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「まちかどの近代建築写真展in長井Ⅴ」の宣伝用スライド

10月28日より11月5日まで開催される「まちかどの近代建築写真展in長井Ⅴ」のスライドショーをアップしました。

「まちかどの近代建築写真展in長井Ⅴ」(通算第70回)
 テーマ「医院建築」
・会 場:小桜館(旧西置賜郡役所)
・会 期:2017年10月28日~11月5日(10月30日は休館)
・時 間:9:00~16:30(初日は15:00より。最終日は16:00まで)
・会 場:小桜館(旧西置賜郡役所) (山形県長井市十日町1-11-7)
・入場料:無料
・主 催:(特)長井まちづくりNPOセンター
・企 画:まちかどの近代建築写真展実行委員会

「まちかどの近代建築写真展in上山」の宣伝用スライド

「まちかどの近代建築写真展in 上山」(通算第68回)
テーマ「可愛いからモダンまで 病院建築」
会期:2017年9月30日(土)~10月7日(土)
午前9:00~午後5:00(最終日は午後4:00まで)
※10月7日午後3:00~4:30にギャラリートークを開催します。
会場:長屋門ギャラリー(山形県上山市十日町2番8号)
入場料:無料
主催:NPO法人上山まちづくり塾
協力:長屋門ギャラリー運営委員会
   まちかどの近代建築写真展実行委員会
   近代建築探訪メーリングリスト

まちかどの近代建築写真展in仏子アミーゴ

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「まちかどの近代建築写真展」も、今回で第46回を迎えることとなりました。

埼玉県入間市の「入間市文化創造アトリエ アミーゴ」にて、約2か月間にわたり「まちかどの近代建築写真展」を開催いたします。前期は「郵便局」を、後期は「駅舎」を展示いたします。

会場の「入間市文化創造アトリエ アミーゴ」は、昭和12年築の旧埼玉県繊維工業試験場入間支場の建物などを利活用した施設です。

「まちかどの近代建築写真展in仏子アミーゴ」第46回
会期:2015年6月7日(日)~7月26日(日)
会場:入間市文化創造アトリエ「アミーゴ」
(埼玉県入間市仏子766-1)
交通:西武池袋線仏子駅下車徒歩5分

秋田県秋田(03)

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旧国立新屋倉庫(昭和9年築)。現在、秋田公立美術工芸短期大学のアトリエ、ギャラリーとして活用されています。

山形県酒田(16)

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山居倉庫(明治26年築)。高橋兼吉設計、中村勘兵衛施工。

山形県酒田(15)

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光丘文庫(大正14年築)。

山形県酒田(14)

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山王くらぶ(旧料亭宇八樓)(明治28年築)。

山形県酒田(13)

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旧割烹小幡(洋館部)(昭和元年築)。

山形県酒田(12)

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旧割烹はら(洋館部)(昭和10年築)。

山形県酒田(11)

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旧宮ノ浦灯台(旧酒田灯台)(明治28年築)。日和山公園内に移築されています。

山形県酒田(10)

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旧白崎医院(大正8年築)。本町から日和山公園内に移築されています。酒田市指定有形文化財。

山形県酒田(08)

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旧国立倉庫(大正15年築)。鉄筋コンクリート造タイル貼りの平屋6棟が並んでおり、現在、解体工事進行中です。

山形県酒田(07)

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旧国立倉庫の煉瓦事務所棟。

山形県酒田(05)

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旧酒田日本基督教会(大正13年築)。

山形県酒田(03)

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旧中平田尋常高等小学校の別棟。

山形県酒田(02)

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旧中平田尋常高等小学校体育館。校舎と同じく、浅野板壁を使用しています。

山形県酒田(01)

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旧中平田尋常高等小学校(昭和7~9年築)。玉上義男設計、本田猪七施工。下見板は木材ではなく、浅野板壁という人造スレートの新建材です。

静岡県島田(06)

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北河製品所11号倉庫(昭和10年築)。

静岡県島田(05)

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北河製品所4号棟旧蒸留工場(明治末頃築)。

静岡県島田(04)

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北河製品所旧金属塗料製造工場(明治末~大正期築)。

静岡県島田(03)

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北河製品所塗料倉庫(旧醋酸繊維素塗料工場)(明治31年~明治末頃築)。

静岡県島田(02)

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北河製品所事務所棟(大正5年築)。

静岡県島田(01)

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北河製品所新館(昭和12年築)。映画やテレビドラマのロケ地として有名な建物。

静岡県掛川(07)

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山﨑邸洋館。市立図書館の隣の敷地に見えた洋館です。

静岡県掛川(06)

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大日本報徳社敷地に隣接する洋館。

静岡県掛川(05)

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冀北学舎。掛川市指定文化財。

静岡県掛川(04)

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仰徳学寮。旧有栖川宮邸日本館の一部を移築。掛川市指定文化財。

静岡県掛川(03)

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仰徳記念館(明治17年築、昭和13年移築)。旧有栖川宮邸日本館の一部を移築。掛川市指定文化財。

静岡県掛川(02)

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旧遠江国報徳社公会堂(明治36年築)。国の重要文化財に指定されています。

静岡県掛川(01)

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淡山翁記念報徳図書館(昭和2年築)。大日本報徳社の敷地内に建つ私設図書館。静岡県指定文化財。

静岡県菊川(01)

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旧富士製茶工場作業場・倉庫(明治中期築)。国・登録有形文化財。

埼玉県入間(03)

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日本基督教団武蔵豊岡教会(大正12年築)。旧豊岡メソジスト教会で、ヴォーリズの設計です。

埼玉県入間(02)

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旧石川組製糸西洋館別館。

埼玉県入間(01)

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旧石川組製糸西洋館本館(大正10年築)。室岡惣七設計による石川組の迎賓館だった建物で、登録有形文化財に登録されています。

埼玉県飯能(14)

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屋根が浮いたような状態なのは、蔵だったからなのでしょう。四角い建物に、中央上部の小さな鏝絵の飾りがアクセントになっています。

埼玉県飯能(13)

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庭木に覆われた洋館。飯能織物協同組合事務所の道を隔てた向かい側にあります。

埼玉県飯能(12)

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飯能織物協同組合事務所(大正12年築)。屋根の鯱が、小樽運河にある倉庫のようです。

埼玉県飯能(11)

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土肥歯科医院。木造モダニズムの水色の建物。

埼玉県飯能(10)

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この下見板の建物は、アパートか寮ではないかと思われます。

埼玉県飯能(09)

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四角く張り出したタイルを貼った腰壁の玄関が、魅力的。

埼玉県飯能(08)

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両開きの扉と玄関横の小窓は、旧医院かなと思いますが、いかがでしょう。

埼玉県飯能(07)

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旧小川医院。歯科医院だったとのことです。

埼玉県飯能(06)

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一誠堂支店。一誠堂といえば神保町の古書店が有名ですが、飯能のこの支店は何屋さんだったのか。

埼玉県飯能(05)

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正面左側の2つの小窓の庇が特徴的な建物。2階の窓も不思議。もしかしたら、2階はフェイクかも知れません。

埼玉県飯能(04)

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昭和薬局。よ~く見ると、2階の両側に細い付柱が。

埼玉県飯能(02)

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BARBER吉川。左官仕事の人造石具合が最高です!!

埼玉県飯能(01)

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新川長旅館。細い路地に建っていますが、円窓や入口周りの装飾など見所満載です。

埼玉県鴻巣(03)

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若山医院。木造2階建て下見板張りの建物が、新しい建物に接続し使われています。

埼玉県鴻巣(02)

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鴻巣Cafeと同じ通りの建物。リフォームで新しく見えますが、スクラッチタイル、玄関灯、玄関の石段などを見ると、古い建物だと分かります。

埼玉県鴻巣(01)

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鴻巣Cafe。交差した鎌の下に「カ」の字の屋号を配したカフェが併設された洋館で、元は塩問屋さんだったそうです。

埼玉県草加(03)

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昭和工業事務所。国道沿いにあり、トラックが頻繁に出入りしていました。

埼玉県草加(02)

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商店街の入口に建つ近代建築で、元は銀行ではないかと思われます。

埼玉県草加(01)

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旧草加小学校西校舎(大正15年築)。大川勇設計。登録有形文化財。埼玉県内で最初に建てられたRC造校舎で、現在、草加市立歴史民俗資料館として公開されています。
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この門柱も、同じ時代のものでしょうか。

埼玉県鳩ヶ谷(07)

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煉瓦蔵の並びにある石蔵。材質が、石蔵でよく見られる大谷石ではなく、粘板岩系の石材のように思われます。あるいは、薄い石材を貼ってある土蔵なのかも知れません。

埼玉県鳩ヶ谷(06)

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キッズランド並びの煉瓦蔵。敷地を囲う塀も煉瓦造ですが、無残に崩されています。蔵は褐色系の煉瓦、塀はオレンジ色の煉瓦です。

埼玉県鳩ヶ谷(05)

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旧キッズランド。総タイル貼りの2階建て陸屋根です。2階の窓が小さく長細いので、もしかしたらタイルをはがすと下見板貼りかも。

埼玉県鳩ヶ谷(04)

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北西商店の石蔵。全面的に人研ぎ仕上げとなっており、あるいは土蔵を石蔵っぽく見せているのかも知れません。

埼玉県鳩ヶ谷(03)

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通りを入ったところで見つけた石蔵。こちらも、大谷石の蔵です。

埼玉県鳩ヶ谷(02)

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旧船津眼科医院の向かいにある石蔵。大谷石の蔵で、屋根瓦も重厚に積んであります。

埼玉県鳩ヶ谷(01)

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旧船津眼科医院(昭和7年築)。日光御成街道鳩ヶ谷宿の入口、上り坂のゆるいカーブにそびえ建つランドマークです。

埼玉県熊谷(14)

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旧岩月税務会計事務所。構えからすると、個人医院のようにも思えますが。

埼玉県熊谷(13)

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朝日湯。裸電球に照らされた装飾は、ただものではありません。内部はどれほどなものかと、期待が膨らみます。

埼玉県熊谷(12)

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瀧澤綿店。ちょっと奥まったところに建っていますが、背の高い看板建築です。

埼玉県熊谷(11)

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路地の奥の煉瓦蔵。質の良い煉瓦ですが、少し亀裂が入っているのが心配です。

埼玉県熊谷(10)

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ナカヤ商店。現在は中華料理「一番食堂」になっています。

埼玉県熊谷(09)

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中澤理髪店。旧中山道沿いの商店街にある床屋さんです。サインポールの乗っている表彰台のようなタイル貼りの台は何なのでしょう。

埼玉県熊谷(08)

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日本聖公会熊谷聖公教会(大正8年築)。川越の日本聖公会教会と全く同型の煉瓦造です。設計も同じウィリアム・ウイルソンとのこと。

「まちかどの近代建築写真展in志木」開幕

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第28回目となる「まちかどの近代建築写真展」。

今回は、埼玉県志木市での開催です。埼玉県内だけの近代建築を集めての展示ですが、これもまた思わぬ発見があったりして楽しい展示になりました。

会期も、あと今日1日だけですが、ぜひお越し下さい。

◆名称:「まちかどの近代建築写真展in志木」
◆主催:社団法人日本建築学会関東支部埼玉支所
     NPO法人東上まちづくりフォーラム
     まちかどの近代建築写真展実行委員会
◆協力:近代建築探訪メーリングリスト
◆会場:志木サテライトオフィスセンター
     (東武東上線柳瀬川駅西口徒歩1分)
◆会期:2012年11月10日(土)、11日(日)
◆時間:10日(土) 午前12:00~午後4:00
     11日(日) 午前10:00~午後4:00
◆入場料:無料

埼玉県熊谷(07)

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W邸。玄関に洋間が付いている建物を見つけて喜んでいると、内部を見学させてもらう予定になっていた建物でした。

埼玉県熊谷(06)

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三輪医院の向かいにある住宅棟? 医院と同じデザインの丸窓が付いています。

埼玉県熊谷(05)

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旧明石医院。三輪医院のすぐそばにある医院の旧館で、和館ですが、取って付けたような庇がちょっと洋風です。

埼玉県熊谷(04)

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三輪医院。道に対して何故この向きに玄関があるのか不思議ですが、1階、2階の丸窓がアクセントになっています。

埼玉県熊谷(03)

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Barberアオバヤシ。妻沼で見かけた物件で、フィンガービスケットのような豆タイルの円柱と、側面の規則的な庇がポイントです。

埼玉県熊谷(02)

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坂田医院旧診療所(昭和6年築)。国登録有形文化財に登録されています。利根川に近い旧妻沼町に、このような陸屋根の建物ができたのかか不思議です。水運で、東京と直接つながっていたからでしょうか。

埼玉県熊谷(01)

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ほねつぎ黒澤療院。表通りから入ったところに残された一画があります。

埼玉県大宮(13)

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桜木町の車も入らないような路地の奥で見つけた洋館。

埼玉県大宮(12)

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旧国鉄大宮工場燃料用倉庫(明治30年築)。何回かここの前を通っているはずなのに、今日まで気付かずにおりました。

埼玉県大宮(09)

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ソニックシティに近い飲食店。確か、お寿司屋さんだったか。

埼玉県大宮(08)

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旧旅館でしょうか、宮町の物件。

埼玉県大宮(07)

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福寿堂。宮町にある和菓子屋さんです。

埼玉県大宮(06)

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大宮製油合名会社。スクラッチタイル貼りのモダンな建物です。

埼玉県大宮(05)

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旧中村歯科医院。大宮駅から氷川神社へ行く商店街にあります。

埼玉県大宮(04)

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西原小児科医院(大正13年築)。今回訪ねるまで、この建物のことを知らずにおりました。

埼玉県桶川(11)

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旧熊谷陸軍飛行学校桶川分教場弾薬庫(昭和12年築)。

埼玉県桶川(10)

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旧熊谷陸軍飛行学校桶川分教場車庫(昭和12年築)。

埼玉県桶川(09)

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旧熊谷陸軍飛行学校桶川分教場守衛所(昭和12年築)。戦後、住宅として使われていたので、内部は大幅に改造されているとのこと。

埼玉県桶川(08)

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旧熊谷陸軍飛行学校桶川分教場本部兵舎(昭和12年築)。現在のホンダエアポートの場所が、旧陸軍の飛行場だったと知ったのはごく最近のことです。そして、そのそばに当時の建物が現存していました。戦後は市の引揚者住宅として、つい近年まで使用されていました。現在は空家で、更地にして用地を国に返還する期限が迫っており、保存運動が行われています。

埼玉県桶川(07)

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川田谷地区の石倉。大谷石造で、更地になった敷地奥に建っていました。

埼玉県桶川(06)

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旧川田谷郵便局。道路の拡幅工事が終わり、見晴らしが良くなりました。

埼玉県上尾(08)

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秋山歯科医院。隣地に新しい建物が建ち、診療が行われています。

埼玉県上尾(07)

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神山家西側の煉瓦基礎。平方煉瓦製造所のあった場所へのアプローチに当たります。

「まちかどの近代建築写真展in志木」開催のお知らせ

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11月10日(土)、11日(日)の2日間、埼玉県志木市の志木サテライトオフィスセンターで、「まちかどの近代建築写真展in志木」を開催します。埼玉県内の近代建築の写真を展示する予定です。
「埼玉住まい・まちづくり交流展2012in志木」内のイベントになります。

埼玉県上尾(06)

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神山家煉瓦蔵(大正10年築)。平方煉瓦製造所の煉瓦で、上尾市指定有形文化財に指定されています。

埼玉県上尾(05)

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神山家煉瓦塀(大正10年築)。平方煉瓦製造所の煉瓦で、上尾市指定有形文化財に指定されています。

埼玉県上尾(04)

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煉瓦倉(大正築)。これも平方煉瓦製造所の煉瓦です。

埼玉県上尾(03)

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旧平方村の煉瓦塀(大正築)。平方煉瓦製造所の煉瓦で築かれた煉瓦塀です。

埼玉県東松山(12)

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国分スタジオ。裏通りを歩いていたら、突然現れました。棕櫚の具合といい、最高のロケーションの物件です。

埼玉県東松山(11)

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堀会計事務所(昭和初期築)。大谷石による彫りの薄いライト式の門柱の奥に、洋館付住宅が見えます。

埼玉県東松山(10)

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島野理容所。看板の書体が美しいです。

埼玉県東松山(09)

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日吉町の旧商店。道が小さくカーブしていて、どちらからでも側面が見える位置に建っています。

埼玉県東松山(08)

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須田医院。サッシや屋根の改修前はどんな姿だったのでしょうか。

埼玉県東松山(07)

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江野邸煉瓦小屋。ご当主のお話によると、女中部屋と使用人炊事場として使われていたとのこと。

埼玉県東松山(06)

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旧郵便局。正しい名称が不明ですが、1階は郵便局、2階は電話交換所だったとのこと。現在、島田医院として現役です。

埼玉県東松山(05)

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旧八十五銀行松山出張所倉庫。保岡勝也設計で、昭和初期築のRC造3階建。内部は太い4本の円柱が梁を支えています。担保にとった繭を保管するための倉庫とのこと。この倉庫の前には、事務所棟も建っていたのでしょう。どんな建物だったのか。
外観のペイントは、ぜひ消して欲しいものです。

埼玉県東松山(04)

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竹ノ谷歯科医院。複雑に増築されていますが、玄関部分を見ると下見板張りの建物であることが判ります。

埼玉県東松山(03)

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小池茂八商店倉庫。バス通りを隔てた向かい側にも、大谷石造の倉庫があります。

戦後の竹筋コンクリート物件

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竹筋コンクリートについては、これまでこのブログで情報を募ってきましたが、これはという物件には出会えずにおりました。
この度、沖縄県の竹富島へ行く機会があり、そこで竹筋コンクリートの情報を得ました。1953年築の「なごみの塔」と呼ばれている国登録有形文化財で、もともとは放送台として住民総出で築いたということです。伝建地区の中心にあり、現在は展望台として観光スポットとなっています。
歴史民俗資料館で竹筋コンクリート造(一部鉄筋)であると聞き、戦後にも竹筋コンクリート造の物件があるのだと驚きました。
小生もこの「なごみの塔」に登ってみましたが、踏面が10センチくらいしかなく、蹴上げも35センチ、斜度60度という階段で、とにかく怖ろしい展望台です。手すりが非常に肉厚であるのが、竹筋コンクリート造ゆえなのでしょう。

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「なごみの塔」からの展望

埼玉県東松山(02)

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小池茂八商店倉庫。大谷石造の大きな倉庫で、元は米倉ではないかと思われます。

埼玉県東松山(01)

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旧制松山中学校校舎(大正12年築)。松山高校記念館として、校舎の中央部分を保存しています。

長崎県小値賀(01)

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野首教会堂。明治41年(1908年)築。鉄川与助が設計・施工した最初の煉瓦造の教会堂。県指定有形文化財。住民の離島により無人島となった野崎島の、集落を見下ろす小高い丘に建っています。

長崎県佐世保(11)

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黒島教会堂。明治35年(1902年)築。マルマン神父設計、前山佐吉ほかの施工による煉瓦造の教会堂。国指定重要文化財。連絡船で50分かけて黒島へ渡り、アップダウンのある野道を歩くこと30分。だんだん見えて来る天主堂の美しいこと。教会の後ろに周ると、どこかの写真集で見た円い煉瓦積みがありました。

「まちかどの近代建築写真展in上尾」無事終了

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昨日、「まちかどの近代建築写真展in上尾」が無事終了いたしました。

立地や開催時期に難があったか、はたまた展示内容に全く関心がなかったか(笑)、まるで図書館にいるように毎日数冊の本を読み終えました。

小生の地元での開催でしたので、数十年ぶりの懐かしい再会もあり、とても貴重な機会となりました。

また、ミニコーナーとして展示した「関根要太郎」については、市役所の方の関心が高く、いろいろお話をうかがうことができました。関根要太郎は、戦後、埼玉県内の学校建築を多数建てたのですが、その採用工法である「平衡構造工法」というのが、今日では問題があるようで…。説明を聞くと、なるほどと思わざるを得ないものでした。

お出でいただきました皆さま、ご協力いただきました皆さま、誠にありがとうございました。

「まちかどの近代建築写真展in上尾」開幕

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「まちかどの近代建築写真展in上尾」がスタートしました。
今回は、全国の煉瓦建築特集です。300点強の写真を展示しております。
また、関根要太郎研究室@函館さんによる関根要太郎の簡単な略歴と戦後上尾で行った活動内容の展示も用意いたしました。

◆名称:「まちかどの近代建築写真展in上尾」
◆主催:まちかどの近代建築写真展実行委員会
◆協力:近代建築探訪メーリングリスト
◆会場:上尾市役所ギャラリー
    埼玉県上尾市本町3-1-1(市役所東棟1階)
◆会期:2012年8月8日(水)~8月14日(火)
    午前10:00~午後8:00
    但し、8/8は午前中設営につきPM1:00より、
       8/14は撤収によりPM4:00まで
◆入場料:無料

「まちかどの近代建築写真展in上尾」開催決定

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小生の地元であります埼玉県上尾市で、「まちかどの近代建築写真展」の開催が決まりました。JR上尾駅から徒歩10分ほどの所です。

◆名称:「まちかどの近代建築写真展in上尾」
◆主催:まちかどの近代建築写真展実行委員会
◆協力:近代建築探訪メーリングリスト
◆会場:上尾市役所ギャラリー
    埼玉県上尾市本町3-1-1(市役所東棟1階)
◆会期:2012年8月8日(水)~8月14日(火)
    午前10:00~午後8:00
    但し、8/8は午前中設営につきPM1:00より、
       8/14は撤収によりPM4:00まで
◆入場料:無料
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山梨県甲府(18)

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宝地区の洋室付住宅。まるで盗撮ですが、アールヌーボー調のスクリーンが美しい物件です。

山梨県甲府(17)

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宝地区の洋館付住宅。真四角の建屋は、四畳半のお茶室のようでもありますが、おそらくは応接間なのでしょう。

山梨県甲府(16)

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穴切小学校北側にある住宅の門柱。小学校の門柱と同様の趣きを感じます。

山梨県甲府(15)

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旧穴切小学校校門。大正13年に建てた門柱ですが、その時点で創立50周年記念とは驚きです。

山梨県甲府(14)

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日の出の飾りの付いた物件。食べ物屋さんだったのではないかと思われます。

山梨県甲府(13)

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クリーニング白十字。光と同じ形の物件ですが、外壁の仕上げで印象が異なるものです。

山梨県甲府(12)

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光。甲府駅南口で、平和通り右側(西側)の区画を歩いていて見つけた物件。何屋さんだったのでしょうね。

山梨県甲府(11)

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愛宕山の中区配水施設。「やまなし・まちかど図鑑」の凡苦楽庵さんに教えてもらった地下配水池の出入口上屋です。

山梨県甲府(10)

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蛍橋(昭和4年築)。現在、更地になっている旧富士川小学校のすぐそばです。

山梨県甲府(09)

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旧甲府駅煉瓦倉庫モニュメント。明治36年築のランプ小屋が、このモニュメントになりました。

山梨県笛吹(03)

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石和温泉駅駅舎(昭和初期築)。近く、改築の予定とのこと。

山梨県笛吹(02)

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旧小林家文庫蔵(明治中期築)。現在、石和町民俗文化財展示館となっています。

山梨県笛吹(01)

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装飾の賑やかな看板建築。大通りではなく、横道に入ったところに建っています。「やまなし・まちかど図鑑」によれば、左官屋さんのお宅とか。

千葉県館山(25)

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掩体壕。すぐそばまで近づける掩体壕は初めてです。思ったよりも規模が小さいのが驚きでした。

千葉県館山(24)

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秋山酒造店の蔵。道がL字に折れた角に建つ、1階部分が石造の大きな蔵です。

千葉県館山(23)

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小原藤太商店の石造倉庫。

千葉県館山(21)

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ヤマト。後方の下見板貼りの建物が気になります。

千葉県館山(20)

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イガラシ写真。トタン板で覆われた下は、下見板貼りではないかと思われます。

千葉県館山(19)

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旧安房合同銀行本店の玄関飾り(大正11年築)。

千葉県館山(18)

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原時計眼鏡店。館山の中心街にある看板建築です。

千葉県館山(16)

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関東補聴器館山店。館山駅前の交差点角に立つ塔屋のある建物です。

千葉県館山(15)

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きみづか美容院。普通の民家に洋室が付属した建物です。

千葉県館山(14)

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おかめ床。左側がパーマ屋で、右側が理容店の、おかめの面の付いたお店です。

千葉県館山(13)

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館山市北条の洋館。近くには、消防署や裁判所があります。

千葉県館山(12)

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松田屋。ちょっとわかりにくいですが、看板の後ろは下見板貼りの洋館です。

千葉県館山(11)

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根本嘉美税理士事務所。元は商店かと思います。

千葉県館山(10)

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大和屋商店。館山には、このような下見板貼の商店も、多く残っています。

千葉県館山(09)

