」所蔵のものが大半なのですが、これまで直接見たことのないコンドル所蔵だった里帰り作品に大いに期待したいと思います。
特別展覧会 没後120年記念
絵画の冒険者 暁斎 Kyosai -近代へ架ける橋
・会期:2008年4月8日(火)~5月11日(日)
・休館日:月曜日(ただし5月5日は開館)
・開館時間:午前9時30分~午後6時 金曜日は午後8時まで
(入館は閉館の30分前まで)
・会場:京都国立博物館 (東山七条)
京都国際マンガミュージアム特別展
明治日本のギャグマスター 暁斎漫画展
・会期:2008年4月8日(火)~5月11日(日)
・休館日:水曜日(祝日の場合は翌日)
・開館時間:午前10時~午後8時
(入館は閉館の30分前まで)
・会場:京都国際マンガミュージアム2階 メインギャラリー
国立京都博物館
http://www.kyohaku.go.jp/jp/index_top.html
京都マンガミュージアム
http://www.kyotomm.com/
河鍋暁斎記念美術館
http://www2.ocn.ne.jp/~kkkb/Kyousaij.html
※コンドルが書いた河鍋暁斎の伝記は必読です!(岩波文庫)
]]>(9,185歩)
]]>さて、お赤飯に小豆(やササゲ)ではなく金時豆を使うのは、北海道と青森など東北地方の一部と認識していたのですが、かつて沖縄に旅行に行ったおり、名護の博物館に金時豆のお赤飯が展示してあり、驚いたことがありました。柳田國男ではありませんが、「蝸牛考」のように周辺部に同じような文化が残っているのではと考えたりしました。まあ、北海道の甘納豆赤飯は、戦後に料理研究家が広めたという話も聞きますので、それほど古い文化でもないのですが(昭和20~30年代に札幌の光塩学園女子短大の南部明子先生考案だということですが、これはもしかしたら、甘く煮た金時豆を使う代わりに、甘納豆を使うというアイデアだったのかも知れません)。
先日、長野県の伊那市へ行ったおり、スーパーの惣菜コーナーで金時豆のお赤飯を発見しました。しかも、小豆のお赤飯は一切置いておらず、金時豆のお赤飯だけが並べてあります。驚いて、近くにいた買物中のご婦人2人にお聞きすると、この地方では普通、この金時豆の甘いお赤飯を炊くとのこと。「蝸牛考」説は、吹っ飛びました。
伊那地方だけの習慣かと思っていると、長野市出身の職場の同僚の家でも、金時豆のお赤飯を食べるとのことで、どうも長野県全域で広く一般化しているようなのです。長野での金時豆のお赤飯の話があまり出てこないのが不思議ですが、地元ではそれが普通の赤飯であると考えているので、あえて関心を呼ぶテーマではないのかも知れません。北海道の場合、北海道以外の地域から出張や転勤で来る人が多く、変わった食べ物として意識されたのかも知れません。
そもそも、金時豆のお赤飯の起源は長野・山梨地方であって、北海道開拓とともに北海道に渡った食文化だという、新しい仮説をたててみました。この仮説は、地域分布的にも理にかなっているような気がします。ちなみに、うちの母方の祖母が山梨県の出身で、北海道に開拓に渡った人ですので、話がヤヤコシイのですが……。
あるいは逆に、北海道開拓民の里帰りと共に、北海道の食文化である金時豆のお赤飯が、長野・山梨地方にもたらされたという逆流入説も、成り立つかも知れません。この仮説の場合、北陸地方や東北地方南部にも、金時豆のお赤飯がなければなりませんけれど。
うちの地方でも金時豆のお赤飯を食べるよ、という情報を、ぜひお寄せください。
日経新聞の「食べ物新日本奇行」というページに、アンケート調査に基づく記事が出ていました。
http://weekend.nikkei.co.jp/kiko/20030319s863j000_19.html
(10,421歩)
]]>(10,076歩)
]]>(11,858歩)
]]>(10,289歩)
]]>(26,449歩)
]]>(25,934歩)
]]>(10,934歩)
]]>今回の個展は、世界遺産をめざす五島列島の教会群のスケッチで、昨年秋には長崎市内で開催され、今回は現地の新上五島町での開催です。五島列島か。行きたいナァ。20年くらい前に一度行ったきりです。いつか、五島列島の教会めぐりをしたいと思っています。
「長崎から世界へ 祈りの空間を描く-渡邉義孝水彩画展-」
会期:2008年4月12日(土)~19日(土)
開館:9:30~17:30(最終日14時まで)
会場:有川港多目的ターミナル鯨賓館ロビー
〒857-4211 長崎県南松浦郡新上五島町有川郷578-36
電話:0959-42-0180 入館無料・会期中無休
共催:鯨賓館・上五島歴史と文化の会・新上五島町世界遺産推進室
こちらは、昨年秋の長崎市内での個展の様子
http://homepage3.nifty.com/w_yoshi/ak/ngsk/exb.html
(9,954歩)
]]>(11,317歩)
]]>FILE
仲間うちでは「カッパの顔」だと評判だったのですが、いかがでしょうか(笑)。
追記
「日本近代建築総覧」によれば、この建物は、大正4年築の旧岡部村役場とのことです。
(8,788歩)
]]>まちかどの近代建築写真展 IN 川口(第13回)
(「KAWAGUCHI39ART2008」関連企画)
会期:2008年3月22日(土)~3月30日(日)
時間:10:00~17:00
(但し、3月22日(土)は13時から、30日(日)は16時まで)
会場:蔵・浜田 埼玉県川口市本町1-11-24
TEL:048-222-2219(浜田接骨鍼灸院:※会期中の問い合わせ先)
主催:まちのこし集団 かわぐち塾
企画:まちかどの近代建築写真展実行委員会
協力:近代建築探訪メーリングリスト
各地のこれまで目にしたこともない煉瓦建築も多く、ぜひ皆さまにご覧いただきたいと思います。
]]>巷で話題となっております、マンガ家楳図かずお氏の自邸、通称「まことちゃんハウス」の外観がこの度公開されましたが、皆さんご覧になられましたか? もっとドギツイ赤色を想像していたのですが、報道写真で見ると、結構落ち着いた赤色になっておりました。
アサヒコムの記事
http://www.asahi.com/national/update/0314/TKY200803140052.html
最初、この写真を見たときに、恐れ多くも「辰野式」を思い出してしまいました(笑)。「まことちゃんハウス」は素材も違うし、ストライプ幅も違うし、建物のデザインとか思想とか、とにかくもう全然違うのですが、町にあってこの紅白のシマシマは「辰野式」ではないかと思ってしまった訳です。
ちなみに、「辰野式」とは、簡単に言えば日本建築界のボスとして君臨していた建築家、辰野金吾が好んだ紅白ストライプ模様の煉瓦建築のことで、東京駅や旧日本銀行京都支店、旧日本生命九州支店など、各地に残っております。文化財に指定されている建物も多く、煉瓦建築といえば「辰野式」が代表的なものとなっております。
しかしながら、辰野金吾が「辰野式」の煉瓦建築を建てた当時、その建物は、きっと周囲の町並みから浮いていたと思うのです。商業建築ならば建物自体が看板のようなものですから、目立つのは大いに結構、紅白でメデタイと歓迎されたのかも知れません。ただし、周囲の人々の心象はどうだったか……。
さて、「まことちゃんハウス」ですが、これが住宅地の中にあるということが問題なのかも知れません。ただ、もし楳図かずお氏が建築家で、あちらこちらにこうした紅白ストライプの建物を建て、しかも力のある建築家だったとしたら。この紅白ストライプの建物は「楳図式」と呼ばれるのか(いや、そんなことはあり得ない)。
ここ最近、写真展の準備で煉瓦建築の写真ばかり見てきたので、「まことちゃんハウス」もそんな風に見えてしまったのかも知れません。
]]>
まちかどの近代建築写真展 IN 大阪III(第12回)
~現存する全国の煉瓦建築~(「海岸通建物語3」関連企画)
会期:2008年3月15日(土)~4月19日(土)
会場:天満屋ビル2階「お茶と雑貨のハaハaハa」
大阪市港区海岸通1-5-28 東展示室
時間:7:30~18:00 土・祝は11:00~18:00(定休日:水曜、日曜)
(但し、3月15日(土)は14時から、4月19日(土)は14時まで)
主催:お茶と雑貨のハaハaハa
企画:まちかどの近代建築写真展実行委員会
協力:近代建築探訪メーリングリスト
まちかどの近代建築写真展 IN 川口(第13回)
(「KAWAGUCHI39ART2008」関連企画)
会期:2008年3月22日(土)~3月30日(日)
時間:10:00~17:00
(但し、3月22日(土)は13時から、30日(日)は16時まで)
会場:蔵・浜田 埼玉県川口市本町1-11-24
TEL:048-222-2219(浜田接骨鍼灸院:※会期中の問い合わせ先)
主催:まちのこし集団 かわぐち塾
企画:まちかどの近代建築写真展実行委員会
協力:近代建築探訪メーリングリスト
滋賀県立近代美術館「ウィリアム・メレル・ヴォーリズ展」
http://www.shiga-kinbi.jp/exhibition/exhibition_database/pressrelease/exhibition_07-5.html
ヴォーリズは、明治末から昭和半ばにかけて日本で活躍した建築家です。アメリカ生まれで、滋賀県の近江八幡の学校に英語教師として来日し、その後素人建築家として設計事務所を開設、関西を中心に日本各地の建物を設計しています。昭和16年に帰化し、一柳米来留となりました。また、アメリカの常備薬であったメンソレータムの販売元として近江兄弟社を起こし、キリスト教布教の一助としたりしています。
下記のページに、小生がまとめたヴォーリズの紹介があります。
http://www.jmam.net/b/zinmei/vories-h.htm
学生時代に京都で下宿していたのですが、関西で生活していると、ヴォーリズの建物はとても身近に感じられます。例えば、京都の大丸百貨店の入口上にある、羽根を広げた孔雀のデザインなど、アールヌーボーだなと思って見上げておりました。四条大橋西詰の東華菜館など、誰もの記憶に残るような建物もあります。ヴォーリズの商業建築は、基本的にはアールデコなのですが、息苦しいまでの細かいデザインが過剰とさえ思えるほどです。一方、住宅などは、スパニッシュで、いかにも品のよい洋館といった別荘風な建物が多く、親しみが持てます。教会や学校の建物も、各地に建てられています。
北海道から九州まで、全国各地にヴォーリズの建物があり、それが結構多く残っています。これは、ヴォーリスの建物が人々に愛されている証拠ではないでしょうか。
今回の「ヴォーリズ展」では、設計図面を中心に、建物の写真や家具、著書などが、広い展示スペースで広々と展示されています。
滋賀県立近代美術館での「ウィリアム・メレル・ヴォーリズ展」は、3月30日(日)まで。月曜休館です。
なお、この後、「ウィリアム・メレル・ヴォーリズ展」は各地に巡回の予定です。5月には福岡の西南学院大学博物館、夏には軽井沢町歴史民俗資料館、秋には大阪芸術大学博物館、そして来年春には東京の松下電工汐留ミュージアム。
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美章園温泉
ここ数年、どの町にもあった建物がどんどん消えていく状況が進んでいます。とくに、個人経営の業種で、比較的大きな面積の建物である、町の映画館や銭湯……。かつては、町の人々にとって必要な施設であり、手軽な価格で数多くの人々が利用する建物でした。
思えばバブルの頃、地上攻勢を受け、一定の敷地面積のあるこれらの建物の多くが解体され、マンションや商業ビルになりました。そんな中でも所有者の踏ん張りで残った建物が、ここにきてバタバタと閉店し、解体され続けているのです。
銭湯の場合、経営的に苦しいことは十分想像できます。内風呂が普及し、利用者が激減した現在、多少の利用者増があったとしても、構造的に、もはや成り立たない商売なのではないかと思えてなりません。一体全体、何人くらいの来客があれば銭湯の経営は成り立つものなのでしょう。さらに、最近は原油高騰で、営業を続けても赤字がかさむだけという話も聞こえてきます。
昔ながらの銭湯は個人経営(家族経営)のために、廃業即解体となる例が多く、気がつけばすでに更地になっていたというような現場によく出くわします。
昨年末に東京の廿世紀浴場が廃業し、すぐに解体されました。また、昨年の秋頃から休業中だった大阪の美章園温泉も、とうとう今月廃業となり、解体中とのこと。どちらも、商店街からのアプローチが似た位置にありました。
廃業するのはやむを得ない状況であるということは、誰もが理解できます。しかし、解体するには惜しい建物も多いのです。国の登録文化財としてリストアップされているような建物もあります。建物自体の価値を評価し、たとえ営業は終了しても建物は残すというような方策はないものなのでしょうか。銭湯としての利用は難しいとしても、他の用途でその空間を活用することは十分可能なはずです。また、そうした事例も、実際に各地で実現しはじめています。
最悪、土地の有効活用等というお題目で、その場所に建ぺい率制限目一杯までの建物を建てる際にも、地面に面した階は旧銭湯の外観を再現するべきだと考えます。そして、その空間は、地域の公共的スペースとして活用されるべきでしょう。
多くの人々に愛され利用された建物は、その建物に接した人の数だけ、多くの人々の記憶の中に存在し続けます。経済原理だけでない、思い出の建物が「存在し続けること」の価値と意義とを、ぜひ考えて欲しいと思います。
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旧歩兵第二十一連隊雨覆練兵場(大正5年築)。こちらは、島根県立浜田高等学校第二体育館として使われています。登録文化財。
まずは、小生の故郷、北海道小樽の煉瓦建築です。
]]>準備も兼ねて、現存煉瓦建築のリストを作成しました。すでに解体済であるとか、近所にこんな煉瓦建築があるといった情報を、お知らせください。よろしくお願いいたします。
現存する全国の煉瓦建築
http://www.jmam.net/matikado/renga0.html
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まちかどの近代建築写真展 IN 大阪III (第12回)
~現存する全国の煉瓦建築~(「海岸通建物語3」関連企画)
会期:2008年3月15日(土)~4月19日(土)
3月15日(土)は14時から/4月19日(土)は14時まで
会場:天満屋ビル2階「お茶と雑貨のハaハaハa」
大阪市港区海岸通1-5-28 東展示室
時間:7:30~18:00 土・祝は11:00~18:00(定休日:水曜、日曜)
主催:お茶と雑貨のハaハaハa
企画:まちかどの近代建築写真展実行委員会
協力:近代建築探訪メーリングリスト
これは、小樽運河の保存運動をきっかけに、小樽の町を見直そうとした小樽の若者たちが考えて作ったツールでした。この番付は、後に「日本赤煉瓦建築番付」などの参考になったものです。思えば、小樽運河保存運動は、その後各地でのさまざまな保存運動で参考にされる、あらゆるアイデアが考え出され、実行されたのでした。
さて、この「小樽名建築番付」をテキストにしてみました。カッコ書きは、小生の書き添えです。驚くことに、この番付に載っている建物の大半が現存しているのです。これは、小樽運河保存運動の成果なのかも知れません。
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蒙御免 小樽名建築番付
行司 勧進元 夢街
東
横綱 小樽倉庫(現・小樽市総合博物館運河館)
横綱 日本銀行支店(現・日本銀行旧小樽支店金融資料館)
大関 中央バス本社(旧・北海道銀行本店)
大関 三井銀行(現・石屋製菓所有)
関脇 罐友会館(現・小樽グランドホテルクラシック)
関脇 銀鱗荘(旧・猪俣安之丞邸)
関脇 公会堂
小結 板谷邸
同 富岡カソリック
同 海陽亭(旧・魁陽亭)
同 商大方二〇番棟(?)
前頭 小樽市役所
二 旧拓殖銀行(現・ホテル1・2・3小樽)
三 旧百十三銀行(旧・千秋庵)
四 フジヤ家具
五 旧上勢商店(現・ホクリョウ)
六 林屋製茶(旧・第百十三国立銀行小樽支店)
七 北海道紙問屋(旧・第四十七銀行小樽支店)
八 小樽駅
九 旧山本邸(?)
十 旧坂牛邸
西
横綱 旧手宮機関庫(現・小樽市総合博物館内)
横綱 博物館(現・旧日本郵船小樽支店)
大関 川又商店(旧・早川支店)
大関 大家倉庫
関脇 名取商店
関脇 にしん御殿
関脇 青山邸
小結 名取邸
同 住ノ江カソリック(旧・佐々木邸)
同 和光荘(旧・野口邸)
同 川田商店
前頭 商工会議所
二 北海製罐
三 市立図書館(現存せず)
四 旧三菱銀行(現・北海道中央バス第2ビル)
五 清水鋼機(現存せず?)
六 石ヶ守商店(旧・久米商店)
七 旧富士銀行(現・花ごころ小樽店)
八 旧三井物産(現・松田ビル)
九 寿原邸
十 島田歯科(現存せず?)
昭和五十五年一月一日
※なお、検索していたら、この番付を作った人のブログを見つけました。小樽でお蕎麦屋さんをなさっているのですね。今も、小樽のまちおこしで頑張っておられるご様子。
「小樽・藪半・蕎麦屋親爺の独り言」
http://blog.livedoor.jp/sobaya_oyaji/archives/50346604.html
1月10日に初版が発行され、直ちに品切れとなって増刷が決定したとか。当然、小生も買えず、道新小樽支社に行って代金+送料を預けて予約してきました。今月末には届く予定です。初版が1,000部だったとのことですが、これでは到底足りませんよね。増刷分も、すぐに品切れになってしまいそうです。
書店では販売せず、小樽市総合博物館と、道新小樽支社および販売所で販売とのこと。お問い合わせは、北海道新聞社小樽支社(電話:0134-23-3171)へ。
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大通り沿いにある安城本店。
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塀を隔てた隣の敷地には、黒い塗装の協同薬品工業。こちらは、旧郡是長井工場の建物の転用かと思われます。
その後の続報はまだありませんが、ネットで検索していたら、旧長崎刑務所の最新の状況についての写真がアップされていました。
きらとま無宿・国内自転車放浪編
http://d.hatena.ne.jp/killertomato/20071215/p1
広い煉瓦基礎の残る敷地に、旧長崎刑務所の管理棟がポツンと建っています。中央部分だけでなく、両袖部分も残っているではありませんか!!
