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大正時代に朝日新聞ビルの上にあのタワーが建てられていれば……

13日、「山田守展シンポジウム」へ行ってまいりました。大変面白く、また、一方では個人的に宿題を与えられてしまった内容でした。

まず、建築博物館館長の林昌二氏のあいさつ。山田守との接点として、山田守が長沢浄水場の仕事をしたとき、林氏はその下水処理場の仕事をしており、完成した浄水場を見に行って「とてもモダンな建物だ」という印象を持ったとのことでした。また、京都タワーの構造が応力外被構造であるということを今回の展示で知り、驚いたとのことです。缶詰のように外被で成り立っている塔だといいます。

次に東京工業大学の藤岡洋保先生が山田守の作品の紹介。続いて、パネル講演として、まず、東海大学の岩岡竜夫先生の東海大学キャンパスの案内。井上章一先生の「衰弱してくると人気が出てくる」という話。最後に、藤森照信先生の「山田守の建物の表皮」の話。外壁にタイルを使用する特殊性を述べていました。

休憩の後、パネルディスカッションです。さまざまな話題が出ていましたが、建築史上での山田守の位置づけが難しいという点、京都タワーを認めるかどうかという問い、メタ景観論争の問題などが印象的でした。藤森先生が、大正時代に東京の朝日新聞社ビルの上にあのタワーが建てられていれば、日本建築史での金字塔となっていたが、あの時代に京都という場所ではという評価をしておりました。

旧朝日新聞社社屋(「分離派建築博物館」HPより)
http://www.sainet.or.jp/~junkk/ishimoto/asahi.htm

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前村 2007年01月15日(月)15時30分 編集・削除

自己レスです。

宿題というのは、井上章一先生が、建物(に限らずだが)の保存運動などに関連して、「衰弱してくると人気が出てくる」とし、文化人やマスコミなどは、時代の趨勢に対する「ガス抜き」として組み込まれた、同じシステムの中の一連のものではないかと発言されていました。

確かに、結果から見ればそうなのだけれど、だから何もしないというわけにもいかないし……。

京都で最初に景観問題となった「かわいい不良」である京都タワーの保存運動でもしなければ」云々という、皮肉を込めた発言がキツかったです(「もっと悪い不良」がその後続々と京都に建ち、京都タワーなど「かわいい不良」となったと)。