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旧古川銀行鴨川支店(大正11年築)。昭和初期に旧銀行の建物を移築したもので、現在、小高記念館として活用されています。

千葉県館山(08)

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本位田耳鼻咽喉科医院の洋館。川向こうから見えたこの建物に近づく道を、ずいぶん探し歩きました。

千葉県館山(07)

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小原歯科医院。急傾斜の屋根は、天然スレート葺です。

千葉県館山(06)

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鈴木家住宅表門(大正13年築)。登録文化財。鉄門扉は戦時中供出されたままとのこと。

千葉県館山(05)

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鈴木家住宅主屋(大正13年築)。登録文化財。産婦人科「赤門鈴木医院」の鈴木勝太郎氏が住宅として建てた洋館です。

千葉県館山(04)

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石井歯科医院。館山には、質の高い医院建築が多数残っています。

千葉県館山(03)

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旧千葉県立安房高等女学校屋内運動場(?)。体育館の隣に、講堂とは別の建物が建っていました。

千葉県館山(02)

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旧千葉県立安房高等女学校講堂(昭和6年築)。平成20年の高校統廃合後、空家のままとなっています。

千葉県館山(01)

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旧千葉県立安房高等女学校管理棟(昭和5年築)。風雨の中、館山へ行ってきました。

広島県呉(07)

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旧呉海軍下士卒集会所講堂・桜松館(昭和4年築)。

広島県呉(06)

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旧呉海軍下士卒集会所(昭和11年築)。

広島県呉(05)

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旧東郷家住宅離れ座敷(明治初期築)。

広島県呉(03)

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旧呉海軍工廠造機部塔時計(大正10年築、昭和46年移築)。

広島県呉(02)

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旧警固屋高烏砲台火薬庫(明治35年築、昭和42年移築)。

広島県呉(01)

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旧呉鎮守府司令長官官舎(明治38年築)。

岩手県釜石(03)

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何故片側に寄ったデザインなのか。2階まで浸水しています。

岩手県釜石(01)

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はまゆり調剤薬局。
この盆休み、東日本大震災後初めて津波被害のあった町を歩きました。1階部分は津波でやられていますが、構造は大丈夫そうです。

福島県常磐湯本(15)

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旧JANOME。周囲がタイル貼り。2007年4月撮影。

福島県常磐湯本(14)

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内山。塗装の下にスクラッチタイルやタイルが見えます。2007年4月撮影。

福島県常磐湯本(13)

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敷地奥に見える石蔵。2007年4月撮影。

福島県常磐湯本(12)

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こちらも醸造元緑屋の建物か。2007年4月撮影。

福島県常磐湯本(11)

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醸造元緑屋。2007年4月撮影。

福島県常磐湯本(10)

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事務所。円筒形の展望台を見ると、旧警察署か消防署か。2007年4月撮影。

福島県常磐湯本(09)

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旧店舗。2007年4月撮影。

福島県常磐湯本(08)

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泉タクシー。2007年4月撮影。

福島県常磐湯本(07)

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居酒屋はなちゃん。2007年4月撮影。

福島県常磐湯本(06)

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寺亀醸造元の蔵と煉瓦煙突。土蔵の腰下が煉瓦造です。2007年4月撮影。

福島県常磐湯本(05)

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スナックアモーレ。2007年4月撮影。

福島県常磐湯本(04)

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ホテル斉藤の倉庫。2007年4月撮影。

福島県常磐湯本(03)

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旧常陽銀行の奥に見える三角屋根。2007年4月撮影。

福島県常磐湯本(02)

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旧常陽銀行湯本支店(昭和7年築)。2007年4月撮影。

福島県常磐湯本(01)

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旧三凾座(明治30年代築)。2007年7月撮影。

宮城県石巻(10)

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奥山洗濯所。2001年8月撮影。

宮城県石巻(09)

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スナックオリーブ。2001年8月撮影。

宮城県石巻(08)

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石巻市社会福祉協議会。旧金融機関の建物かと思われます。2001年8月撮影。

宮城県石巻(07)

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旧金物屋さん。2001年8月撮影。

宮城県石巻(06)

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旧石巻ハリストス正教会教会堂(明治13年築)。2001年8月撮影。

宮城県石巻(05)

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伏見屋(昭和6年築)。震災前に解体されました。2001年8月撮影。

宮城県石巻(04)

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旧東北実業銀行石巻支店(大正14年築)。2001年8月撮影。 

宮城県石巻(03)

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観慶丸陶器店(昭和5年築)。タイルの見本帳のような建物です。2001年8月撮影。

宮城県石巻(02)

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相馬屋呉服店。2001年8月撮影。

宮城県石巻(01)

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JR石巻駅(昭和3年築)。2001年8月撮影。

長崎県長崎(13)

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黒崎教会堂。大正9年(1920年)築。川原忠蔵施工による煉瓦造の教会堂。

長崎県長崎(12)

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出津教会堂。明治15年(1882年)築。ド・ロ神父が私財を投じて建てた煉瓦造の教会堂。県指定有形文化財。

長崎県長崎(11)

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神ノ島教会堂。明治30年(1897年)築。デュラン神父が私財を投じて建てた煉瓦造の教会堂。

長崎県長崎(10)

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馬込教会堂。昭和6年(1931年)築。訪問時、ちょうど結婚式の真最中でした。国登録有形文化財。

長崎県平戸(08)

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2階の窓の鉄格子が気になる木造倉庫。

長崎県平戸(07)

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生月島の市街地で見かけた大きな木造物件。旧劇場の類ではないかと思い地元の方にうかがうと、網などを直す作業小屋とのこと。

長崎県平戸(06)

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山田教会堂。大正元年(1912年)築。鉄川与助設計・施工による煉瓦造の教会堂。

長崎県平戸(05)

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田平教会堂。大正7年(1918年)築。鉄川与助設計・施工による最後の煉瓦造教会堂。国指定重要文化財。

長崎県平戸(04)

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紐差教会堂。昭和4年(1929年)築。鉄川与助の設計・施工によるRC造の教会。思い返すと、30年ほど前、学生時代に平戸ユースホステルで勧められて訪れたことのある教会堂でした。

長崎県平戸(03)

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宝亀教会堂。明治31年(1898年)築。黒島で洗礼を受けた宇久島の宮大工が建てた煉瓦造の教会。

宮城県気仙沼(49)

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気仙沼ハリストス正教会(昭和8年築)。地図を見ても場所が分からず、ちょっと探してしまいました。

宮城県気仙沼(48)

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下見板貼りの住宅。旧医院ではないかと思うのですが、どうでしょう。

宮城県気仙沼(46)

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chez SASAKI。こちらもコーナーの円い建物です。

宮城県気仙沼(45)

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BLUEJEAN BOP。気仙沼は、コーナーの円い建物が多い町です。

宮城県気仙沼(44)

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割烹扇屋。自動車が退くのを待ちましたが、待ちきれませんでした。

宮城県気仙沼(43)

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気仙沼カトリック教会(明治42年築)。高台の中腹にあり、幼稚園を併設しています。門柱には、とても味のある文字が刻まれています。

宮城県気仙沼(42)

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ニュースタークリーニング、アンテナショップ。元は料理屋でしょうか。

宮城県気仙沼(40)

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旧美容室ELLE。入居者募集の看板が出ておりました。

宮城県気仙沼(39)

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割烹世界。ツタで覆われていて全貌が見えません。

宮城県気仙沼(34)

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男山本店(昭和7年築)。今回の大震災で、1階部分が倒壊している映像を見ました。

宮城県気仙沼(33)

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丸山魚問屋。1階右側が通路になっていて、ちょっとバランスが心配です。

宮城県気仙沼(32)

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ティアラのような大きな飾りの商店。縦長と菱形の窓が付いています。

宮城県気仙沼(30)

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福よしのお隣の商店。軒下と窓周りの鏝飾りがポイントです。

宮城県気仙沼(29)

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漁場料理福よし。鶴や亀などのおめでたい鏝絵が、ポツンポツンと4箇所に付いています。元は料亭でしょうか。

宮城県気仙沼(28)

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熊谷タバコ店。水平ラインを強調したモダン建築です。

宮城県気仙沼(27)

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臼福。海産物、魚問屋の建物。石蔵をはさみ、建物が港まで連なっています。港側は銅板貼りです。

宮城県気仙沼(26)

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円窓のある下見板貼りの建物。

宮城県気仙沼(25)

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港に面した四角い建物。

宮城県気仙沼(24)

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食堂松岡屋。打ち出しの模様で縁取られたトタン板貼りの港の食堂です。

宮城県気仙沼(21)

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スズランの付いている建物。

宮城県気仙沼(20)

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港に面して立つ商店。飲食店でしょうか。

宮城県気仙沼(19)

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松月堂。洗い出し仕上げの菓子店です。

宮城県気仙沼(17)

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ぼんじゅーる。遠くから塔屋が目につき、やっと探し当てた建物です。店舗正面には4頭立て馬車のステンドグラスが掲げられています。

宮城県気仙沼(16)

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W'-S気仙沼店。交差点の角地に建つ建物で、元は百貨店だったのではないかと思います。

宮城県気仙沼(15)

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写場島忠。塗装が新しくなっていますが、モダンな看板建築です。

宮城県気仙沼(13)

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水色の塗装の建物。元は旅館だったのでしょうか。

宮城県気仙沼(12)

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気仙沼市役所。昭和30年代のRC造の建物です。

宮城県気仙沼(11)

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なまこ壁の土蔵。周囲は更地になっていました。

宮城県気仙沼(10)

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旧味噌・醤油製造元(昭和8年築)。

宮城県気仙沼(09)

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今野製籠店。八角籠目紋と4本の竹籤の飾りが、商売を象徴しています。

宮城県気仙沼(08)

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昆宇畳本店。2階の窓割りが美しいピンク色の商店。

宮城県気仙沼(07)

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下見板の商店。同じタイプの建物が並んでいるのは、過去の震災復興の建物だからでしょう。

宮城県気仙沼(06)

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ポストの隣の商店。2階の大通りに面して並ぶ3つの窓のうち、中央の窓の幅だけが少し広くなっています。

宮城県気仙沼(05)

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岩城屋菓子舗。東京の下町にあるような、銅板貼りの看板建築です。

宮城県気仙沼(04)

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藤森海苔店。下見板貼りの店舗です。

宮城県気仙沼(03)

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ガトーしらいし。右隣はキンパリ理容室です。

宮城県気仙沼(02)

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宮古駅近くに建つ下見板貼りの建物。旧郵便局ではないでしょうか。

宮城県気仙沼(01)

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気仙沼駅。小さな可愛らしい気仙沼線の終着駅です。

岩手県宮古(45)

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宮古市消防団第九分団。新しい建物ですが、櫓を載せた南部の屯所の形を踏襲しています。

岩手県宮古(44)

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総合衣料わたなべ。側面2階窓の縦格子が、何ともモダンです。

岩手県宮古(43)

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日本基督教団宮古教会。円窓のあたりを見ると、古い建物であることが分かります。この教会の並びの和菓子屋さんで、宮古のお赤飯のことを聞きました。驚いたことに、北海道と同じ甘い金時豆のお赤飯なのです。

岩手県宮古(42)

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ばんや。こちらが表なのか裏なのか、どんなお店なのか。

岩手県宮古(40)

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緑のモンスターのような、蔦に覆われた石蔵。

岩手県宮古(39)

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旧東屋酒造の土蔵。2010年9月の撮影時、壁土が落ち、工事用の金属板で覆われていました。

岩手県宮古(38)

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旧東屋酒造。カメラを構えているとご主人がお出でになり、ひとしきり津波のお話などをしたのでした。宮古にこのような立派な建物が残っていることに驚くと、かつての津波はこのあたりまでは来なかったのだということでした。

岩手県宮古(37)

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健康堂薬局の隣には、立派な門柱と高い庭木の奥に木造3階建ての建物が見えます。やはり、旅館か料亭だったのでしょうか。

岩手県宮古(36)

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健康堂薬局。側面を見ると、下見板貼りの建物です。お隣は、旧医院でしょうか。

岩手県宮古(35)

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堀田商店。旅館か料亭だったのでしょうか。土蔵も立派です。

岩手県宮古(34)

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熊谷土地の向かいにある旧店舗。土壁で看板建築のようになっています。

岩手県宮古(33)

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熊谷土地。とても大きな土蔵造の見世蔵です。

岩手県宮古(32)

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非常に高いところに開口部のある土蔵。津波対策であることは明らかです。

岩手県宮古(31)

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塔屋のある建物。もとは旅館でしょうか。

岩手県宮古(30)

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コインランドリー。間口の広いこの店は、もとはクリーニング店でしょうか。

岩手県宮古(28)

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生内商店。駐車場の奥に、頑丈そうな四角い石造の事務所が建っています。

岩手県宮古(27)

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さわだや。宮古駅前にある食堂です。

岩手県宮古(26)

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ニュー架春・小料理竹やぶ。

岩手県宮古(25)

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小田代飼料店。しばらく道路工事が終わるのを待っていましたが、退いてくれませんでした。

岩手県宮古(24)

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島香魚店。国道沿いは、看板建築が建ち並んでいます。

岩手県宮古(22)

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鈴木屋。国道沿いに海に面して建っています。

岩手県宮古(20)

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宮古ホームクリニック。半円形に張り出した縦格子の2階部分が、写真館や映画館のようにモダンです。

岩手県宮古(19)

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こちらの石蔵は更地の隣にポツンと建っていました。

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戸口の上部の石組みは、アーチの上の楔石のようでもありますが、アールデコのデザインなのかも知れません。

岩手県宮古(18)

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この石蔵は津波にも耐える頑丈なものだと思われます。

岩手県宮古(17)

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ナカザワ理容の隣の見世蔵。

岩手県宮古(16)

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エンドーふとん店。軒下のジャバラ、そして何よりも2階の手すりが怪しい建物です。

岩手県宮古(15)

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宮古市消防団第五分団。新しい建物ですが、岩手や青森で多く見られる屯所の形を踏襲しています。

岩手県宮古(14)

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こちらは、伝統的な土蔵。開口部も最小限で、土壁も厚く、どっしりと安心感があります。

岩手県宮古(13)

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国道の一本山側の細い通り沿いで見かけた土蔵。土台に石材が使われており、先の津波の後に建てられたものではないでしょうか。

岩手県宮古(12)

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宮古市役所分庁舎。元の役場だったのではないでしょうか。

岩手県宮古(11)

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島屋赤札堂。お祭りの法被や花火などを扱っている衣料品店。

岩手県宮古(09)

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藤田屋。FUJITAYAのロゴに味のある洋菓子屋さん。

岩手県宮古(08)

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いづも屋。総タイル貼りのせともの屋さん。

岩手県宮古(06)

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まりや。この建物を撮影していると、ランドセルを背負った男の子が話しかけてきてくれました。元はカフェで、小さいときに親と入ったことがあるとのことでした。

岩手県宮古(03)

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たまきや。元は何のお店だったのでしょう。

岩手県宮古(02)

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中屋商店。
沢山の古い看板を見せていただきました。
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岩手県宮古(01)

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JR宮古駅(昭和9年築)。
この度の東北地方太平洋沖地震では、多くの尊い生命が失われました。謹んでご冥福をお祈りいたします。また、被災された皆様には、心よりお見舞申し上げます。
いずれ、研究者の方々が被災状況の調査に入ります。その際に少しでも役立てばと思い、震災前の町々の写真をUPしておきます。

静岡県静岡(06)

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天神湯。現役の銭湯です。

静岡県静岡(05)

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カトリック静岡教会(昭和30年築)。

静岡県静岡(04)

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お堀の西側に建つ物件。旧医院ではないかと思われます。

静岡県静岡(03)

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旧静岡三十五銀行(昭和6年築)。現、静岡銀行本店。中村與資平設計。

静岡県静岡(02)

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静岡県庁本館(昭和12年築)。中村與資平設計。

静岡県静岡(01)

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静岡市役所本館(昭和9年築)。中村與資平設計。

熊本県三角(12)

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三角西港の石積み。明治20年、お雇い外国人ムルドルにより設計された、明治三大築港の一つです。どこも、角を丸くして積んである石積みは、石工の手仕事を感じさせます。

熊本県三角(11)

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旧高田回漕店(明治19年築)。平成10年に復元され、市指定文化財。

熊本県三角(10)

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旧三角海運倉庫(明治20年築)。現在、三角築港記念館として、飲食及び物品の販売所として使われています。

熊本県三角(09)

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龍驤館(大正7年築)。何やらモダンな感じがするのは、やはり大正時代の建物だからでしょうか。国登録文化財。

熊本県三角(08)

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浦島屋(明治20年代築)。明治38年に解体され、大連に運ばれてたとありますので、三角では短命な建物だったようです。平成5年に設計図を元に復元。所縁の地に建てられたことは、まずはよかったと思います。

鹿児島県鹿屋(01)

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児玉時計店。側面の、丸窓を付けそうなところにあるカマボコ型の窓が、可愛らしく感じます。

熊本県天草(04)

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浦河地区にある薬屋さん。

熊本県天草(03)

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宮崎写真館。浦河地区の中心街にあるペイントの鮮やかな洋館。

熊本県天草(02)

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大江教会堂。昭和7年(1931年)築。鉄川与助設計・施工による。

熊本県天草(01)

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崎津教会堂。昭和9年(1934年)築。鉄川与助設計・施工による。

長崎県五島(09)

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奈留教会堂。昭和36年(1961年)築。

長崎県五島(08)

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江上教会堂。大正7年(1918年)築。奈留島のフェリーターミナルからタクシーで20分ほど行ったところに建つ、鉄川与助の設計・施工の可愛らしい教会堂。国指定重要文化財。 

長崎県五島(07)

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福江教会堂。昭和37年(1962年)築。同年9月26日に発生した福江大火の際には、新築直後だったこの教会堂だけが焼け残ったといいます。

長崎県五島(06)

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堂崎教会堂。明治41年(1908年)築。ペルー神父の指導により建てられた入り江の教会堂で、県指定有形文化財。

長崎県五島(05)

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水ノ浦教会堂。昭和13年(1938年)築。鉄川与助設計・施工による、海を望む、繊細で優美な木造の教会です。

長崎県五島(04)

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楠原教会堂。明治45年(1912年)築。福江島の内陸にあり、幹線のバス停から少々歩きます。煉瓦の色と2本の棕櫚が、いかにも南国風で似合っています。

長崎県五島(03)

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福江市田ノ浦青少年自然の家。元々は学校の木造校舎かと思われます。

長崎県五島(02)

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旧五輪教会堂。明治14年(1881年)築。昭和6年に浜脇教会堂を新築する際に、旧浜脇教会堂を五輪地区に移築したもの。

長崎県五島(01)

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浜脇教会堂。昭和6年(1931年)築。久賀島の丘の上に見える白亜の教会堂で、久賀島へは福江港から渡船で渡ります。

長崎県新上五島(14)

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奈良尾港の路地の奥で見つけた物件。玄関や窓枠など、洋風テイストが見受けられます。

長崎県新上五島(13)

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奈良尾港で見つけた物件。柱頭飾りっぽい細工や、アーチ状の飾りは、左官仕上げでしょうか。

長崎県新上五島(12)

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旧青方村役場庁舎(昭和3年築)。旧上五島町役場庁舎、民俗歴史資料館などに使用された後、平成21年(2009年)に改修され、青方地域交流センター・青方子育て支援センターとして活用されています。

長崎県新上五島(11)

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旧鯛ノ浦教会。明治36年(1903年)築。昭和24年(1949年)に煉瓦造の塔が増築された。煉瓦の一部は、旧浦上天主堂の被爆煉瓦とのこと。昭和54年(1949年)に、新しい教会堂が建てられ、この建物は図書館として転用されています。

長崎県新上五島(10)

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船隠教会。昭和31年(1956年)築。

長崎県新上五島(09)

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佐野原教会。昭和38年(1963年)築。海から離れた山の奥にある教会堂で、撮影時は葬儀の最中であった。

長崎県新上五島(08)

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頭ヶ島教会。大正8年(1919年)築。鉄川与助の設計施工で、島内の切石積による石造教会。天井は、二重持送りのハンマー・ビーム架構となっており、国指定重要文化財。

長崎県新上五島(07)

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大曾教会。大正5年(1916年)築。鉄川与助設計施工、柱頭の彫刻は父の与四郎による。ステンドグラスは西ドイツより、煉瓦は早岐より仕入れたものという。

長崎県新上五島(06)

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福見教会。大正2年(1913年)築。

長崎県新上五島(05)

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若松・大浦教会。昭和20年代に民家を借り受けて聖堂としたもの。

長崎県新上五島(04)

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中ノ浦教会。大正14年(1925年)築。

長崎県新上五島(03)

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冷水教会。明治40年(1907年)築。鉄川与助棟梁が27歳で独立し、初めて設計施工した教会。

長崎県新上五島(02)

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青砂ヶ浦天主堂。1910年(明治43年)造。国指定重要文化財。鉄川与助棟梁が建てた煉瓦造2棟目の建物。信者の労働奉仕で、男は舟で資材を運び、女・子供は浜から背負子で煉瓦を担ぎ上げたという。

長崎県新上五島(01)

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江袋教会。明治15年(1882年)にオーギュスト・ブレル神父の指導の下、川原久米吉棟梁が建てた教会で、長崎県指定文化財。平成19年(2007年)2月17日に漏電が原因で骨組みを残して焼失、平成22年(2010年)3月に復元された。外観は、素っ気ない木造平屋の建物ですが、内部はヴォールト天井(こうもり天井)です。

まちかどの近代建築写真展in旧神戸生糸検査所

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まちかどの近代建築写真展in旧神戸生糸検査所(第19回)
日本の煉瓦建築特集

会期:2010年10月9日(土)~10月11日(日)
時間:10月9日(土)13:00~17:00
   10月10日(日)9:30~17:00
   10月11日(日)9:30~15:30

会場:旧神戸生糸検査所1階旧フィラメント検査室
    兵庫県神戸市中央区小野浜町1番地
主催:まちかどの近代建築写真展in神戸実行委員会
企画:まちかどの近代建築写真展実行委員会
協力:近代建築探訪メーリングリスト
協賛:港まち神戸を愛する会

現在、神戸市の所有する旧神戸生糸検査所の建物は、今後どのように活用していくか、さまざまな試行錯誤行われています。

今回は、400枚の写真を白い一室に一堂に展示した初めての写真展でした。他地域の物件との比較が面白く感じられる、そんな写真展になりました。

まちかどの近代建築写真展in神奈川県立柏陽高校

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まちかどの近代建築写真展in神奈川県立柏陽高校(第18回)
日本の煉瓦建築特集

会期:2010年10月2日(土)~10月3日(日)
時間:2日(土)10:00~15:30 3日(日)9:30~15:00
会場:神奈川県立柏陽高校(神奈川県横浜市栄区柏陽1-1)
教室棟4階の2年7組教室
企画:まちかどの近代建築写真展実行委員会
協力:近代建築探訪メーリングリスト

高校の文化祭での開催でした。

高校生たち、そして写真展目当てではなかった方々には、どのようにご覧いただけたか、とても興味があります。

福岡県大川(11)

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大川市消防団第1分団第5部。隣家との間の煉瓦塀が、建物の壁と一体になっています。

福岡県大川(10)

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旧店舗。何屋さんだったのか、入口の左右の壁が円柱を切ったようなアールを描いています。

福岡県大川(09)

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旧料理屋か? 細長い建物で、側面の開口部が塞がれています。

福岡県大川(08)

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○○木家具製作所。木造3階建ての建物です。

福岡県大川(07)

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九州建具。大好きな、中央部にアールのある看板建築です。

福岡県大川(06)

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千草薬局。昇開橋のすぐ近くにある看板建築です。

福岡県大川(05)

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若波酒造の事務所。かわいらしい、真四角の洋館です。

福岡県大川(04)

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清力酒造の近くで見かけた事務所。あるいは、公民館かも知れません。

福岡県大川(03)

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清力酒造の裏手にある洋館。事務所建築の際に建てた住宅のようです。

福岡県大川(02)

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旧清力酒造事務所(明治41年築)。現在、大川市立清力美術館として公開されています。2階のカーテンボックスの下に古い壁紙が残っているのですが、あるいは金唐革紙かと見ましたがいかがでしょうか?