このまま旧長崎刑務所の管理棟と正門の保存が実現すれば、必ず地域にとっても有益な施設となるはずです。多くの人々のアイデアをいれて、有効な使い道を導かなければなりません。
なお、先月11月19日の朝日新聞東京版に、法政大学工学部建築学科准教授の高村雅彦先生がコラムを書いています。その中に、旧長崎刑務所のことについて、ちょっとだけ触れています。
【高村雅彦准教授のキャンパスブログ】
連戦連敗
http://mytown.asahi.com/tokyo/news.php?k_id=13000150711190001
論旨は全く同感なのですが、旧長崎刑務所をテーマにしたゼミ生I君の苦境の話は、どうでしょう。建物の保存は、当然に、学者や研究者のためでは無いし、卒業がかかっていようが「関係無い」話です。逆に、この旧長崎刑務所の保存に向けて、いったいI君は何をしたろうかと問いたい。研究者としての立場は、各方面のいろいろなしがらみなどもあろうし、動きにくいことは十分理解できます。しかし、関わった以上は、たとえ無力であっても、自身にできる範囲で、自身が考えうる限りの行動を起こさなければ、ただ無力を嘆いていてもはじまりません。
高村ゼミのI君、もしこのブログを目にすることがあったら、ぜひ反論を下さい。きっとmixi上では何かをしたのだろうけれど、mixi上では仲間内にしか話題が広まりません。公開された場で、旧長崎刑務所に対するI君の思いを聴かせて下さい。
]]>旧明倫小学校の円形校舎は、小学校の移転後、地域公民館などとして活用されていましたが、老朽化を理由に全ての入居団体が退去させられ、ここ十年近くは空家のままでした。これまでも、解体されそうだという情報はずっとあったのですが、とうとう年限を定めて解体の予定が発表されました。
解体まで、まだ丸々1年以上時間があるなどと思わず、どうすれば耐震問題をクリアし、活用していくことができるかを考えなければなりません。各地の円形校舎がここ数年の間に続々と解体されていますが、一方では、横浜の明倫学園(奇しくも同じ明倫!)の円形校舎がDOCOMOMO Japan 2005の15選に選ばれています。
円形校舎は、そこに学んだ人々にとって強烈な思い出を残しており、また、よその土地の者にとっては不思議で魅力的な建物でもあります。観光資源としても、十分役立つ建物です。
耐震問題ぐらいクリアできないはずがありません。コストをかけずに、いかに耐震補強を行なうか。これに答えなければならないのは、建築に関わる技術者の方々です。残そうとする人々の意思と、技術者の力とで、倉吉の円形校舎を残さなければなりません。
ちなみに、世間では、円形校舎の存在そのものを知らない人々が数多くいる現実があります。円形校舎に学んだ人々は、どうか円形校舎のことを周囲の人々に語ってあげてください。どんな校舎だったかを。人々が円形校舎に興味を持つことが、保存への第一歩なのですから。
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側面に廻ると、蔦に覆い尽くされていました。
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丁字路の突き当たりに威厳ある姿で建っています。
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同じ穴澤病院の敷地内には、同型の洋館が建っています。
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旧連隊の門柱です。現在、中学校の校門として使われています。
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建物は新築になっていましたが、こんな煉瓦の門柱のある医院もありました。
旧長崎刑務所を一部保存へ 三角屋根の管理棟など
http://www.nagasaki-np.co.jp/kiji/20071119/02.shtml
旧長崎刑務所の所有会社 一部保存を検討 用途変更次第で再考も
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/local/nagasaki/20071120/20071120_002.shtml
旧長崎刑務所一部保存へ
http://cgi.ncctv.co.jp/news/index.php
旧長崎刑務所 一部保存へ検討
http://www.ktn.co.jp/news/d071119.html
これらの記事によれば、保存が検討されているのは、正門と正門から左右に広がる壁の一部(高さ約6.6メートル、幅約20メートル)、管理棟のエントランス部分(玄関と三角屋根の2階建ての部分、高さ約14メートル、幅約4.5メートル)。さらに、別の建物地下から見つかったアーチ形煉瓦造の基礎の一部も復元保存を検討とのこと。
全面保存を目指していた方々には大いに不満でしょうが、現実問題としてはこの保存内容で「御の字」ではないでしょうか。旧長崎刑務所が、全く何も残らず消し去られることに対して保存を訴えてきたのですから。
開発会社側は、「用途変更」で条件交渉に入っています。これは、小生が以前書いた通りです。諫早市側が持っている権限である「用途変更」と引換えに、旧長崎刑務所の一部保存、およびその土地と建物の市への寄付を検討しているのです。
諫早市側は、ぜひ、この交換に応じるべきだと小生は考えます。開発会社側にも、諫早市側にも、双方にとってメリットがあるからです。地域住民にとっても、近隣の商店主にとっても、跡地の大型商業施設進出は悪い話ではないと思います。
確かに、周辺の交通渋滞や、客の流れが変わってしまうことに対しての懸念はあります。それらの問題の解消のためには、旧長崎刑務所の跡地にできる駐車場をショッピングセンターのためだけのものとせず、周辺の商店街や観光スポットへ歩いて行くための基地として位置付け、徒歩で周遊する地域として周辺を整備するなど、新しい取り組みが必要です。
旧長崎刑務所の赤レンガを起点に、諫早公園の眼鏡橋(重文)や、昭和6年築の旧諫早銀行本店(十八銀行諫早支店)などをまわるためのガイドマップを用意し、途中のお店の紹介なども載せれば……、とアイデアがふくらみます。旧長崎刑務所のことについて学習できる常設展示も欲しいですね。
あまりお金をかけなくても、できることは沢山あります。今回の旧長崎刑務所の保存を契機として、諫早のまちの活性化のために、知恵を出し合って皆で話し合いましょう。
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この白木屋漆器店は、旧第四銀行会津支店と並んで建っています。
会場風景の写真が届きましたので、UPいたします(高月鈴世氏撮影)。
「全国の銀行建築 1920-1925」
~まちかどの近代建築写真展 IN 下関II~
会期:2007年11月5日(月)~18日(日)
10:00~17:00
(会期中、土、日は休館。ただし、18日(日)午後は、コンサートイベントがあるため開館します。最終日は16:00まで)
会場:山口銀行旧本店(山口県指定有形文化財)
山口県下関市観音崎町10-6
主催:下関市
協力:「まちかどの近代建築写真展 IN 下関」実行委員会/近代建築探訪メーリングリスト
※明日10日より、対岸の門司で「赤煉瓦ネットワーク2007門司大会」なのですね。
http://mojirenga.navitown.com/event.htm#071031-1
「産業考古学会全国大会」も。
http://f17.aaa.livedoor.jp/~heritage/H19zenkokutaikai.html
下関市や下関市教育委員会も後援に入っている。下関市役所第一別館や、山口銀行旧本店にも、ぜひ見に来て欲しいものです。
追記
11月10日(土)、11日(日)、17日(土)は、休館でした。残念(涙)。
記事の文脈を追うと、これらの写真集の特徴は、プロの写真家ではなく、素人の撮った写真集であることが挙げられています。写真集『工場萌え』の編集担当である東京書籍の角田氏は、「写真がうまい人ならもっといる。でも愛はない。石井氏の写真からは工場が好きでたまらないという愛が伝わる。それが読者の共感を呼んだと思う」と発言しています。
まあ、「愛」と言ってしまえばそれまでなのですが、それがマニアの力(パワー)だと小生は考えます。時間であれ、お金であれ、プロとは違う形での強い力の注ぎ方をしており、そうした背景があっての「写真」なのです。
『工場萌え』の共著者である大山顕氏は「僕らが好きなのは写真じゃなくて被写体。そこが写真家の写真と違う」と発言しています。これは、小生がかねがね言っていることと同じで、大いに共感します。作品としての写真ではなく、写っている被写体自体が大切なのです。現物をコレクションすることができないゆえに、写真を撮っているのです。例えれば、昆虫マニアのコレクションである標本の代わりが、ある対象を撮った写真の数々なのです。
写真集『東京鉄塔』を出した自由国民社の竹内尚志編集部長は、「これまでの写真集は『いかに撮るか』というプロの目や腕を見せるもの。今、出ている本は『何を撮るか』に重点がある」「本格的な写真家から見れば邪道。けれど写真より、写っているものが大事という人は撮る側にも見る側にも増えている」と語っています。
これは、学生時代に写真部内で論争したことのあるテーマでした。要は、写真がごく一部の者だけのモノではなく、全ての人々のモノとなったということに尽きるのではないでしょうか。写真の敷居が低くなり、写真を撮るということが特別なことではなくなり、作品ではなくメモ代わりの記録として、手軽に写真を撮ることが普通の社会になったということでしょう。フィルムのコンパクトカメラが登場したときには、それは家族を撮る「スナップ写真」でした。それが今は、身の回りの静物を撮る写真となったのです。大山氏は「オルトスケープ」と呼ぶことを提唱していますが、小生は風景ではなく静物として、コレクションに加えるような意識で被写体を撮影しているのではないかと考えます。
「今までとは違う新しい感性が出てきた」という、写真評論家の飯沢耕太郎氏の発言には違和感を感じました。「工場や団地を見て育ち、アニメ『ガンダム』や大友克洋の漫画、映画『ブレードランナー』に登場する未来の都市イメージを現風景として共有する世代。公害などのマイナスイメージにも縛られず、純粋に産業構造物を美しいと見られるのだろう」とは、何とも表層的な想像です。どうして、すぐに「ガンダム」や「プレードランナー」が出てきてしまうのでしょう。
小生は、この産業構造物への傾斜は、昭和ブーム、レトロブームと同根であると考えています。円筒形の赤い郵便ポストが懐かしいように、工場やダムなどの巨大な産業構造物も、すでに人々の「懐かしい」範疇に入ったのです。飯沢氏はこの被写体について「未来の都市イメージを現風景」としますが、小生はその被写体自体がすでに過去のイメージなのだと考えています。人々が記録するということは、やがて失われゆくはかなさ、懐かしさなのだと。これは、根拠のあることではありませんが、そこにあるものは永遠ではないということがいつも意識されており、今を記録してコレクションしておきたいという欲求により、こうした写真が撮られているのだと実感しています。
そもそも、マニアの写真とは、そういうものです。「写真マニアの写真」なのではなく、「○○マニアの写真」なのです。駅のホームにいる鉄道マニアの写真を思い浮かべてみれば、わかりやすいでしょう。少し以前から鉄道写真というジャンルが確立しており、多くの写真集が発行されています。市場規模が大きくなり、需要が高まれば、そこに鉄道写真のプロが成立します。ただし注意しなければならないのは、この鉄道写真のプロは、写真家が鉄道写真を撮るのではなく、鉄道マニアがプロの写真家になっているという点です。産業構造物のブームが一過性のものではなければ、いずれはこのジャンルのプロの写真家が育つことでしょう。マニアではないプロの写真家が、このジャンルの写真を撮ったとしても、何か違う写真になってしまうものです。
「単なる『偏愛写真』と片づけられない広がりを見せそうだ。」とこの記事はまとめています。「偏愛写真」とはずいぶんな言いようですが、それぞれのマニアの力が、マニアではない一般の人々にも理解され、評価されるようになったということでしょう。誰もが均質な関心を持つ時代から、マニアックに狭く深くを求める時代へと、確実に進んでいるのです。
]]>しかしながら、現在、どれが竹筋コンクリートによる物件であるかは文献では伝わっておらず、伝聞として伝わっているものばかりでした。
少々前になりますが、今年の7月、玉井孝幸先生のブログ「建築調査技術コンサルタンツ」に、決定的な情報が記載されていました。
http://brtc.at.webry.info/200707/article_5.html
昭和16年発行の古本『時局化における土木工事の施工法に関する講演会講演集』のなかに、「竹筋コンクリートの強度並びに調査」と題する発表があり、竹筋コンクリートで施工された建築物の例が載っているとのことです。
報告されている物件は、下記の4件。
農林省林業試験所の各試験地の建築物の一部
・白河(福島県)気象観測室および雨量計地下室
・鷹巣(秋田県)
・釜淵(山形県)
・十日市(新潟県)
現存しているかどうかはわかりませんが、少なくとも昭和16年までに、実際に竹筋コンクリートの建築物が建てられたことが明らかになりました。
それぞれの地元の方からの情報提供を、切望いたします。当時の建物は、現地に残っていますでしょうか。小生も、いずれ各地を訪ねてみたいと思います。
昭和16年以降にも、竹筋コンクリートの建築物は建てられたはずです。さらなる発見を期待したいものです。
]]>今回は、「たてものから見る下関の1920年」という下関市のイベントの一環として、「全国の銀行建築 1920-1925」と題し、この6年間に建てられた、現存する銀行建築のみを展示します。
「全国の銀行建築 1920-1925」
~まちかどの近代建築写真展 IN 下関II~
会期:2007年11月5日(月)~18日(日)
10:00~17:00
(会期中、土、日は休館。ただし、18日(日)午後は、コンサートイベントがあるため開館します。最終日は16:00まで)
会場:山口銀行旧本店(山口県指定有形文化財)
山口県下関市観音崎町10-6
主催:下関市
協力:「まちかどの近代建築写真展 IN 下関」実行委員会/近代建築探訪メーリングリスト
同時に、下関市側で用意した「たてものから見る下関の1920年」という写真展示もあります。
]]>FILE
2000年に訪ねたときの写真は、こちら。
ストーリーや小さな逸話などで、本当に泣かさる(北海道弁)映画なのですが、それとは別に、昭和30年代の風景を求めて各地でロケが行なわれており、そのロケに使われた建物などにも興味が向かいます。前作では、栃木県栃木市の「旧足利銀行栃木支店」や、岡山県岡山市西大寺の「五福通り商店街」、岡山県倉敷市玉島などでロケがおこなわれ、東京の昭和30年代の風景を再現していました。
今回の「ALWAYS 続・三丁目の夕日」では、次のようなロケ情報があります。
・東京都国分寺市東恋ケ窪の「孫の湯」
・東京都千代田区の「九段会館」
・兵庫県西宮市の武庫川学院「甲子園会館」
・群馬県館林市の神社
・静岡県島田市で「東京冬の街角」風景
・岡山県真庭市の「旧遷喬尋常小学校」
・福岡県北九州市八幡東区で「東京浅草の繁華街」風景
・山口県宇部市の「渡辺翁記念会館」
http://www.geocities.jp/always3chome/zoku-ashiato.html
こうしたロケ地の建物の他に、CGで再現された建物もこの映画の楽しみです。今回の続編の予告編を見ていたら、日本橋の橋詰に建つ旧帝国製麻ビルが、美しく映っているではありませんか!!
映画「ALWAYS 続・三丁目の夕日」公式ページ
http://www.always3.jp/
Yahoo!動画「『キネマ横丁』『ALWAYS 続・三丁目の夕日』特番」
http://streaming.yahoo.co.jp/p/t/00073/v02835/
旧帝国製麻ビルは、東京駅と同じ辰野金吾の設計で、赤レンガに白い石の帯をまわした、いわゆる「辰野式」の建物でした。調べてみると、昭和62年(1987年)に解体されています。気が付くと、いつの間にか解体されていたという印象です。
解体時には大栄不動産の所有となっており、金文字で大きく「大栄不動産」と書かれていましたが、調べてみると大栄不動産がこのビルを所有したのは昭和39年。「ALWAYS 続・三丁目の夕日」で、このビルに「大栄不動産」と書かれていれば誤りということになります。
「ALWAYS 続・三丁目の夕日」は、11月3日より全国東宝系でロードショー公開です。
]]>ちなみに、Yahoo! JAPAN IDをお持ちの方は、IDでログインすると、受験者メニュー(履歴など)をご利用いただけます。
毎日新聞(長崎版)の報道によれば、開発会社側から「商業施設内に管理棟は残せない。正門なら観光客誘致のためにも、残せる余地はある」との話が出ているようです。管理棟は、11月末に解体の予定。旧長崎刑務所の現所有者である株式会社ユニディオコーポレーションさん、株式会社新日本建物さん、保存に向けてのご検討いただき、感謝いたします。ぜひとも、正門保存の検討を進めていただきたいと思います。
http://mainichi.jp/area/nagasaki/news/20071001ddlk42040310000c.html
個人的には、まあ、このあたりが妥当な落としどころかなとは思いますが、管理棟もうまく活用すれば、観光的にも商業的にも有効な資源となるのにと、非常に残念に思います。採算的にも、十分成り立つと思うのですが。
9月30日には、旧長崎刑務所のすでに解体された建物に使用されていた「赤れんが」の、市民への引き渡し会もあったようです。諫早レインボーシティー推進会の主催で、1個10円で販売したとのこと。
http://mainichi.jp/area/nagasaki/news/20070929ddlk42040525000c.html
http://www.nagasaki-np.co.jp/kiji/20071001/11.shtml
また、9月末に、旧長崎刑務所の現役時代を写した写真展が行なわれたとのことです。撮影者は、長崎大学名誉教授の井口次夫氏。現役の刑務所内の写真は、本当に珍しく貴重です。撮影交渉に2年を要したとのことですが、長崎大学の先生という肩書も効いたのではないかと思います。そういう写真を、私蔵せず公開してくださったことに、感謝したいと思います。
http://www.nagasaki-np.co.jp/kiji/20070927/10.shtml
今後、旧長崎刑務所をめぐってどのような動きがあるか、引き続き注目していきたいと思います。
]]>今回は、A4パネル75枚、CDケースの写真約200枚、ポストカード額60枚ほどで構成されています。
一昨日の10月7日(日)に、終日店番をしておりましたが、皆さん、写真をじっくり見て下さっているのが印象的でした。
10月14日(日)までの会期です。お近くにお越しの折には、ぜひお出でくださいますようご案内申し上げます。
]]>第一回 栃木・蔵の街かど映画祭 公式サイト
http://kuranomachikado.com
ロゴがカッコ良く、○の中にそれぞれ映と蔵を入れた白抜き文字のデザイン。「蔵の数々をミニシアターに変貌させた映画祭。」というコピーも素晴らしいではありませんか!
10月5日~8日の4日間、栃木市の街中の13会場で、それぞれ話題作や懐かしの洋画・邦画の名作を上映するというこの発想。しかも、その会場が、市内に残る商家の蔵や、市役所別館(旧栃木町役場)、旧教育委員会(旧足利銀行栃木支店)、栃木高校講堂など、文化財指定の近代建築の数々。使えるところは全部使おうというのですから。最近、映画のロケで使われた建物もあり、その建物で、その映画を上映するのです。本当に少人数しか入ることのできない場所もありそうですが、それはそれで良いのです。映画のハシゴで街をさまよい、建物に触れる。スタッフの方々は大変でしょうが、ぜひとも成功して欲しいイベントです。
]]>初日の明日は、夕刻より設営現場の公開となりますが、お時間のご都合がつけば、ぜひお運びください。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
2004年にJR札幌駅コンコースを会場にスタートした「まちかどの近代建築写真展」も、今回で第10回を数えることとなりました。これまで、山形県長井市に残る郡役所や大阪市港区の天満屋ビル、山梨県甲府市のカトリック教会などを会場に、回を重ねることができましたことを、会場を提供してくださった方々、また、来場頂いた皆様に感謝申し上げます。
「まちかどの近代建築写真展」は、近代建築探訪メーリングリスト有志の撮影による、全国各地の身近な近代建築の写真展です。どこの町にも、生活や歴史を秘めた素敵な近代建築がひっそりと建っているものです。この写真展は、こうした近代建築を通じて、それぞれの町を見直しきっかけとなればと思いスタートさせました。これからも私たちの写真展が、人々の思い出や町の歴史のために役立てればと願っています。
「まちかどの近代建築写真展IN根津II」(谷中芸工展参加)
会期:2007年10月6日(土)~10月14日(日)
時間:10:00~17:00(初日は16:00から。最終日は16:00まで)
会場:日本基督教団根津教会(東京都文京区根津1-19-6)
主催:日本基督教団根津教会
企画:まちかどの近代建築写真展実行委員会
協力:近代建築探訪メーリングリスト
日本建築学会関東支部歴史意匠専門研究委員会
データベースワーキンググループ
建築から学ぶ会
*なお、この写真展は会場さえ用意いただければ、全国どこへでも出前(貸出)をいたします。空き店舗、地域スペース、学校など、町おこしなどのきっかけとしていただきたく存じます。(連絡先:gookomichi@mail.goo.ne.jp)
]]>FILE
旧弘前銘醸煉瓦倉庫。現在、弘前製氷となっています。
小生も、まさにこの難聴で、5歳の頃おたふく風邪で熱を出し、左耳の聴力を失ってしまいました。45歳になる今日まで、自分の病名を知りませんでしたが、「ムンプス難聴」という名の難聴だったのですね。5歳で入院もし、その後もずっと耳鼻咽喉科に通い続けました。治療法のない病気なので、聴こえるほうの耳の維持のためのメンテナンスでしたが。聴力検査用の防音室での検査など、小さな子どもだったのに、慣れたものでした。
記事によれば、これまで「ムンプス難聴」の発症はごくまれで、1万5千~2万人に一人の割合程度と言われていたが、最近の調査では、もっと高い頻度で発症しているらしいことが報告されているとのこと。
「ムンプス難聴」になってしまったお子さんを持つお母さん方が、ホームページやブログで、熱心に情報交換を行なっておられます。
ムンプス難聴のお部屋
http://www.geocities.jp/mumps_deafness/
お子さんの将来のことを、ずいぶんと心配されているようですが、小生自身の経験から言えば、多少の不便はありますが、まあ普通にやっていけると思います。40年間、この片耳生活を続けてきましたが、幸い、片耳が聴こえないからといじめられることもなく、学校時代を終えました。
進路指導や就職活動のときに、音楽関係や音響関係の仕事は止したほうがよいと、アドバイスされました。まあ、小生自身はそちらの方面に行こうとは思っていなかったので、何も悩みませんでしたが。
不便は、いろいろとあります。ステレオ効果を実感することができませんし、ステレオヘッドフォンは片側しか聴こえないので、モノラルにして聴いています。聴こえない側から話しをされても、聞きとれないことが大半です。聴こえない側の後方から来る、人や自動車などの気配も感じられません。街で誰かに呼びかけられたりしても、前後左右どの方向から呼ばれたのか判らず、キョロキョロしてしまいます。
一番ショックだった思い出は、中学生のとき、陸上部の市内大会で400m走に出場したのですが、スターターの「ヨーイ」の声が聴こえず、用意の姿勢をとれないままピストルが鳴ってしまったことでした。このときは、何ともやりきれない思いをしました。改善できることなのですから。
小生と同じように、おたふく風邪の影響で片耳しか聴こえない人が結構いるのだと知り、心強く思いました。さらに、おたふく風邪が原因なのですから、おたふく風邪の予防接種をすれば「ムンプス難聴」が防げるということも、発見でした。海外先進国では、予防接種が普及しているため、「ムンプス難聴」がほとんどないのだとか。防げるものなら、それに越したことは無いと思います。予防接種の副作用との兼ね合いですが、海外事例から考えれば、おたふく風邪の予防接種をしたほうが良いと、小生は思います。
「ムンプス難聴」の子どもたちに、声援を送りたいと思います。
]]>社団法人日本建築学会
http://news-sv.aij.or.jp/scr/request/teigen.asp
社団法人日本建築学会九州支部
http://wwwsoc.nii.ac.jp/kbaij/hozonyobo/hozonyobo.html
いくら保存要望書を出しても、全ての建物が保存されるわけではなく、逆にあっさりと解体されてしまう建物のほうが多いのが現実です。しかし、何もしないままよりは、建物の所有者がその建物について考える機会となるのではないでしょうか。所有者自身が考えるところからスタートしなければ、保存も何も始まらないのです。たとえ、その建物の所有者が、官であれ民であれ。
小生の感触では、かつては民間所有の建物のほうが壊されてしまう確率が高かったと思うのですが、今は国や地方自治体所有の建物のほうが簡単に壊されてしまう傾向にあるようです。所有者の組織の中に、この建物は壊してはならない、残さねばならない、という志を持つ人物があらわれにくい世の中になっているのでしょうね。悲しいことです。
「お金が無い」という一点だけが、いつも、全ての建物の解体理由となってしまいます。しかし、「お金が無い」ということは、保存に向けての費用が出せないということであって、解体せざるを得ないという理由には、論理的にはならないはずです。「お金が無い」と、「解体せざるを得ない」との間には、何か他の理由がなければ、理屈が通りません。もっと「お金が無い」以外の、何か建設的・積極的な理由で議論をしたいものです。そうすれば、何とか建物を残しながら所有者にとってもメリットのある妙案を探すことができると思うのです。「お金は無い」けれども。
続報の無いまま時間が過ぎて行きますが、旧長崎刑務所解体の進行具合が危惧されます。
]]>現在、旧長崎刑務所は、東京に本社のある株式会社ユニディオコーポレーションと株式会社新日本建物の2社が所有しています。
FILE
株式会社ユニディオコーポレーション
http://www.unidio-corp.co.jp/
FILE
株式会社新日本建物
http://www.kksnt.co.jp/
近々、日本建築学会九州支部のHPに保存要望書の文面が公開されるかと思います。これでようやく、旧長崎刑務所が学術的にも保存すべき物件であると、公的に示されたということになるでしょう。すでに解体が始まっていますが、旧長崎刑務所の価値を所有者の方々にご理解いただき、保存・活用について検討いただければありがたいと思います。
社団法人日本建築学会九州支部
http://wwwsoc.nii.ac.jp/kbaij/
小生、今回初めて保存要望書を手渡す役を引き受けたのですが、過去の事例を調べてみると、保存要望書の受取りを拒否するような例もあるようなので、受け取ってもらえるかどうかを心配しておりました。無事、受け取っていただけましたので、ひとまず大役を果たすことができました。
あとは、どのような反応があるか、です。良い結果を、期待したいと思います。
]]>●ホテルなどの宿泊施設。房舎も、当然改修して宿泊施設として利用する。倉敷アイビースクエアのイメージ。
・倉敷アイビースクエア
http://www.ivysquare.co.jp/
●刑務所博物館。旧長崎監獄を体感する体験型施設。修学旅行生や、団体観光バスによる集客を期待。博物館網走監獄のイメージ。
・博物館網走監獄
http://www.kangoku.jp/
●レストランなどの飲食店。庁舎だけ保存の場合にも有効。事例は多いが、例えば東京の小笠原伯爵邸などのイメージ。
・小笠原伯爵邸
http://www.ogasawaratei.com/html/index.html
●地域の集会所・公民館など公共施設。庁舎だけ保存の場合、公民館を新築する予算を改修・改装費用に充てれば、充分実現可能と思われる。一部は展示コーナーとして、旧長崎刑務所についての展示解説を行なう。
●たてもの園。庁舎を管理棟とし、長崎歴史文化博物館の分館として、長崎県内で解体せざるを得なくなった歴史的な建物を移築保存し野外展示を行なう施設とする。犬山の博物館明治村や、東京の江戸東京たてもの園のイメージ。
・博物館明治村
http://www.meijimura.com/index.html
・江戸東京たてもの園
http://tatemonoen.jp/
●結婚式場。歴史的な建物を結婚式場にする例は多いが、さすがにこれはムリだと思う(笑)。
●温泉施設。庁舎を利用し、スーパー銭湯的な入浴施設にする。イメージが貧弱(泣)。
●ショッピングセンターの管理棟。敷地をショッピングセンターとする場合、庁舎を管理棟として保存・活用する。
●シナリオ図書館。庁舎を利用し、諫早出身の市川森一氏の作品をはじめとする、テレビドラマや映画などのシナリオ(台本)全て収集する図書館とする。
●九州赤煉瓦博物館。九州地区の赤煉瓦建造物の資料展示を行なう。舞鶴の赤れんが博物館のイメージ。
・舞鶴市立赤れんが博物館
http://www.maizuru-bunkajigyoudan.or.jp/akarenga/index.htm
「市民フォーラム」((社)長崎県建築士会 長崎支部青年部のブログ、9月1日付)
http://blog.goo.ne.jp/nagasaki-seinenbu/e/1d23657a658badda0f9bbbfc5be4b48c
「高評価、一方で否定的声も 旧長崎刑務所でフォーラム」(長崎新聞、9月2日付)
http://www.nagasaki-np.co.jp/kiji/20070902/04.shtml
「「署名行動で勢いを」「解体の現実を直視」 旧長崎刑務所の保存策探る 諫早でフォーラム」(西日本新聞、9月2日付)
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/local/nagasaki/20070902/20070902_002.shtml
お話をうかがった内容や報道などを見ると、市民の間でかなり意見が割れてしまっているようです。これまでにも、近隣住民の意見は報道されていましたが、旧長崎刑務所を保存するということについての反発は報道以上のものがあるようです。近隣の地主など、直接、利害や利権の絡む問題ですので、これは止むを得ないことでしょう。
また、当ブログへのコメントとして、市民の方々からいくつか書き込みがありました。武田洋子さん、ムーミンさん、山口さん、コメントありがとうございます。それらの意見をまとめると、主張は次の3点になるかと思われます。
まず、財源の問題です。ここでも、保存するには10億円もかかるというステレオタイプの金額が提示されています。今のご時世、お金が無いのは当然ですので、お金が無いならば無いなりの保存の方法があります。また、その負担を市民に負わされるのではたまらないという意見はもっともなことで、旧長崎刑務所のような貴重な文化財級の物件の保存は、国民の財産として国全体で負担すべきでしょう。これは私見ですが、文化財の保存は、将来の子孫に残すということですから、未来への負債でも良いのではないかと考えています。後世、よくぞ残してくれたと喜ばれるか、なぜ解体してしまったと恨まれるか、ということです。
次に、なぜ今ごろ保存を言い出すのかという時期の問題です。これは、現在保存を主張している人々が、反省しなければなりません。小生も、なぜもっと早く保存を訴えなかったのかと思っています。小生の場合、2005年に出た書籍『九州遺産』に掲載されていた写真でこの旧長崎刑務所を知り、2006年の春に初めて現地で旧長崎刑務所を見、なんとか保存できないものかという思いをつのらせておりました。所有者が国であり、何らかの保存措置はするだろうという淡い期待もしておりました。今年の春、報道で民間業者への売却を知るに及び、このままでは解体されてしまうとの危機感から、ようやく行動を開始したのでした。正直なところ、旧長崎刑務所のことを知るのが遅すぎたというのは事実です。もっと早くに、この旧長崎刑務所のことを知っていればと思います。ただ、解体に着手したいまさらでは遅すぎるということは決して無く、どんな時点であれ保存が主張されたということは、まだ可能性を残しているということです。小生のように、多くの人々が旧長崎刑務所のことをまだ知りません。それらの人々に、この旧長崎刑務所の存在を知ってもらい、残すか解体するかの価値判断をしてもらわなければならないと考えています。ごく一部の役人の判断だけで、国民の貴重な財産を喪失してしまっては、後世に取り返しのつかないことになってしまいます。たとえ、多くの市民が解体を望もうとも、保存すべき価値のあるものは、利害関係抜きに判断し、保存措置が図られなければならないと考えます。
最後に、保存を主張するのは市外の人々だけで市民は解体を望んでいるという、これまでも多くの保存運動で見られた地元が解体を望むという構図の問題です。文化財級の貴重な財産である旧長崎刑務所は、近隣住民や行政地域内の市民のものではなく、広く国民のものであるということを理解すれば、この主張はあきらかに誤りであると納得してもらえると思います。さらに、先にも述べたように、貴重な財産である旧長崎刑務所は、現在生きている者だけの財産ではなく、将来の子孫の財産でもあるということを考慮しなければなりません。小生は、これまでにもこの構図を、空間軸と時間軸の問題として、もっと視野を広げて考える必要性を主張してきました。解体してしまうということは、両軸を断ち切ってしまうということなのです。
以上、市民フォーラムを受けての、小生の感想と回答でした。
なお、この市民フォーラム前後にも、旧長崎刑務所のことが盛んに報道されています。多くの人々に、旧長崎刑務所のことを知ってもらうことが、今いちばん大切なことなのだと思います。
「貴重な西欧風れんが造りを発見 旧長崎刑務所解体現場」(長崎新聞、9月1日付)
http://www.nagasaki-np.co.jp/kiji/20070901/01.shtml
「山下啓次郎と旧長崎刑務所展 市立諫早図書館で始まる」(長崎新聞、8月28日付)
http://www.nagasaki-np.co.jp/kiji2/2007082802.shtml
「旧長崎刑務所正門など保存訴え 諫早市に「考える会」要望書…旧長崎刑務所」(読売新聞、9月4日付)
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/nagasaki/news004.htm
近く、社団法人日本建築学会九州支部より、保存要望書の提出が決まったとのことです。旧長崎刑務所が、学術的にも貴重な物件であるということが、裏付けされました。
]]>「視点’07ながさき=旧長崎刑務所、年内解体へ 見えぬ跡地の将来像 諫早市 「保存」「開発」ともに課題」
http://www.nishinippon.co.jp/news/wordbox/display/5104/
これを読むと、旧長崎刑務所は近隣住民のとっては「迷惑施設」でしかないようです。シロアリ被害、ぼや騒ぎ、痴漢出没などなど。しかし、これらの問題は、記事にもある通り、旧長崎刑務所そのものに起因する問題ではなく、旧長崎刑務所を15年間も放置し続けてきたことによる管理上の問題です。
地元が保存に反対するという構図は、全国各地で見られます。以前書きましたが、小樽運河保存の際も、地元は運河埋立賛成でした。妥協・折衷案でしたが、何はともあれ小樽運河が残され、今日の観光化した小樽があります。運河を残すことで、その後どのような展開があるかの想像図を描ききれずに、地元は反対したということなのでしょう。
旧長崎刑務所も、残すことで将来どのような展開がありうるかを、具体的に示す必要がありそうです。昨今、旧長崎刑務所のような歴史的価値のある物件は、観光資源としても有望なのです。
西日本新聞の記事によれば、旧長崎刑務所の今後のカギは「用途変更」のようです。確かに、刑務所の用途地域って、何だったのでしょう。刑務所機能移転後の用途地域の指定も、何だったのか興味があります。県や市は、この「用途変更」の権限で、旧長崎刑務所の保存を取引することができそうですネ。
今後の展開が何も決まっていないにもかかわらず、ただ解体だけが押し進められている現状は、本当に許しがたいです。壊してしまっては、取り返しがつかないのですから。
8月31日の市民フォーラムを期待しています。皆で知恵を出し合って、残した後の旧長崎刑務所の活気ある姿を思い描きましょう。
]]>パゴダは仏舎利塔であり、インドのストゥーパが原形です。日本には木造の五重塔や三重塔、多宝塔などの形で伝わりました。パゴダは、ミャンマーやタイなどに伝わった形です。
つまり、現在各地に見られる日本のパゴダは、それほど古いものではないということです。小生の仮説では、伊東忠太設計による大正7年築の名古屋市の日泰寺仏舎利奉安塔が最初ではないかと考えました。その後、昭和初期にいくつか建てられ、昭和30~40年代に各地に建てられたのではないかと考えました。
今回、日本のパゴダのリストを作ろうと思って検索していましたら、すでに「塔婆-現存塔婆と塔婆遺跡」というHPに、「南方式仏塔(パゴダ)」の詳細なリストが載っておりました。
このリストによると、明治44年築の静岡県袋井市の可睡斎護国塔が最初のようで、設計は伊東忠太です。リストでは、大正7年築の日泰寺仏舎利奉安塔は、覚王山仏舎利塔として掲載されています。
伊東忠太が日本に持ち込んだという小生の仮説は、一応正しかったようです。「日本のパゴダの歴史」なんて、どこかの大学で研究しているのでしょうか。建築学というより、仏教系の研究ですかね。
]]>「“明治の刑務所” 取り壊し」(長崎放送(動画あり))
http://www2.nbc-nagasaki.co.jp/houdou/index.php?itemid=3379
「旧長崎刑務所の解体工事はじまる」(テレビ長崎)
http://www.ktn.co.jp/news/d070818.html#0002
「旧長崎刑務所の解体進む」(長崎文化放送)
http://cgi.ncctv.co.jp/news/news.php?month=M0708&day=19
先にお知らせした、「旧長崎刑務所の保存活用を考える会」主催の8月31日のイベントですが、地元新聞でも取り上げられました。ご都合のつく方は、ぜひお出でください。
「旧長崎刑務所の保存を 市民グループを結成」(長崎新聞)
http://www.nagasaki-np.co.jp/kiji/20070824/05.shtml
旧長崎刑務所解体問題が、なぜ全国紙で取り上げられないのか、不思議でなりません。
]]>~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
建造物の評価と保存活用ガイドライン