福岡県大川(01)

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旧三潴銀行本店(明治42年築)。現在、三潴銀行記念館として公開されています。昨年までの改修工事も終わり、今年、ようやく撮影することができました。

福岡県大木(01)

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福岡県い業会館(昭和11年築)。

福岡県宝珠山(09)

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大行司駅。昭和21年築。

福岡県宝珠山(08)

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旧宝珠山炭坑クラブ。炭坑のゲストハウスとして建てられた建物です。俳優の高倉健の父親がこの宝珠山炭鉱の幹部社員として赴任しており、幼き日の高倉健もこのゲストハウスに泊まったのだとか。ほうしゅ山荘として活用の後、現在は山村文化交流の郷・いぶき館として公開されています。

福岡県宝珠山(07)

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旧大行司小学校校舎。旧宝珠山中学校と同じ宝珠山小学校の敷地隅にあり、兵舎のような木造2階建ての建物です。

福岡県宝珠山(06)

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旧宝珠山中学校校舎。敷地は現在、宝珠山小学校となっており、そのグランド隅に残っている状態です。

福岡県宝珠山(05)

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旧宝珠山村役場(昭和12年築)。間口に比べ奥行のある建物で、「昭和倶楽部」の看板がかかっていますが、どのような活用がされているのかは不明です。

福岡県宝珠山(04)

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旧事務所。宝珠山の市街地に建つ建物で、2階は大広間のようですが、何の事務所だったのでしょうか。

福岡県宝珠山(03)

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旧宝珠山村消防組第三部格納庫。宝珠山駅から中心市街地へ向かう途中で見かけたポンプ小屋。

福岡県宝珠山(02)

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宝珠山駅前で見かけた洋館。シンメトリーな外観、スパニッシュな色合いの瓦屋根、出窓、スクラッチタイルなど、気になる建物です。

福岡県宝珠山(01)

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宝珠山駅(昭和12年築)。大分と福岡の県境にある日田彦山線の駅です。

大分県豊前長洲(06)

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民潮酒舗。大屋根が見えるので何かと周囲を巡りましたが、全貌はつかめませんでした。

大分県豊前長洲(05)

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旧江須賀簡易郵便局。ブルーシートが被っている下には、どんな入口があったのでしょうか。

大分県豊前長洲(04)

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豊前長洲駅(明治44年築)。九州でよく見かけるタイプの木造駅舎です。

大分県豊前長洲(03)

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小松橋(昭和14年築)。石材を寄せ集めたような親柱と、ちょっと凝った加工をした石造の欄干の橋です。

大分県豊前長洲(02)

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江本酒造。煉瓦の煙突が見えるのですが、周囲を巡ってみても建物に近付くことができませんでした。

大分県豊前長洲(01)

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美濃歯科医院(昭和5年頃築)。大通りから一本奥に入った旧道沿いに建つ、美しい現役の歯科医院です。

香川県善通寺(26)

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本家京染大西洸張店。駅から善通寺へ向かう商店街の途中で見かけた看板建築です。

香川県善通寺(25)

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旧善通寺町郵便局(明治33年築)。何やらスゴイ建物が残っているナと思い撮影した建物ですが、帰宅して調べてみると旧郵便局でした。現在、喫茶店として使われています。

香川県善通寺(24)

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旧琴平参宮電鉄赤門前停車場待合所(大正12年築)。取って付けたような櫛形のペディメントが載っています。

香川県善通寺(23)

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パナールイオン化粧品。アーケードで見えにくいのですが、SとMの組み合わせたマークが付いています。

香川県善通寺(22)

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中国銀行善通寺支店。銀行建築では常連の中国銀行ですが、古いものかいつも悩まされるのも中国銀行です。

香川県善通寺(21)

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スタジオフォトセンターアオキ。いかにもなハーフチンバーの建物ですが、軒下を見ると結構古そうです。

香川県善通寺(20)

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昨日のモダニズム建築と同じ敷地内に建つ、傾斜屋根の洋館。

香川県善通寺(19)

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善通寺の東側の町内で見かけた、旧医院かと思われるコンクリートの四角いモダニズムの建物。

香川県善通寺(18)

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善通寺北側の通りに建つ洋館。屋根の両端のツノを見て怪しいと近付いてみると、どうも屋根裏部屋があるようです。

香川県善通寺(17)

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善通寺敷地内の毘沙門天奥で見かけた洋館。2連アーチ窓の付いた、一室のみの細い二階建てです。

香川県善通寺(16)

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善通寺の北側で見かけた洋館。おそらく旅館だったのではないかと思います。が、何故か床屋さんだったのかもという思いにとらわれてしまうのは、ねじりん棒に見える装飾ゆえでしょうか。

香川県善通寺(15)

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温泉湯。善通寺の門前町にある銭湯で、庇を突き抜ける2本の棕櫚が気になります。ネオン管の「温泉湯」の文字が、いい感じです。

香川県善通寺(14)

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大正湯。善通寺脇の、細い路地にあります。

香川県善通寺(13)

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旧琴平参宮電鉄事務所。聞き取りによれば、別の場所にあった建物を善通寺門前に移築し、飲食店等に使用しているとのことでした。

香川県善通寺(12)

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旧仁井榮四郎邸(昭和5年築)。旧陸軍施設が並ぶ丁字路の突き当たりに建つ洋館です。

香川県善通寺(11)

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水色の縁取りの洋館。水尾写真館の並びに建ち、多分に意識したペイントが施されています。

香川県善通寺(10)

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水尾写真館(大正2年築)。ペイントが美しい下見板張りの建物で、国の登録文化財です。

香川県善通寺(09)

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旧陸軍第11師団輜重兵第11大隊倉庫(明治44年築)。寄棟屋根にドーマー形換気口が連続する煉瓦造の倉庫で、陸上自衛隊善通寺自動車教習所敷地内にあります。

香川県善通寺(08)

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旧陸軍第11師団輜重兵第11大隊本部(昭和16年築)。現在、陸上自衛隊善通寺自動車教習所の事務所として使用されています。

香川県善通寺(07)

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旧陸軍第11師団兵器部倉庫(明治37年~40年築)。陸上自衛隊善通寺駐屯地倉庫として、3棟の煉瓦造の倉庫が丁字型に並んでいます。

香川県善通寺(06)

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乃木講堂(昭和初期築)。乃木館の隣にあり、渡り廊下でつながっています。

香川県善通寺(05)

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旧陸軍第11師団司令部(明治31年築)。陸上自衛隊第2混成団本部として現役の建物で、2階に「乃木記念室」として初代師団長であった乃木将軍の部屋が保存・公開されており、「乃木館」と呼ばれています。

香川県善通寺(04)

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旧陸軍第11師団騎兵第11連隊兵舎(明治30年築)。現在、四国学院大学2号館として活用されています。

香川県善通寺(03)

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旧陸軍第11師団騎兵第11連隊本部(昭和初期築)。現在、四国学院大学キャンパス内で「ホワイトハウス」として活用されています。

香川県善通寺(02)

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旧陸軍第11師団偕行社(明治36年築)。長らく善通寺市立郷土館として親しまれていましたが、平成13年に国の重文に指定されたのを機に平成16年より復元・改修工事が行なわれ、平成19年より旧善通寺偕行社として公開されています。

香川県善通寺(01)

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JR善通寺駅(大正11年築)。綺麗に改修されていますが、車寄せの柱の塗装などに歴史がうかがえます。

滋賀県彦根(13)

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商工会議所裏で見かけた洋館付き住宅。

滋賀県彦根(12)

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彦根地方気象台(昭和7年築)。各地に残る気象台と同じ匂いを感じるアールデコ調のモダンな建物です。

滋賀県彦根(11)

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旧彦根高等商業学校同窓会館(昭和13年築)。ヴォーリズ設計による建物で、現在も滋賀大学陵水会館として使われています。

滋賀県彦根(10)

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旧彦根高等商業学校講堂(大正13年築)。ヴォーリズ建築事務所設計による、かわいらしい塔屋の付いた建物で、現在は滋賀大学経済学部講堂として使われています。

滋賀県彦根(09)

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スミス記念堂(昭和6年築)。旧彦根高等商業学校の英語教師であったアメリカ人牧師、パーシー・アルメリン・スミス氏が私財を投じ、地元の宮大工宮川庄助により建てられた和風の礼拝堂です。道路の拡幅工事で平成8年に解体保存され、平成18年に隣接地に復元されました。

滋賀県彦根(08)

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日本基督教団彦根教会(昭和35年築)。戦後の物件とのことですが、扉の上に掲げられた「彦根基督教会堂」の大きな文字の額が歴史を感じさせます。

滋賀県彦根(07)

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シブヤ写真館。河原町の一本裏の通りに見かけた写真館です。

滋賀県彦根(06)

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宇水理髪店(昭和11年築)。旧河原町郵便局の斜向かいに建つ、モダンな理髪店です。

滋賀県彦根(05)

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旧本町郵便局(大正13年築)。旧河原町郵便局と同時期に、同じ材料で建てられた旧局舎です。

滋賀県彦根(04)

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旧河原町郵便局(大正期築)。昔のままの商店街に残る、スクラッチタイルの旧局舎です。

滋賀県彦根(03)

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旧彦根信用金庫本店(大正13年築)。表通りから一本内側の通りに建っており、現在「俳遊館」として公開されています。

滋賀県彦根(02)

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旧百三十三銀行本店(大正14年築)。商店街の中央部に位置し、滋賀銀行本店として現役です。

滋賀県彦根(01)

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旧明治銀行彦根支店(大正7年築)。現在、滋賀中央信用金庫銀座支店として使われています。

千葉県習志野(01)

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習志野市立津田沼小学校の円形校舎。東棟(昭和32年築)、西棟(昭和33年築)で、2棟の並ぶめがね校舎となっています。これまで小生が目にしてきた円形校舎に比べ、ここの円形校舎は圧迫感がなく解放感があります。これは、おそらく立地が高台ではなく平地であり、円形校舎の円周が大きいからなのでしょう。近々、建替えのために解体予定とのことで、敷地南側に新校舎を建て、北側に並ぶ円形校舎を解体する計画とか。何とか残せないものか、残念でなりません。


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高知県安芸(08)

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津田クリニック。高台の塀の奥に木造の入院棟が見えたので、全貌の見える場所はないかと廻ってみたのですがダメでした。

高知県安芸(07)

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安芸カトリック教会聖母献身會司祭館。安芸カトリック教会の裏側に廻って見ると、この司祭館がありました。スパニッシュな、ちょっとヴォーリズっぽい雰囲気の建物です。

HPによれば、教会、司祭館共、昭和26年(1951年)築のようです。
http://www.omijapankorea.net/ja/history/history4.html

高知県安芸(06)

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安芸カトリック教会。建物のボリュームに比べ、尖塔の細さが印象的です。

高知県安芸(05)

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たんぽぽ乳児保育所。おそらく、かつては何かの庁舎だったのではないかと思われます。

高知県安芸(04)

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松本外科。拡幅された道路沿いに建つ個人医院で、窓枠や扉がアルミサッシに替えられています。

高知県安芸(03)

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旧百貨店のそばにあるたばこ屋さん。

高知県安芸(02)

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旧黒岩百貨店(昭和5年築)。旧市街地の入口にそびえ建つ、小生好みのコーナーがアールを描くモダン建築です。

高知県安芸(01)

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安芸の野良時計(明治20年頃築)。安芸市街から1キロほどの土居地区にあります。以前は畠中の櫓時計と呼ばれていたようですが、1975年のNHK「ゆく年くる年」で野良時計と紹介され、その後野良時計の名が定着したとのことです。25年ぶりに訪ねましたが、道路が広く綺麗になり、周囲の様子も一変していました。当時は、知る人ぞ知るというようなところだったのですが……。野良時計の前の畑には、観光用でしょうか、菜の花が植えられていました。

埼玉県岩槻(02)

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旧中井銀行岩槻支店(大正後期築)。国の登録有形文化財で、東玉大正館として活用されています。

埼玉県岩槻(01)

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旧岩槻警察署(昭和5年築)。現在、岩槻郷土資料館として公開されています。

埼玉県大宮(03)

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旧三菱金属鉱業中央研究所(昭和13年築)。以前は、塔屋に赤いスリーダイヤモンドのマークが付いていたのですが、いつの間に無くなってしまいました。

埼玉県大宮(02)

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日進湯。大宮駅にもっとも近い銭湯です。

埼玉県大宮(01)

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日本聖公会大宮聖愛教会(昭和9年築)。

埼玉県浦和(02)

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浦和諸聖徒教会(昭和3年築)。

埼玉県浦和(01)

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鈴木写真館(昭和4年築)。NHKの朝ドラ「なっちゃんの写真館」のモデルになった写真館と聞いていますが、ここでロケがあったのかは不明です。最近では、同じくNHKドラマ「八日目の蝉」でロケが行われています。

高知県高知(31)

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縣米倉庫。縣米の事務所棟の裏に建つ大きな倉庫です。

高知県高知(30)

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縣米。高知駅前に建つ銀行のような建物です。

高知県高知(29)

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旧農林中央金庫高知支店。看板が外され、建物の今後が心配です。

高知県高知(28)

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大川筋の洋館。武家屋敷の洋館付き住宅です。

高知県高知(27)

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木立の奥にチラリと見える永国寺町の洋館。この地区は戦災から免れたようで、古い建物が多く残っています。

高知県高知(26)

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高知聖パウロ教会(昭和7年築)。高知城の北東に位置する永国寺町に建つ日本聖公会の教会です。

高知県高知(25)

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炭火焼肉牛王。帯屋町の看板建築です。

高知県高知(24)

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上森住宅商事。高知の駅前通りに面して建つ看板建築です。

高知県高知(23)

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はりまや町の下見板の洋館。小さな建物ですが、旧医院ではないかと思われます。

高知県高知(22)

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四銀ビジネスサービス。角地に建つ旧銀行の建物です。

高知県高知(21)

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百足屋産業本社。赤いムカデマークの足袋屋さんの本社社屋で、正面左側面には円筒状の階段室が張り出しています。

高知県高知(20)

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酒処しこく。はりまや町にあるドイツ破風の建物です。

高知県高知(19)

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帯屋町の商店街にある店舗ビル。うっすらと切り抜き文字の看板跡が見えるのですが、判読できませんでした。

高知県高知(18)

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クリーンウエスト。花街であった玉水町に建つモダンな建物です。

高知県高知(17)

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旧高知市水道局ポンプ舎。鏡川から旭浄水場へ水を送るための施設で、現在は旭西部公民館として使われています。

高知県高知(16)

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高知市水道局旭浄水場(大正14年築)。残念ながら改修工事中で、近づくことも許されませんでした。

高知県高知(15)

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旧江戸徳。上町五丁目電停前の看板建築です。

高知県高知(14)

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旧旅館たちや。上町五丁目の電停前にある看板建築です。

高知県高知(13)

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刈谷医院の旧門柱。塞がれていますが、上町にある現役の皮膚科医院の旧門柱です。

高知県高知(12)

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上町の倉庫。ドイツ破風の重厚な倉庫です。

高知県高知(11)

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上町のレンガ蔵。開口部周囲の白漆喰とイギリス積みの目地の美しさが印象的です。

高知県高知(10)

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清水歯科医院。1階の押し開き窓がモダンです。

高知県高知(09)

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旧海南中学校校舎(昭和7年築)。現、高知県立高知小津高校の校舎の一部として活用されています。

高知県高知(08)

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S邸(昭和5年築)。小津高校前にある洋館付き住宅です。

高知県高知(07)

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雨森灸治療所(昭和14年築)。高知城西側の静かな武家町にある医院です。

高知県高知(06)

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織田歯科医院(大正14年築)。現役の医院建築です。

高知県高知(05)

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上町の煉瓦蔵。お屋敷の跡地と思われる駐車場の奥に、この蔵だけが残されていました。煉瓦蔵には不要かと思われる、高知特有の水切り瓦が廻っています。

高知県高知(04)

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第六小学校(昭和9年築)。門柱がアールデコっぽく見えたので校舎をよく見ると、円窓やアールを描いた昇降口横の部屋などのある、時代の建物でした。おそらく内装も、アールデコの装飾が残っているのではないでしょうか。

高知県高知(03)

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中島町カトリック教会(昭和33年築)。戦後の建物ですが、門や塀の上などに古い装飾が残っています。

高知県高知(02)

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鷹匠町にある煉瓦蔵。鏡川沿いには多くのお屋敷が建ち並んでいます。

高知県高知(01)

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旧制城東中学校(昭和6年築)。高知城のすぐ下にある建物で、追手前高等学校本館として現役です。

埼玉県川越(08)

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レーシングスポーツフジタ(大正8年築)。

埼玉県川越(07)

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そば工房「蕎花」川越札の辻店。

埼玉県川越(03)

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カワモク展示場向かいの洋室付住宅。

埼玉県川越(02)

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旧県立川越高等女学校作法室(明治44年築)。現在、県立川越女子高等学校明治記念館として敷地内に保存されています。古い煉瓦造の門柱も残されています。

埼玉県川越(01)

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旧カワモク展示場(昭和2年築)。材木屋であるカワモクの展示場として建てられ、直後に旧六軒町郵便局となり、現在はレストラン「リストランテ・ベニーノ」として使われています。登録文化財。

埼玉県行田(13)

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理容斉盛軒。石造風の看板建築です。

埼玉県行田(12)

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国道沿いに建つ三角屋根の建物。外壁やサッシが改修されていますが、尖った屋根を見ると、これはホンモノです。

埼玉県行田(11)

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行田郵便局の向かいにある、スチールサッシの入った左右対称の建物。残念ながら、中央の丸いマークが判読できません。

埼玉県行田(10)

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旧小川源右衛門蔵(昭和2年築)。大谷石造の商品倉庫で、現在はカネマル酒店の倉庫として現役です。

埼玉県行田(09)

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イサミ本社工場(昭和初期築)。木造のノコギリ屋根の足袋工場です。

埼玉県行田(08)

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田代医院。飾り気のない四角い建物ですが、よく見ると腰まわりにはタイルが貼られ、玄関横には棕櫚が植えられ、洋館のお約束を守っています。

埼玉県行田(07)

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大澤家文庫蔵(大正15年築)。焼過煉瓦と白い石の帯は、どこか辰野式を彷彿とさせます。

埼玉県行田(06)

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旧栄冠被服の石造の門(大正5年築)。右手の3階建の土蔵(現クチキ建築設計事務所)と、左手の土蔵(現足袋蔵ギャラリー門)との間にある裏門です。

埼玉県行田(05)

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カフェ閑居(昭和初期築)。行田の初代市長奥貫賢一氏の邸宅を改装したカフェです。

埼玉県行田(04)

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旧フヂイ写真館(大正築)。旧忍町信用組合と同じ通りに建ち、現在、長井写真館として現役の建物です。

埼玉県行田(03)

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旧忍町信用組合(大正11年築)。車の入らないような横道にチラリと見えた下見板張りの建物で、旧医院かと思いましたが、調べてみると旧銀行の建物でした。現在、新町自治会集会所となっています。

埼玉県行田(02)

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旧忍貯金銀行(昭和9年築)。現在、武蔵野銀行行田市店として現役の銀行建築で、国の登録文化財です。間口の大きさに比べ奥行きがあります。

埼玉県行田(01)

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柳乃湯。行田には結構銭湯が多いのですが、それは足袋工場の女工さんたちが沢山いたかららしいです。

富山県城端(05)

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旧城端醤油の煉瓦造の培菌室。じょうはな織館の裏手にチラリと見えた赤煉瓦の建物です。

富山県城端(04)

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旧城端警察署。急な坂道の上に建ち、現在、西下町公民館として使われています。

富山県城端(03)

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桂湯。大通りから一本入ったところにある旧銭湯の建物で、現在は雑貨店として使われています。

富山県城端(02)

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旧城端織物組合事務所(昭和3年築)。現在、じょうはな織館として公開されており、国の登録文化財です。

富山県城端(01)

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JR城端駅(明治30年築)。城端線の終点で、開通当時から使い続けられている駅舎です。

富山県石動(06)

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旧松沢小学校校舎(明治38年築)。現在、森田建設が社屋として保存・活用しています。
敷地内には、大正10年築の旧体育館、昭和8年築の校舎も併せて活用されています。

富山県石動(05)

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旧住田医院か? 以前、ここを通りかかったときに、この古そうな洋館を見つけていたのですが、今回、webを検索してみると、どうも旧住田医院のようでした。

近代建築を訪ねて温故知新
http://agen.at.webry.info/200803/article_16.html

富山県石動(04)

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大沼安太郎商店。玄関ポーチと事務所部分が洋風になっています。

富山県石動(03)

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加越商事。小矢部市役所そばの交差点角に建つ事務所建築です。

富山県福岡(06)

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商店街の外れで見つけた木造の建物。官舎などではないかと思いますが、どうでしょう。

富山県福岡(05)

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高い土塀の中にチラリと見えた洋館です。残念ながら、背伸びをしても全貌を見ることはできませんでした。

富山県福岡(04)

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まちの駅ふくおか。元々は、農協関係の事務所ではないかと思います。

富山県福岡(03)

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花岡医院。古い町家の商店街沿いに建つ下見板張りの医院です。

富山県福岡(02)

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旧郵便局。残念ながら外壁が直されていますが、シンメトリーな窓や扉の配置、そして丸形ポストが効いています。

富山県石動(02)

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旧大谷記念会館(昭和36年築)。ホテルニューオータニの創業者大谷米太郎氏の寄付により生家近くに建てられ、現在、小矢部ふるさと博物館として公開されています。

富山県石動(01)

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旧宮島村役場(大正15年築)。昭和61年に移築され、現在は個人宅となっています。

富山県福岡(01)

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旧福岡町役場(大正13年築)。町を見下ろす高台の一角に移築され、現在、福岡町歴史民俗資料館として公開されています。

富山県入善(04)

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東洋紡績入善工場塵突。入善駅からチラリと見える塵突です。全貌が見えないかと工場敷地をぐるりと一周しましたが、結局、駅のホーム側からしか見えませんでした。

富山県入善(03)

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米澤医院。入善の駅前には敷地の大きな何軒かの医院が並んでいます。

富山県入善(02)

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吉田工業石田分工場。路地で見つけたYKKの工場です。

富山県入善(01)

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東洋紡績入善工場事務所(昭和10年築)。なぜスパニッシュの建物なのかは不明ですが、北陸の紡績工場には面白い建物が多いように思います。

富山県黒部(04)

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とちざわ。洋品店によくある新しい洋風の建物かとも思いましたが、屋根中央の角を見て、これは古い建物だと確信しました。

富山県黒部(03)

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山内香山堂。唐破風の付いた寺院のような建物ですが、一番の見どころはやはりガラス貼りの2階で、さすが額縁屋さんだと思いました(笑)。

富山県黒部(02)

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黒部市役所。大通りからアプローチの付いた、堂々とした役所建築です。垂直線を強調した総スクラッチタイル貼り、階段室は全面ガラス貼りという何ともモダンな建物で、左側の増築部分(?)の上には管制塔のような監視塔も付いています。

富山県黒部(01)

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電鉄黒部駅。三角屋根の中央部分の、2本の白い真っ直ぐな柱が目につきます。じゃまでもありますが(笑)。木造のモダニズム建築です。

富山県魚津(04)

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同じく、銅板葺きの看板建築。

富山県魚津(03)

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銅板葺きの看板建築。なぜか富山県の各地にはこのタイプが多く見られます。

富山県魚津(02)

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魚津の旧市街でみつけた洋風装飾の付いた建物。金閣自動車商会本社の隣です。右側の別棟は、倉庫でしょうか。

富山県魚津(01)

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旧十二銀行。現在、魚津水産が使用し、現役です。敷地裏には、大正7年の米騒動のきっかけとなった米蔵も残っています。

群馬県伊勢崎(15)

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アーチ窓のある町家。大通り沿いに建つ商家で、奥には大きな屋敷も見えます。

群馬県伊勢崎(14)

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高橋商店。JR伊勢崎駅前は、現在、区画整理で更地が広がっていますが、その先の一角に建つ看板建築です。

群馬県伊勢崎(13)

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北関東○○○。緑色の背の高い洋館で、旧村越美容院の向かいにあります。

群馬県伊勢崎(12)

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旧村越美容院(昭和2年築)。伊勢崎神社参道の古い商店街に建つモルタル塗の建物です。

群馬県伊勢崎(11)

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設楽外科醫院。腰まわりにスクラッチ風のタイルを貼り、玄関の庇の瓦はスパニッシュ風です。

群馬県伊勢崎(10)

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MOON RABBIT。大谷石の石蔵を活用した店舗ですが、何屋さんなのか不明です。

群馬県伊勢崎(09)

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伊勢崎織物会館。入口部分など、戦前のRC造の学校建築のようなデザインです。

群馬県伊勢崎(08)

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伊勢崎織物協同組合。同じ敷地内にはRC造の事務所棟や伊勢崎織物会館などが建っています。

群馬県伊勢崎(07)

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旧今村医院(明治45年築)。後に黒羽根内科医院旧館となり、平成14年に伊勢崎市へ寄付、道路を隔てて100mほど曳家され90度向きを振り、現在「いせさき明治館」として公開されています。伊勢崎市指定重要文化財。

群馬県伊勢崎(06)

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寿美乃湯(昭和元年築)。関東では珍しい洋風の銭湯です。

群馬県伊勢崎(05)

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日本基督教団伊勢崎教会(昭和13年築)。東武新伊勢崎駅のすぐそばに建つ教会です。

群馬県伊勢崎(04)

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旧時報鐘楼(大正4年築)。戦時中、釣鐘は金属供出され、空襲により塔屋部分も被災し、戦後は消防署の望楼として使用されていました。平成2年に塔屋部分が復元され、伊勢崎市指定重要文化財に指定されています。