社会の営みのなかで人々が建設してきた建造物には、さまざまな価値が込められている。当初、機能的有用性によって計画された建造物は、やがて長期間使用されつづけるなかで、歴史的価値と文化的価値をもつようになってゆくし、それらの存在はわれわれの生活をとりまく重要な景観要素ともなる。
また建造物は、それを生み出した人々の理想が込められた貴重な社会資産であり、そこにはそれをつくりだすための技術・芸術的叡知が込められている。建造物こそはある時代の到達点を示すかけがえのない証人であり、最大の記憶装置といえるものなのである。こうした建造物を長く使いつづけることは、われわれの文化を継承し、次代へつなげる大切な行為といえよう。
建設活動が地球の環境に与える影響は大きく、多大なエネルギーが注がれている建造物を取り壊すことは、地球環境に大きな影響を及ぼす行為である。建築が短寿命であることは、単に社会資産の形成が遅れるのみならず、地球温暖化の原因である二酸化炭素排出、森林の破壊や大量の建築廃材発生などの、極めて深刻な問題を生んでいる。建造物を保存活用して長寿命化をはかることは、建設廃棄物の減少をもたらし、地球環境問題に対して重要な貢献となる。
建造物の保存活用を積極的に進めることは、われわれの技術・芸術・文化にとっても、地球環境にとっても大切なことといわねばならない。
建造物がもつさまざまな価値を多面的に理解し、それらの価値を将来にわたって高め、保存活用してゆく方途を求めることは、これからの社会に対して日本建築学会が果たすべき責務と考え、そのためのガイドラインをここに提唱する。
2007年3月31日
五つの基本的価値
(1)歴史的価値
建造物は、人類の活動の所産として、広く歴史のなかで価値を持っている。その価値とは、建設年代が古いことによって生じる価値を基本とし、現在までの時間的経過によって加えられたさまざまな価値を含む。そこには、伝統・歴史的様式が継承されており、社会のできごとの痕跡や個人の記憶が留められている。建造物が、巨大な記憶装置となっているところに見出される価値である。
(2)文化・芸術的価値
建造物は、人々の構想力と想像力の所産であり、そこには、社会と人々の生活が表現されている。それこそが、建造物の持つ文化・芸術的価値である。文化的価値とは、建造物に込められた生活や社会の姿に宿るものであり、われわれの社会総体の到達点を示すものである。芸術的価値とは、その時代の新しい美や表現、成熟した空間などの軌跡に宿るものである。
(3)技術的価値
建造物には、構造・材料、構法・施工、環境・設備に関する技術が用いられている。技術の発展は、過去の技術の積み重ねと技術開発によって生じるものであり、それぞれの建造物で用いられた技術の総体によって今日の技術が存在している。したがって、それぞれの建造物が持つ技術的な特徴を評価することで、技術の変遷と発展における建造物の位置づけを図り、価値を把握することができる。例えば構造技術では、古くから発展してきた木造技術、近代以降における煉瓦造、石造技術、鉄骨造と鉄筋コンクリート造技術の導入、さらに、建造物の耐震・耐風、耐火、高層化、大スパン化に伴う技術、などである。
(4)景観・環境的価値
建造物には、その周囲の景観や居住環境との関係で見出される価値がある。建造物が周囲の景観に配慮し、良好な居住環境の形成に寄与している点を評価して得られる価値である。例えば、建造物が街並みと調和し、あるいは、ランドマークとしての役割を果たしていることなど地域の景観形成に寄与していること、日照など物理的な居住環境の確保やアメニティの創造に果たしていることなどである。そのような建造物が保存活用され続けていくことは、景観・環境にとって極めて重要である。
(5)社会的価値
建造物は、地域社会の活性化やコミュニティの成立にとって重要な社会資産である。すなわち、あらゆる建造物には公共性があり、生活の基盤施設としての価値をもつ。建造物の用途・機能が社会に与える影響や、社会に対して果たしている役割に着目して建造物を評価する。さらに、地域社会の変化や地域の近代化のなかで建造物が果たしてきた役割も同じ視点から評価される。加えて、このような価値を持つ建造物を保存活用し続けることは、地球環境問題の解決に対する重要な貢献となる。
建造物の保存活用にあたっては、先ず、その建造物の価値を明確にしなければならない。そのため、この保存活用ガイドラインの五つの基本的項目に照らして、その建造物の特徴を明確に把握し、評価することが必要である。そこで確認された特徴こそ、その建造物の固有の価値なのである。そのため、保存活用にあたっては、その価値を尊重し、新しい計画においてもその固有の価値を失わないように注意し、改修にあたってもその価値がより明快に維持され、社会に享受される計画性が求められることになる。
日本建築学会では、この保存活用ガイドラインに準じた建造物の評価、さらには、その保存活用計画の立案への助言など、専門家が積極的に協力したいと考えている。
*ここでいう建造物とは、その存続が危ぶまれる状況にある保存すべき建造物である。
社団法人 日本建築学会
〒108-8414 東京都港区芝5-26-20
03-3456-2051
http://www.aij.or.jp/aijhomej.htm
歴史的建造物保存活用ガイドライン
検討特別調査委員会
委員長
鈴木博之(東京大学大学院教授)
幹事
内田青蔵(埼玉大学教授)
小林正美(明治大学教授)
委員
兼松紘一郎(兼松設計)
佐々木睦朗(法政大学教授)
長尾 充(文化庁)
西澤泰彦(名古屋大学大学院助教授)
初田 亨(工学院大学教授)
藤岡洋保(東京工業大学大学院教授)
藤田香織(首都大学東京准教授)
藤森照信(東京大学大学院教授)
和田 章(東京工業大学大学院教授)
以下、九州産業考古学会のHPよりの転載です。
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旧長崎刑務所の保存と活用を考える市民フォーラム
基調講演:高村雅彦准教授(法政大工学部)
パネルディスカッション:池田武邦氏(日本設計元社長)ほか
日時:平成19年8月31日(金)19:00~
会場:諫早市高城会館(長崎県諫早市高城町5-25)
これに併せて諫早図書館では8月28日~9月1日まで「山下啓次郎と旧長崎刑務所展」を開催しています。どうぞ足をお運びください。
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シンポジウムの開催日が、月末で週末の平日(!!)という、勤め人には一番難しい日程ですが、何とか駆けつけることができないかと思案中です。
(社)日本建築学会の全国大会が、この日まで福岡大学で開催されていますので、その後に挙って諫早にお出でいただければ良いですね。博多から特急で1時間半程度の距離ですので。
]]>お水の花道ブログ
http://myhome.cururu.jp/shinnosuke0113/blog/article/41001341518
九州ヘリテージ
http://blog.kyushu-heritage.jp/?eid=488985
写真から読み取ると、施行者(解体業者)は株式会社中嶋組、発注者は株式会社ユニディオコーポレーションと株式会社新日本建設。
しかし、それぞれの業者さんに言ったところで、仕事を請け負っているだけでしょうから、その大元の発注者(すなわち入札落札者)を探して保存のお願いをするしかありません。いったい落札者は、どこの業者さんなのでしょう?? ちなみに、中嶋組は長崎市、ユニディオコーポレーションは福岡市、そして新日本建設は千葉市の会社です。
実は、居ても立っても居られずに、今月中旬に建築関係の諸団体に対し、下記の「旧長崎刑務所」保存要望書の要望をメールにて発信いたしました。半月ほど経過した現在までのところ、どの団体も何の動きも見受けられませんが……。緊急アピールでも、ホームページ上などに載せて欲しいものです。何とか、一部でも残して欲しい。旧長崎刑務所は、重要文化財級の物件ですから。
チアキさん、ゴン太さん、情報をありがとうございます。
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社団法人日本建築学会九州支部 殿
社団法人長崎県建築士会 殿
社団法人長崎県建築士会長崎支部 殿
社団法人日本建築士会連合会 殿
社団法人日本建築家協会 殿
社団法人日本建築家協会九州支部 殿
社団法人日本建築家協会九州支部長崎会事務局 殿
日本建築学会「歴史的建築リスト整備活用小委員会」で委員をしております前村と申します。
さて、報道などでもご承知の通り、先月、長崎県諫早市の「旧長崎刑務所」が民間の不動産業者に売却され、解体間近となっております。
長崎刑務所の移転後、10年あまり空家のまま放置されたことで、廃墟のような状況ではありますが、山下啓次郎設計の「旧長崎刑務所」の価値は、決して減じるようなことはありません。
これまで世間では、「旧長崎刑務所」についての正当な価値評価が行なわれていないように見受けられます。ぜひとも貴会から保存要望書を出していただき、「旧長崎刑務所」の評価を示し、何らかの形で保存されるようご尽力くださいますようお願い申し上げます。
いつ解体が開始されても不思議ではない今、貴会としても早急に対処し、広く市民に向けて保存の呼びかけを行なうべきではないかと思われます。
微力ではありますが、小生もインターネット上で、ネットワークを通じて「旧長崎刑務所」の存在と価値を広報しております。世間に「旧長崎刑務所」の価値が認知されることが、まず第一と考えております。
来月、九州で建築学会の大会が開催されます。ぜひともこの「旧長崎刑務所」の保存が大きな話題となりますよう、何とぞご協力をお願い申し上げます。
なお、建築学会、建築士会、建築家協会等に対しても、保存要望書を出すよう働きかけを行なっております。
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同じ通りには、こんな建物もありました。
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対岸に廻り撮影してみました。
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煉瓦蔵の並ぶ三津谷集落。
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若菜家の農作業蔵(明治43年築)と下屋(昭和7年築)。黒っぽい艶やかな煉瓦は、素焼の煉瓦に益子焼の釉薬をかけて2度焼した、寒冷地対策の防水煉瓦。
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同じく若菜家の味噌蔵(大正10年築)。
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若菜家の三階蔵(大正5年築)と、座敷蔵(大正6年築)。
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ラーメン屋となっている近隣の煉瓦蔵。若菜家の下屋とデザインが似ています。
前回、下関の回まで報告しましたが、その後紹介された記事は次の通りです。
・横浜市山手地区
・長崎県雲仙市
・北海道恵庭市
・大阪府千里ニュータウン
・千葉県佐倉市
・岡山県倉敷市
ここまでで19回でした。そしてこの後、特定の地域だけでなく、まちおこし、地域活性化の理論や実践を行なう人の話になります。
・そこにあるロハス(西郷真理子さん・地域再生プランナー)
・ヨコハマ事始め(田村明・法政大学名誉教授)
・旅の終わりに(小林重敬・横浜国立大大学院教授)
最終回は、大分県別府市でした。「わが国現存最古をうたう大正時代の『竹瓦小路アーケード』」の報告です。
各地の商店街で、アーケードが暗く壊れたままになっており、シャッターが閉ざされています。しかしその一方で、それぞれの工夫で地域を支え、踏ん張り、まちの再生に頑張っている人々のいることが、今回のコラムで数多く報告されました。アイデア次第で、まちが楽しくなっていくということを、小生も信じたいと思います。
]]>世界遺産となった石見銀山の地域には、銀の積出港として栄えた温泉津の町があります。ちなみに、「温泉津」と書いて「ゆのつ」と読みます。ここはその名の通り温泉が沸いており、古い温泉場の雰囲気を残す町並みが続いています。20年位前までは擬洋風の警察署の建物も残っていたのですが、残念ながら解体されてしまいました。しかし、まだ洋風の古い旧共同浴場が残っており、また、数年前に訪ねたときには、いくつかの下見板張りの建物も見つけました。
「世界初の世界遺産登録の温泉」をキャッチフレーズに、温泉津は世界遺産登録に向けて運動を展開していましたが、とうとう本当になりました。ただでさえ細い道路に、沢山の観光客が訪れることになることを思うと、今後が心配です。
まずは、日本で初の産業遺産としての世界遺産登録決定を祝いたいと思います。世界遺産の登録名は、「石見銀山遺跡とその文化的景観」とのことです。
【追記】
ジブリのアニメ映画「もののけ姫」に出てくる「タタラ場」は、この石見銀山の製錬場をモデルとしてイメージしたとも言われています。鉱山は宝を産みますが、必ず鉱毒という問題も生じます。
全国各地の、まちおこしや地域活性化のために尽力された闘士・志士の方々の紹介です。エピソードを交えた写真入りの記事で、さまざまな興味深い実践例が示されています。
asahi.comに掲載されていないか探したのですが、どうも載せていないようです。後日、単行本にでもなるのでしょうか。
これまでに取り上げられた町は、
・高松市丸亀町
・山口県宇部市
・徳島市新町川
・京都市三条通り
・熊本県山鹿市
・新潟県村上市
・埼玉県川越市
・岐阜県飛騨市
・茨城県古河市
・長崎県島原市
・山口県下関市
今日の下関の記事は、下関市役所第一別館の保存の話でした。第一別館の写真が誇らしいです。
これまでの連載で「あッ!」と思ったのは、村上市のまちづくりの回。「会津若松の街並み保存運動家に『道路拡幅で成功した商店街はどこにもない』とさとされた」という話でした。そうなのですよね。道路の拡幅工事を行なった町は、どこもよそよそしい新興・復興の町のようになってしまうのです。さまざまな建物がゴチャゴチャしている町こそが、魅力的な独自性のある町なのに。
川越の回で、お上に頼らないまちおこしの話も、共感しました。「好きなことなので自腹が原則」、「政治に手をだすな、お上に頼らない気概を持て、と教えられて育った」という、代表の方のお話。「気概」を持たなければなりませんネ。
以降、どの町の話が出てくるか、楽しみです。
]]>旧長崎刑務所は、すでに民間の不動産会社に売却されてしまっているということですので、あとはその業者さんの意向次第ということかも知れませんが、まだ諦めてはいけません。
旧長崎刑務所を購入したのは、東京の不動産会社だという話も聞こえてきます。ぜひ業者さんには、諫早のこの現地を見てほしいと思います。遠く離れた土地での机上の計画だけではなく、実際の現地を見、歩き、感じてほしい。そうすれば、きっとこの旧長崎刑務所の価値や意義を実感するに違いありません。そうすれば、この建物や空間を活かした計画をせざるを得なくなるはずです。業者さんには、この旧長崎刑務所という素材に対して、どのような活かし方をするかの手腕が問われることでしょう。
不動産を所有するということは、自身の財産として何でも自由にできる、ということでは決してありません。さまざまな法規制もありますが、それをクリアさえすれば良いというだけでもありません。
不動産を所有するということは、時間軸と空間軸という両座標軸上での責任を負うということを理解しなければなりません。時間軸とは、過去から未来へという、歴史的価値を伝えること。空間軸とは、近隣や地域の中でのその物件の意味、さらに、もっと広く地球規模の空間の中での意味までをも考えなければなりません。これは、この旧長崎刑務所のような歴史的建造物だけでなく、どんな小さな住宅でも、マンションでも同じです。不動産を所有するということは、そういった重い責任を負うことなのだということを、誰もが理解し、意識する必要があります。
旧長崎刑務所は、重要文化財級の非常に価値の高い建物ですが、たとえ文化財に指定されていなくても、価値があるということに揺らぎはありません。ものの価値はレッテルではなく、そのもの自体に価値があるのです。
なお、旧長崎刑務所のことを載せているブログの多くには、価値は認めるが、ここまで老朽化してしまっては解体も止むを得ないという記述が少なくありません。しかしながら、たとえどれほど老朽化しても、解体の理由にはなり得ないのです。全国の残る文化財指定の近代建築の多くは、どれも老朽化し、一時は廃墟のようになっていたのです。人々がその価値を見出し、保存をするという意志さえあれば、保存できるのです。要は、その物件の価値を見出すかどうかに掛かっています。
また、旧長崎刑務所を保存するには数十億円もかかるのでは、解体も止むを得ないという記述も見られます。不思議と、なぜか他の建物でも解体する理由として、保存するには数億、数十億円かかるという金額が示されます。こんなにかかるのでは止むを得ない、という口実を与えるための金額なのではないかとさえ疑われます。建物全体を一気に修復・保存するとすれば、それなりの金額がかかるでしょうが、予算が無ければ無いなりの修復・保存の方法があるはずなのです。要は、その物件を残したいという意志次第なのです。お金が無いから残せなかったとは、何とも恥ずかしい話ではありませんか。
旧長崎刑務所を取得された東京の不動産屋さん。この旧長崎刑務所が、後世に誇るべき良い形で残されることを期待しています。
]]>旧長崎刑務所で検索していたら、「うさたろう日記 はてな版。」に興味深い資料がリンクされていました。平成18年10月10日付の「第55回国有財産九州地方審議会議事録」というもので、この中に、この旧長崎刑務所の民間不動産業者への売却にあたって、一部でも保存できないものかという審議会委員で九州大学名誉教授の樗木武氏の質問に対し、北村管財部長が説明をしています。
「(前略)それから、今、委員のほうから赤レンガ等の旧刑務所庁舎につきましての、文化財としての価値ということでございますが、この建物を文化財として保存するかどうかにつきましては、地元であります長崎県、諫早市が文化財保護法でありますとか、長崎県の文化財保護条例に基づきまして、保存を要するかどうかということを判断されることになっております。本件につきましては、私どもが長崎県、諫早市に確認した結果、いずれも保存することには該当せず、国が売却しても構わないという旨の回答を得た上で、一般競争入札を実施したところでございます。」
北村管財部長の説明では、旧長崎刑務所の保存価値について判断するのは県や市であると言っています。しかし、まずは所有者である国が判断すべきなのではないでしょうか。財務省では価値判断ができないということであれば、文化庁なり、あるいは建築学会なり建築士会なり、価値判断のできるところに聞くのが筋でしょう。この説明では、長崎県、諫早市が、旧長崎刑務所には価値がないと言ったから、保存する必要はないのだと言っています。しかし、本当に県や市は、旧長崎刑務所に価値はないと言ったのか。価値がないと言ったのではなく、保存するお金がないと言ったのではないでしょうか?
国の所有する旧長崎刑務所に対して、県や市が「保存する価値がある」と言うことは、すなわち引き取るということになるのではないか。財政的に厳しい県や市には、そのようなことを言い出すわけにはいかないだろうことは、想像できます。旧長崎刑務所には価値がないと言った当事者は、県や市であるとされていますが、これはすり替えではないか。純粋な価値判断と財政的な判断とは、全く切り離して行わなくては、判断を誤ります。
そもそも、県や市に聞く前に、所有者である国自身が旧長崎刑務所の価値判断をすべきでしょう。北村管財部長の説明では、そのことを、全く無視しています。
長崎県の担当者、諫早市の担当者の方々。旧長崎刑務所に保存の価値なしという誤った判断をしたのは、本当にあなたたちで良いのですか? 所有者としての、国の判断はどうなのですか?
かくして、正当に価値判断をされることなく、国(財務省)によって、旧長崎刑務所は売却され、今や解体寸前となっているのです。国民の、いや人類の、貴重な遺産である旧長崎刑務所が、真っ当な価値判断もされずに売り飛ばされてしまったのです。このことを、ずっと明記しておきたいと思います。
]]>さて、この旧長崎刑務所の設計者ですが、山下啓次郎(やましたけいじろう)です。ジャズピアニストである山下洋輔の祖父としても有名です。
山下啓次郎は、1867年(慶応3年)鹿児島県生まれ。帝国大学工科大学(現在の東京大学工学部)で辰野金吾に建築を学び、卒業後、警視庁、後に司法省営繕課で技師として、明治の五大監獄と呼ばれる千葉、金沢、鹿児島、奈良、長崎の刑務所や、名古屋控訴院・地方裁判所・区裁判所などの設計を担当します。1931年(昭和6年)没。
・千葉刑務所(明治40年築)は、煉瓦造の管理棟や正門などが現役で使われています。
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・金沢刑務所(明治40年築)は、昭和45年の移転にともない解体されましたが、中央看守所と監房の一部、そして正門が明治村に移築され、いずれも国登録有形文化財です。
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・鹿児島刑務所(明治41年築)は、昭和61年の移転にともない解体されましたが、保存運動の結果、石造の正門のみが現地に保存されています。国登録有形文化財です。
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・奈良刑務所(明治41年築)は、現在も奈良少年刑務所として、煉瓦造の本館や正門などが現役で使われています。
・長崎刑務所(明治41年築)は、平成4年に移転にともない閉鎖され、そのままの形で保存(放置?)され、現在に至ります。今年(平成19年)の6月中に解体予定の計画が発表されています。
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・名古屋控訴院・地方裁判所・区裁判所(大正11年築)は、現在、国の重要文化財に指定され、名古屋市市政資料館として活用されています。
旧長崎刑務所は、施設がそのまま残されており、史料としても貴重です。修復・補修して文化財に指定し、何らかの形で現地に保存するべき価値の高い建物群です。
【追記】
山下啓次郎と同じ1867年(慶応3年)生まれには、建築家伊東忠太(帝国大学工科大学も同期)や、文豪夏目漱石、ジャーナリスト宮武外骨、博物学者南方熊楠、そして、海外では建築家フランク・ロイド・ライトなどがいます。
多くのブログに、撮影してきた写真が公開されています。写真を見ると、昨年見たときよりもさらに老朽化が進んでいるように見えます。メンテナンスをしない建物は、こんなに簡単に廃墟化が進むものなのですね。
旧長崎刑務所の解体について、世間であまりニュースにならないことが悲しいです。旧長崎刑務所は、とてつもなく貴重な建物です。近代建築探訪メーリングリストで小生は、「東京駅解体と同じくらい大きな問題だと思う」と書きました。地域文博・高炉館の庵田さんは、「煉瓦造建築としては、西日本内で最大級の規模であると確信します」と書かれています。ただ、このことが話題にならないことについてALL-Aブログのtksさんは、「刑務所であるが故」と書かれています。
そうなのです。刑務所もそう、旧遊廓もそう、旧軍事遺跡もそう。無かったことにしたいものは、抹殺してしまうのです。
たとえば、登録有形文化財の登録基準の一つとして「再現することが容易でないもの」という項目があります。旧長崎刑務所のように大規模な煉瓦造の建物は、すでにこの基準にかなうはずです。
建物は、資産価値や効率化だけで評価すべきものではないはずです。予算が無いという理由だけで解体してしまうのは、何も価値を評価していないということです。
旧長崎刑務所の場合、使われていない刑務所を15年間も放置してきたこと自体がおかしいことなのですが、所有者だけの判断で解体してしまうこともおかしい。近隣の方々からの評判が悪いというのは、小樽運河のときもそうでした。それは、未来のある、近い将来のプランが示されないことが問題なのだと思います。旧長崎刑務所は、解体後のプランも無く、ただ解体するだけだとか。このまま放置されても困るが、何も目的もなく解体されるのも酷い話です。
旧長崎刑務所を解体するのは惜しい、残念だと言うだけではダメです。旧長崎刑務所には価値がある、残せと言わなければなりません。
価値を知る者がその価値を伝えなければ、誰もその価値を知ることができません。旧長崎刑務所を知る人は、ぜひ、価値があると声を挙げてください。価値を知る人が増えれば、展開の可能性も増すでしょう。少なくとも、価値ある旧長崎刑務所のことが世に知られぬまま、覆い隠すように解体されてしまうようなことがないように。
]]>以前の建物の写真は、こちらに載っていました。
http://www.mumyosha.co.jp/guide/hakubutu/aomori/ringo.html
http://www.net.pref.aomori.jp/kuroishi/Sight_Seeing/Sig_Ringo_en_shiryokan.html
長崎新聞の記事
http://www.nagasaki-np.co.jp/kiji/20070526/02.shtml
「地域文化博物館・高炉館」の庵田さんの掲示板ブログで、先月末、急に一般公開されたことを知り、見に行きたかったと残念に思っていたのですが、解体に向けての一般公開だったとは……。あまりの反響の大きさに、再度、今週末に一般公開を行なうようです。行きたいが、行けそうにない。
長らく廃墟状態で放置してあったのは、解体するには惜しいと思ったからに違いありません。しかし、経済状況が改善に向かい、民間デベロッパーも動き出せば、文化遺産もただの無駄な空き地に見えてくるのでしょう。
その論理に、真っ向反論できる論理を構築しなければ、いつもいつも負け戦ばかりです。
http://www.jmam.net/blog/archives/472.html
http://www.jmam.net/blog/archives/474.html
この建物は、田上義也設計、昭和2年築の洋館で、岩井俊二監督の映画「Love Letter」(平成7年公開)で主人公の家という設定で登場します。
設計者田上義也は、明治32年栃木県生まれ。F.L.ライトの帝国ホテル建設事務所の募集に20歳で応募し、現場でライトやレーモンドに学びます。帝国ホテル完成後、たまたま汽車に乗り合わせた宣教師バチェラーの啓示で北海道に渡り、札幌に個人設計事務所を開設し、道内各地に作品を残しました。
http://www2u.biglobe.ne.jp/~komichi/Home_page/architecture/tanoue.htm
岩井俊二監督の映画「Love Letter」は、中山美穂主演の淡いラブストーリーで、小樽各所でロケが行なわれ、沢山の小樽の近代建築が使われています。なぜか韓国や台湾で大ヒットし、海外からの多くの観光客が小樽を訪れロケ地めぐりをしています。
建物の焼失は、取り返しのきかない悲しい出来事です。せめても、失われた建物に残された物語を映像で呼び起こし、記憶にとどめたいと思います。
映画中、図書室でのエピソードは、小樽ゆかりの作家伊藤整が小林多喜二の思い出として書いているものに似ています。そのエピソードをもとに、小生も高校時代に小説を書いたことがありました(汗)。
]]>このシリーズが全6巻だったとは知りませんでしたが(笑)、今回の道東編で完結とのことです。
思えば、1995年に『小樽の建築探訪』が出、その後1997年に『函館の建築探訪』、1999年に『札幌の建築探訪』と続きました。これで終わりか、あるいは旭川か帯広あたりか(でも、1冊にするには物件が少ないかナ~)と思っていたところ、2000年に『旭川と道北の建築探訪』が出版されました。これで、都市以外の場所の建物もフォローすることがわかり、次は道南、道東もあるだろうと期待しておりました。その後、少し時間がかかりましたが、期待通りに2004年に『道南・道央の建築探訪』が発行され、そして今年2007年に『道東の建築探訪』が発行されたのです。
時間がかかってしまったために、発行までの間にも解体されてしまった建物も多く、本当に残念でなりません。しかし、こうして道新(北海道新聞社のこと)のおかげで、北海道の全地域をカバーする素晴らしい写真集が6巻も発行されました。記録としても、探訪者や観光客などの実用としても、とても貴重な資料です。そして、北大の角幸博先生をはじめとする執筆陣の方々に、お礼を申し上げます。素晴らしい本を、ありがとうございました。
他の都府県でも、こうした本が続々と出版されることを期待したいと思います。商売になりますよ(笑)。地元新聞社の方々、どうぞ、よろしくお願いいたします。小生も、全力を挙げてご協力いたしますので。
]]>この「藤森建築と路上観察」展は、昨年イタリアで開催された第10回ヴェネチア・ビエンナーレ建築展の、凱旋帰国展です。イタリアの人々に、この奇妙な藤森建築が理解できたかどうか……。写真は樹上茶室ですが、まるで「ゲゲゲの鬼太郎の家」です。
また、路上観察学会の活動の記録のスライドは、懐かしく見入ってしまいました。もう、20年以上前の写真ですから。トマソンとか、純粋階段とか、原爆物件とか。本当に、懐かしいなぁ。
新宿の東京オペラシティアートギャラリーで、7月1日(日)まで。
http://www.operacity.jp/ag/exh82/index.html
さて、今日の遅れの理由は「乗務員トラブル」のためだとか。車内アナウンスで流されましたが、「乗務員トラブル」って何? 初めて聞く遅延理由です。
asahi.comに、「乗務員が体調不良で運転を続けられなくなった」ために、「乗務員を交代した」と出ていました。
http://www.asahi.com/national/update/0419/TKY200704190047.html
それならそうと言えば良いのに。「乗務員トラブル」なんて、30年以上利用しているけれど、初めて聞きました。JR東日本に、問い合わせをしてしまいました!!
【追記】
その後、この「乗務員トラブル」を追っておりましたら、その電車に乗り合わせた方のブログがありました。
http://blog.goo.ne.jp/wi_shi918_sh/e/c9b5badfb640ebc17b4ac95e38c5c74e
「運転手さんぐったりしてんじゃん!!」という状況だったとは。危ないところでした。「乗務員トラブル」って、運転手急病じゃん!! 事故がなくて何よりでした。
]]>今回のオリジナルは、全国のスクラッチタイルの建物のコーナーです。会場である天満屋ビルとそっくりな形の建物が、あちこちに残っています。おそらく、どこかにモデルになる建物があり、それが各地に建てられたのではないでしょうか。そして、今は残っていなくても、きっとどの都市にも、似た建物があったのではないかと思います。
角地に建ち、コーナーがアールを描き、丸窓があるスクラッチタイルの建物。
昨年とはまた違った写真も集まりましたので、ぜひ、お出でください。
]]>この「美しい日本の歴史的風土100選」は、財団法人古都保存財団内にある美しい日本の歴史的風土100選実行委員会が、昨年10月より一般からの推薦を募り、選定委員会の審査・選定により決定したとのことです。
http://www.kotohozon.or.jp/best.html
リストを見ると、今後の世界遺産をめざしたような内容になっています。近代建築系の場所も、ちらほらです。
「美しい日本の歴史的風土100選」リスト
http://www.jmam.net/b/kindai/rekisi01.htm
「美しい日本の歴史的風土 準100選」リスト
http://www.jmam.net/b/kindai/rekisi02.htm
「美しい日本の歴史的風土100選(特別枠)」リスト
http://www.jmam.net/b/kindai/rekisi03.htm
以降の予定
・「まちかどの近代建築写真展IN松本」
4~5月頃開催計画中
「月光」と言っても、知る人も少ないかと思いますが、かつて光画部(笑)だった方々には、氷酢酸の匂いと共に懐かしい思い出が甦るのではないでしょうか。「月光」は、三菱製紙が発売しているモノクロ専用印画紙のブランド名でした。
三菱製紙のHPを見ると、去年の3月に生産が終了しておりました。
http://web.infoweb.ne.jp/mpm/news/060309.html
インクジェット用の「月光」は、今年の3月より発売とのこと。はたして、どれだけ需要があることか。
モノクロプリント用インクジェット用紙「月光(GEKKO)」を開発
http://web.infoweb.ne.jp/mpm/news/070119.html
かつて写真部の暗室で、現像時間を調節したり温度を変えてみたりといったことによって、写真表現を工夫していたものですが、はたしてPCプリンタで表現できるのか!?
午前中に設営をいたしましたが、設営中から思いの外多くのお客様にお出でいただきました。
2月17日(土)までの1週間の会期ですが、お近くにお出での折は、ぜひお運びください。
あわせて、登録文化財物件の根津教会内部の見学もできます。
]]>郡役所とは、明治11年に政府により設置され、大正12年に廃止された、都道府県と市区町村の間に位置する地方行政の組織でした。
建物としては、県庁などに次ぐ官庁の建物として、全国各地に威厳ある個性的な庁舎が建てられ、現存するものもあります。残念ながら、埼玉県には現存しておりません。
http://www.jmam.net/matikado/gunyakusyo.html
今回の企画展は公文書館の開催ということもあり、公文書の展示が中心ですが、埼玉県内にあった郡役所の写真パネルも展示されています。
ちなみに、埼玉県には18の郡があり、郡役所は複数の郡を組み合わせて、下記の9つがあったとのことです。
・北足立・新座郡役所:浦和宿(現さいたま市)
・入間・高麗郡役所:川越町(現川越市)
・比企・横見郡役所:松山町(現東松山市)
・南埼玉郡役所:岩槻町(現さいたま市)
・北埼玉郡役所:行田町(現行田市)
・北・中葛飾郡役所:杉戸宿(現杉戸町)
・大里・幡羅(はたら)・榛沢(はんざわ)・男衾(おぶすま)郡役所:熊谷宿(現熊谷市)
・児玉・賀美(かみ)・那珂(なか)郡役所:本庄宿(現本庄市)
・秩父郡役所:大宮郷(現秩父市)
特別講演会
日時:2月11日(日) 13:15~15:00
会場:日本基督教団根津教会礼拝堂
講演内容:古い建築と新しい建築をつなぐ過渡期としての大正建築(予定)
講演者:内田青蔵埼玉大学助教授
料金:無料(当日先着順50名まで 13:00から受付)
主催:日本建築学会関東支部歴史意匠専門研究委員会データベースワーキンググループ
協力:近代建築探訪メーリングリスト/建築から学ぶ会
以降の予定
・「まちかどの近代建築写真展IN大阪天満屋ビルII」
3月5日(月)~4月7日(土) 「お茶と雑貨のハaハaハa」にて
・「まちかどの近代建築写真展IN松本」
4~5月頃開催計画中
昨年ヒットした映画「フラガール」の舞台の町(本当は合併前の常磐市です)でもあるわけですが、映画効果はあまりない感じです(泣)。
]]>まず、建築博物館館長の林昌二氏のあいさつ。山田守との接点として、山田守が長沢浄水場の仕事をしたとき、林氏はその下水処理場の仕事をしており、完成した浄水場を見に行って「とてもモダンな建物だ」という印象を持ったとのことでした。また、京都タワーの構造が応力外被構造であるということを今回の展示で知り、驚いたとのことです。缶詰のように外被で成り立っている塔だといいます。
次に東京工業大学の藤岡洋保先生が山田守の作品の紹介。続いて、パネル講演として、まず、東海大学の岩岡竜夫先生の東海大学キャンパスの案内。井上章一先生の「衰弱してくると人気が出てくる」という話。最後に、藤森照信先生の「山田守の建物の表皮」の話。外壁にタイルを使用する特殊性を述べていました。
休憩の後、パネルディスカッションです。さまざまな話題が出ていましたが、建築史上での山田守の位置づけが難しいという点、京都タワーを認めるかどうかという問い、メタ景観論争の問題などが印象的でした。藤森先生が、大正時代に東京の朝日新聞社ビルの上にあのタワーが建てられていれば、日本建築史での金字塔となっていたが、あの時代に京都という場所ではという評価をしておりました。
旧朝日新聞社社屋(「分離派建築博物館」HPより)
http://www.sainet.or.jp/~junkk/ishimoto/asahi.htm
今回の特別展にはずいぶんと力を入れているようで、記念講演会が4回も、そしてシンポジウムも予定されています。
ふくやま美術館では、2004年に特別展「武田五一・田辺淳吉・藤井厚二~日本を意匠した近代建築家たち~」を開催しており、その際の図録が好評でした。
何とか、3月に行きたいと思っています。
]]>今回の告示では、新潟のサフラン酒造の土蔵とか、豊岡の旧兵庫縣農工銀行豊岡支店、飯塚の嘉穂劇場などが有名どころでしょうか。
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嘉穂劇場
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旧兵庫縣農工銀行豊岡支店
次回の告示には、いよいよ大阪の通天閣が登録される予定です。今月の答申でしたから、告示は来年の2~3月位でしょう。
それともう一つ、悲しいお知らせです。同じ官報に、金沢の白雲楼ホテルの登録抹消の告示が出ておりました。
]]>展示は、壁面全面に図面と写真、そして建築模型が8点14点ほど。パーテーションは立てず、余裕のある展示です。個人的には、建物の写真がちょっと少ないかナ~。ケースに、スケッチや手紙などがありました。
一番の見どころは、現存作品のスライド上映ではないでしょうか。写真展示の代わりにスライド上映を行なうのは最近の展示の傾向で、この建築博物館での伊東忠太展のときもそうでした。築年順に、細部まで撮影された各地の山田守の作品が上映されています。
山田守の病院はどれもY型で、マタの部分に開口部を設けています。車寄せの庇が、初期は漏斗型でしたが、その後は平らなものに落ち着いてきています。京都タワーの原型が、東海大学で試されていたり。山田守は、円やY型、X型など、平面図での形から入る建築家だと思いました。
戦後の作品は、戦前の逓信省時代の作品とは全く異なる、別人の作品のようです。こうなると、山田守にとって戦前の作品は習作だったのかも知れません。
これまで、小生の守備範囲である戦前までの近代建築に関心を向けてきましたが、山田守の戦後の作品も見ておかねばと感じました。
]]>フランスの凱旋門の周りとか、中国や韓国などにも見かけますよネ(行ったことが無いので、いずれも映像で)。
国土交通省のHPによれば、日本では「1934年に日本で初めて東京都の和田倉門交差点に設置されて以来、1941年までに43交差点が整備されました」とあります。
http://www.mlit.go.jp/road/soudan/soudan_06_07.html
この43交差点が、いったいどこにあったのか興味があります。現存しているロータリーも、きっとあるはずです。小生が見たことのあるロータリーは、北海道の旭川、釧路、鹿児島県の串木野、そして兵庫県の豊岡のロータリーです。これらが、はたして43交差点の中のものなのかも不明ですが、豊岡のロータリーに出会ったときは感激したものです。
きっと、国土交通省に聞けば、教えてくれるのでしょう……。けれども、それではつまらないので、皆さんの情報を募って地道に調査をしてみようと思います。ご記憶の方、また、情報をお持ちの方、ぜひご協力ください。近代建築ではなく、都市の話ですね、これは。
日本国内環状交差路リスト
http://ismusic.road.jp/rotary/rotary.html
「ロータリー」コレクション
http://glin.jp/nam/rotary.html
ロータリー探訪記
http://tamotchi.skr.jp/geo/rotary/
たずねロータリーのページ
http://civil.eng.toyo.ac.jp/~ozaki/rotary/
山田守といえば、小生の認識では、分離派建築会で、旧逓信省の数々の特徴的な建物や聖橋の設計者という認識ですが、日本武道館や京都タワーなども彼の作品でした。
小生の認識は、これまでに語られ文献に表されてきたごく一般的な認識だと思います。今回の展示では、そういった戦前の作品だけでなく、生涯にわたっての全貌を網羅し「再評価を試みるもの」とのことです。
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「建築家 山田守 展 -流動するフォルムにみた合理性-」
開催期間/2006年12月12日(火)-2007年1月31日(水)、12月30日~1月4日は閉館
開催場所/日本建築学会建築博物館ギャラリー(港区芝5-26-20 建築会館内)
入場無料
また、シンポジウムや見学会も予定されています。シンポジウムも面白そうです。
シンポジウム「再考/山田守の後期の作品を検証する~京都タワーを中心に~」
開催日時/2007年1月13日(土)午後1~4時
パネリスト/井上章一(国際日本文化研究センター教授)
岩岡竜夫(東海大学教授)
藤森照信(東京大学教授)
(司会)藤岡洋保(東京工業大学教授)
開催場所/建築会館ホール(港区芝5-26-20 建築会館内)
参加費/無料、当日先着順、定員300名
見学会
2007年1月5日、午後2時~4時/山田守自邸
参加費/無料
定員/申し込み先着60名
予約申込先:日本建築学会事務局
メール: tosho@aij.or.jp
ファクス:03-3456-2085
BSフジで放送されたシリーズで、現在、第7巻までが発売されていますが、いよいよ来年1月下旬に、第8巻~第10巻が発売されます。
第8巻 開拓者魂の証し 北海道の近代化遺
第9巻 維新政府・北国への挑戦 東北・北陸の近代化遺産
第10巻 モノづくりニッポンの礎 中部・東海の近代化遺産
いずれも、楽しみな地域です。今から、発売が待ち遠しい!!