群馬県伊勢崎(03)

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東武鉄道新伊勢崎駅(明治43年築)。こちらも、高架駅の計画があります。

群馬県伊勢崎(02)

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JR伊勢崎駅(昭和9年築)。両毛線には多くの個性的なデザインの駅舎がありましたが、高架化により次々と取り壊されています。この伊勢崎駅も、後方に見える高架化完成後には解体とのことです。

群馬県伊勢崎(01)

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旧伊勢崎市立伊勢崎女子高等学校円形校舎(昭和33年築)。伊勢崎高校との統合・共学化にともない、現在は「絣の郷」という名称で市民活動の拠点として活用されています。


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宮城県仙台(15)

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旧岩切郵便局(明治35年築)。隣に新しい郵便局が建てられ、現在は日本新生キリスト教会岩切集会所となっています。

青森県五戸(01)

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五戸町消防団第一分団屯所(大正11年築)。明治12年に建てられた最初の屯所が大正2年の大火で焼失し、同じデザインで大正12年に再建されました。青森県指定文化財。

富山県滑川(09)

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中町会館。ポーチの付いた下見板張りの建物で、古い町屋の家並みの中に洋風の建物が挟み込まれている感じです。

富山県滑川(08)

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PLAND。河口に近い川沿いに建っている開口部がとにかく少ない不思議な建物で、元々は何だったのか非常に興味のある物件です。

富山県滑川(07)

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廣野医院(昭和7年築)。国の登録文化財で、建物側面を見ると、元々は美しい下見板張りの建物だったようです。滑川には面白い建物が沢山残っていて、まち歩きが楽しくなります。

富山県滑川(06)

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旧酒井歯科医院。旧道沿いで見つけた旧医院です。

富山県滑川(05)

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旧医院か? 豆タイル貼りのポーチの柱、腰壁に廻したタイルなど、昭和初期の感じです。

富山県滑川(04)

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タカギ。何屋さんだったのか、大きな石造風の建物と3階建ての建物が合体しています。奥行きもあり、堂々としてます。ちょっと小さいですが、百貨店でしょうか。

富山県滑川(03)

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看板建築の旧商店。左側におそうざいの売場が付いているので、肉屋さんでしょうか。

富山県滑川(02)

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ベビーランド。普通の町屋に、モルタルの看板が一体化しています。

富山県滑川(01)

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吾妻町のY字路の又に建つ薬局。周囲の建物が解体され、角地に孤立してしまっています。

宮城県仙台(14)

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森民総本家。「森乃菊川」の蔵元です。

宮城県仙台(13)

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白雪とうふ。南材木町で見かけたトタンで覆われた工場壁面です。丁度、白雪とうふの別棟の建物が解体工事中でした。

宮城県仙台(12)

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ほまれや。戦災を免れ、道路の拡幅工事や地下鉄工事からも免れた、地下鉄河原町駅そばの染物屋さんです。

宮城県仙台(11)

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O邸。石名坂で見かけた洋館です。

宮城県仙台(10)

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改革派仙台教会(明治38年築)。荒町の商店街の中ほどで、写真で知っていた建物が突然現れました。

宮城県仙台(09)

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旧陸軍第二師団歩兵第四連隊(明治7年築)。現在、仙台市歴史民俗資料館として使われています。

宮城県仙台(08)

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小野寺歯科医院。円窓と、腰壁にはスクラッチタイルのモダンな医院を見かけました。

宮城県仙台(07)

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旧外人宣教師館(明治30年頃築)。駐車場の奥に、四角い下見板張りの洋館が見えました。かつては、駐車場は前庭だったようです。

宮城県仙台(06)

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旧仙台簡易保険局(昭和11年築)。旧的場邸のすぐ側にあり、現在、かんぽ生命保険仙台サービスセンターとして使われています。

宮城県仙台(05)

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旧的場邸(昭和2年築)。戦災を免れた住宅街に残る、遠藤新設計のモダンな個人宅です。

宮城県仙台(04)

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JR北仙台駅舎(昭和4年築)。周囲はすっかり高層マンションに囲まれています。

宮城県仙台(03)

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三居沢発電所(明治42年築)。東北地方最初の水力発電所の機械室で、現役の建物です。

宮城県仙台(02)

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荒巻配水池入口(大正12年築)。配水地の中央監視廊出入口で、国の登録文化財に登録されています。

宮城県仙台(01)

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荒巻配水所旧管理事務所(昭和8年築)。仙台工業高校出身の菊池孝太郎の設計による、モダニズム建築です。白いアールの階段室に、細いスリット状の窓や円窓が付き、建物の印象を決めています。

青森県弘前(30)

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柴田女子高等学校の円形校舎。駐車場に面して美しい全貌が望める、現役の校舎です。


大きな地図で見る

高知県土佐山田(12)

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旧医院か? 商店街の中ほどにある建物で、煉瓦塀と石造の門柱、下見板張りの洋館、そして奥にちょっと洋風の土蔵が見えます。

高知県土佐山田(11)

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井沢外科の敷地裏で見つけた洋館。

高知県土佐山田(10)

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井沢外科。同じく国道沿いに建つ木造の建物で、RC造の新館が結合して建っています。

高知県土佐山田(09)

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武田内科小児科。国道沿いに建つ小さな洋館で、屋根裏部屋か明かり取りなのか、あるいは通気用なのかは不明ですが、大きな屋根窓が特徴的な建物です。

高知県土佐山田(08)

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旧八井田醫院。県立山田高校のアプローチ横にある木造洋館で、遠くからも特徴のある屋根がよく見えます。

高知県土佐山田(07)

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佐野内科リハビリテーションクリニック。木造校舎のような下見板張りの建物です。旧土佐山田町には、古い医院が多く見られます。

高知県土佐山田(06)

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タオル・民芸かすりショップかっとう。これもコーナーがアールの建物です。

高知県土佐山田(05)

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洋品のしみず。看板のテントに隠されていますが、これもコーナーがアールの店舗です。

高知県土佐山田(04)

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恒石食品。土佐山田の商店街の角地には、コーナーがアールの店舗が目立ちます。

高知県土佐山田(03)

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旧旭湯。銭湯の煙突が見えたので路地に入って見ると、どうも営業していない様子でした。調べてみると、昨年2月に廃業したようです。

高知県土佐山田(02)

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服飾品ひなづる。土佐山田駅に近い旧道沿いの商店街には、昭和の建物が建ち並んでいます。

高知県土佐山田(01)

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土佐山田駅(大正14年築)。南国風なスパニッシュの建物で、現役で使われています。

広島県広島(32)

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山陽文徳殿(昭和9年築)。爆心地から約1.8kmにあるRC造の建物です。敷地は夏草に覆われたままで、建物は使われていない様子です。

広島県広島(31)

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旧広島測候所(昭和9年築)。爆心地から約3.6kmの地点の小高い丘の上にあるRC造のアールデコの建物で、被爆時には広島地方気象台でした。原爆の爆風などで窓ガラスは割れ窓枠が歪んだりしましたが建物は無事で、被爆直後以降も気象観測が続けられました。現在は、広島市江波山気象館として公開されています。

秋田県大館(05)

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北秋本社。大館駅裏で見つけた下見板張りの事務所で、製材所か営林署の事務所ではないかと思われます。

秋田県大館(04)

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北鹿ハリストス正教会聖堂(明治25年築)。大滝温泉駅より約2キロほどの集落にある教会で、秋田県指定有形文化財に指定されています。

秋田県大館(03)

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東大館駅(大正3年築)。大館の中心市街地への最寄り駅となります。学生さんたちでいっぱいでした。

秋田県大館(02)

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虻川食堂。東大館駅前の大衆食堂です。

秋田県大館(01)

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旧有浦小学校(旧大館第三尋常小学校・旧有浦国民学校)奉安殿。現在、東大館駅のそばにある大館神明社の参道に移築され、神輿蔵として使われています。

長野県須坂(09)

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須坂市中央公民館の門柱。3連の玉飾りの付いたアールデコ調のデザインです。

長野県須坂(08)

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旧店舗か? 黒っぽいドイツ壁と、建物両側の柱のようなもの(?)が特徴的です。

長野県須坂(07)

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旧商店。橋の欄干のような看板建築です。

長野県須坂(06)

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鶴田硝子店。派手な黄色い塗装の、正面中央に屋号を掲げる看板建築です。

長野県須坂(05)

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高丸。黒っぽいドイツ壁、細かい窓割り、そして独特のロゴが効いています。

長野県須坂(04)

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柏福呉服店。中央に丸みのある、個人的に好きなタイプの看板建築です。

長野県須坂(03)

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旧医院か? 立派な門柱や車寄せなど、いかにも個人医院だったのではないかと思うのですが、いかがでしょうか。

長野県須坂(02)

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日本キリスト教団須坂教会(昭和8年築)。旧道の中ほどにある教会です。

長野県須坂(01)

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旧上高井郡役所(大正6年築)。間口に比べ、思いの外奥行きのある建物です。教育事務所、保健所などに転用された後、現在は市民交流室などとして活用されています。

長野県小布施(02)

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旧都住小学校校舎(昭和12年築)。WEBで検索してみると、この建物は右側に長く教室の続いていた建物でしたが、隣接する幼稚園用地として解体され、現在の姿になったようで、ちょっと印象が違っています。現在、小布施町歴史民俗資料館として活用されています。
http://www.shinshu.co.jp/local/2002/021129/n10.html

長野県小布施(01)

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旧新生療養所礼拝堂(昭和9年築)。カナダからの寄付によって建てられた結核療養所の礼拝堂です。

愛媛県伊予(05)

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つるや呉服店の隣の建物。カッチリとしたシンメトリーの建物です。

愛媛県伊予(04)

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泉家具店。この商店街には、同じ時期に建てられたと思われるソックリなモルタル塗りの建物が多く建っています。

愛媛県伊予(03)

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旅館つたや。旧医院のような雰囲気のある、モルタル塗りの建物です。

愛媛県伊予(02)

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伊予駅前の通りにある銭湯。シンメトリーで屋根のバランスも良い、ちょっとお気に入りの建物です。

愛媛県伊予(01)

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旧伊予農業銀行郡中支店(明治44年築)。現在、伊予ショップガイド事務所として使われています。

福井県大野(10)

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東湯。大野は東京風の造りの銭湯の多い町です。

福井県大野(09)

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大野城下の洋館付住宅。この洋館は、軒が突き出した雪国仕様です。

福井県大野(08)

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大野城下の洋館付住宅。道路の拡幅工事で、建物ギリギリまで敷地が切られています。

福井県大野(07)

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大野城下の洋館付住宅。この物件は、売りに出ていました。

福井県大野(06)

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大野市酪農農業協同組合。下見板張りの事務所建築です。2階の横一列に連なる窓が近代的です。

福井県大野(05)

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要町で見つけた洋館。新しく建てた喫茶店や美容院ではないかとの疑いもあるのですが、軒まわりがどうもホンモノに見えます。ただ、建物の薄さが……。

福井県大野(04)

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理容小林のある町屋の玄関。この部分だけ洋風に仕上げられています。理容店の並びということは、あるいは銭湯か?

福井県大野(03)

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水本女学校(大正6年築)。明治35年創設の私立学校で、現在、水本学園高等女学校として現役です。

福井県大野(02)

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旧岩治医院(明治45年築)。町の中央部に建つ、下見板張りの木造建築。窓の並んだ細長い建物は、まるで学校の校舎のようです。煉瓦状の腰壁は、実は木にペイントで描かれたものです。

福井県大野(01)

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旧大野織物共同組合事務所(昭和12年築)。現在、平成大野屋として飲食店・観光案内所などに活用されています。登録文化財。

三重県津(06)

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中津軒。明治44年創業の洋食屋さんです。建物の外壁は新しくなっていますが、軒下などに古い建物の痕跡が見えます。

三重県津(05)

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T2の菓子工房北丸ノ内店。大通りの角地に面したスパニッシュ瓦のかわいい建物で、古い建物かどうか迷いますが、丸みをもった入口部分が最近の建物ではないと思われます。

三重県津(04)

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イセヤクリーニング。建物の上部などに、彫りの薄い飾りが付いています。

三重県津(03)

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旧大門百貨店(昭和11年築)。アーケードの交差点角にあるパチンコ大門のスクラッチタイルの外壁に気付き、小路から見上げてみると、アールの付いたモダンな百貨店建築ではありませんか。
調べてみると、名古屋の丹羽英二建築事務所の設計による建物でした。
http://www.niwa-ae.com/ourworks/old_daimon.htm

三重県津(02)

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百五銀行大門町支店(大正13年築)。旧四日市銀行津支店の向かいにあり、現在は建替えにより中央入口部分のみが保存されています。

三重県津(01)

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旧四日市銀行津支店(大正11年築)。アーケードに覆われて全貌が見えません。現在、大門オーデンビルというテナントビルとして現役です。

三重県伊勢(12)

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河崎町のバス通りに建つ事務所建築。入口両側のアールが、何とも時代を現しています。

三重県伊勢(11)

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播田屋本店の看板建築。播田屋は、河崎町にある老舗の和菓子屋さんです。

三重県伊勢(10)

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吹上町で見かけた煉瓦タイルの蔵。煉瓦蔵かと思いましたが、どうもRC造煉瓦タイル貼りのようです。

三重県伊勢(09)

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おかげ横丁灯りの店。三重県芸濃町椋本にあった旧郵便局の建物を移築したものとのことです。

三重県伊勢(08)

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旧伊勢神宮司庁庁舎(明治36年築)。伊東忠太の設計で、現在は神宮道場として使われています。

三重県伊勢(07)

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神宮農業館(明治38年築)。リニューアルがなされ、とても綺麗な建物になりました。

三重県伊勢(06)

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神宮館徴古館(明治42年築)。宮廷建築の多くを手掛けた片山東熊設計による、シンメトリーの堂々とした建物です。

三重県伊勢(05)

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神宮文庫(大正14年築)。皇学館大学の敷地内に建つ図書館です。

三重県伊勢(04)

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旧皇学館大学本館(大正8年築)。平成19年に再移築・全面的改築し、皇学館大学記念館となっています。登録文化財。肥大化した唐破風の車寄せばかりが目についてなりません。

三重県伊勢(03)

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近鉄宇治山田駅(昭和6年築)。テラコッタで賑やかに装飾された高架駅とは思えない長い長い駅舎で、登録文化財に登録されています。

三重県伊勢(02)

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旧山田郵便局電話分室(大正12年築)。現在、フランス料理店ボンヴィヴァンとして活用されています。東京中央郵便局や大阪中央郵便局の設計者である旧逓信省営繕課の吉田鉄郎設計の建物で、登録文化財に登録されています。ちなみに、この建物の本局である旧山田郵便局は明治村に移築され、重要文化財に指定されています。

三重県伊勢(01)

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山田館(昭和3年築)。駅前通りにそびえる木造3階建ての旅館で、登録文化財です。

三重県鳥羽(04)

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商店街で見つけた看板建築。中央上部のアールが、微妙にカクカクしています。

三重県鳥羽(03)

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旧鳥羽小学校(昭和4年築)。RC造のこの建物は、港を見下ろす鳥羽城跡の高台に建っています。鳥羽小学校は2009年1月に新築・移転し、この旧校舎の保全・活用が検討されています。

三重県鳥羽(02)

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旧那須写真館。明治35年に開業した志摩郡第一号の写真館とのことです。この下見板張りの建物自体は、戦後の建物でしょうか。

三重県鳥羽(01)

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公民館。丁字路の突き当たりに建つ建物です。近所での聞き取りで青年団の建物だったとのことでしたが、立地といい、それ以前の用途があったと思えてなりません。

鹿児島県鹿児島(21)

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旧集成館機械工場(慶応元年築)。現在、尚古集成館本館として使われています。

鹿児島県鹿児島(20)

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旧芹ヶ野島津家金山鉱業事業所(明治37年築)。島津家の経営していた鉱山の事務所の建物で、現在、磯庭園そばに移築され、レストランとして使われています。この日は、結婚式で貸切りになっていました。

鹿児島県鹿児島(19)

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旧島津興業吉野林業所(明治42年築)。当初、周囲の施設にあわせて建てられたお土産屋の建物と思っておりましたが、今回ちゃんと見てみると、細工のしっかりとしたホンモノの歴史的建造物でした。現在、磯工芸館という薩摩切子の販売所になっています。

鹿児島県鹿児島(18)

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旧鹿児島紡績所技師館(慶応3年築)。薩摩藩が、イギリスの近代技術を導入するために開いた集成館での、外国人技師のためのゲストハウスです。耐震問題のため、現在、建物内部への立入りが禁止されています。

鹿児島県鹿児島(17)

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岩崎邸(大正期築)。かわいいピンク色のハーフティンバーの洋館です。以前は通りからも建物を見ることができたのですが、敷地を切り売りしたのか、敷地角に新しいマンションが建っていました。

鹿児島県鹿児島(16)

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旧鹿児島県立第一高等女学校(昭和9年築)。現、鹿児島県立中央高等学校です。こちらも、コーナーがアールになった建物で、円形(?)の塔屋が付いています。

鹿児島県鹿児島(15)

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旧鹿児島県立第二鹿児島中学校(昭和5年築)。現、鹿児島県立甲南高等学校です。コーナーがアールで、ドーム状の塔屋の付いた特徴的な建物です。

鹿児島県鹿児島(14)

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旧鹿児島刑務所正門(明治41年築)。旧鹿児島刑務所は、司法省大臣官房営繕課の山下啓次郎設計による五大監獄の一つでしたが、昭和61年の移転にともない解体され、石造の正門だけがモニュメントのように保存されました。

長崎県長崎(09)

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旧大北海底電信中継所(明治4年築)。そろばんドックよりさらに4kmほど先にある、半分がコンニャク煉瓦で半分が天草石による不思議な建物です。まだ残っているか心配だったのですが、ちゃんと現存していました。

長崎県長崎(08)

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旧小菅修船所巻上げ機小屋(明治元年築)。「そろばんドック」の名で知られる古い造船所の機械室です。現存する日本最古の煉瓦造の建物で、「こんにゃく煉瓦」と呼ばれる、現在のJIS規格の煉瓦よりも薄い煉瓦で造られています。長崎市内の観光地からはちょっと離れた位置にあり、今回初めて訪れることができました。

長崎県長崎(07)

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三菱重工業長崎造船所史料館か? ここの史料館へは何度か見学を打診しているのですが、土日や祝日が休館のため、未だ希望を果たすことができません。史料館門と表示がありますので、造船所の外から見えるこの煉瓦造の大きな建物が史料館かとも思いますが、何だか違うような気もします。一度、造船所内へ入ってみたいものです。

長崎県長崎(06)

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三菱重工業長崎造船所の事務所棟。占勝閣を望む高台から見えた、階段室の塔屋にアールデコの飾りの付いたRC造の建物です。ドックに貼り付くように建っています。

長崎県長崎(05)

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占勝閣(明治37年築)。三菱重工業長崎造船所の迎賓館です。これまで、造船所に幾度か問い合わせをしましたが、非公開との回答で、見に行くことを諦めていました。しかし、今年WEBでビューポイントがあるということを知り、造船所付近を歩き回って、やっとドック対岸の高台から見ることができました。

佐賀県鹿島(05)

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飯盛酒造。煉瓦造の煙突(大正10年頃築)、及び麹室(大正末築)があります。伝建地区の入口に見える醸造所で、主屋や蔵を含め登録文化財に指定されています。

佐賀県鹿島(04)

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下見板張りの建物。旧浜郵便局の真向かいの建物です。ご商売は何だったのか、9分割の1階左側の窓で屋内がとても明るそうです。

佐賀県鹿島(03)

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旧浜郵便局(昭和12年築)。山中医院の並びに建つ下見板張りの建物で、現在、八宿公民館として使用されています。豊後森の旧三島郵便局とソックリです。当時、郵便局舎には標準仕様でもあったのかも知れません。

佐賀県鹿島(02)

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山中医院。煉瓦塀に促されて建物を覗き込むと、古げな現役の医院が現れました。HP「地域文博・高炉館」で庵田さんがおっしゃる通り、明治期の建物かと思われます。

佐賀県鹿島(01)

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肥前浜駅(昭和5年築)。長崎との県境に位置する長崎街道の宿場町で、伝建地区にも指定されている肥前浜町の最寄り駅です。特急は止まりません。カクカクとした車寄せが印象的です。

大分県豊後森(08)

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パブリックセンターカワイ。旧豊後森機関区への入口近くにある倉庫。事務所の細かい窓割りが気に入りました。

大分県豊後森(07)

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CCストアまるしょう。塚脇集落の商店街で見つけたドイツ壁の建物。左右の窓が非対称なのが不思議です。

大分県豊後森(06)

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白百合美容室。豊後森駅から南へ1kmほど行ったところにある、塚脇集落の商店街の店舗。道路の拡幅工事が行なわれており、周囲の店舗は真新しい建物である中、この美容院だけが古い面影を残しています。曳家をしたか、古い部材を使ったかではないかと思われます。

大分県豊後森(05)

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旧荒木家本家衣装蔵。現在、久留島記念館の一部として公開されています。

大分県豊後森(04)

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旧三島郵便局と同じ通りにある洋館。同じペイントで塗装されています。新しい建物かも知れません。

大分県豊後森(03)

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旧三島郵便局(昭和初期築)。豊後森駅より北へ2Kmほど行ったところに、豊後森藩の小さな城下町が表われます。その商店街の中ほどにある下見板張りの建物で、平成15年よりカフェLetrasとして活用されています。なお、写真の万国旗は、毎年5月に行なわれる「日本童話祭」の飾りつけです。

大分県豊後森(02)

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旧玖珠税務署(昭和9年築)。県立玖珠農業高校の旧正門前にあり、現在、玖珠郡教育会館として使われています。

大分県豊後森(01)

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旧豊後森機関庫(昭和9年築)。大分方面から日田へ向かう列車が豊後森駅へ着く直前、左手に見える往時の扇形機関庫です。小生にとっては、在りし日の旧小樽築港機関庫にもぐり込んでSLを撮影した思い出があり、とても懐かしい光景です。RCの縦柱は、ただの円柱ではなく、上部が漏斗型に広がっています。この手の扇形機関庫では、京都の梅小路機関庫が現役です。

大分県由布(02)

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小野屋農業倉庫事務所。旧日野医院を見学しての帰路、車窓から見えた洋館が気になって、大分から引き返して撮影した物件です。農業倉庫に挟まれた洋館の事務所は、結構各地で見かけます。

大分県由布(01)

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旧日野医院(明治27年築)。温泉地で有名な湯布院の隣町にある、近年まで現役だった擬洋風の医院建築です。以前から、ぜひ見に行きたいと思っていた物件でした。知りませんでしたが、平成11年に国の重要文化財に指定されています。この本館の他、隣接の大きな病棟、離れも重文です。

大分県竹田(06)

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山田歯科。駅に近い川沿いに建つ、屋根の形の面白い建物。歯科の文字が消されている看板もあり、旧医院かも知れません。

大分県竹田(05)

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旧医院ではと思われる木造建築。屋根にビニールシートがかけられています。

大分県竹田(04)

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コーナーにアールの付いた建物。相当厚くモルタルを塗っています。

大分県竹田(03)

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オカモトヤ。3連アーチの看板建築です。

大分県竹田(02)

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三宅洋服店。あいあい傘と同じ通りにある、間口の大きな洋服店です。

大分県竹田(01)

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あいあい傘。竹田の町では、なかなか近代建築に出会うことがでなかったのですが、ようやく見つけた結構本格的デザインの看板建築です。

岐阜県高山(32)

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天神湯。学校のような真四角の建物に、タイル貼りの円柱の破風が付いています。

岐阜県高山(31)

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弘法湯。タイル文字に味があります。

岐阜県高山(30)

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神田湯。飛騨総社のすぐそばにある銭湯です。

岐阜県高山(29)

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桃の湯。撮影しようとしていたら、自転車に乗った人が真ん中に駐輪して入ってしまいました(笑)。

岐阜県高山(28)

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梅の湯。高山には、東京風の破風の付いた銭湯を多く見かけます。梅の湯は、残念ながら「しばらく休業」とのことです。

岐阜県高山(27)

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旧高山町役場(明治28年築)。現在、高山市政記念館として公開されています。

岐阜県高山(26)

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だんだんばたけ。伝統的な町屋の並ぶ高山の町で、下見板張りの洋館は目立つ存在だったと思います。

岐阜県高山(25)

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真工藝。町屋の中に頭を出す洋館。高山における洋館付き住宅の形かと思われます。

岐阜県高山(24)

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町屋の2階を改装した洋館。高山では、このタイプの洋館を多く見かけます。

岐阜県高山(23)

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人形のうつぼ。角地に建つ三軒長屋の店舗です。

岐阜県高山(22)

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おおきや。3階建ての上部に装飾が見えます。

岐阜県高山(21)

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川久金物店。店名のロゴが右上がりに曲がっているその意図は不明です。

岐阜県高山(20)

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上野家具店。商店街に面する、民芸家具の店舗です。

岐阜県高山(19)

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中華そば鍛治橋。交差点は鍛「冶」橋ですが、店名は鍛「治」橋となっています。

岐阜県高山(18)

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八広。商店街から横筋に入ったところにある質屋さん。重厚な煉瓦蔵(?)が、いかにも質屋さんの信用を示しています。

岐阜県高山(17)

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旧医院か? 玄関の庇を支える細かいタイル貼りの柱が目に付きます。

岐阜県高山(16)

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旧歯科医院(大正末築)。帰宅後調べてみると、小道さんのサイトに載っていました。
http://blog.goo.ne.jp/gookomichi/e/e9850b2194b40ec4cd3050301fb1fbc3

岐阜県高山(15)

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理髪店。1階部分が洋風になっています。

岐阜県高山(14)

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美容院。町家の1階部分を洋風に改装した建物です。

岐阜県高山(13)

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住宅敷地の奥で見かけた煉瓦蔵。道路沿の建物の解体で、裏側からも確認することができます。

岐阜県高山(12)

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旧写真店。現在は、おもちゃのかわかみの店舗の一部になっています。中央のとがったアーチと、そのアーチが庇になっていて丸い電灯が取り付けられていることが面白いと感じました。

岐阜県高山(11)

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おもちゃのかわかみ。伝建地区の入口に位置する店舗建築です。2階の細かい窓割りが、とても印象的です。

岐阜県高山(10)

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旧藤井医院。伝統的建造物保存地区の中ほどにある藤井美術民芸館の棟続きにありました。

岐阜県高山(09)

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三ノ町倶楽部。町家を改装したバーで、2階の窓の多さと窓割りの美しさが目につきました。

岐阜県高山(08)

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馬場町の旧高山東尋常小学校そばの事務所。入口の庇の支えが、階段状に迫り出しています。

岐阜県高山(07)

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山岸写真館(大正7年築)。城山の高台に建つ写真館です。

岐阜県高山(06)

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レンガ館。元醸造所の煉瓦蔵だったようです。昨年春、近隣の火事があり、このレンガ館の外壁も煤けています。

岐阜県高山(05)

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オーダーの付いた店舗。現在、スーパーマーケットとなっていますが、旧金融機関ではないかと思われます。

岐阜県高山(04)

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バグパイプ。天狗総本店と川を隔てた向かいにある、土蔵造の洋風建築。

岐阜県高山(03)

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旧春日堂。天狗総本店の向かいにあり、同じ時期に建てられた建物と思われます。

岐阜県高山(02)

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天狗総本店(昭和11年築)。高山の近代建築といえば、この天狗の面のマークの付いている王冠のような装飾の建物が有名です。1階部分がとても綺麗になっていました。国の登録文化財です。

岐阜県高山(01)

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JR高山駅(昭和9年築)。約30年ぶりに訪ねた高山の町でしたが、昔通りの駅舎が迎えてくれました。近代的な建物の外観に比べ、非常に奥行きの狭い建物です。

青森県金木(06)

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正面左端に円柱のあるタイル貼りの店舗。円柱には窓も無く、階段室でも無さそうですので、階段状の上部も含め西洋のお城の城壁をイメージしたものかと思われます。

青森県金木(05)

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中央に円柱のある商店。これは鼻のように見えます。

青森県金木(04)

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肉屋さん。三本の角が目を引きます。

青森県金木(03)

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旧野呂電気。角地に建つ、コーナーの丸い建物です。金木では斜陽館ばかりに目が向きがちですが、少ないながら商店街に看板建築が残っています。

青森県金木(02)

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旧津島家新座敷(大正11年築)。太宰治の兄・文治氏の結婚新居として建てられた、斜陽館と渡り廊下でつながった別棟の建物でした。戦時中には、故郷に疎開した太宰親子が暮らした家です。一昨年より、初めて公開されました。

青森県金木(01)

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旧津島邸(明治40年築)。太宰治の生家です。昭和25年より「斜陽館」として旅館となっていましたが、平成8年に旧金木町(現五所川原市)が引き取り、現在は太宰治記念館「斜陽館」として公開されています。今年は、太宰治生誕100年ということで、金木の町中が太宰治一色です。

青森県五所川原(05)

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八角形の塔屋の付いた下見板張の洋館。駅前の再開発で、五所川原には近代建築が残っていないのではないかと心配していましたが、国道沿の駅から少し離れた地点でこの洋館を見つけました。真四角な2階建ての建物の上に、特徴的な塔屋が付いています。元々の用途は不明です。

青森県五所川原(04)

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青森銀行五所川原支店。五所川原駅前は再開発計画が進行中で、広い範囲で古い建物が一掃されつつあります。駅から数百メートルほど離れた国道沿に建つ、どっしりとした銀行建築です。

青森県五所川原(03)

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旧高橋接骨院。五所川原駅前にそびえる3階建ての建物で、近くに新しい建物で開業しています。

青森県五所川原(02)

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津軽鉄道本社社屋。津軽五所川原駅の隣にあり、左右対称で、中央アーチの中に社章が掲げられています。

青森県五所川原(01)

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津軽五所川原駅。JR五所川原駅に連接して建っている津軽鉄道の始発駅です。

栃木県野木(01)

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旧下野煉瓦製造のホフマン式輪窯(明治22年築)。国内に残る4基のホフマン窯の一つで、国の重要文化財に指定されています。昭和46年まで煉瓦の製造を続けていました。下野煉瓦製造はその後シモレンと改名し、乗馬クラブの経営に転じますが、平成13年に倒産してしまいました。現在、ホフマン窯は野木町所有となっていますが、予算の関係からか修復工事も進んでいない様子です。

青森県田舎館(01)

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川部駅裏、川部和泉郵便局そばにある洋館。大きな屋根が列車からも見える、総人研ぎ仕上げの建物です。

栃木県栃木(31)

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泉町にある、万町交番前交差点そばの3棟続く下見板張りの洋館。旧医院ではないかと思うのですが、聞き取りできませんでした。

栃木県栃木(30)

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山猿。この真四角の建物は、どうなっているのでしょう。

栃木県栃木(29)

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栃木病院そばにある洋館付住宅。

栃木県栃木(28)

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栃木市消防団第七分団ポンプ小屋。旧栃木町役場の手前、栃木市立栃木第二小学校の角にあります。

栃木県栃木(27)

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角地の旧店舗。理容店だったのではないかと思われます。

栃木県栃木(26)

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正喜屋。1階正面左側の大胆な改装は、まるでピロティのようです。耐震は大丈夫か、心配でもあります。3階のように見える部分は、フェイクでしょう。

栃木県栃木(25)

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2軒並んだ看板建築。戦後の復興建築だったのでしょうか。

栃木県栃木(24)

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銭湯と同じ並びにある飲食店。少々、手前の時計塔が邪魔ではあります。

栃木県栃木(23)

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玉川の湯、通称金魚湯(昭和28年築)。午前9時より開いている銭湯です。

栃木県栃木(22)

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永山電機。隣に新しい電機店の店舗が建っていますが、この看板建築の重々しさにはかないません。

栃木県栃木(21)

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寺内理髪師。現役ではないようですが、桃色の下見板張のかわいい洋館です。

栃木県栃木(20)

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カトリック栃木教会(昭和27年築)。JR栃木駅に近い場所に建つ、塔屋のある教会です。

栃木県栃木(19)

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何の事務所だったのか、ちょっと気になる建物です。

栃木県栃木(18)

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柏戸医院。JR栃木駅前にある現役の個人医院です。

栃木県栃木(17)

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菓子舗古里家。建物全面が味のあるタイルで覆われています。

栃木県栃木(16)

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理容若松。このカッコ良さはどこからくるのでしょう。水平を強調したラインや窓、角のアール、左端のクシ目のような細かい横線の装飾など。とてもモダンな建物です。

栃木県栃木(15)

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三角マークの付いた看板建築。空き店舗となっていますが、2階の窓の上に装飾がなされています。

栃木県栃木(14)

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栃木県主食卸株式会社。ショーウインドがありますので、元は別の店舗だったと思われます。

栃木県栃木(13)

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表通りに面して建つ上げ下げ窓のある洋館。1階部分が大幅に改装されていますが、何の建物だったのでしょう。

栃木県栃木(12)

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佐藤外科医院。大谷石造2階建の現役医院です。

栃木県栃木(11)

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大場医院。表通りから一本入ったところにある下見板張りの現役の医院です。近所には、他にも医院が多く集まっています。

栃木県栃木(10)

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関根家住宅店舗(大正11年築)。旧安達呉服店店舗と同じ通り沿いに並び建つ、登録文化財です。

栃木県栃木(09)

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旧安達呉服店店舗(大正12年築)。現在、好古壱番館として活用されている登録文化財です。

栃木県栃木(08)

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岡田記念館。例幣使街道沿いに建つ旧酒店店舗で、2階に洋室が増築されています。

栃木県栃木(07)

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理髪店。まるで映画のセットのようでもありますが、一応。旧道の湾曲した部分にあります。

栃木県栃木(06)

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舘野家住宅店舗(昭和7年築)。2階のベランダや2連・3連のアーチ窓が、旧道沿いの古い町並みの中で目立ちます。

栃木県栃木(05)

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栃木病院(大正2年築)。現役の病院です。久しぶりに見ると周囲の様子が変わり、住宅地になっていました。

栃木県栃木(04)

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旧栃木県立栃木中学校講堂(明治43年築)。校門の両脇に、記念図書館と向き合うように建つ現役の講堂で、登録文化財です。

栃木県栃木(03)

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栃木高校記念図書館(大正3年築)。塗装し直した朱色がちょっと派手すぎるかなとさえ思われる、同校自慢の建物なのでしょう。登録文化財です。

栃木県栃木(02)

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旧足利銀行栃木支店(昭和9年築)。以前見た時とすっかり印象が変わってしまいましたが、現在、飲食店として活用されています。

栃木県栃木(01)

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旧栃木町役場庁舎(大正10年築)。かつて栃木県庁のあった場所に建てられた建物で、現在、栃木市役所別館として現役です。

千葉県千葉(06)

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根本商店。移動前の旧千葉駅から続く駅前通りにある看板建築です。

千葉県千葉(05)

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旧川崎銀行千葉支店(昭和2年築、平成6年部分保存)。この建物を解体してビルを建てる計画を覆し、鞘堂方式で2回の曳家を繰り返してほぼ元の位置に戻して保存されました。何本ものビルの柱がジャマではありますが。

千葉県千葉(04)

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旧神谷伝兵衛稲毛別荘(大正7年築)。浅草の神谷バーや牛久のシャトー・カミヤの創業者の別荘で、現在、千葉市民ギャラリーとなっています。

千葉県千葉(03)

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旧勧業銀行本店(明治32年築)。東京の麹町に建てられたこの建物は、その後、大正15年に京成電気軌道会社に売却されて習志野に移築、さらに昭和15年に千葉市に移築されて千葉市役所、そして昭和40年に千葉トヨペットの本社として稲毛海岸に移築され、現在も現役です。

千葉県千葉(02)

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旧逓信省検見川無線送信所(大正15年築)。吉田鉄郎設計によるモダニズム建築で、DOCOMOMO Japanによる「日本におけるDOCOMOMO135選」の一つに選定されました。現在、千葉市の所有で、保存方法について検討されています。

三重県熊野(05)

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上げ下げ窓と小さなテラスのある洋風建築。何屋さんだったのでしょう。

三重県熊野(04)

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南紀洋裁学院。本町通りと交差するバス通りに面して建っています。

三重県熊野(03)

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立正佼成会松阪教会南紀支部。旧役場とか学校、医院かと思っておりますが、いかがでしょうか。本町通りと交わる小路の途中にありました。

三重県熊野(02)

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旧木本町役場(明治39年築)。本町通りにある木造洋館で、現在、丸田商店となっています。

三重県熊野(01)

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旧紀新銀行(昭和3年築)。本町通りの中ほどにある近代建築で、現在、西衣料品店の店舗になっています。

福岡県門司(14)

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旧門司税関大里仮置場詰所(明治43年頃築)。煉瓦倉庫の立ち並ぶ海岸沿いの突端に建つ建物で、現在、和幸運輸株式会社の事務所として使われています。

福岡県門司(13)

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旧鈴木商店大里製糖所(明治末期築)。鹿児島本線の線路沿いにそびえる4階建ての煉瓦建築で、関門製糖株式会社工場棟として現役です。

福岡県門司(12)

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旧鈴木商店大里製糖所(明治末期築)。現在、関門製糖株式会社工場倉庫として現役です。海岸沿いの敷地内に、煉瓦倉庫が連続しています。

福岡県門司(11)

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旧鈴木商店大里製糖所(明治末期築)。現在、関門製糖株式会社工場倉庫となっています。屋根を失ったのか、数棟をかまぼこ型の大きな屋根で覆い直しています。

福岡県門司(10)

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旧鈴木商店大里製糖所(明治末期築)。現役の関門製糖株式会社工場棟で、国道沿いに煉瓦造が続々と連なっています。

福岡県門司(09)

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旧鈴木商店大里製糖所(明治末期築)。煉瓦造4階建ての巨大な建物で、関門製糖株式会社工場棟として現役です。

福岡県門司(08)

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旧鈴木商店大里製糖所(明治末期築)。現在、関門製糖株式会社工場棟として現役で活躍しています。

福岡県門司(07)

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旧大里製粉所倉庫(大正期築)。現在、ニッカウヰスキー門司工場倉庫となっています。国道沿いに並ぶ煉瓦倉庫群は、とても印象的です。

福岡県門司(06)

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旧鈴木商店大里製粉所倉庫(明治43年築)。日本製粉門司工場原料倉庫の後、現在は3棟のみが残され今後の活用が検討されています。ただ、急がないと老朽化が懸念されます。

群馬県桐生(26)

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旧模範工場桐生撚糸合資会社事務所棟(明治36年築)。現在、絹撚記念館として公開されており、桐生市指定文化財です。

群馬県桐生(25)

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Bell France。桐生の旧ロータリーの一角にある看板建築です。読めない字もあるのですが、「和田商店」と読めます。

群馬県桐生(24)

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さとう。本町通りで看板建築を探して歩き、ようやく見つけた商店です。

群馬県桐生(23)

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フジヤ。古い建物か、新しい建物か、悩んだ物件です。塔屋には、控えめな飾りが見えます。

群馬県桐生(22)

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最初、この建物を見かけたとき、正面の白い漏斗型のデザインに目が行きましたが、よく見ると上部右側が階段状の塔屋(?)があり、アールデコになっているではありませんか。

「昭和のレトロ食堂」さんも、気になる存在としてちゃんと取り上げておられました。
http://syouwa.blog54.fc2.com/blog-entry-284.html

群馬県桐生(21)

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北川眼科医院の向かい側にある下見板貼りの平屋。改装著しいのですが、元公共機関の建物ではないかと思われますがいかがでしょうか。

群馬県桐生(20)

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北川眼科医院(昭和12年築)。古そうな建物だと撮影しておいたのですが、調べてみるとやはり由緒ある建物でした。安田祥子・由紀さおり姉妹が、幼少時にここに間借りして住んでいたとのことです。

ブログ「昭和のレトロ食堂」さん
http://syouwa.blog54.fc2.com/blog-entry-126.html

群馬県桐生(19)

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金谷レース工業鋸屋根工場(大正8年築)。日本煉瓦製造製の煉瓦による、イギリス積みのノコギリ屋根の織物工場です。隣の敷地が寺院の墓地なのも驚きでした。

群馬県桐生(18)

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金谷レース工業事務所(昭和初期築)。スクラッチタイル貼り、円窓付きの登録文化財です。建物の前の棕櫚も、近代建築とセットの風景です。

群馬県桐生(17)

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旧桐生高等染織学校門衛所(大正5年築)。群馬大学工学部守衛所として現役です。

群馬県桐生(16)

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旧桐生高等染織学校本館(大正5年築)。現在、群馬大学工学部記念館として大切に保存されています。

群馬県桐生(15)

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一の湯。織物工場の女工さんたちで賑わった銭湯ということです。

群馬県桐生(14)

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森合資会社事務所(大正3年築)。白いタイル貼り、緑青の銅板屋根や飾りが、蔵造りの町並みのアクセントとなっています。

群馬県桐生(13)

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旧北川織物工場事務所(大正5~10年築。昭和3年に洋風に改装)。左隣にのこぎり屋根の木造工場(大正5~10年築)が続いています。現在、無鄰館と呼ばれる芸術家集団工場となっています。

群馬県桐生(12)

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住宅として使用されている大谷石の石蔵。

群馬県桐生(11)

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ふるた文具。大谷石で覆われた看板建築。少なくとも、石造ではありません。

群馬県桐生(10)

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本町通りの看板建築。あっさりした四角い建物ですが、窓の上に2つのアーチと中央にダイヤの飾りが付いています。

群馬県桐生(09)

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旧矢野倉庫煉瓦蔵(大正9年築)。醤油の醸造業を行なっていた矢野商店の土蔵など11棟の倉庫群の中の煉瓦蔵で、現在、イベントスペース「有鄰館」として活用されています。

群馬県桐生(08)

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桐生倶楽部(大正8年築)。とにかく賑やかな建物です。桐生の大正時代が、どれだけ繁栄していたのかを物語ります。

群馬県桐生(07)

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金善ビル(大正10年築)。商店街の街並みの中で、ひときわ高い建物です。

群馬県桐生(06)

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上毛電鉄西桐生駅(昭和3年築)。JR桐生駅の北500mほどのところにある、かわいらしい駅舎です。

群馬県桐生(05)

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旧桐生市水道事務所(昭和7年築)。桐生織物協同組合北側の、道を隔てた敷地に立地しています。現在、桐生市立西公民館として使われており、登録文化財です。

群馬県桐生(04)

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旧赤松外科医院。現在は閉鎖されていますが、縦長窓のなかなかモダンな建物です。

群馬県桐生(03)

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松岡商店(昭和10年築)。桐生織物協同組合の斜向かいにある、円窓とスクラッチタイル貼りの建物。階段状のデザインで統一されています。

群馬県桐生(02)

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桐生織物協同組合(昭和8年築)。スクラッチタイル貼りで、縦の線の強調された、当時の流行を取り入れた外観デザインとなっています。

保内町の竹筋コンクリート橋

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昨年末、愛媛県の八幡浜市保内の町を歩いた折、竹筋コンクリートの情報を得ました。昭和16年架橋の「旧和田橋」が、竹筋コンクリート造だったとのこと。残念ながらこの「旧和田橋」は、平成11年の台風で倒壊してしまい、現在は親柱と花崗岩の部材とでモニュメントとして展示保存されています。

竹筋コンクリート造の「旧和田橋」はどんな姿だったのか、竹筋コンクリートが使われていたのはどの部分だったのか、そして、倒壊する前から竹筋コンクリート造ということが知られていたのか等々、知りたいことばかりです。

ネットで検索してみると、岡崎直司さんのブログのコメントに、ちょっと出てくる程度です。「旧和田橋」について、もっと詳しい情報をお持ちの方、ぜひお知らせください。

どうも、現存の竹筋コンクリート造には、なかなか簡単には出会えないようです。

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現在の和田橋

群馬県桐生(01)

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坂光商店。桐生駅前の正面に、ポツンと建っている看板建築です。

愛媛県保内(08)

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小公園の一角の煉瓦倉庫。この公園の敷地に、もともとあった建物かと思われます。

愛媛県保内(07)

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内之浦公会堂(昭和12年築)。保内の町から西に1kmほど行った集落にある建物で、登録文化財です。四角い陸屋根に見えますが、裏から見ると大きな瓦屋根の建物です。

愛媛県保内(06)

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ポーチの付いた建物。旧用途は不明ですが、医院ではないかと思われます。

愛媛県保内(05)

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美名瀬橋(昭和8年築)。この昭和ヒトケタ時代の橋の欄干は、全国的に連アーチのデザインになっています。

愛媛県保内(04)

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旧宇和紡績川之石工場煉瓦倉庫(明治22年築)。現在、製材業の八興産業が使用しています。

愛媛県保内(03)

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旧宇都宮壮十郎邸(明治34年築)。現在、二宮医院として使われています。

愛媛県保内(02)

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旧白石和太郎洋館(明治36年築)。現在、内部が一般に公開されています。近年の改修の際、屋根の鬼瓦に付着していた新聞の日付から、明治36年築と判明したとのことでした。

愛媛県保内(01)

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旧日進館事務室(明治後期築)。蚕の卵を生産する蚕種製造業の建物で、後に愛媛蚕種株式会社となり現在も操業中です。後方の第一蚕室、第二蚕室(大正8年築)と共に、登録文化財です。

愛媛県大洲(01)

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旧大洲商業銀行(明治34年築)。現在、おおず赤煉瓦館として公開されています。

三重県多気(01)

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旧藤井医院。旧相可町の中央部、三重県立相可高校の近くで見かけた物件で、道の向かいには新しい医院が開業しています。

三重県尾鷲(06)

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車庫に使われている廃墟。アールの付いたコーナーや半円の妻(?)など、粘土で造形したような建物です。

三重県尾鷲(05)

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松の湯。定番のタイル絵が状態もよく美しい、現役の銭湯です。

三重県尾鷲(04)

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土井本家(浜中屋敷)洋館(明治21年築)。ちょうど修復中で、近日中に足場を外すとのことでした。熊野街道側には、正門と石のアーチの通用門があります。

三重県尾鷲(03)

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見世土井邸(忠兵衛屋敷)。林業で財を成した土井家の分家で、円窓のあるスクラッチタイル貼りのモダンな洋館です。

三重県尾鷲(02)

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旧教会。現在は教会として使われていない様子です。

三重県尾鷲(01)

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日本通運尾鷲支店。尾鷲駅前にある「日通物件」ですが、2階両端のアーチ窓がこの建物の魅力です。

富山県砺波(04)

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真如院。駅に近い、町の中心部にある寺院です。神明宮、五十橿神社と同じ広い敷地内にあります。

富山県砺波(03)

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下見板張りの個人宅。ちょっと洋風な玄関の庇がポイントですが、雪国にも関わらずなぜこんなに浅い庇なのでしょう。

富山県砺波(02)

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青葉洋裁技芸学校。外壁の塗装がだいぶ老朽化しており、今後が少々心配です。

富山県砺波(01)

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旧中越銀行本店(明治42年築)。当初、町の中心部に建っていましたが、再開発計画によりチューリップ公園の一角に移築され、現在、砺波郷土資料館として活用されています。

富山県富山(04)

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旧大和富山店(昭和9年築)。現在は、空家となっています。昭和初期には、全国各地で競って百貨店が建てられました。

富山県富山(03)

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富山電気ビルディング(昭和11年築)。大きな区画を占め、電力富山の象徴的建物です。

富山県富山(02)

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三井住友銀行富山支店。アーケードに隠されていますが、2本のオーダーが付いています。

富山県富山(01)

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富山第一銀行本店(昭和26年築)。戦後の物件とは思えない建物です。

広島県可部(02)

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可部の町の中央で、街道がクランク状になっている角にある礎石。「可部貯蓄銀行」とあります。近所の方にうかがうと、火の見櫓の基礎とのことでした。クランクの奥には、かつては郡役所があったそうです。

広島県可部(01)

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シゲタ写真舘。JR可部線の終点である可部駅から約1kmほど北に進むと、街道沿いの可部の町が広がります。残念ながら、道路の拡幅工事で町の古い建物の多くが失われてしまいましたが、この写真館は曳家で保存されたとのことです。

富山県福野(08)

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旧授眼蔵図書館(大正8年築)。建築家吉田鉄郎が、東大在学中に設計した建物として有名です。吉田鉄郎は、のちに逓信省営繕課で東京中央郵便局や大阪中央郵便局の設計をした、日本のモダニズム建築家です。

富山県福野(07)

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旧富山紡績工場横の住宅。外壁が改修されていますが、元々は下見板張だったと思われます。

富山県福野(06)

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旧富山紡績工場(大正10年築)。煉瓦造のノコギリ屋根です。

富山県福野(05)

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旧富山紡績工場事務所(大正10年築)。現在、ファブリカトヤマの工場として現役です。

富山県福野(04)

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富山第一銀行福野支店。市街地の中心の交差点角地に建つ、堂々とした銀行建築です。

富山県福野(03)

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福野駅(明治30年築)。旧中越鉄道開業時からの駅舎です。

富山県福野(02)

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旧トナミ運輸事務所。まるで金融機関のような、堂々とした連アーチの建物です。

富山県福野(01)

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旧富山県簡易農学校本館(明治36年築)。「巖浄閣」と命名され、現在、富山県立南砺総合高等学校福野高等学校の敷地内で大切に保存されています。国の重要文化財です。

富山県小杉(03)

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旧小杉町役場庁舎(昭和9年築)。現在、竹内源造記念館として活用されています。