ちなみに、これまでのラインナップは、下記の通りです。
第1巻 絹から始まった産業革命 北関東の近代化遺産
第2巻 鉄は国家なり 九州の近代化遺産
第3巻 帝都誕生 東京の近代化遺産
第4巻 古都の文明開化 京都の近代化遺産
第5巻 大いなる商都・民(みん)の力 大阪の近代化遺産
第6巻 海をめぐる先人の軌跡 瀬戸内の近代化遺産
第7巻 港が築いた日本の国際化 横浜・横須賀の近代化遺産
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岩手県公会堂
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津山郷土博物館(旧津山市庁舎)
今回の有名どころでは、鎌倉の長谷子ども会館が登録されています。あの建物は無指定だったのかと、逆に驚いています。
]]>先月、刈谷を探訪したおり、図書館や郷土資料館の方々に大変お世話になり、「大中肇」をもっと紹介してほしいとのご希望を伺いました。大中肇は、ネット上ではあまり詳しく紹介されておりません。
大中肇という名については、あいにく知りませんでしたが、彼の作品である刈谷の亀城小学校の建物のことは知っておりました。現在、この建物は国の登録有形文化財として登録されており、刈谷市立郷土資料館として保存・活用されています。
郷土資料館で、大中肇の生涯についての30分のビデオを拝見し、ますます興味を持ちました。大変個性的な意匠で、表現主義風と言われています。彼の設計した市川呉服店の彩色図面を見ると、武田五一のウイーンゼセッションの図面に大変似ており、同時代性によるものか、名古屋での武田五一の影響があったのか、興味をそそります。
名古屋市立大学の瀬口哲夫先生のご研究があるそうですので、ぜひ、ネット上に公開して欲しいものです。
]]>「きいろい☆ながれぼしの旅」
http://www7.big.or.jp/~ynisihir/jpg/tohoku/akita/kisakata_cho_kokaido.JPG
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「現存する全国の銀行建築」リスト
http://www.jmam.net/matikado/bank.html
小道さんのデータを基に、ほんの少し小生の手持ちの写真を加えただけなのですが(汗)、それでも、これだけ集めると壮観ですよね。
このリストをもっと充実させるために、ぜひ皆さまのご協力をお願いいたします。「リストに載っていない銀行の建物を知っている」とか、「すでに解体された建物がリストに載っている」とかの情報提供をお願いいたします。画像もあると、大助かりです。
]]>お近くの方は、ぜひお出でくださいますよう、お知らせ申し上げます。
「まちかどの近代建築写真展 IN 下関」
・会期:2006年10月21日(土)~27日(金)(22日の日曜日は休)
10:00~17:00(21日午前に設営、27日午後に撤収)
・会場:山口銀行旧本店(山口県指定有形文化財)
山口県下関市観音崎町10-6
・主催:「まちかどの近代建築写真展 IN 下関」実行委員会
・料金:無料
「近代化遺産全国一斉公開2006」公開事業の関連行事として開催いたします。
スターハウスとは、昭和30年代、初期の公団住宅などで建てられた、Y字型に3戸を配し交差する中央部分に階段室を設けた団地です。星型住宅、星型団地などとも言われています。各戸共日当りがよく、プライバシーが保たれるという触込みだったようです。と、知ったようなことを書きましたが、じつは小生はまだ見たことがありません。
http://codan.boy.jp/yougo/index.html
スターハウスは、円形校舎と同じ時期のRC造の建物です。一般にRC造のモダニズム建築は「四角い箱」と言われますが、設計者がこれに逆らって、円や星など別の形の建物を建てようとしたのではないでしょうか。
さて、スターハウスと同じY字型の平面を持つ建物で、各辺が長い建物があります。有名なところでは、解体されてしまいましたが旧東京厚生年金病院がそうです。
http://www.yamada-mamoru.co.jp/sakuhin/old-nen/old-nen.html
最近訪問した岩手県紫波町庁舎が、このY字型の建物でした。地図からでも、はっきりとわかります。
http://map.livedoor.com/map/scroll?MAP=E141.10.16.5N39.33.7.3&ZM=12
また、長野県飯田市の合同庁舎も、このY字型の建物でした。
http://map.livedoor.com/map/scroll?MAP=E137.49.56.9N35.30.37.9&ZM=12
また、聞くところによると、北海道帯広市の市役所も、Y字型の建物だったそうです。
http://attcom.seesaa.net/article/6561942.html
この、辺の長いY字型の建物は、昭和30年代の一時期、庁舎として流行したのではないかと考えました。学問的には何と呼ばれている建物なのかはわかりませんが、仮に「Y型庁舎」と呼びたいと思います。
このY型庁舎は、円形校舎とセットで建てられる例があります。帯広がそうですし、飯田もそうです。
きっとほかにも、Y型庁舎が存在する(した)と思われます。皆さんのご近所などの情報を、ぜひお寄せください。
なお、Y型庁舎は、辺から辺への移動距離が長くなりますので、横の連絡がとりにくい、まさに「お役所的建物」だったのではないかと思われます。居住性はよいでしょうが。
]]>これまでにも、登録文化財の登録抹消は、重要文化財などへのいわゆる「格上げ」にともない行なわれております。登録文化財と重複での指定ができない(らしい)ので、まず登録の抹消が行なわれ、後日、重文など他の指定となる例をいくつか見てきました。「格上げ」以外の理由での自発的な登録抹消は、北海道士別市の旧岡崎医院だけと聞いております(維持困難のため解体)。やむを得ぬ登録抹消は、例えば横手市の旅館平利が火災で全焼し、登録が抹消となっております。
今回の登録抹消は、4月に重文の答申が出されておりますので、重文「格上げ」にともなうものかと思われます。
なお、重文ならば官報にも出ますので、登録抹消の理由も調べやすいのですが、都道府県や市町村の文化財への「格上げ」の場合、なかなか情報が見つかりません。登録抹消が、「格上げ」によるものか解体によるものかと、無用な心配をしないでよいように、ぜひ登録抹消の理由も告示して欲しいものです。
]]>さらに調べてみたり、独断で考えたりしたことも、加筆いたしました。バウハウスの「コーンハウス」や、「梅鉢型園舎」のことなどです。
「円形校舎」の設計者として、「坂本鹿名夫」という建築家の名が挙がってきます。円形建築で特許をとったとか。もっと経歴などが判れば良いのですが。
また、「円形校舎」の研究者として、八代高専の森山学氏、北海道大学の角幸博氏が、論文を書いておられます。
各地の円形校舎が、とくに耐震基準などの関係で「危険建物」と判断され、解体寸前となっているとの情報も入りました。円形校舎は、地震に対してどうなのでしょうか。耐震補強も、難しそうです。専門家の方の、良いお知恵をいただければ幸いです。
円形病院というのも、結構多く建てられたようです。
]]>これを機に、現存する「奉安殿」を調べてみようと思い、ネット検索で確認できたものをリストアップしてみました。「奉安殿」には、独立棟型と屋内型とがありますが、このリストは「独立棟型」に限定したリストです。
http://www.jmam.net/b/kindai/houanden.htm
調査前の予想では、各県に2~3棟平均として、現存する「奉安殿」は100~200棟程度ではないかと考えておりました。しかし、調査を進めてみると、結構残されている感触です。
「GHQにより解体」とばかり思い込んでおりましたが、「解体」ではなく「撤去」の命令だったようですね。
現存する「奉安殿」は圧倒的に神社型のものが多く、神社・寺院などへ移築・転用されています。個人的には、ギリシャ神殿風などの神殿型が好きです。調査前に、小生が目にしていた「奉安殿」はすべてこの神殿型でしたので、神殿型のほうが多く残されていると考えておりました。
リストの記載事項の不備、また、未掲載の現存「奉安殿」の情報などをお寄せいただければ幸いです。
]]>
旧明倫小学校(鳥取県倉吉)
数年前に、「円形校舎」のページを立ち上げ、全国の円形校舎リストを作り、情報提供を呼びかけました。円形校舎に学んだ方々にとって、円形校舎はとても鮮烈な印象を残しているようで、多くの情報をお寄せいただきました。
http://www.jmam.net/b/kindai/enkei.htm
「円形校舎」でブログ検索をすると、同窓会があったり帰省したりで、円形校舎に再会した思い出が語られています。まだ、リストアップできていない円形校舎も多々あるようです。
引き続き、円形校舎の情報を求めます。円形校舎で学んだ方はもちろん、近所にあったという情報、また、円形校舎で教鞭をとったという方の、円形校舎についての印象などもお寄せいただければ幸いです。
]]>東京の国際文化会館や、群馬の法師温泉、JR西岩国駅駅舎などが登録文化財となっています。
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JR西岩国駅駅舎
今回、面白いと思ったのは、鹿児島県の瀬戸内町が、町内の奉安殿をまとめて6件も登録していることです。奉安殿の登録は、今回が初めてではないでしょうか? 今後、各地で奉安殿の登録が進むかも知れません。
奉安殿については、近代建築探訪メーリングリストの仲間である忠太さんのページに、詳しくまとめられています。
http://homepage1.nifty.com/tanboh/hoan01.htm
その後、耐震偽装問題やら、中国での「手抜きによる」竹筋コンクリートのニュースやらがあって、竹筋コンクリートの話題も盛り上がったのですが、残念ながら日本での竹筋コンクリートによる建造物(とくに建物)についての情報は、ありませんでした。
ネット検索をしていたところ、竹筋コンクリートで論文を書いていらっしゃる方のページが見つかりました。大変詳しい情報も、掲載されています。
「建築調査技術コンサルタンツ」
http://brtc.at.webry.info/
このブログに、「竹筋コンクリート」という項目があります。
http://brtc.at.webry.info/theme/6c51e95471.html
やはり、橋梁が大半です。建物は、岩国の徴古館のみ。
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徴古館(昭和20年築)
しかし、こうして研究されている方がいらっしゃるのは、心強いことです。今後、新しい発見があるかも知れません。まあ、壊れたり壊したときに、「竹筋だった」という発見、ということになるのでしょうが……。
]]>1日目は小樽駅の駅前通りより左側(手宮側)の地区を、そして2日目は右側(札幌側)の地区を歩きました。それぞれ、点として見知っていた建物の位置関係が、ようやく掴めました。市役所を中心に、左右に警察署と消防署、そして稲穂小学校が一直線上にあったとは気付きませんでした。
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小樽駅(昭和9年築)
ちなみに、稲穂小学校の円形校舎は、平成6年に解体になったとのことでした。昭和36年築とのことでしたから、35年程度の短い寿命だったことになります。
円形校舎について、小生がまとめたページ
http://www.jmam.net/b/kindai/enkei.htm
まず、小樽では、高島の旧吉田医院が6ヶ月ほど前に解体。すでに更地となっていました。大好きな銭湯だった鹿の湯も、昨年11月に解体とのこと。更地になった敷地の前に立ち、呆然としてしまいました。
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旧吉田医院
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鹿の湯
函館では、元町の旧今井百貨店が、解体の真っ最中。北海製罐の工場も跡形もナシ。角地に塔屋の付いた旧函館水上警察署(函館市大町13)の建物も解体中。いったいどうなっているのだろう。
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旧今井百貨店
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北海製罐
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旧函館水上警察署
知り得たのはこれだけの情報だったのですが、それからというもの「前村洞和」はどんな絵を描いていたのかをぜひ見たいものだと思っておりました。
ちなみに、河鍋暁斎と言えば、日本近代建築の父であるジョサイア・コンドルの日本画の師匠として有名ですよね(先日、ようやくジョサイア・コンドル著『河鍋暁斎』を読み終えたところです)。前村洞和から見れば、コンドルは孫弟子ということになりますか。コンドルの号は「暁英」。
さて、「前村洞和」で検索していたところ、遠藤英彰さんの「人生の謎学」ブログに、思わぬ記述を見つけました。
http://synch.at.webry.info/200605/article_5.html
「土佐の絵金」こと金蔵も、前村洞和の弟子であったと(洞意の号が与えられたとのこと)。河鍋暁斎の兄弟子にあたります。土佐関わりであり、絵のタッチなども似ているとは思っておりましたが、絵金と河鍋暁斎は、前村洞和によって繋がるとは。
高知県香南市赤岡町では、毎年夏「絵金祭り」が開催されており、ぜひ一度見に行きたいと思っておりました。何だか絵金も、少し身近に感じられるようになりました。
http://www.kochi-shokokai.jp/akaoka/ekinmaturi.html
昨日、会場設営をして参りました。その後、小道さんの案内で付近のまち歩きをいたしました。
素敵なマップも出来、初日より沢山のお客様にご来場いただきました。
・会期 2006年6月10日(土)~17日(土) 13:00~18:00
・会場 目白・三春堂ギャラリー(JR目白駅より徒歩4分)
東京都新宿区下落合3-2-8 メゾンドバルセルB1
TEL 03-3952-7977 又は 03-3950-0950(展覧会中専用)
会場は、甲府駅より徒歩5分ほどの甲府カトリック教会講堂。会期は、4月30日までです。
お近くの方々、ぜひ、お運びください。
]]>有名どころでは、小樽駅や、松山地方気象台(旧愛媛県立松山測候所)などが入っています。
先月も告示があり、2カ月続けての告示です。これまでは、年に4~5回の告示でしたが、今年からは毎月になるのでしょうか、文化庁さん。嬉しい悲鳴です。
]]>会期 2006年3月11日(土)~3月21日(祝) (現在、延長交渉中)
時間 11:00~18:00(定休日:水曜、日曜)
会場 「お茶と雑貨のハaハaハa」 大阪市港区海岸通1-5-28 天満屋ビル2階
主催 お茶と雑貨のハaハaハa
企画 まちかどの近代建築写真展実行委員会
協力 近代建築探訪メーリングリスト
「海岸通建物物語」というイベントの企画として、写真展の開催が実現いたしました。
写真は、会場の天満屋ビル。アールの窓、入口上の丸窓が最高!
一昨日の晩、夜行で東京を発ち、昨日の朝より会場の設営に行っておりました。会場の天満屋ビル、そしてお隣の商船三井築港ビル(旧大阪商船ビル)とも、いい感じのビルです。近所には、赤煉瓦の旧住友倉庫群などもあり、また、日本一低い山として有名な天保山もあります。
在阪の方々、またご近所にお出での方々、ぜひお運びくださいませ。
京成上野駅へ通じる入り口部分と、工事事務所となっていた部屋(工事前は靴屋さんがテナントでした)の部分です。ここは、このまま保存されるのでしょうか? 上部を見ると、スクラッチタイルと、ゴチックデザインのビルの一部が残されています。写真右手、ビルの角が丸くなっているのも、ビルが建ったときの時代を物語っています。石貼りの柱も、重厚です。
「Lost Modern Architecture 失われた近代建築」
コンピュータ・グラフィックによる、今はもう現存しない建物の作品展です。
2006年3月1日(水)~3月31日(金)
OPEN 17:30~24:00(日祝休み)
〒160-0022 新宿区歌舞伎町1-1-6
TEL03-3205-8239
「アガジベベ」
3月が楽しみです。「アガジベベ」の場所がわかりにくいということで、地図も送ってもらいました。
いろいろ調べてみると、消火器の色については、「消火器の技術上の規格を定める省令」に定められているようです。
第三十七条に、「消火器の外面は、その二十五パーセント以上を赤色仕上げとしなければならない。」とあります。
25%ですって!? まったく知りませんでした。件の銀色の消火器は、おそらく裏面、もしくは下のほうが赤く塗装されているのでしょう。
何でも、TDLにも銀色の消火器があるそうですが、残念ながら行ったことがないので知りません。
もう一つ、電気・精密機械用の消火器は、上記の省令から除外されるのか、銀色のものが販売されています。
郵便ポストと消火器は、赤いものだとばかり思い込んでおりました。
]]>この告示を受けて、現在までの登録有形文化財の件数を、各都道府県別に集計したのが下記の表です(『総覧登録有形文化財建造物5000』より抽出)。
都道府県 | 件数 |
北海道 | 64 |
青森 | 50 |
岩手 | 57 |
宮城 | 52 |
秋田 | 124 |
山形 | 83 |
福島 | 78 |
茨木 | 201 |
栃木 | 131 |
群馬 | 147 |
埼玉 | 91 |
千葉 | 63 |
東京 | 193 |
神奈川 | 110 |
新潟 | 195 |
富山 | 72 |
石川 | 144 |
福井 | 43 |
山梨 | 52 |
長野 | 254 |
岐阜 | 65 |
静岡 | 105 |
愛知 | 212 |
三重 | 52 |
滋賀 | 231 |
京都 | 204 |
大阪 | 326 |
兵庫 | 213 |
奈良 | 94 |
和歌山 | 81 |
鳥取 | 82 |
島根 | 44 |
岡山 | 100 |
広島 | 64 |
山口 | 46 |
徳島 | 59 |
香川 | 283 |
愛媛 | 69 |
高知 | 208 |
福岡 | 40 |
佐賀 | 50 |
長崎 | 49 |
熊本 | 76 |
大分 | 114 |
宮崎 | 29 |
鹿児島 | 20 |
沖縄 | 10 |
計 | 5130 |
福岡の太宰府の丘の上に、人工スキー場のような屋根が波打っています。側面はガラス貼りで、空が美しく映っていました。これが、日本で4番目の国立博物館です。
さて、その展示なのですが、これが残念ながら目玉がない。だだっ広い空間で、とにかく薄暗いのです。その中で一番目に付いたのが、スポットライトに照らされて銀色に輝く魔法瓶のような物体。
これが、消火器なのです。館内の壁際のあちこちに、輝いています。この消火器が、一番目立っていたのではないでしょうか。ところで、消火器って赤色でなくても良いのでしょうか?