竹内源造は小杉町に生まれた鏝絵職人で、富山県を中心に、東京の帝国ホテルの貴賓室や大連の朝鮮銀行なども手掛けています。

「鏝絵の名人竹内源造ワールド」
http://www.genzou-world.net/

富山県小杉(02)

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旧小杉貯金銀行本店(明治33年築)。土蔵造の銀行建築です。現在、小杉展示館として転用・公開されています。

富山県小杉(01)

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旧小杉郵便局(大正13年築)。旧道に面して建てられた木造モルタル塗の建物です。拡幅工事により、周囲の建物は後退して建て直され、この建物の部分だけセットバックしていませんが、大丈夫でしょうか。

富山県井波(05)

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旧富山紡績井波工場塵突(昭和7年築)。当初、この高台のステージのようなモノは何なのだろうと思っていましたが、調べてみると「塵突」という紡績工場にツキモノの施設で、「糸くずや埃などを集中して廃棄する設備」(HP「近代化産業遺産 総合リスト」)とのことです。

富山県井波(04)

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旧富山紡績井波工場事務所(昭和7年築)。現在、東洋紡績井波工場の事務所として現役です。

富山県井波(03)

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瑞泉寺の門前町の看板建築。1階は改築されていますが、2階の窓を見ると、かつてどんな建物だったのかを想像してしまいます。

富山県井波(02)

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旧北陸銀行井波庄川支店(昭和18年築)。現在、井波美術館として活用されています。

富山県井波(01)

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旧加越能鉄道井波駅(昭和9年築)。廃線後、井波町物産展示館として活用されているのですが、曜日のせいか、いつ行っても閉まっています。

富山県庄川(03)

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洋館、洋風蔵のある家。井波から庄川へ向かうバスの途中で見かけ、教室風の建物が気になって歩いて戻って撮影しました。ご商売は、建築関係とのことでした。

富山県庄川(02)

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木村産業(昭和4年築)。富山県内のRC造としては最初期の建物で、竹内源造の派手な鏝絵やアールデコのステンドグラスなど、過剰な装飾が満載です。

富山県庄川(01)

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Gun Shop YONEMICHI。下見板張りのこの白い建物は、旧郵便局ではないかと思います。

栃木県黒磯(04)

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石倉。黒磯駅前周辺を歩くと大谷石の石倉を多く目にしますが、この石倉には唯一、側面に装飾がありました。

栃木県黒磯(03)

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仁愛会サロン。駅前通りが国道に突き当たる丁字路にある大谷石の平屋建て。入口のアーチや縦長の窓などが特徴的です。旧郵便局か、金融機関ではないかと思われます。

栃木県黒磯(02)

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明治屋。黒磯駅前にある温泉まんぢゅう屋さんです。

栃木県黒磯(01)

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旧黒磯銀行本店(大正7年築)。登録文化財の物件で、現在、カフェ・ド・グランボワとして営業中です。

福島県梁川(01)

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旧歯科医院か? 昭和61年に大洪水があり、復興計画により古い中心市街地は一掃されて、全く新しい町並みとなりました。そんな中で見つけた、ちょっとモダンな近代建築です。外観の全貌が見えませんが、玄関部分のアーチ、2階上部にめぐらせたタイルなどが見どころです。

宮城県槻木(01)

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宗運株式会社。阿武隈急行(旧丸森線)の宮城側の始発である槻木駅で、列車の接続待ちの間に町に出て見つけた物件。旧槻木郵便局ではないかと思われます。

宮城県角田(03)

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サンコーホーム。この建物は、明らかに旧金融機関かと思われます。昭和30年代位の建物でしょうか。

宮城県角田(02)

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お菓子のささもり。当初、新しい建物ではないかと考え撮影しなかったのですが、思い直して戻って撮影した建物です。

宮城県角田(01)

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長屋事務所。角田町の総覧物件は、全てがすでに解体済でした。やっとこの建物を見つけたときは、角田の町を探し歩いた苦労が報われた思いでした。

宮城県丸森(05)

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旧丸森郵便局(昭和10年築)。丸森町の中心部にある近代建築です。

宮城県丸森(04)

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越後タクシー丸森営業所。建物が看板と一体となった、まさに看板建築です。

宮城県丸森(03)

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事務所。消防車車庫の隣の建物で、昭和30年代の役所や公民館などの公共建築かと思われます。

宮城県丸森(02)

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消防自動車車庫。桜のマークの付いた、木造モルタル塗のポンプ小屋です。

宮城県丸森(01)

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丸森橋(昭和4年築)。阿武隈急行丸森駅から丸森の町へ向かう途中に架かるトラス橋です。

鳥取県倉吉(01)

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旧明倫小学校(昭和30年築)。市側より、来年平成21年度中に解体の方針が示されています。


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山口県萩(01)

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萩光塩学院(昭和30年築)。現役の円形校舎で、円形校舎としてはかなり早い時期の建物です。


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福井県小浜(03)

旧小浜小学校(昭和34年築)。新しい敷地に新校舎を建て学校ごと移転し、今年の春、この円形校舎は廃校となりました。2つの円形校舎が渡り廊下で結ばれた、通称「めがね校舎」です。

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こちらが東側の校舎。

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こちらは西側の校舎。グランドに面しています。

NHKの連続ドラマ「ちりとてちん」で、主人公の母校としてロケ地になりました。


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福島県福島(08)

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旧福島電燈(昭和2年築)。この建物の正面は、左右対称のこの写真の方向だと思うのですが、何故か中央に開口部がありません。

福島県福島(07)

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福島駅前の共同住宅。1階に店舗の入った建物で、大火や震災、戦災の復興や再開発に伴う物件かと思われます。

福島県福島(06)

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日本キリスト教団福島新町教会(昭和2年築)。ヴォーリズ設計の、町並みに馴染んだ建物です。

福島県福島(05)

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高徳本館。福島駅前の不動産屋さん。

福島県福島(04)

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煉瓦倉庫。国道4号線沿い、福島県庁舟場町分館の裏にチラリと見え、近づこうとぐるりと回ってみたのですが、ブロック塀の内でした。HP「銀河放浪」にある、旧日赤倉庫ではないかと思われます。

福島県福島(03)

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理容クマガイ。昨日の宍戸理容所と同じ通りで見つけた看板建築。

福島県福島(02)

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宍戸理容所。正面中央上部の丸い看板が裏から見え、近づいてみると旧銀行の建物でした。マークを見ると、旧第百七銀行ではないかと思われます。

富山県戸出(10)

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戸出駅(明治29年築)。旧中越鉄道開業時の駅舎です。

富山県戸出(09)

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牧クリーニング店。間口の大きな建物です。

動画「まちかどの近代建築」

山形県長井市で開催された、2008年ショートフィルムコンテスト「ながい×じかん」に出品した作品です。この1年間に全国各地で撮影した「全国編」と、長井市内で撮影した「長井編」の2本で、それぞれ3分間のスライドショーになっています。

「まちかどの近代建築(全国編)」

「まちかどの近代建築(長井編)」

富山県戸出(08)

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戸出の商店街を抜けたあたりで見つけた銭湯。入口上のガラスに書かれた銭湯の名が薄くなっていて読めず、現役かどうかも不明です。

富山県戸出(07)

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戸出野神社横の洋館。神社敷地に隣接した個人住宅で、大屋根の美しさが印象的です。

富山県戸出(06)

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戸出野神社の参道にある、モルタル塗りの蔵。高田服装学院の真向かいにあります。

富山県戸出(05)

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高田服装学院。戸出野神社の参道にある下見板張の建物です。

富山県戸出(04)

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沢田金物店。他の町でも、金物店は面白い建物が多いようです。正面左側に塔屋風の四角いものが付いています。

富山県戸出(03)

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仕出し角幸。銀行のある交差点の一角にある建物です。旧医院かと思われます。

富山県戸出(02)

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旧歯科医院。やはり、戸出の町は宝物を秘めていました。このピンク色のかわいい建物は、町の中央の銀行の隣に建っています。

富山県戸出(01)

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城端線に乗ると、いつも気になっていたのが、戸出駅から見えるこの看板建築でした。今回、戸出駅に降り、戸出の町を歩いてみました。

福岡県福岡(13)

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旧福岡県公会堂貴賓館(明治43年築)。福岡県西方沖地震で被害をうけましたが、修復工事も終わり美しい姿を取り戻しました。

福岡県福岡(12)

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日本銀行福岡支店(昭和26年築)。これが戦後の物件とは、驚かされます。

福岡県福岡(11)

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旧制福岡県立福岡中学校(昭和4年築)。現、福岡県立福岡高等学校です。こうして福岡の良質なRC造の公立学校の校舎を見ると、福岡には他にももっと沢山のRC造校舎があってもおかしくないと思います。

福岡県福岡(10)

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旧福岡市立福岡商業学校本館(昭和5年築)。昭和39年に私立東福岡高等学校に校舎・敷地が譲渡され、現在に至ります。校門横に工事計画の掲示が出ており、残念ながら近々解体の予定です。

青森県十和田(03)

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陽静閣。150畳敷の大広間のある老舗旅館です。

青森県十和田(02)

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売物件となっている看板建築。昭和14年の大火後、復興建築が建ったはずなのですが、あまり見当たりません。あるいは、アーケードの下にもっと隠れているのかも知れません。

青森県十和田(01)

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十和田カトリック教会(昭和7年築)。ヒンデル設計。塔屋の屋根が途中で折れているあたりが、いかにもヒンデルらしいです。十和田市(旧三本木市)は、昭和4年と昭和14年の2度の大火があり、市街地の大半が消失してしまったとのことでした。

青森県田名部(07)

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小高い代官山公園の入口に建つ建物。現在は生命保険会社の代理店となっていますが、おそらく集会所か何か公共的な建物だったのではないかと思われます。

青森県田名部(06)

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大橋の向こう側に見えた店舗。函館などにある洋館の店舗の、簡易版のような造りです。

青森県田名部(05)

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大橋(昭和7年築)。飾り気のないコンクリート橋ですが、欄干のアーチがかろうじて時代の気分を現しています。

青森県田名部(04)

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庭田茶店の並びに建つ旧映画館。映画看板の掲げられたであろう、通りに切り立つ壁は、まさに看板建築です。

青森県田名部(03)

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庭田茶店。とりまさの並びに建つ、トタン板張りの看板建築です。

青森県田名部(02)

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とりまさ。田名部(現むつ市)の中心街も再開発が進み、この建物の向かい側は、大きな更地が広がっていました。

秋田県前郷(03)

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ゆり整骨院。トタン板で覆われていますが、玄関部分を見ると洋館だとわかります。

秋田県前郷(02)

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前郷のお屋敷町で、少々変わった塀を見つけました。のぞいてみると、派手な飾りの付いたポーチのある建物でした。主屋と別棟の構成は佐々木歯科医院と同じで、別棟は堂々とした洋館です。元々は、やはり旧医院だったのではないかと思われます。

秋田県前郷(01)

ファイル 2373-1.jpgファイル 2373-2.jpgファイル 2373-3.jpg

佐々木歯科医院(大正10年築)。旧由利町(現由利本荘市)の城下町、前郷にある城郭のような医院です。正面の主屋、左側の木造3階建の養老閣、裏の文庫蔵、そして庭の小便所が、国の登録文化財に登録されています。

青森県大湊(03)

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旧大湊ホテル(現鈴木誠作記念館)。タクシーの運転手さんに、大湊の近代建築といえばコレと勧められた建物です。一般非公開の建物で、塀をよじ登って撮影しました。正直なところ、ここに載せるかどうか迷ったのですが、この建物の違和感を多くの方と共有したくて掲載に踏み切りました。まるでCADで描いたままに再現したような彩色の出来です。平成7年の改修で創業時の姿に復元、平成9年にむつ市の有形文化財に指定され、平成19年に経済産業省の「近代化産業遺産」に認定されました。

青森県大湊(02)

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大湊第一水源地堰堤(明治42年築)。海軍の水道施設として建設された日本最古のアーチ式ダムで、戦後は大湊町の水源として利用されていました。

青森県大湊(01)

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旧大湊水交社(大正4年築)。海上自衛隊大湊地方総監部の基地内にあり、現在、北洋館として公開されています。

青森県田名部(01)

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小嶋商店。木造下見板張の酒屋さんです。以前、恐山へ行くときに立ち寄った田名部の記憶とは、ずいぶん変わっていました。

秋田県矢島(06)

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ハト薬局。土蔵造りの見世蔵です。隣接する住宅には、ちょっと洋館っぽい、アーチ窓やポーチが付いています。

秋田県矢島(05)

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旧公民館か? 下見板張の2階屋が見えたので周囲を回ってみたのですが、全貌がつかめません。この建物の隣には公民館があり、その隣は新しい郵便局がありますので、あるいは旧郵便局かも知れません。

秋田県矢島(04)

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撮影時、この建物の用途がわからなかったのですが、今改めて見直してみると、どうも消防のポンプ小屋のようです。余所で見かけるポンプ小屋に比べ、間口の広い建物です。

秋田県矢島(03)

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出羽の冨士醸造元別館。坂道の途中で、道路から2m位高い位置に建てられています。隣には、酒林の下がった出羽の冨士醸造元の町屋や土蔵が建っています。

秋田県矢島(02)

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旧医院。HP「秋田フィールドワーク」では、今野邸となっています。お隣での聞き取りでは、院長さんは高齢で施設に入っており、現在は空家です。建物の老朽化が著しく、屋根が飛ばないようにロープで押さえている始末です。

秋田県矢島(01)

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旧矢島駅舎。由利高原鉄道の終着駅で、現在は隣に新しい駅舎が建っており、工事事務所となっています。旧矢島町(現、由利本荘市)は、生駒藩の城下町で、山間の小さな町です。

青森県木造(07)

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全労済木造地区共済会事務所。木造駅前通りに建つ、石造風の看板建築です。

青森県木造(06)

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旧川村洋服店。木造駅前通りに建つ看板建築で、現松本クリーニングとなっています。

青森県木造(05)

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奈良組の敷地奥には、このような住宅が建っています。

青森県木造(04)

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奈良組事務所。木造駅前通りに建ち、多分に旧高谷銀行本店と桜庭歯科の影響下にあると思われます。奈良組は、地元の建築会社です。

木造駅舎の巨大な「しゃこちゃん」

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近代建築ではありませんが、青森県の旧木造町(現つがる市)といえば、この木造駅舎(平成4年築)を採り上げなければなりません。京都工芸繊維大学の中川理先生の著書『偽装するニッポン』で見たのか、都築響一著『ROADSIDE JAPAN―珍日本紀行』か、五十嵐麻理著『日本珍スポット100景』だったか、とにかく良くも悪くも、インパクトのある建物です。

地元の亀ヶ岡遺跡から発掘された国の重文の遮光器土偶(愛称「しゃこちゃん」)を、巨大化して取り付けています。叩いてみるとコンクリート製で、中は空洞ではなく充填されていました(足の部分以外は、あるいはハリボテかも知れません)。ウィキペディアによれば「以前は列車の発着に合わせて土偶の目を点滅させていた(「いらっしゃいビーム」)が、子供が怖がるため最近は自粛している。リクエストがあれば点滅可能らしい。」とのこと。

※なお、この「しゃこちゃん」は高さ17.3mとの記載もありますが、どう考えてもそれほど巨大ではないです。17.3mというと、6~7階建てのビルに相当しますから。2階建ての駅舎に付いているのですから、せいぜい7~9mくらいでしょう。

で、この「しゃこちゃん」ですが、五能線の列車の乗客からは全く見えないというのも、困ったものです。どうやら、町民向けに立っているようです。

それにしても、木造(きづくり)という地名は、検索には困ったワードです。木造駅舎は、各地の「もくぞう」の「えきしゃ」がヒットしてしまいます(笑)。

偽装するニッポン―公共施設のディズニーランダゼイション ROADSIDE JAPAN―珍日本紀行 東日本編 (ちくま文庫) 日本珍スポット100景

青森県木造(03)

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旧木造中学校講堂(昭和4年築)。戦後、青森県立木造高等学校の講堂となり、高校の移転後、中央公会堂講堂として現在も利用されています。

青森県木造(02)

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旧高谷銀行本店(大正初期築)。旧木造町(現つがる市)の商店街の中ほどに建つ登録文化財で、現在盛農薬商会倉庫となってます。弘前を中心に多くの近代建築を手がけた堀江組の施工で、名棟梁堀江佐吉の弟、堀江豊吉と三男、堀江竹次郎による建物です。

青森県木造(01)

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五能線の木造駅前に建つ桜庭歯科医院。現在は、やっていない様子でした。今年の7月、五能線に乗ったときにチラリとこの洋館が見え、今回木造の町を歩くことにしたのでした。

富山県福光(09)

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洋館付き住宅の洋館部分。腰壁と窓の上にスクラッチタイルが見えます。

富山県福光(08)

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ヘアーサロンオヤマ。石材多用、ドイツ壁の洋風仕立ての建物です。

富山県福光(07)

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成瀬歯科医院。モダンな木造の医院です。

富山県福光(06)

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旧金沢貯蓄銀行福光支店(大正7年築)。後に電報電話局としても利用されたとのことです。

富山県福光(05)

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旧高宮病院(明治18年築)。福光町の郊外に建つ旧医院で、現在「福祉の家光龍館」として活用されています。

富山県福光(04)

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春乃色食堂。今日は「定休日」の札がかかっています。

富山県福光(03)

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日本キリスト教団福光教会。奥の建物が古そうです。

富山県福光(02)

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居酒屋いなほ。旧末広新地には、屋根の上に鴟尾の載った建物がいくつか見られます。

富山県福光(01)

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旧末広新地の洋館。小矢部川沿いに、大きな料亭を見つけました。その並びに建つアーチ窓の洋館です。

島根県横田(05)

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ファッションルームうめき。昭和30年代かと思われますが、モルタル塗りの看板建築です。

島根県横田(04)

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下見板貼りの洋館。詳細不詳ですが、町家の家並みの角地に建ち、存在感を主張しています。

島根県横田(03)

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旧山陰合同銀行横田支店(昭和14年築)。現在、本町会館となっています。

島根県横田(02)

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旧救世軍横田小隊会館(大正12年築)。現横田相愛教会です。旧横田町(現奥出雲町)の旧道沿い中ほどに建つ、登録文化財です。

島根県横田(01)

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旧八川郵便局(昭和13年築)。旧横田町(現奥出雲町)の八川地区にある建物で、登録文化財です。いかにも郵便局らしい郵便局舎です。

広島県広島(30)

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広島電鉄千田町変電所旧発電棟(大正元年築)。旧ボイラー棟と並んで建っています。入口部分の装飾が見どころです。

広島県広島(29)

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広島電鉄千田町変電所旧ボイラー棟(大正元年築)。爆心地から1.9kmでしたが、倒壊を免れました。現在も現役の頼もしい建物です。

広島県広島(28)

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旧広島文理科大学(昭和6年築)。爆心地より1.4kmの地点。現在、敷地は公園となっていますが、建物の今後は未定とのこと。何とか有効に利用して欲しいものです。

たまたま数日前に知ったのですが、今月、民事再生法の申請をした株式会社アーバンコーポレーションが、この広島大学本部跡地の再開発事業を受注しており、再開発計画は白紙に戻るともいわれています。

広島大学本部跡地の再開発計画
http://www.urban.co.jp/news_contents.html?id=725

広島県広島(27)

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福屋百貨店(昭和13年築)。爆心地から710mの地点で全焼しましたが、現在も福屋百貨店として同じ用途で使われています。古い百貨店の建物は、カッコイイと思います。

広島県広島(26)

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旧三井銀行広島支店(大正14年築)。爆心地より360m。アーケードで覆われていますが、現在、アンデルセンというベーカリーが活用しています。

広島県広島(25)

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旧日本銀行広島支店(昭和11年築)。爆心地から380mですが、外観はそのまま残りました。解体話もありましたが、保存運動の末、現在、ギャラリーとして活用されています。

広島県広島(24)

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旧大正屋呉服店(昭和4年築)。爆心地から170m、上空580mの地点での原爆炸裂ですので、ぼぼ真上からの被爆でした。現在、広島市平和記念公園レストハウスの名で、無料休憩所と観光案内所として活用されています。

広島県広島(23)

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旧広島県物産陳列館(大正4年築)。いわゆる原爆ドームですが、建物というよりモニュメントとなっています。在りし日の姿を見ると、思いのほか両肩の張った四角い建物という印象です。

広島県広島(22)

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広島電鉄中央変電所。相生橋の手前で、寺院の奥に見かけました。被爆建物リストには載っていないので戦後の建物のようですが、どうも怪しい物件です。

広島県広島(21)

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旧広島中央電話局西分局(昭和12年築)。爆心地から1.1kmにある、山田守設計のモダニズム建築です。最近までNTT広島西営業所として使われていましたが、現在は空家です。

広島県広島(20)

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旧逓信省電気試験所広島出張所(昭和12年築)。爆心地から1.7kmのモダニズム建築です。

広島県広島(19)

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旧己斐調整場送水ポンプ室(昭和7年築)。爆心地から2.3kmの、総タイル貼、アーチ多用の建物です。

広島県広島(18)

ファイル 2296-1.jpgファイル 2296-2.jpg

旧日本麻紡績給水塔(大正8年築)。爆心地から2.8kmの地点にある煉瓦造の給水塔(の台座部分)です。

広島県広島(17)

ファイル 2295-1.jpgファイル 2295-2.jpg

観光橋(昭和12年架橋)。爆心地から2.6kmの地点にある被爆橋で、八幡川に架かる小さな橋です。

広島県広島(16)

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荒神橋(昭和14年築)。電車の渡る橋です。

広島県広島(15)

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猿猴橋(大正15年築)。かつては、この橋が広島駅前の橋だったようです。

広島県広島(14)

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猿猴川沿いに建つ洋館。外壁の塗装が厚塗りですが、確かに戦前の建物だと思います。

広島県広島(13)

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旧住友銀行東松原支店(大正10年築)。煉瓦造の建物で、現在、谷口織物が使用しています。

広島県広島(12)

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宇品で見つけた洋館。アーチ窓や円窓の付いた素敵なお屋敷が残っていました。

広島県広島(11)

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勝利湯。腰回りにスクラッチタイルを貼った銭湯です。現役(のはず)ですが、行った日は煙突から煙も見えず、どうも休業のようでした。

広島県広島(10)

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宇品で見つけた洋館。旧医院ではないかと思われます。県立広島病院の南側には、洋館付住宅が多く残っています。

広島県広島(09)

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旧広島水上警察署(明治42年築)。その後、宇品警察署、広島港湾事務所として使われ、現在は空家です。爆心地から4.6kmの地点で、木造建築が現存していることに驚かされました。老朽化も激しく、何とか有効に活用して保存したい建物です。

広島県広島(08)

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電車通りに建つ看板建築。外壁がリフォームされていますが、コーナー上部の鏝細工の箇所のみ、表面を覆わず残しています。

広島県広島(07)

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旧中国配電南部変電所(昭和18年築)。戦時下に、このようなアールデコデザインの建物が建てられたことに驚かされます。現在、E.R.E宇品御幸ビルという名称になっていますが、空家のようです。

広島県広島(06)

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旧広島高等学校講堂(昭和2年築)。現在、広島大学附属中・高等学校講堂として使用されており、先年、登録文化財に登録されました。

広島県広島(05)

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旧広島陸軍被服支廠(大正2年築)。当時、広大な敷地に多くの倉庫が建てられていましたが、第10番庫~13番庫の4棟が現存しています(南北に一直線に3棟、南端東西に1棟)。RC造煉瓦貼りで、長さ94m、高さ17mの建物3棟が一直線に並ぶ様は壮観です。戦後は、南北の3棟が広島県、南端東西の1棟は国の機関などに使用され、現在はいずれも空家となっています。

広島県広島(04)

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皆実町中通り商店街の中ほどにある洋館。大きな円窓を見ると、ただの住宅とは思えません。この建物のある通りは、旧被服厰の正門から真っ直ぐに続く「被服通り」と呼ばれた通りです。

広島県広島(03)

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旧常磐グリース製造所倉庫(大正2年頃築)。南区大洲の猿猴川のほとりに残る被爆建物で、現在、三戸商店倉庫となっています。被爆当時は、日本特殊グリース倉庫でした。

広島県広島(02)

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被爆建物である旧第一高等小学校(現比治山中学校)近くの洋館(旧医院か?)。昭和初期の被爆建物ではないかと思われます。南区の猿猴川と京橋川とにはさまれたこの地区は、比較的爆心地に近い(2~3km)にも関わらず、比治山の山陰になったことで多くの建物が残っていたのではないでしょうか。ただ、現在この周囲の地域は大規模な区画整理が進められており、更地が広がっています。

青森県青森(01)

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旧青森営林局庁舎(明治41年築)。青森市街から少し外れたところに建ち、青森大空襲の被害から逃れた建物です。現在、青森市立森林博物館として公開されています。

秋田県大曲(01)

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御菓子司睦月堂本店。大曲(現大仙市)の商店街に建つ洋館です。

秋田県神岡(01)

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旧神岡町神宮寺(現大仙市)の洋館。正面の三連アーチが特徴的な事務所です。

埼玉県秩父(16)

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たから湯(昭和10年築)。看板建築の銭湯を見つけました。

埼玉県秩父(14)

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杉田時計店。小さな看板建築です。

埼玉県秩父(13)

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味鶴。元々は、カフェだったのではないでしょうか。

埼玉県秩父(12)

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たばこ屋さんでしょうか。1階部分だけ、モルタルで石造風に仕上げてあります。

埼玉県秩父(11)

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近藤歯科医院(昭和2年築)。路地に入ったところで見つけた、黒と白の塗装が特徴的な登録文化財です。

埼玉県秩父(10)

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岩田医院(明治42年築)。片山医院と同じ秩父神社の参道に建つ洋館です。

埼玉県秩父(09)

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片山医院(明治43年築)。秩父神社の参道の入口に立地しています。

埼玉県秩父(08)

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Self Service Store あさや。読書クラブの建物とつながっています。

埼玉県秩父(07)

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読書クラブ。「JRC」のロゴの付いたこの大きな本屋さんの建物は、元々は何の建物だったのでしょう?

埼玉県秩父(06)

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上石商店(大正初期築)。旧秩父国際劇場の隣に建つ、ステンドグラスがふんだんに付いた贅沢な建物です。

埼玉県秩父(05)

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旧秩父国際劇場(昭和初期築)。大規模な映画館でしたが、現在は上石建材の倉庫として活用されています。

埼玉県秩父(04)

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カフェ・パリー(昭和2年築)。安田屋の隣に建つ登録文化財。

埼玉県秩父(03)

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安田屋(昭和5年築)。小池煙草店の斜向かいに建つ現役のお肉屋さんで、登録文化財。

埼玉県秩父(02)

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旧大月旅館別館(大正15年築)。小池煙草店の向かい側に建つアールデコの建物で、登録文化財。

埼玉県秩父(01)

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小池煙草店(昭和9年築)。この建物を見るために、秩父に行きました。秩父神社への参道の途中で、この建物のある交差点の三隅が登録文化財です。

愛知県岡崎(10)

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殿橋(昭和2年築)。戦前のアールデコの親柱です。

愛知県岡崎(09)

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第三銀行岡崎支店。角地に立地する、コーナーの丸い銀行建築です。

愛知県岡崎(08)

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林弓具店。六供浄水場へ行く途中で道に迷い、偶然出会った店舗です。

「崖の上のポニョ」の家

崖の上のポニョ イメージアルバム

4年ぶりの宮崎駿監督によるジブリ映画『崖の上のポニョ』が、来週7月19日より公開されます。作品の出来も気になるところですが(笑)、小生としては、どうしても主人公の家である「崖の上の家」が気になります(爆笑)。
http://www.ghibli.jp/ponyo/

イメージアルバムのジャケット画にもなっている「崖の上の家」ですが、何かモデルになった家でもあったのでしょうか。NHKでやっていた宮崎駿監督のドキュメンタリーでは、広島県福山市の鞆ノ浦で構想を練っており、海を見渡す崖の上の家がお気に入りだったとか。ただし、その家は純和風の家で「崖の上の家」とは全く似ていません。
http://swan.srv7.biz/

「崖の上の家」を見て、小生が似ていると思ったのは、昨年、愛知県犬山市の明治村に移築復元された「旧芝川又右衛門邸」です。
http://www.meijimura.com/visit/s68.asp#a01

あるいは、大阪府堺市の「旧是枝近有邸」とか。
http://www.city.sakai.osaka.jp/kyoiku/_syougai/_kyouiku/bunkazai/koreeda.html

「崖の上の家」は、まあ、普通の2階屋ではありますが、崖の上にそびえ建っているからでしょうか、階高が高いように感じられます。総2階建てで、出窓があったり、テラスがあったりするところが、洋館っぽい感じです。

皆さんにとって「崖の上の家」は、どの家をイメージされることでしょうか。

愛知県岡崎(07)

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小島眼科クリニック。繁みの中に隠されてしまっていますが、下見板貼りの白い洋館が見えます。

愛知県岡崎(06)

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西本願寺三河別院。伊東忠太の築地本願寺と同系列の東南アジア系のデザインです。

愛知県岡崎(05)

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旧額田郡物産陳列所(大正2年築)。現在、郷土館の付属収蔵庫として使われています。

愛知県岡崎(04)

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旧額田郡公会堂(大正2年築)。現在、岡崎市立郷土館として活用されています。

愛知県岡崎(03)

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岡崎市水道局六供浄水場ポンプ室(昭和8年築)。タイル貼りの艶やかな曲線の外観が美しい建物です。

愛知県岡崎(02)

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岡崎市水道局六供浄水場配水塔(昭和9年築)。岡崎の町を見下ろす小高い丘の上にそびえる、現役の配水塔です。

長野県伊那(23)

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木造モルタル3階建ての倉庫。信州でよく見られる繭倉庫かと思われます。

長野県伊那(22)

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洋館付住宅。洋館は、別棟になっています。

長野県伊那(21)

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旧医院か。現在は空家で、不動産屋の倉庫のようになっています。

長野県伊那(20)

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風月堂本店。風月堂といえば、和菓子屋さんでしょうか。1階店舗は現在、店子に貸し出されているようです。

長野県伊那(19)

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正面の大きなガラス窓の大胆なこと。2階から3階にかけて、一面のガラス窓となっています。

長野県伊那(18)

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カンヅメプラリスご当地。角地に縦長のスチールサッシが特徴的です。

長野県伊那(17)

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ダイ十呉服店。外壁と木製サッシのグリッドがモダンです。

長野県伊那(16)

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長野県きこえの相談室伊那センター。

長野県伊那(15)

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石川呉服店。細長い建物で、伊那でよく見かける雷紋付の建物です。

小林多喜二の過ごした小樽の街並み

蟹工船・党生活者 (新潮文庫)

このところ小林多喜二の『蟹工船』が売れに売れ、新潮社では古い文庫本では異例の2万7000部の増刷をかけたということがニュースになっていました。

小林多喜二といえば、小樽生まれの小生にはなじみ深い作家です。小樽にゆかりのある作家といえば、石川啄木、伊藤整、そして小林多喜二と、だいたい相場が決まっていました。いずれも市内に文学碑があり、ガイドブックには必ず載っています。小林多喜二の文学碑は、小樽港を見下ろす旭展望台にあり、労働者の首の付いた煉瓦色の文学碑は、子ども心に怖かった思い出があります。
http://www.otarucci.jp/kankou/bunka/bungakuhi/bungaku002.html

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旧北海道拓殖銀行小樽支店(大正12年築)

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旧三菱銀行小樽支店(大正11年築)

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旧第一銀行小樽支店(大正13年築)

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旧三井銀行小樽支店(昭和2年築)

小林多喜二は、生まれは秋田県の下川沿村(現大館市)ですが、4歳のときに小樽に渡り、大正13年に小樽高等商業学校(現小樽商科大学)を卒業後、市内の北海道拓殖銀行小樽支店に勤務します。現在「ホテルヴィブラントオタル」となっている旧北海道拓殖銀行小樽支店の建物は大正12年に建てられましたので、新築翌年の銀行の建物で勤務していたことになります。なお、この拓銀のある交差点には、大正11年築の旧三菱銀行小樽支店、大正13年築の旧第一銀行小樽支店が、また拓銀の並びには昭和2年築の旧三井銀行小樽支店の建物が現存しています。小林多喜二が勤務していた頃は、ちょうど小樽の銀行の新築ラッシュだったのです。

昭和4年に『蟹工船』が発表。同じ年に発表した『不在地主』が原因で拓銀を解雇され、翌年、小樽を離れ、東京に移り住みます。そして、昭和8年に特高に逮捕され、築地警察署内での拷問により獄死します。

今、大ヒットしている小林多喜二の『蟹工船』ですが、小生は今から30年くらい前、中学生のときに読みました。小生の感想としては、ちょっと読みにくい、粗削りな作品という印象があります。小林多喜二の『蟹工船』よりも、葉山嘉樹の『海に生くる人々』のほうが、読みやすく、小説としても完成していると思いました。ちなみに、小林多喜二は、葉山嘉樹の『海に生くる人々』を読んで『蟹工船』の執筆を決意したといいます。

小林多喜二の『蟹工船』を読んだ方は、ぜひ、葉山嘉樹の『海に生くる人々』や『セメント樽の中の手紙』、徳永直の『太陽のない街』なども読んでみてほしいと思います。

なお、少々時代が下りますが、小樽の映画館の数は、ピーク時には23館もありました(昭和30年~35年頃)。当時、小樽市の人口は約18~9万人だったので、「小樽は人口比で8000人に一館の映画館を持つ、北海道随一の映画館のまち」でした。大正末には、小樽には10を超す映画館があり、小林多喜二の日記には、小樽の映画館で見た映画の感想などが綴られているといいます。

また、小樽の銭湯の数も、ピーク時(昭和40年頃)には72軒もあったといいます。同じ町内に何軒も銭湯があるという状況でした。今では、銭湯の数は20軒ほどになっていますが、町の規模からすると、今でも小樽は銭湯の多い町です。

ガイドブック 小林多喜二と小樽 (新日本Guide Book) 小樽 小林多喜二を歩く ガイドブック小林多喜二の東京

長野県伊那(14)

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内山金物店。建物上部の雷紋状の模様と両隅上部の縦格子がアクセントになっています。

長野県伊那(13)

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いせや洋服洋品店。列柱のように見える縦格子の下は、ガラス張りです。

長野県伊那(12)

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正藤酒店。東京の神田にでもありそうな、総銅板張りの看板建築です。

長野県伊那(11)

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雑貨オ・ルージュカグヤ。西に丸イのマークは、旧オーナーの屋号でしょうか。

長野県伊那(10)

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理容ヨシダ。隣のスーパーヨシザワで、甘い金時豆の赤飯についてお聞きしたご婦人が、この理容ヨシダの方でした。

長野県伊那(09)

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スーパーニシザワの一部。この建物も、かつては別の店舗だったと思われます。

長野県伊那(08)

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今はスーパーニシザワの一部となっていますが、かつては別の店舗だったと思われます。

長野県伊那(07)

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スーパーニシザワ。2連アーチの間に屋号を高々と掲げた看板建築です。

長野県伊那(06)

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松尾屋。伊那では昭和22年に大火があり、その後、多くの復興建築が建てられました。

長野県伊那(05)

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ぷちキャバROSSANA。雷紋の付いた看板建築。地方都市には、お水系の近代建築も結構多いです。

長野県伊那(04)

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橋場歯科医院。橋を渡った角にある現役の医院。

長野県伊那(03)

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伊那旭座。駅裏で見つけた、映画館らしい映画館です。

長野県伊那(02)

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漆戸醸造。JR伊那駅のホームから見える、モダンな建物です。

長野県伊那(01)

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旧医院。下見板張りの典型的な洋館です。

長野県高遠(03)

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中村商店。高遠城下の商店街で見つけた建物。

長野県高遠(02)

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スナックラカン。高遠城下の裏通りで見つけた建物。元は何の建物だったのか、見当もつきません。

長野県高遠(01)

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高遠閣(昭和11年築)。高遠城址に建ち、国の登録文化財に登録されています。

長崎県平戸(02)

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幸橋(元禄15年築)。国の重要文化財に指定されています。

長崎県平戸(01)

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平戸カトリック教会(昭和6年築)。平戸の町を見下ろす小高い丘の上にそびえ建っています。

長崎県佐世保(10)

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九州商船ビル。昨日のO・G・F活魚屋と同じ区画にあります。

長崎県佐世保(09)

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O・G・F活魚屋。古い港町には、こうした角の丸い建物をよく見かけます。

登録文化財の登録抹消情報のページ

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平成8年からスタートした国の登録文化財(登録有形文化財)制度ですが、登録総数はすでに7000件を越え、全国的に制度が定着してきたように思われます。海外の事例に比べれば、まだまだ登録数はケタ違いに少ないのですが、少なくとも登録数は着実に増えています。

さて、官報にときどき「登録抹消」の告示が出ることがあり、建物が火事になったのか、解体されてしまったのかと心配になることがありました。実際には、市町村や都道府県、国の重要文化財に指定されること(格上げ)で、登録文化財の登録が抹消される例が多いのですが、今までその実態を掴めずにおりました。

今日、たまたま文化庁のHPで、「登録の抹消について」というページを見つけました。
http://www.bunka.go.jp/bunkazai/shurui/touroku_yukei_masshou.html

このページの情報によれば、平成19年12月5日現在、登録文化財の抹消総数は145件、そのうち、焼失や解体などによる抹消は44件とのこと。この数字、多いのか、少ないのか。小生の感想では、これは予想外に多いと感じました。

小生のHPに登録文化財のリストを公開しておりますが、この抹消情報も加えることにしたいと思います。

(文化庁の方にお会いする度に、登録文化財の抹消理由を明らかにして欲しいとお願いしていたのですが、これで少しは安心できます。)

長崎県佐世保(08)

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進徳保育園内の煉瓦蔵。妻側の石材による飾りが珍しいです。

長崎県佐世保(07)

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西日本商事ビル。この建物も古いものか迷いましたが、船のイメージを持ち、水平を強調した横一列に並んだ窓などから、戦前の建物ではないかと思われます。

長崎県佐世保(06)

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長崎銀行佐世保支店。アーケードの中にあり、少々迷いましたが、コーナー部分や窓回りを見るとやはり古い建物ではないかと思われます。

長崎県佐世保(05)

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旧佐世保水交社(明治38年築)。平成9年に、海上自衛隊佐世保史料館として後方の高層棟の一部として公開されています。

長崎県佐世保(04)

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旧海軍佐世保鎮守凱旋記念館と道を挟んだ向かい、旧佐世保海軍偕行社水交社の並びにある事務所。

長崎県佐世保(03)

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旧海軍佐世保鎮守凱旋記念館(大正12年築)。現在、佐世保市民文化ホールとなっています。国の登録文化財です。

長崎県佐世保(02)

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カトリック三浦町教会(昭和6年築)。「戦時中は軍の命令により空襲を避ける為に外壁に黒いコールタールを塗らされ黒い教会となりましたが、佐世保大空襲の時も全く被害を受けず、現在でも建築当初の姿を保っている」とのこと。

長崎県佐世保(01)

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聖心幼稚園(昭和6年築)。JR佐世保駅前の丘の上にある美しい幼稚園です。

福岡県福岡(09)

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大名の裏通りで見つけた洋館。隣の坂本内科と関係のある建物ではないかと想像します。外壁は厚く塗装し直されていますが、窓や屋根などを見ると、確かに古い洋館です。

福岡県福岡(08)

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福岡市立大名小学校(昭和4年築)。飲食店の建ち並ぶ天神の街中に立地しています。

福岡県福岡(07)

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日本基督教団福岡警固教会(昭和4年築)。設計者中村鎮考案の「中村鎮式コンクリートブロック(鎮ブロック)」による新工法の建物です。

福岡県福岡(06)

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修猷館高校旧正門。建物に古いものはないか見回しましたが、残っているのはこの石の旧正門だけでした。篆書の書体が素晴らしいです。

福岡県福岡(05)

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旧西南学院高等学校講堂(大正10年築)。ヴォーリズの設計で、市指定有形文化財。改修が終わり、現在、西南学院大学博物館として公開されています。

熊本県山鹿(04)

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旧徳永洋品店(昭和初期築)。千代の園酒造倉庫を経て、現在、菊池川流域情報交流会館「しびんちゃ館」として公開されています。看板を外すなど、大分改修されている感じです。

熊本県山鹿(03)

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みずもと。詳細不明ですが、数年前のパンフレットには「飲食館みずもと」と記載されています。隣接する旧天聴酒造関係の建物ではないかと思われます。

熊本県山鹿(02)

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八千代座(明治43年築)。平成13年に大改修工事が終わり、すっかり美しい建物になりました。国重要文化財です。

熊本県山鹿(01)

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旧安田銀行山鹿支店(大正14年築)。現在、山鹿灯籠民芸館として公開されています。

熊本県熊本(02)

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熊本市役所古京町別館。以前から気になっていた建物で、旧軍の建物かと思っていました。戦後、家庭裁判所や博物館の分館としても使われていたようです。県や市、官庁の庁舎といった施設だったのではないかと想像しますが、詳細不明です。

佐賀県唐津(06)

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旧三菱合資会社唐津支店本館(明治41年築)。県指定重要文化財に指定されており、唐津市歴史民俗資料館なのですが、長らく休館中です。もう、5年以上休館が続いています。ウワサでは、フェリー埠頭付近に移築の計画があるとか。

佐賀県唐津(05)

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炭鉱経営で財を成した田代政平の別荘(明治39年頃築)。旧高取邸と同じように、入口右側に洋館の応接間があります。昭和8年頃より料亭綿屋となり、現在は旅館綿屋として使用されています。

佐賀県唐津(04)

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旧高取邸洋館。炭鉱で財を成した高取伊好の旧宅で、昨年改修工事が終わり一般公開されています。国の重要文化財。この洋館は、玄関脇にある応接間です。

佐賀県唐津(03)

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商店街の入口に建つ下見板張の洋館。旧医院ではないかと思われます。

佐賀県唐津(02)

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寿湯。今では、こうしたタイル職人の仕事を見ることも難しいでしょう。

埼玉県越生(01)

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越生織物会館(昭和5年築)。越生といえば「越生梅林」くらいしか知りませんでしたが、こんな立派な建物があったとは。老朽化により近く解体の予定です。解体を前に5月11日まで一般公開が行なわれ、小生も最終日に見学させてもらいました。2階は80畳敷の畳の大広間で、地域の公会堂的な使われ方をしていたそうです。老朽化とのことですが、確かに雨漏りがしてその影響でところどころ傷んではおりますが、まずは屋根さえ直せば後は少しずつ時間をかけてでも補修を続けていくことは可能だと思います。こうした建物の保存問題の際はいつもそうなのですが、修復には何千万円もかかるので保存を断念といった話になるのですが、建物を残すという意志さえあれば、少ない費用でも少しづつ直していけば良いのです。建物の価値が正当に評価されていないということなのでしょう。残念でなりません。

(9,954歩)

熊本県矢部(05)

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外壁や窓が新しくなっていますが、屋根の破風を見るとタダモノではない建物です。旧医院ではないかと思われます。

(10,697歩)

熊本県矢部(04)

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通潤酒類販売有限会社。切り文字の取付け方がモダンです。

(-歩)

熊本県矢部(03)

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旧矢部町役場。平成の大合併により現山都町役場となっています。

(-歩)

熊本県矢部(02)

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豊田歯科医院。大正から昭和初期にかけての、各地でよく見られる典型的なハーフティンバーの医院建築です。

(11,136歩)

熊本県矢部(01)

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通潤橋(嘉永7年(1854年)築)。熊本交通センターよりバスで約2時間ほど揺られた、旧矢部町にある石橋。対岸に農業用水を渡す水路橋です。

(10,647歩)

岡山県津山(19)

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津山福音ルーテル教会。古い街道沿いですが、周囲がすっかり更地になってしまっています。

(12,422歩)

岡山県津山(18)

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日本基督教団津山城西教会。入口両側の棕櫚がいい味を出しています。

(24,219歩)

岡山県津山(17)

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谷医院。コーナーにある入口の逆錐型の柱、ぐるりと廻った2階の窓など、モダンな建物です。

(36,823歩)

岡山県津山(16)

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出雲街道沿いの事務所ビル。つちや写真館の入口と似た形になっています。

(32,002歩)

岡山県津山(15)

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宝石店大丸。津山駅前通りのアーケード下で見つけました。

(30,802歩)

岡山県津山(14)

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江見写真館(昭和4年頃築)。写真は西日で真っ白ですが、1階の半円筒形の部屋がモダンです。

(10,106歩)

岡山県津山(13)

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山口新月園。津山の商店街で見つけた看板建築です。

(-歩)

岡山県津山(12)

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東津山駅前通りが出雲街道と突き当たる丁字路にある事務所。よく見ると、入口部分にちょっとした細工があります。

(11,465歩)

岡山県津山(11)

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東津山駅前通りの路地にある事務所。

(-歩)

岡山県津山(10)

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旧団体事務所。路地を覗くと何となく気配を感じる建物が見えて、前まで進みました。土蔵風ながら両開きの窓が並んでいます。お住まいのご婦人にうかがうと、終戦後、表通りに建っていた旧団体事務所の建物を曳家して住宅にしたのだとか。

(10,627歩)

岡山県津山(09)

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旧福寿湯。河野医院の並びに建っています。

(-歩)

岡山県津山(08)

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旧河野医院(大正期築)。現在、河野美術館となっています。

(-歩)

岡山県津山(07)

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つちや写真館。出雲街道の一本隣と中島病院のある道との丁字路に建っています。

(10,815歩)

岡山県津山(06)

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旧土居銀行本店(大正9年築)。現在、作州民芸館として公開されています。

(9,511歩)

岡山県津山(05)

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中島病院旧本館(大正6年築)。まちづくりの情報発信拠点として、活用・公開が予定されています。

(10,551歩)

岡山県津山(04)

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旧津山中学校本館(明治33年築)。現在の岡山県立津山高等学校構内にあり、国の重要文化財に指定されています。

(10,240歩)

岡山県津山(03)

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旧津山市役所庁舎(昭和9年築)。現在、津山郷土博物館として活用されています。

(11,501歩)

岡山県津山(02)

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津山基督教図書館(大正15年築)。桜庭駒五郎の設計と聞いて、どこかで聞いた名だと思ったら、弘前で多くの建物を建てている棟梁でした。

(22,171歩)

兵庫県姫路(02)

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旧陸軍第10師団兵器庫(明治39年築)。現在、姫路市立美術館として活用されています。

(35,439歩)

広島県広島(01)

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旧宇品陸軍糧秣支廠缶詰工場(明治44年築)。現在、広島市郷土資料館として活用されています。

(12,401歩)

長野県松本(01)

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山崎歯科医院(明治21年築)。

(10,092歩)

福岡県門司(05)

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旧門司税関(明治45年築)。現在、ギャラリーや休憩所として活用されています。

(10,668歩)

福岡県門司(04)

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旧大阪商船門司支店(大正6年築)。現在、海事・イベントホールとして活用されています。

(8,829歩)

福岡県門司(03)

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旧九州鉄道本社(明治24年築)。現在、九州鉄道記念館として活用・公開されています。

(9,158歩)

岡山県津山(01)

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旧妹尾銀行津山東支店(大正9年築)。昭和48年まで中国銀行の支店として使用されていましたが、現在は津山洋学資料館として公開されています。

(-歩)

福岡県直方(01)

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旧十七銀行直方南支店(大正6年築)。展示スペース「アートスペース谷尾」として転用・活用されています。

(-歩)

河鍋暁斎展

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4月8日より京都国立博物館で、特別展 没後120年記念「絵画の冒険者 暁斎 Kyosai-近代へ架ける橋」が始まりました。

暁斎とは河鍋暁斎のことで、幕末から明治にかけて活躍した日本画家です。河鍋暁斎と近代建築の関係で言えば、日本の近代建築の父であるコンドルが暁斎に弟子入りして日本画を学び「暁英」という画号を授かっており、暁斎の臨終も看取っています。さらに、当前村記念博物館としては、河鍋暁斎が江戸本郷の狩野派絵師前村洞和の弟子であったことも見逃せません。

これまで河鍋暁斎の大規模な展覧会は開催されておらず、今回の特別展では海外からの里帰り作品や未公開作品なども多く、他には巡回しないというのですので、これは見に行くしかありません。

来週の土曜日、4月19日に、大阪の天満屋ビル「ハaハaハa」さんで開催中の「まちかどの近代建築写真展」撤収の行きがけに、暁斎展を見てこようと思っています。夜行バスで行くことになりそうです。

京都国際マンガミュージアムでも、特別展「明治日本のギャグマスター 暁斎漫画展」をやっており、こちらも見なければ。両方を半日で見るのは無理そうですので、やはり泊まり掛けで行くしかないかナ。

暁斎は速筆・早描きで多作な人でしたので、各地で掛け軸や額を見ることがありますが、今回のような大きな会場で一堂に会して見ることのできるチャンスはなかなかありません。また、今回の特別展は、埼玉県蕨市にある「河鍋暁斎記念美術館」所蔵のものが大半なのですが、これまで直接見たことのないコンドル所蔵だった里帰り作品に大いに期待したいと思います。

特別展覧会 没後120年記念
絵画の冒険者 暁斎 Kyosai -近代へ架ける橋
・会期:2008年4月8日(火)~5月11日(日)
・休館日:月曜日(ただし5月5日は開館)
・開館時間:午前9時30分~午後6時 金曜日は午後8時まで
 (入館は閉館の30分前まで)
・会場:京都国立博物館 (東山七条)