]]>現在、JR岐阜駅の南口には、金津園という一大ソープランド街があります。ここは、昭和33年の売春防止法の施行までは、金津遊廓でした。しかし、こんな駅前にある遊廓など、他の場所では見かけません。いろいろ調べてみると、昭和26年に工場跡地に誘致して、金津遊廓が引っ越してきたのだとか。
実は、この引っ越し前にも金津遊廓は移転を繰り返しています。『ソープランド物語』によれば、明治21年に開設された金津遊廓は、現在の柳ヶ瀬にあったとのこと。岐阜市歴史博物館で見た写真にも、柳ヶ瀬の繁華街の突き当たりが金津遊廓、というものがありました。それが、あろうことか昭和18年に、空襲を避けるために岐阜市の郊外に遊廓全体で疎開したのだとか。昭和26年の引っ越しは、この疎開先からのものです。
ということで、柳ヶ瀬の周辺に、かつての金津遊廓の名残などはないかと探してみたわけです。岐阜は、空襲で大分やられていますし、引っ越しの跡地ということですから、あまり期待はできません。
南北に走る電車通り(電車は近年廃止されてしまいましたが……)の東側の区画は、花街のようです。ビルの2階に「岐阜芸妓組合」の看板を見つけました。これは、検番ですよね。金津遊廓は、西柳ヶ瀬ということですから、逆方向か?
近所ののはら浴場という銭湯に入ったのですが、ロビーに、かつての野原浴場の写真が何枚か飾ってありました。モルタルの洋館で、ずいぶんと凝ったデザインでした。
]]>
路地に入ったところで見つけた物件。
こちらも、大通りから一本入ったところで見つけた物件。最初、映画館かと思いました。
旧岐阜貯蓄銀行本店。
旧岐阜県庁舎。こういうタイプの県庁舎が残っているのは、もう数カ所になりました。
旧日下部合資会社。かつては、引きの撮れない場所だったのですが、真向かいが駐車場となり、引き放題です。
旧日下部合資会社の並びにある物件。
旧日下部合資会社の斜向かいにある物件。廃墟然とした建物だったのですが、レストランとして生まれ変わり、見違えておりました。
武田五一設計の名和昆虫研究所記念館。
同じく、武田五一設計の名和昆虫博物館。
これで、登録有形文化財は5,000物件を超えることになります。今年10月6日、それを記念して、文化庁のイベントも行なわれました。ちなみに、10月6日は「登録有形文化財の日」なのだとか。
登録有形文化財制度ができて9年で、5,000物件。これは、決して多い数字とは言えないでしょう。もっと登録のペースをあげなければなりません。
上記で、「約半年ぶり」と書きましたが、正しくは4カ月ぶりでした。ずっと登録有形文化財の告示が無かったような気がしておりました。今回の告示を、心待ちにしていたからなのでしょう(笑)。
]]>会期は、12月16日(金)まで。17日(土)の午後3時過ぎに撤収いたしますので、それまではご覧いただけます。
お見逃しの方は、ぜひ、お出でください。
]]>数年前、日本テレビのキャンペーンで、スタジオジブリ製作の「そらいろのたね」が放映されたとき、あちこちに語りまくりました。それが収録されたDVDが発売されました。
ひよこの小さなおうちと、みんなが集う大きなおうちが、好きでした(笑)。
]]>
和館の玄関部分。「豊門会館」は、旧和田豊治家住宅として、明治42年(1909)頃に東京向島に建設され、大正14年(1925)に現地に移築されたとのこと。関東大震災直後の移築です。震災に耐えたのだとか。
こちらは、いわゆる洋館付住宅の洋館部分。洋館の玄関があり、洋間が3間もあるという点で、他の洋館付住宅とは一風変わっています。これは、和田豊治がアメリカで苦学した経験があったからではないかとのことでした。
「旧豊門青年学校」の塔屋部分。「旧豊門青年学校」は、大正末~昭和初築で、学校として建てられた建物。塔屋の先に、ほんの少しだけ銅板葺の屋根が載っているのが、小生の好みです。
「豊門公園噴水泉」。「旧豊門青年学校」のアプローチ上にあります。いずれも、登録有形文化財に登録されています。
この写真は、「旧青年学校」の窓。まるで、ステンドグラスのようです。
こちらは、塔屋への階段の手すりの柱。日大名誉教授の山口廣先生のお話によれば、典型的なアールデコのデザインで、日本には結構あるデザインだとか。
第1部は、文京区内の近代建築。一昨日、キャプションも付けることができました。写真の色が悪いですネ。
第2部は、全国版。
第3部も全国版ですが、CDケースを利用した展示が好評です。タイル貼りの壁面のイメージです。
一昨日、仲間と設営作業を行ないました。脚立を立て、昇り降りを繰り返したからでしょうか、脚の筋肉が痛んでなりません。お恥ずかしい次第です。
会期:2005年11月2日(水)~11月29日(火) 8:30~21:00
会場:アートウォール・シビック(文京シビックセンター地下1階)
東京都文京区春日1-16-21(地下鉄「後楽園」駅下車徒歩1分)
主催:「まちかどの近代建築写真展」実行委員会
文京ふるさと歴史館
写真は、同じ敷地内にある旧豊門青年学校の建物。いかにも、といった洋館です。
来る11月12日(土)、13日(日)に、登録文化財登録記念の一般公開が行なわれます。13日には、神奈川大の西和夫先生や、日大名誉教授の山口廣先生の講演会も開催されます。
]]>この建物は、地元の商社の本社事務所。辰野式と書きましたが、辰野金吾の設計ではありません。しかし、どう見ても、東京駅の亜流ですよね。近年まで、入口のシャッターに社名が書かれていたのですが、今回行くと消されていました。悲しいニュースにつながることでないことを祈ります。
]]>オープニングに参加してきましたが、武田五一のお孫さんや、親戚の方、旧福山藩の殿様の末裔の方など、沢山のお客様がお見えになり、興味深いお話をうかがうことができました。
展示室は狭いのですが、ぎっしり詰め込んで盛り沢山です。
会期は12月4日まで。ぜひ、お運びください。
]]>設計者田上義也は、ライトに学び、道内で活躍したモダニズムの建築家。先月北海道へ行った際、『田上義也と札幌モダン』という本を見つけました。建物の実現のためには、交遊関係が重要であることがわかります。
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この写真は、駅近くで見つけた洋館で、隣には日通の事務所があります。古物商の店舗となっています。
この建物は、遠軽駅のそばにある医院の建物です。残念なことに、窓がアルミサッシに替えられており、入口も塗り込められてしまっています。
]]>いつも元町の市電通り側からしか見ることがありませんでしたが、今回、別の通りからふと前を見ると、素敵な塔屋が見えました。上海の摩天楼のようです(行ったことはありませんが)。元町から、丸井今井百貨店が撤退して後、市役所の水道局として利用されていましたが、それも別の建物に移り、現在は空き家です。
]]>旭川で、いつも気にしているのがこの建物。合同酒精の工場なのですが、何と、煉瓦造の5階建です。
煉瓦造は地震に弱く、関東大震災のときに浅草の十二階が倒壊した(本当は一部崩れて危ないので解体した)という写真をよく目にしますので、この煉瓦造5階建が倒壊してしまうのではないかと、いつも心配しております。
合同酒精は、浅草のデンキブランや牛久シャトーの蜂ブドウ酒(いずれも旧神谷酒造)などでも有名な会社。この5階建のまわりにも、煉瓦造の工場が建ち並んでいます。
]]>日本で鉄道が開通した10月14日の「鉄道記念日」にあわせ、数年前より「鉄道の日記念きっぷ」が発売されています。「青春18きっぷ」と同じように、JR全線乗り放題のきっぷですが、期間が短く、1日あたりの料金が少し高いのが難です。
さて、今年のポスターは、全国のJRの古い駅舎24か所の写真です。画像が悪いのですが、ご容赦を。
]]>この建物を最初見つけたとき、何の建物だろうと思いました。映画館かとも思いましたが、煙突があることから、銭湯だと納得しました。何とも立派な建物です。戦後の大火で焼けた後の建物でしょうが、銭湯に、こんなに大きな建物が必要なのかと思います。銭湯の需要が高かったのでしょう。
]]>この写真は、秋田県の能代で見つけたパン屋さん。能代は、戦後2度の大火があり、町の大半が焼けてしまったのだとか。このパン屋さんは、1度目の大火で焼け、その後建てたもの。昨年、映画のロケで撮影されたとのこと。
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昭和2年築の長岡の配水塔。赤い帽子のような屋根が、家並みの間から望めます。
現在、配水塔のある上水場は、水道公園となっています。そこにある、旧ポンプ室。
管理室。
水道公園から駅へ向かう途中で見つけた寺院。カッコイイでしょう?
北三条駅前にある医院。このあたりが、三条の旧市街の中心にあたります。
現役の医院。
こちらも、現役の医院。
郷土資料館の建物。まるで、寺院のようです。
店蔵ですが、軒を支える飾りが、アールデコです。
東三条駅へ向かう途中で見つけた、煉瓦倉庫。
美容院に使われております。
旧銀行の建物。ドアのところにベニヤ板が打ち付けられ、基礎の部分も腐ってきています。
何の用途の建物か。2階の見晴らし台のようになっているベランダ状の部分のみペンキを塗っていないのも不思議です。
民俗郷土館の建物。かつて、町中にあった個人寄贈の図書館の建物を、移築したのだとか。
市役所そばで見つけた「風俗の洋館」です。キャバレーになっている洋館は、珍しいのでは?
こちらは、駅前通りの事務所。タイルの色が綺麗でした。
旧銀行。
現役の医院。地震によるものか、車寄せの左側が50センチくらい下がったままです。建物全体も、左側に下がっているように見えます。
先日、文京区の町歩きの際に出会った、洋館付き洋館ともいうべき物件。手前の洋館は、いわゆる洋館付き住宅と同じく後の建増しで、応接間なのでしょうが、後方の主屋が、生粋の下見板張りの洋館であるところが驚きです。
]]>夕方、帰宅途中の御徒町の食堂の前で、いつもお店の中を眺めている猫さんがおります。この猫さんのほか、家族でしょうか、数匹並んで眺めていることもあります。今日、カメラを持っておりましたので、後ろ姿を撮影しました。
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(2005年8月撮影)
本荘の隣町である仁賀保町にある松野医院の建物。本荘もそうでしたが、驚くべきことに、今も現役の医院です。大正8年築。仁賀保の駅前にあります。
(2005年7月撮影)
写真は、文京区大塚にある大正湯。外観は、京都などにある町家型の銭湯。残念ながら時間がなくて、入浴することができなかった。
(2005年7月撮影)
この建物は、小生の故郷・小樽で一番オススメの建物です。最初見つけたときには、こんな建物が小樽にあったのかと驚きました。南小樽(通は「南樽(ナンタル)」と呼びますネ)の駅の近所です。南樽付近は公立病院があり、そのまわりに個人医院が沢山あります。つい近年まで(と言っても、もう10年以上前か)は、珠玖小児科医院など、とてつもなく素晴らしい建物もあったのですが……。
(2005年7月撮影)
(2005年8月撮影)
(2005年7月撮影)
(2005年8月撮影)
山谷運送部(大正末築)
石崎汽船(大正14年築)
前田海運
濱田医院
(2005年8月撮影)
武雄温泉の楼門そばにある水月堂菓子店(昭和7~8年築)。
辰野金吾設計の武雄温泉楼門(大正4年築)。この度、重要文化財に指定されました。
同じく、辰野金吾設計の武雄温泉新館(大正4年築)。屋根も落ちて廃墟寸前でしたが、この度修復も終わり、重要文化財となりました。
(2005年8月撮影)
こちらは、その内部です。当然ながら、カランは無く、湯船から湯を汲んで身体を洗います。
こちらは、観光協会さんにご提供いただいた山代共同湯の写真です。この写真を見ると、後方にある洋館部分が浴場だったものと思われます。
浴室内部です。上の浴場内部の写真に見える市松模様の部分は、入口付近であることが分かります。また、湯船は深かったとの聞き取り通り、タイル貼りで深そうです。
三朝へ行ってきました。
観光協会の方に、いろいろと聞き取りをしました。観光協会の方は、この三朝橋をいかに観光に活かしていくかということで、逆に疑問を投げかけてきました。まず、三朝橋の幅員の広さです。自動車が楽々とすれ違うことができます。バスと自動車のすれ違いも可能なほどの橋幅です。昭和9年当時、三朝に、この橋幅が必要だったとは思えないと言うのです。
橋幅だけでなく、欄干や灯籠も、肥大化しています。灯籠は、2メートル以上の高さがあります。このスケール感は、何なのでしょう。
三朝橋を行く歩行者を想定しているとは思えません。おそらく、川幅に対するバランスから橋幅が決まり、欄干や灯籠の高さも、橋の長さに対するバランスからなのではないか、と思われます。
つまり、机上でのデザインが優先しているのではないか、ということです。もっと空想すれば、例えば京都のどこか大きな橋のプランを、三朝橋に流用したのではないかという可能性も、あり得るのではないでしょうか。
この三朝橋は、どこから見る(見られる)ことを想定しているのかという疑問も、投げかけられました。川上か、川下の、別の橋から眺めるのが一番美しいと思うのですが、当時はそういった橋がありません。川岸の旅館から眺める橋だったのでしょうか。少なくとも、真正面にある万翠楼からは、あまり美しくは見えないでしょう。逆に、橋をアプローチとした万翠楼の組み合わせは、絵になります。
謎の多い、三朝橋です。
]]>このお盆休みに、約半年ぶりに、愛媛県の道後温泉へ行ってきました。
ここ数年、温泉をめぐるさまざまな問題が表面化し、道後温泉でも温泉に塩素を入れることが決まり、議論が沸騰しておりました。それが、いよいよ今年より実施されたのですが……。
専門的な議論は素人にはわかりませんが、明らかに泉質が変わっていることが実感できます。泉質が妙にサラサラなのです。以前は、石鹸を洗い流しても、石鹸の成分と温泉の成分によるのでしょう、ヌルヌル感が残るような状態だったのですが、今回は、全くそのようなことがありません。まるで、銭湯のような感覚です。
塩素を加えても大して温泉成分に変化はない、という分析結果が貼り出してありましたが、塩素臭がするとかいう点以外にも、明らかな違いがあります。
道後温泉本館の入泉料も値上げされておりました。本館近くの椿の湯は、旧来通り値段据え置きです。同じ源泉ですから、温泉に入るのなら、椿の湯のほうが、空いていて良いです。
道後温泉の塩素の投入は、今後、もっと問題となることでしょう。
ネットで検索してみると、「塩素殺菌による温泉水の変化」という、日本温泉総合研究所の報告もありました。
写真は、2001年12月に撮影した、道後温泉本館です。
]]>行き先は、まず、石川県の山代温泉、鳥取県の三朝温泉で、それぞれ「武田五一展」向けの写真撮影や取材など。次に、愛媛県の松山へ行って、これは当然、道後温泉です。三津浜も歩いてみたいと思っています。さらにさらに、福岡県へ行って、『九州遺産』の地を訪ねようと思っています。8月12日の晩から8月17日までの5泊6日(すべて車中泊です(笑))。
時間があれば、帰りがけに「愛・地球博」にも寄ってこようかと……。これは、欲張りすぎですネ。
晴れてくれれば良いのだけれど、はたして、どうなりますことか。
]]>ブログを自前サーバで運営しはじめてから、どうもレスが付かないナ~と思っておりましたら、設定ミスでレスが付けられなかったのですね。試みられた方、すませんでした。
この「前村記念博物館ブログ」に、誰もたどり着いていない、というウワサもありますが。
何か不具合がありましたら、ぜひ、ご一報くださいネ。
]]>東京都文京区に、武田五一設計の求道会館(大正4年築)があります。長らく廃墟然としておりましたが、近年修復工事も終わり、東京都の有形文化財に指定されています。建物は、外観・内部共、西洋の教会のような造りですが、実は仏教の施設なのです。内部の正面中央奥に、六角堂が奉られていることが、大変印象的です。
この求道会館のプランが、のちの奉安殿(奉掲所)になったのではないかというのが、小生の仮説です。武田五一が、奉安殿の原型を造ったのではないかということです。
奉安殿とは、戦前、各学校に、御真影(天皇・皇后の写真)を保存してあった倉庫であり、講堂の中央には、儀式の際に御真影を奉る奉掲所がありました。広義には、奉掲所も奉安殿と呼んでいます。求道会館のプランは、この奉安殿(奉掲所)に似ているのではないかと小生は考えました。
洋風の講堂の正面中央の壁に、別の建物(祠)が付けられている。講堂・ホールなどの椅子席の建物の中に、別の建物を建て込む例は、奉安殿(奉掲所)と能楽堂が同じ時代だったと記憶しております。求道会館の例は、それよりも早い例になるのではないかと考えます。
そういえば、京都観世会館の隣に、武田五一設計の有鄰館がありますね(全然、関係ない)。
]]>その温泉ブームのきっかけは、大正2年に大阪の新世界に登場した「噴泉浴場」、通称「ラジウム温泉」だったのではないかと考えています。建物は洋風で、それまでの和風の温泉旅館とは全く違う、ちょっと前のヘルスセンター、昨今のスーパー銭湯のような、1日を楽しく過ごせる施設だったようです。
この「ラジウム温泉」が大人気で、その影響なのでしょう、大阪市内・近郊の銭湯も洋風の建物が多くなり、現在も登録文化財に登録されるような銭湯がいくつか残っております。また、関西では、銭湯が温泉を名のる例の多いのも、この新世界の「ラジウム温泉」の影響なのではないかと小生は考えます。
本物の温泉地でもこの影響を受け、大型の共同浴場を建築家に依頼し、集客を図ったのではないでしょうか。武田五一の温泉施設も、この流れの中にあるのではないかと考えます。
ちなみに、関東では同じ時期に、寺院のような唐破風の付いた銭湯の建物が流行ります。
余談として、関西の銭湯は、円形や小判型の浴槽が洗い場の中央にある例が多く、関東では、四角い浴槽が洗い場の一番奥の壁についている例が多いものです。小生は、関西の銭湯が、温泉の共同浴場のマネをしたものではないかと考えています。洗い場中央の湯船から湯を汲み、身体を洗うのです。関東のように、一辺しか洗い場に面していない浴槽では、湯船から湯を汲む方式では、多くの客をさばくことができません。必然的に、洗い場にカランが多く並ぶことになります。関西では、基本的にはカランは洗い場の周囲のみです。
]]>文京ふるさと歴史館 特別展のご案内
「近代建築の好奇心 武田五一の軌跡」
武田五一(1872~1938)は、明治後期から昭和初期にかけて活躍した、近代日本を代表する建築家のひとりです。その活動は関西が中心でしたが、東京帝国大学に学び、西片に住み、求道会館(本郷6丁目、大正4年)・求道学舎(大正14年)という建築作品を残した文京との関わりにも注目されます。今回の特別展では、建築のみならずデザイン・工芸・インテリアの分野や、教育者として、また文化財保護にも貢献するなど、極めて多岐にわたる活躍をした武田五一について、文京・東京での足跡を中心に、その生涯と作品を紹介します。
主 催:文京区教育委員会・文京ふるさと歴史館
企画協力:武田五一展ワーキンググループ、名古屋市美術館
後 援:明治美術史学会
会 期:平成17年 10月22日(土)~12月4日(日)
開館時間:午前10時~午後5時 休館日:月曜日
入 館 料:一般300円・団体(20人以上)210円
中学生以下・65歳以上は無料 ※11月3日は無料公開日
記念講演会:「武田五一とアール・ヌーヴォー」
講師/足立裕司氏(神戸大学工学部建設学科教授)
日時/11月12日(土)午後2時~4時
会場/求道会館(文京区本郷6-20-5) 参加費/無料
定員/90人(超えた場合は抽選)
申込方法/往復葉書に「記念講演会」、住所、氏名、電話番号を明記し、返信用にも宛名を記入の上、ふるさと歴史館までお送りください。10月27日必着。
まちあるき:「五一ゆかりの文京を歩く」
日時/11月19日(土)午後2時~4時
コース/(1)東大コース (2)西片コース
※(1)(2)とも求道会館集合、内部見学ののち、各コース別の見学となります。
案内/五一展ワーキンググループ・メンバー
定員/各コース40人(超えた場合は抽選)
参加費/80円(保険料実費) 申込方法/往復葉書に希望コース番号、住所、氏名、電話番号を明記し、返信用にも宛名を記入の上、ふるさと歴史館までお送りください。11月1日必着。
求道会館一般公開日:10月22日(土)、11月26日(土) 午後1時~2時30分
申込/不要、当日会場まで 所在地/文京区本郷6-20-5
関連企画 :名古屋近代建築運動史の群像Ⅰ 武田五一 ―建築意匠と装飾― 〔仮称〕
会期/平成18年1月28日(土)~3月26日(日)
会場/名古屋市美術館(名古屋市中区栄2-17-25 052-212-0001)
文京ふるさと歴史館 〒113-0033 東京都文京区本郷4-9-29 ℡ 03-3818-7221
http://www.city.bunkyo.lg.jp/shisetsu/rekishikan/index.html
丸ノ内線・大江戸線本郷三丁目駅または三田線・大江戸線春日駅下車徒歩5分、都営バス真砂坂上下車徒歩1分
また一から広報しなければ、です。
]]>武田五一が、3つの温泉地の共同浴場に関わっていたことは、すでに述べました。
小生は、「武田五一が温泉好きだったのではないか」という仮説を考えました。昨日、近代建築探訪MLの仲間であるチュ~太郎さんにお会いしたおり、著名建築家による共同浴場の事例はあるだろうかと尋ねたところ、辰野金吾と武雄温泉(大正4年築)、岡田信一郎と城崎温泉「一の湯」「まんだら湯」(昭和3年築)などの例があると、即答を得ました。さすがチュ~太郎さんです。
武田五一の共同浴場は、昭和4年の山代温泉、昭和5年の山中温泉、そして昭和9年の白浜温泉ですので、岡田信一郎の城崎温泉の例に影響を受け、武田五一に依頼があったというのが本当のところかも知れません。しかも、どちらもRC造の和風の共同浴場です。ライバル心もあったかも知れません。
しかし、何故か東日本の温泉地の共同浴場には、著名建築家の関わった共同浴場というのを聞きません。
写真は、辰野金吾設計による佐賀県の武雄温泉楼門です。この度、国の重要文化財の指定が決まりました。
]]>三朝は「みささ」と読みます。鳥取県の中央部、倉吉の南に位置する温泉地で、世界屈指のラジウム泉として有名です。かつては「放射能泉」と宣伝しておりましたが、放射能では忌諱する方もあるようで、現在では「ラジウム泉」となっております。
さて、この三朝温泉の武田物件は、昭和9年の三朝橋(三朝大橋)と、その橋の突き当たりにある温泉旅館万翠楼です。三朝橋は、平成9年に登録有形文化財として登録されましたが、万翠楼は新築され、残念ながら現存しておりません。
三朝橋は温泉街の中央にあり、RC造ながら、青御影石の欄干や擬宝珠、石燈籠など、本格的な和風の橋のデザインとなっています。大変交通量の多い橋で、欄干が壊れたりする事故が頻繁にありますが、その都度、ちゃんと修復されております。橋のたもとには無料の露天風呂があり、橋から丸見えですので、交通事故多発の一因かも知れません。
万翠楼は、木造3階建で、望楼あり、大きな唐破風の車寄せや千鳥破風あり、各階に朱の手摺りを巡らせと、大変にぎやかな目立つ建物だったようです。武田五一研究者の小林淳男さんがおっしゃるには、同じく武田五一の設計である大阪城に、部分的に雰囲気が似ているとのことでした。三朝橋の突き当たりにあり、両方を一体としてデザインしたものと思われます。
]]>と言っても、これは小生が考案したのではなく、在野の武田五一研究者である小林淳男さんからお聞きしたものです(と、逃げを打っておく)。ちなみに、さきたかさんは、「たぬきさまが言ったとか。」とお書きになっておられます。はて、どちらの考案になるものか?
「武田五一の見分けかた」は、次の3つです。
1) 3連アーチ
2) 左右非対称
3) 平面的デザイン
この「武田五一の見分けかた」は、例外も沢山ありますし、他の設計者の物件の場合も多々あります。しかし、「五一っぽい」とか、「五一風だ」とか、「五一グループの作品ではないか」などと、小生などがまちを歩きながら話しているのは、この「武田五一の見分けかた」に拠ります。
本当は、ちゃんと文献を読んで、しっかりと研究しなければならないのですが(笑)。
]]>「武田五一と温泉」というテーマを与えられて、いろいろ調べています。
この写真は、石川県山中温泉の総湯(共同浴場)「菊の湯」です。武田五一設計、RC造で、昭和5年の建物でしたが、残念ながら老朽化で解体されました。平成4年に、旧の建物を復元して新築されました。この写真は、昨年夏に撮影してきたものです。
外観は、共同浴場とは思えない、まるで寺院のような建物で、軒先には風鐸まで付けられています。内部は、外観とはうって変わって、柱や天井にRCの構造がそのままむき出しでした。長細い建物の両側に出入口があり、内部は3室で、中央に浴室1室、各出入口に脱衣室がそれぞれ1室という構成でした。左右の脱衣室のいずれからも、同じ浴室に入る形です。おそらく、建築当時は混浴だったものと思われます。その後、男湯専用となっており、女湯はとなりにあった福祉センターの浴場を利用しておりました。
平成14年に、広場を挟んだ向かいに、この「菊の湯」とそっくりな女湯専用の共同浴場の付属した施設「山中座」が新築されました。
]]>「高知遺産 いきなり、東京展」の開催です。
この春、高知で発売早々に話題となり、たちまち増刷となった『高知遺産』。この本の元ともなった「高知遺産展」が、東京にやってきます。会期は、7月13日から8月14日まで。会場は西池袋のポポタムさん。
写真は、昨年、小生が撮影した旧高知県立第一中学校(現、県立追手前高校)の建物。武田五一の設計です。小生は「高知遺産展」には出品しておりません、念のため(笑)。
]]>この企画展は、東京都文京区の文京ふるさと歴史館と、愛知県名古屋市の名古屋市立美術館の共催によるもので、これまで未公開だったものなども沢山展示される予定です。
・文京ふるさと歴史館「建築家・武田五一展(仮称)」
2005年10月22日~12月 4日
・名古屋市立美術館「名古屋近代建築運動史の群像I 武田五一-建築意匠と装飾-」
2006年 1月28日~ 3月26日
小生も、市民協力者に入れてもらってお手伝いをしており、図録に載せる小文などを書いております。以後、文章を書くにあたって見つけた面白い情報などを、お知らせします。ご期待ください。
]]>話の順番が逆になってしまいました。武田五一が関わった温泉は、現在のところ3つが確認されています。これは、武田五一マニアの小林淳男さんの労作によります。
・石川県山代町「山代温泉共浴場」昭和4年
・石川県山中町「山中町営共同浴場(総湯「菊の湯」)」昭和5年
・和歌山県白浜町「崎の湯」昭和9年
これらは、残念ながら、いずれも現存しておりません。
山代温泉と山中温泉は、同じ加賀温泉郷にある隣町です。当時、山代温泉、山中温泉、そして和歌山県の白浜温泉共、鉄道が発達し、大阪から半日程度で行けるようになって賑わいはじめた温泉地でした。南と北ですが、大阪からの距離では同じような位置にある温泉地です。
和歌山県白浜温泉の「浜の湯」の建物も、武田五一の建物の特徴があり、あるいは武田五一物件かも知れません。また、同じ昭和初期の共同浴場としては、島根県江津市の有福温泉「御前湯」が現存しています。写真は、昨年小生が撮影してきた「御前湯」です。武田五一とは関係のない建物ですが、同時代の共同浴場として、白浜温泉「浜の湯」と似た点が見受けられます。
]]>ずいぶん前から居酒屋さんの入っているビルです。数年前、建物全体がシートで覆われたときには、解体されてしまうのではないかと心配しましたが、塗装工事でした。
]]>お菓子屋さんです。角のところに、背中に羽根の生えたエンゼル像が立っています。
]]>牛乳屋さんというのも、けっこう各地にモダンな建物が建っています。最先端の、カッコイイ、そして栄養価の高い飲み物だったのでしょう。
]]>昨日の旧医院の近所にある建物です。何屋さんだったのでしょう。文字看板跡がうっすら見えるのですが、判明できません。
]]>今日も、「まちかどの近代建築写真展in文京区」へ向けての写真です。
この建物も、旧医院の建物です。入口横が診察室ですね。
]]>今日も、「まちかどの近代建築写真展in文京区」に向けて撮影してきた写真をアップします。
こちらも、医院です。デコボコしたドイツ壁が、いい味を出しています。お隣の看板建築も気になりますネ。
]]>昨日ご報告した「まちかどの近代建築写真展in文京区」に向けて撮影してきた写真を、何枚かアップします。
医院でしょうかこの建物は、いかにも洋館といった建物で、気に入っております。
]]>昨夏札幌駅コンコースで、秋には山形県長井市の旧郡役所で開催した「まちかどの近代建築写真展」ですが、今年11月、東京都文京区のシビックセンターで開催することが決定しました。
「まちかどの近代建築写真展」とは、小生も参加している「近代建築探訪メーリングリスト」の有志が中心となって、日本全国の近代建築の写真を持ち寄り、皆さんに見ていただいている写真展です。とくに、文化財などの有名な建物ではなく、まちかどにある、身近な建物を紹介したいと考えております。
現在、文京区開催にあたり、文京区の近代建築の写真も展示しようと、時間を見つけては撮影を行なっております。
詳細が決まりましたら、お知らせいたします。皆さまには、ぜひ、お出でいただきたく、ご案内申し上げます。
]]>一昨日、「梅鉢型幼稚園」のことを書きました。「真上から見ると梅鉢のような形をしている」とも書きました。では、「梅鉢って何?」ということなのですが、小生、すっかり勘違いをしていたようです。小生がイメージしていたのは、「梅鉢」ではなく、日本画などで使う「梅皿」でした。
「梅鉢」とは、イコール「梅鉢紋」のことを指すようですね。「梅鉢紋」とは、天神様(菅原道真)の家紋で、加賀の前田家の家紋も「梅鉢紋」として有名です。丸5つを花弁に見立て、中央に小さな丸を置いた、梅の花を図案化したものです。
もう一つ、「梅鉢」というと、焼き物を指す場合があるようです。落語「猫の皿」にも出てくる「高麗の梅鉢」というのがそれで、要は、梅鉢紋の絵柄の付いた高麗製(実際には中国製)の抹茶茶碗で、名品として、高価なことで有名であったようです。
落語「猫の皿」の「高麗の梅鉢」を思い出したのは、先週のTVドラマ「タイガー&ドラゴン」に出てきたからなのでした。
ということで、「梅鉢型幼稚園」の「梅鉢型」とは、家紋の「梅鉢紋」の形をしたという意味でした。「梅鉢紋」よりも「梅皿」のほうが、似ているとは思うのですが。「梅皿型幼稚園」では、ちょっと格が落ちるような気もします。「梅鉢」だと、天神様ですし、高級なイメージですし。
]]>昨日書いた「円形校舎」が昭和30年代の学校建築でしたが、もう一つ、「梅鉢型幼稚園」という幼稚園特有の特殊な形をした建物がありました。今も現役の幼稚園もありますから、過去形ではなく「あります」ですね。
「梅鉢型幼稚園」は、明治時代後期から大正時代にかけてのモダンな教育理論を基に、中央に五角形や六角形、八角形といった形の遊戯室を置き、その周囲に保育室などの部屋を設けた幼稚園です。真上から見ると、梅鉢のような形をしていることから、「梅鉢型幼稚園」と呼ばれています。
現存しているのは、帯広、東京、鎌倉、大阪、岡山、倉敷など。帯広の双葉幼稚園を見に行ったことがありますが、赤い王冠のような洋風の、楽しい建物です。
「梅鉢型幼稚園」も、新築の話は聞きません。やはり、一時代の流行だったのでしょうか。
]]>といきなり書いても、わからない方にはちっとも見当がつかないかも知れませんが、昭和30年代に日本各地で、全部で100棟くらい建てられた学校の校舎です。「円形校舎」というくらいで、真上から見るとドーナツ型をした建物で、各教室はバームクーヘン(正式には独語でバームクッヘンか)を切り分けたような形状になっております。
昭和30年代に各地で建てられたのですが、その後すっかり廃れてしまって、とんと新築されたという話は聞きません。しかし、この円形校舎で学んだ方や、地元に円形校舎があったという方にとっては、とても印象深い建物だったようでして。
それが、ここ最近、老朽化・耐震化で、建替えという話が進んでおります。それに加えて、少子化による廃校も。現役で使われている「円形校舎」は、もう30棟を切るのではないでしょうか。
「円形校舎」について、以前、ちょいとまとめてみたことがあります。
「円形校舎」
一時流行った建物が、消えて行くというのも、寂しいものです。
先日、知人と話をしておりましたら、「母校が円形校舎だった」という、何とも奇遇な出会いもございました。
群馬県伊勢崎市の旧伊勢崎市立女子高校のように、市で転用して保存することになった事例などは、本当に珍しいことです。
「うちの近所にも、円形校舎があったよ」という方、「円形校舎で学んだよ」という方、ぜひどんな風だったのかを、お知らせください。
]]>欲しいと思い、値段を見ると、価格178,500円。桁を間違えているのではないかと、あちこち調べてみましたが、間違いなく17万8,500円。今年の8月末までは、特価で160,000円とのことですが、それにしても高すぎやしないか? DVD4枚付、576頁ではありますが、ちょっとやそっとでは、手が出せない。どなたがお求めになるのやら。
お求めになった方、研究室や図書館でご覧になった方、ぜひお知らせください。ぜひとも、ひと目拝みたいものと思います。
t-catfoxさんも、一桁違うのではないかと迷われたそうで……。
]]>中学生の頃から肩こりで悩まされていたのですが、今年の3月に異常な痛さの肩こりになり、「これが四十肩というヤツか?」などと思っておりました。左肩が痛むのですが、それも2週間位で止んで、何だったのだろうと思っていたところ、4月に再び激痛。寝ていても痛いし、通勤電車に揺られていても痛い。それが、肩だけでなく、腕も痛くなってきて、指にシビレまで出はじめて。
とうとう先週、整形外科へ行きました。レントゲン写真を撮って、診断は「頸椎症性神経根症」。歳をとると、あちこちガタがくるもので、首の骨のヘルニアのようなものでした。今は痛みも治まっていますが、根本治癒ということは無いようです。
死に至る病というわけでもなく、ただ、痛いだけ。痛みが出ないように、ダマシダマシ過ごしております。基本的に、病院・医院は大好きなので、通うのは問題ないのですが、痛いのだけは厳しいです。皆さま、くれぐれもご用心を。
]]>自費出版で、2,000部発行のこの本、今月中旬に2,000部増刷が決定、6月1日出来とのこと。
こうした本が、各地で出版されると、面白くなるのですが……。
注文は、下記のフォームから。小生も、注文してしまいました。
]]>「冷凍マンモス」と共に愛知万博の目玉となっている「サツキとメイの家」ですが、公式ホームページや新聞報道などでは、昭和30年代の家として紹介されています。まさか、あのような家が昭和30年代の典型的な家だと勘違いするような人はいないかとは思いますが、昭和30年代に建てられた家をモデルにしていると間違う人はいるのではないでしょうか。
映画の舞台は昭和30年代の設定で、そのときにすでに、あの「サツキとメイの家」は古びておりました。
建築マニアの間では、あのような形の住宅は「洋館付き住宅」といい、大正から昭和初期にかけて流行した建物です。
そもそもは、明治初期、外国のお客様を迎えるような貴族の家では、家の敷地に迎賓館として洋館を建て、住まいは和館で、その間を渡り廊下でつなぐといった建て方がありました。その後、地方のお金持ちや小金持ちの間でも、玄関横に洋間を作り、応接間や書斎とする建て方が流行ります。個人医院などでも、診察室が入口横の洋間、という例が多く見られます。一般の住宅でも、文化住宅といった呼び方で、洋館付き住宅が建てられます。「サツキとメイの家」も、そうした文化住宅かと思われます。
洋館付き住宅は、今でも各地に多く見られます。
そういった家の入口横には、必ずと言ってよいほど、シュロの木が植えてあります。今では大木となっています。シュロの木を目印に、建物を探すことさえできます。空き地にシュロだけが生えているようなところは、かつて洋館が建っていた場所であろうと想像できます。
「サツキとメイの家」は、洋館がちょっと大きすぎてバランスが悪いのですが、洋館単体では、ステキな建物だと思います。
あなたのご近所にも、きっと「洋館付き住宅」がありますよ。探してみてください。そして、ご報告いただけるとありがたいです。よろしくお願いいたします。
]]>近代建築マニアの間では、岩国の「徴古館」という博物館が、昭和20年築の竹筋コンクリート造の建物として有名なのですが、これ以外の現存建築があるかどうかについて、興味を持っています。
実は先月、岩手県の一戸という町で、竹筋コンクリート造の旧銀行の建物に出会いました。確かなことはわかりませんが、竹筋コンクリート造であると伝えられているそうです。
土木系では、橋などで、竹筋コンクリート造のものがいくつか残っています。登録文化財になっている熊本県小国町の旧国鉄宮原線のアーチ橋などがそうです。他にも、九州各地や北海道などで、竹筋コンクリート造と伝えられている橋梁があります。
竹筋コンクリートは、戦前から戦中にかけて、金属不足のために、鉄筋の代わりに竹を代用したもので、そこそこ強度はあるようなのですが、造られてから長い年月が経って、果たして強度が落ちていないのか?
ご近所に、竹筋コンクリートの建物があるという方、ぜひお知らせください。とても貴重な建物です。
]]>1995年末より、「前村記念博物館」というウェブサイトを開設しております。そのブログ版ということで、今後、雑記帳的に書き続けていきたいと考えております。
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