京都国際マンガミュージアム特別展
明治日本のギャグマスター 暁斎漫画展
・会期:2008年4月8日(火)~5月11日(日)
・休館日:水曜日(祝日の場合は翌日)
・開館時間:午前10時~午後8時
 (入館は閉館の30分前まで)
・会場:京都国際マンガミュージアム2階 メインギャラリー

国立京都博物館
http://www.kyohaku.go.jp/jp/index_top.html

京都マンガミュージアム
http://www.kyotomm.com/

河鍋暁斎記念美術館
http://www2.ocn.ne.jp/~kkkb/Kyousaij.html

※コンドルが書いた河鍋暁斎の伝記は必読です!(岩波文庫)

河鍋暁斎―奇想の天才絵師 超絶技巧と爆笑戯画の名手 (別冊太陽) 河鍋暁斎 河鍋暁斎 (新潮日本美術文庫) 酔うて候-河鍋暁斎と幕末明治の書画会

金時豆のお赤飯

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小生の故郷である北海道では、金時豆の甘納豆のお赤飯が普通であるということは、結構有名だと思います。食紅でもち米をピンク色に染めた、甘いお赤飯です。昨年末、『どさんこソウルフード』という本も出て、北海道では話題になっていました。

さて、お赤飯に小豆(やササゲ)ではなく金時豆を使うのは、北海道と青森など東北地方の一部と認識していたのですが、かつて沖縄に旅行に行ったおり、名護の博物館に金時豆のお赤飯が展示してあり、驚いたことがありました。柳田國男ではありませんが、「蝸牛考」のように周辺部に同じような文化が残っているのではと考えたりしました。まあ、北海道の甘納豆赤飯は、戦後に料理研究家が広めたという話も聞きますので、それほど古い文化でもないのですが(昭和20~30年代に札幌の光塩学園女子短大の南部明子先生考案だということですが、これはもしかしたら、甘く煮た金時豆を使う代わりに、甘納豆を使うというアイデアだったのかも知れません)。

先日、長野県の伊那市へ行ったおり、スーパーの惣菜コーナーで金時豆のお赤飯を発見しました。しかも、小豆のお赤飯は一切置いておらず、金時豆のお赤飯だけが並べてあります。驚いて、近くにいた買物中のご婦人2人にお聞きすると、この地方では普通、この金時豆の甘いお赤飯を炊くとのこと。「蝸牛考」説は、吹っ飛びました。

伊那地方だけの習慣かと思っていると、長野市出身の職場の同僚の家でも、金時豆のお赤飯を食べるとのことで、どうも長野県全域で広く一般化しているようなのです。長野での金時豆のお赤飯の話があまり出てこないのが不思議ですが、地元ではそれが普通の赤飯であると考えているので、あえて関心を呼ぶテーマではないのかも知れません。北海道の場合、北海道以外の地域から出張や転勤で来る人が多く、変わった食べ物として意識されたのかも知れません。

そもそも、金時豆のお赤飯の起源は長野・山梨地方であって、北海道開拓とともに北海道に渡った食文化だという、新しい仮説をたててみました。この仮説は、地域分布的にも理にかなっているような気がします。ちなみに、うちの母方の祖母が山梨県の出身で、北海道に開拓に渡った人ですので、話がヤヤコシイのですが……。

あるいは逆に、北海道開拓民の里帰りと共に、北海道の食文化である金時豆のお赤飯が、長野・山梨地方にもたらされたという逆流入説も、成り立つかも知れません。この仮説の場合、北陸地方や東北地方南部にも、金時豆のお赤飯がなければなりませんけれど。

うちの地方でも金時豆のお赤飯を食べるよ、という情報を、ぜひお寄せください。

日経新聞の「食べ物新日本奇行」というページに、アンケート調査に基づく記事が出ていました。
http://weekend.nikkei.co.jp/kiko/20030319s863j000_19.html

どさんこソウルフード―君は甘納豆赤飯を愛せるか! 全日本「食の方言」地図

愛知県犬山(07)

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名鉄岩倉変電所(明治45年築)。愛知県岩倉市から博物館明治村に移築された建物です。

(10,421歩)

愛知県犬山(06)

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東京駅警備巡査派出所(大正3年築)。東京駅前から博物館明治村に移築された建物です。

(10,076歩)

愛知県犬山(05)

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金沢監獄正門(明治40年築)。山下啓次郎設計で、金沢から博物館明治村に移築された建物です。同じ山下啓次郎設計の長崎刑務所正門と似たデザインです。

(11,858歩)

愛知県犬山(04)

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工部省品川硝子製造所(明治10年頃築)。登録文化財に登録されている、東京の品川から博物館明治村に移築された建物です。

(10,289歩)

愛知県犬山(03)

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菅島燈台附属官舎(明治6年築)。国の重要文化財に指定されている、三重県鳥羽市菅島町から博物館明治村に移築された建物です。

(26,449歩)

愛知県犬山(02)

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京都七條巡査派出所(明治45年築)。京都駅に近い七条通から、博物館明治村へ移築された建物です。

(25,934歩)

愛知県犬山(01)

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聖ヨハネ教会堂(日本聖公会京都五條教会)(明治40年築)。国の重要文化財に指定されている、京都市の河原町通五条から博物館明治村に移築された建物です。ガーディナー設計で、1階が煉瓦造、2階が木造という、小浜教会と同じ構成となっています。この教会堂が京都の町に建っていた姿を思うと、明治村への移築は何とも複雑な思いです。

(10,934歩)

渡邉義孝水彩画展

神楽坂のアユミギャラリーの名物番頭さん(笑)だった渡邉義孝さんから、個展の案内をいただきました。独立され、風組・渡邉設計室を開設されており、また、近代建築探訪MLの仲間でもあります。

今回の個展は、世界遺産をめざす五島列島の教会群のスケッチで、昨年秋には長崎市内で開催され、今回は現地の新上五島町での開催です。五島列島か。行きたいナァ。20年くらい前に一度行ったきりです。いつか、五島列島の教会めぐりをしたいと思っています。

「長崎から世界へ 祈りの空間を描く-渡邉義孝水彩画展-」
会期:2008年4月12日(土)~19日(土)
開館:9:30~17:30(最終日14時まで)
会場:有川港多目的ターミナル鯨賓館ロビー
〒857-4211 長崎県南松浦郡新上五島町有川郷578-36
電話:0959-42-0180 入館無料・会期中無休
共催:鯨賓館・上五島歴史と文化の会・新上五島町世界遺産推進室

こちらは、昨年秋の長崎市内での個展の様子
http://homepage3.nifty.com/w_yoshi/ak/ngsk/exb.html

長崎の天主堂 五島列島の教会堂I 長崎の天主堂 五島列島の教会堂II 長崎の天主堂 五島列島の教会堂III 大いなる遺産長崎の教会 改訂版―三沢博昭写真集 天主堂物語 (海鳥フォト・ブックス) 天主堂―光の建築 日本の教会をたずねて (別冊太陽―日本のこころ) 日本の教会をたずねて2 (別冊太陽 日本のこころ)

三重県伊賀(01)

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柘植駅旧ランプ小屋(明治23年築)。「日本赤煉瓦建築番付」の前頭として掲載されています。

(9,954歩)

埼玉県本庄(01)

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旧本庄商業銀行倉庫(明治27年築)。現在、ローヤル洋菓子店の店舗・工場として活用されています。こうした食品工場への転用例は、珍しいのではないでしょうか。近代建築転用の成功事例として、大いに評価したいと思います。改めて見ると、隣町の岡部農業協同組合の建物と似ています。

(11,317歩)

埼玉県岡部(01)

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旧岡部農業協同組合。「日本赤煉瓦建築番付」で前頭に掲載されている建物ですが、どう調べても情報が得られず、深谷市教育委員会(岡部町は深谷市と合併)に問い合わせ現存を確認、そして今回やっと訪ねることができました。窓が割れ、老朽化も著しい状況ですが、本格的な煉瓦建築であり、ぜひ保存・活用すべき物件です。

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仲間うちでは「カッパの顔」だと評判だったのですが、いかがでしょうか(笑)。

追記
「日本近代建築総覧」によれば、この建物は、大正4年築の旧岡部村役場とのことです。

(8,788歩)

福井県小浜(02)

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白鳥会館(明治22年築)。日本赤煉瓦建築番付に「小浜旧桑原薬種店」として前頭で掲載されている建物です。

福井県小浜(01)

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日本聖公会小浜聖路加教会(明治30年築、昭和6年2階増築)。現、小浜聖ルカ教会。1階部分は煉瓦造でJ.M.ガーディナーが、2階増築部分はJ.バーガミニーの設計と言われています。

富山県高岡(02)

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旧高岡市水道局第3源井上屋(昭和6年築)。現在、清水町水道公園内で清水町配水塔資料館として公開されています。

富山県高岡(01)

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旧高岡共立銀行本店(大正3年築)。富山銀行本店として、現役の銀行です。

大分県日田(01)

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旧大分銀行日田支店(大正5年築)。以前訪れたときには濱田耳鼻咽喉科医院でしたが、平成13年に「隈まちづくりセンター黎明館」となり活用・公開されています。

兵庫県姫路(01)

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旧三十四銀行姫路支店(大正6年頃築)。煉瓦造のこの建物は、今井内科医院旧館として現役です。

佐賀県唐津(01)

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旧唐津銀行本店(明治45年築)。

愛知県武豊(02)

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旧中埜銀行武豊派出所。旧武豊港駅そばの交差点角に、長屋門状の煉瓦造の建物が建っています。

「まちかどの近代建築写真展 IN 川口」スタート

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昨日、埼玉県川口市の蔵・浜田さんを会場に、「まちかどの近代建築写真展 IN 川口」がスタートしました。毎回、会場ごとに展示スペースの状況が違うため試行錯誤の連続ですが、今回は展示パネルを屏風状にしてみたりしてみました。写真を見るのには大変ですが(笑)。1週間の会期ですが、ぜひお立ち寄りください。

まちかどの近代建築写真展 IN 川口(第13回)
(「KAWAGUCHI39ART2008」関連企画)

会期:2008年3月22日(土)~3月30日(日)
時間:10:00~17:00
(但し、3月22日(土)は13時から、30日(日)は16時まで)
会場:蔵・浜田 埼玉県川口市本町1-11-24
TEL:048-222-2219(浜田接骨鍼灸院:※会期中の問い合わせ先)
主催:まちのこし集団 かわぐち塾
企画:まちかどの近代建築写真展実行委員会
協力:近代建築探訪メーリングリスト

愛知県武豊(01)

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豊石神社境内の煉瓦蔵。正面開口部の周囲の石材は、当初からのもののようですが、上部のアーチの意味がわかりません。また、両側面上部の十字型の穴も、耐火性に問題があるように思われます。

愛知県半田(02)

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JR半田駅油倉庫(明治43年築)。現役最古の跨線橋の下にあるランプ小屋です。

愛知県半田(01)

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旧カブトビール半田工場(明治31年築)。丸三麦酒の醸造工場として、妻木頼黄の設計により建てられました。現在、半田市が所有し、イベントなどの折りに公開されています。

愛知県岡崎(01)

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旧岡崎銀行本店(大正6年築)。現在、岡崎信用金庫資料館として、1階は市民ギャラリーとして市民に開放されています。

長崎県長崎(04)

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旧本田屋(明治38年築)。歓楽街の中ほどに建ち、現在、雑居ビル「明治館」となっています。

長崎県長崎(03)

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長崎教区大司教館(大正3年築)。

長崎県長崎(02)

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旧バンザイ清涼飲料水会社工場(明治35年築)。当時、外人向けのサイダーなどを製造していたといいます。その後、現在も宝製鋼の工場として現役です。

まちかどの近代建築写真展 IN 大阪/川口

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今週末からスタートする「まちかどの近代建築写真展 IN 大阪III」ですが、埼玉県川口市でも、一部この会期と重なる形で写真展を開催します。「まちかどの近代建築写真展 IN 川口」では、関東地方の建物を中心に展示します。


まちかどの近代建築写真展 IN 大阪III(第12回)
~現存する全国の煉瓦建築~(「海岸通建物語3」関連企画)

会期:2008年3月15日(土)~4月19日(土)
会場:天満屋ビル2階「お茶と雑貨のハaハaハa」
大阪市港区海岸通1-5-28 東展示室
時間:7:30~18:00 土・祝は11:00~18:00(定休日:水曜、日曜)
(但し、3月15日(土)は14時から、4月19日(土)は14時まで)
主催:お茶と雑貨のハaハaハa
企画:まちかどの近代建築写真展実行委員会
協力:近代建築探訪メーリングリスト

まちかどの近代建築写真展 IN 川口(第13回)
(「KAWAGUCHI39ART2008」関連企画)

会期:2008年3月22日(土)~3月30日(日)
時間:10:00~17:00
(但し、3月22日(土)は13時から、30日(日)は16時まで)
会場:蔵・浜田 埼玉県川口市本町1-11-24
TEL:048-222-2219(浜田接骨鍼灸院:※会期中の問い合わせ先)
主催:まちのこし集団 かわぐち塾
企画:まちかどの近代建築写真展実行委員会
協力:近代建築探訪メーリングリスト

長崎県長崎(01)

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旧長崎英国領事館(明治41年築)。長らく児童科学館として活用されていましたが、その後、野口彌太郎記念美術館として公開されています。

ヴォーリズ展

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先日、滋賀県立近代美術館で現在開催中の「ウィリアム・メレル・ヴォーリズ展」を見てきました。

滋賀県立近代美術館「ウィリアム・メレル・ヴォーリズ展」
http://www.shiga-kinbi.jp/exhibition/exhibition_database/pressrelease/exhibition_07-5.html

ヴォーリズは、明治末から昭和半ばにかけて日本で活躍した建築家です。アメリカ生まれで、滋賀県の近江八幡の学校に英語教師として来日し、その後素人建築家として設計事務所を開設、関西を中心に日本各地の建物を設計しています。昭和16年に帰化し、一柳米来留となりました。また、アメリカの常備薬であったメンソレータムの販売元として近江兄弟社を起こし、キリスト教布教の一助としたりしています。

下記のページに、小生がまとめたヴォーリズの紹介があります。
http://www.jmam.net/b/zinmei/vories-h.htm

学生時代に京都で下宿していたのですが、関西で生活していると、ヴォーリズの建物はとても身近に感じられます。例えば、京都の大丸百貨店の入口上にある、羽根を広げた孔雀のデザインなど、アールヌーボーだなと思って見上げておりました。四条大橋西詰の東華菜館など、誰もの記憶に残るような建物もあります。ヴォーリズの商業建築は、基本的にはアールデコなのですが、息苦しいまでの細かいデザインが過剰とさえ思えるほどです。一方、住宅などは、スパニッシュで、いかにも品のよい洋館といった別荘風な建物が多く、親しみが持てます。教会や学校の建物も、各地に建てられています。

北海道から九州まで、全国各地にヴォーリズの建物があり、それが結構多く残っています。これは、ヴォーリスの建物が人々に愛されている証拠ではないでしょうか。

今回の「ヴォーリズ展」では、設計図面を中心に、建物の写真や家具、著書などが、広い展示スペースで広々と展示されています。

滋賀県立近代美術館での「ウィリアム・メレル・ヴォーリズ展」は、3月30日(日)まで。月曜休館です。

なお、この後、「ウィリアム・メレル・ヴォーリズ展」は各地に巡回の予定です。5月には福岡の西南学院大学博物館、夏には軽井沢町歴史民俗資料館、秋には大阪芸術大学博物館、そして来年春には東京の松下電工汐留ミュージアム。

ヴォーリズ建築の100年―恵みの居場所をつくる ヴォーリズの西洋館―日本近代住宅の先駆 ヴォーリズの建築―ミッション・ユートピアと都市の華 ヴォーリズ評伝―日本で隣人愛を実践したアメリカ人

福岡県大刀洗(01)

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今村カトリック教会(大正2年築)。長崎ではなく、福岡県に鉄川与助設計の教会があることを知り、驚いて訪ねました。

福岡県黒木(01)

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旧大同生命福岡支社(明治45年築)。元々は博多の中洲にあったこの建物を、昭和61年に黒木町のグリーンピア八女内に「明治の館」として移築・保存したもの(イメージ保存)です。

岩手県盛岡(01)

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旧盛岡銀行本店(明治44年築)。辰野式の典型的な銀行建築で、岩手銀行中ノ橋支店として現役です。

山形県鶴岡(01)

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旧鶴岡町消防組第八部消防ポンプ庫(大正9年築)。現在、公衆トイレとして活用されています。

福岡県福岡(04)

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旧日本生命九州支社(明治43年築)。現在、福岡市文学館として公開されています。

秋田県秋田(02)

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旧大島商会店舗(明治34年築)。現在、花京都という花屋さんになっています。

秋田県秋田(01)

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旧秋田銀行本店(明治45年築)。現在、赤れんが郷土館として転用されています。

愛媛県新居浜(01)

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旧端出場水力発電所(明治45年築)。別子銅山の水力発電所施設でした。

熊本県熊本(01)

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旧熊本市八景水谷水源地第二井送水ポンプ室(大正13年築)。水道施設は、どこも市街地から少し離れた場所に立地しています。

鳥取県米子(01)

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旧山陰電気米子変電所(大正7年築)。唐突に、この煉瓦の建物が建っています。

島根県浜田(01)

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旧歩兵第二十一連隊雨覆練兵場(明治31年築)。浜田市立第一中学校屋内運動場として活用されています。登録文化財。

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旧歩兵第二十一連隊雨覆練兵場(大正5年築)。こちらは、島根県立浜田高等学校第二体育館として使われています。登録文化財。

秋田県角館(01)

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安藤商店煉瓦造蔵座敷(明治24年築)。武家屋敷の続く町並みに、赤い煉瓦蔵が映えます。

福島県福島(01)

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日本キリスト教団福島教会(明治42年築)。ヴォーリズの設計です。

秋田県阿仁(01)

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旧阿仁鉱山外国人官舎(明治13年築)。現在、阿仁異人館として公開されています。

秋田県小坂(01)

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旧小坂鉱山電錬場(明治42年築)。現在、小坂精錬所として現役稼働中です。

青森県八戸(01)

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旧駒井酒造店。JR陸奥湊駅そばの新井田川沿いに建つ煉瓦造の酒蔵です。商標等でいろいろあったようで、つい最近まで八戸酒類みなと工場だったようなのですが、それも閉鎖とか。

奈良県奈良(15)

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カイナラタクシー。昭和30年代の建物かも知れませんが、スチールサッシとスクラッチタイル貼り、そして塔屋の感じが「アヤシイ」建物です。

奈良県奈良(14)

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JR京終駅(明治31年築)。旧奈良鉄道開業時、奈良側の始発駅だったそうです。

奈良県奈良(13)

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京終駅近くの煉瓦倉庫。相当大規模な床面積の建物です。

奈良県奈良(12)

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奈良公園から奈良刑務所へ向かう国道沿いの看板建築です。この並びに銭湯があったのですが、見当たりませんでした。

奈良県奈良(11)

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奈良ホテル(明治42年築)。一連の和風デザインですが、細工の省略が進んでいます。

奈良県奈良(10)

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旧奈良県物産陳列所(明治35年築)。現、奈良国立文化財研究所。奈良公園内で、奈良博物館のデザインが洋風すぎて評判が悪く、それ以降の建物は和風になったと言われています。

奈良県奈良(09)

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帝室奈良博物館(明治27年築)。現在も、国立奈良博物館として現役です。

奈良県奈良(08)

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旧奈良市水道計量器室。奈良刑務所のそばにあります。すっかり屋根が落ちてしまっています。

奈良県奈良(07)

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奈良女子大前の旧派出所。少なくとも、もう20~30年以上前から空家のままです。

奈良県奈良(06)

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旧奈良女子高等師範学校(明治42年築)。いつも変わらぬ、美しい建物です。旧本館は、現在、奈良女子大学記念館となっています。

奈良県奈良(05)

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日本聖公会奈良基督教会堂(昭和5年築)。いつもアーケードの商店街から、石段の上にある教会堂を見上げるだけでした。今回、扉が開いていたので、初めて石段を上がり、教会堂内部まで拝見させていただきました。

奈良県奈良(04)

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旧六十八銀行奈良支店(大正15年築)。現在、南都銀行本店として現役です。

奈良県奈良(03)

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けむりや。JR奈良駅から若草山へ向かう三条通りに建つ建物。事務所ビルだったのでしょう。

奈良県奈良(02)

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旧国鉄奈良駅駅舎(昭和9年築)。保存運動により、平成16年に現在地に曳家されました。ただ、せっかく保存されたのに、周囲をフェンスで囲み何も使われていない状況は大いに残念です。

奈良県奈良(01)

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旧奈良刑務所(明治41年築)。司法省技官だった山下啓次郎設計による、明治五大監獄の一つです。現在、奈良少年刑務所として現役です。以前は門に守衛がいて、撮影しようとするとすぐに阻止されたのですが、何故か今回は誰もおらず、撮り放題でした。

長野県上諏訪(30)

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レストランでしょうか。角地に、印象的な屋根裏部屋のある建物です。

長野県上諏訪(29)

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スナックGAL'S倶楽部。昨日の郵便局の斜向かいにある建物です。よく見ると、しっかりとした洋館でした。旧郵便局かも知れません。

長野県上諏訪(28)

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何とも、イイ感じの簡易郵便局です。

長野県上諏訪(27)

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上諏訪病院(大正10年築)。こちらも蔦が繁り放題で、建物の全貌が見えません。

長野県上諏訪(26)

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青木医院(大正11年築)。いかにも大正時代らしい木造の医院です。庭木の背が高くなって建物の全貌が見えません。

長野県上諏訪(25)

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大手見番。旧歯科医院の建物ですが、その後見番として使われてきたハーフティンバーの建物です。

長野県上諏訪(24)

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丸柳大津屋倉庫(昭和12年築)。タイル貼りの外壁左右に、建材メーカーの月星とチチブセメントのマークがアクセントになっています。

長野県上諏訪(23)

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信州諏訪味噌工業協同組合。スクラッチタイルと、小さな四角いタイルが全体を覆った建物です。

長野県上諏訪(22)

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アトリエKAZU。1階部分は改装されていますが、縦長の窓が規則正しく並んだ角地の3階建ての建物は、とても魅力的です。

長野県上諏訪(21)

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TAKASIMA。1階の店舗部分は改装されています。TAKASIMAの文字は、三村貴金属店のアールヌーボー書体と同じではないかと思います。

長野県上諏訪(19)

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カドヤ遠藤。外壁の塗装が厚いのが少々難ですが、大切に使われていることの証です。

長野県上諏訪(17)

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河西家具店。2階の大きな窓と、白い塗装で覆われていますがその下のタイル貼りがモダンです。

長野県上諏訪(16)

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ホームショップこもん。昨日の五味ミシン店とは、細い路地を挟んで建ち並んでいます。

長野県上諏訪(15)

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五味ミシン店。上部のスクラッチタルとその中央にメダリオン、左右に縦縞の細工など、見どころの多い建物です。

長野県上諏訪(14)

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三村貴金属店(左)、白牡丹(右)。三村貴金属店上部中央のアールヌーボー風書体のローマ字ロゴが、この建物の魅力です。

長野県上諏訪(13)

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食堂魚安。木造3階建ての、東京の下町にでもありそうな建物で、窓ガラスの区切りが美しい。

長野県上諏訪(12)

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小林楽器店。1階店舗部分は大幅に改装されています。

長野県上諏訪(11)

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旧店舗。電柱の陰になっていますが、結構細工の凝った看板建築です。

長野県上諏訪(10)

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旧店舗。現在は店を閉め、店舗部分を改装しています。塔屋の櫛状の模様がライト風でモダンです。

長野県上諏訪(09)

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ブテイック マルシ。隣の空き店舗も、一体の建物です。

長野県上諏訪(08)

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リビングショップ カネキチ。アーケードがとれて、建物の全貌が見渡せます。

長野県上諏訪(07)

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パチンコ&スロット アルプス。空き店舗が、パチンコ屋さんに転用されました。

長野県上諏訪(06)

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理容岡村。サエキ薬局の隣に建つ看板建築です。

長野県上諏訪(05)

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サイキ薬局。上諏訪駅近くにあり、歩道上のアーケード撤去がなされ、看板建築の全貌がよく見えるようになりました。

長野県上諏訪(04)

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旧長野農工銀行上諏訪支店(大正14年築)。長らく空家となっていましたが、現在は予備校が入っています。

長野県上諏訪(03)

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旧片倉館懐古館(昭和18年築)。片倉館に隣接して建っている帝冠様式の建物です。現在、諏訪市美術館として利用されています。

長野県上諏訪(02)

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梅香荘。旧医院ではないかと思います。隣の消防小屋も、一連の同じ様式で建てられています。

長野県上諏訪(01)

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片倉館(昭和3年築)。森山松之助設計の共同浴場で、チェコスロバキアのカルルスバーグのスパを参考に、片倉財閥が建てた厚生施設です。

大分県豊後高田(05)

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旧尾形医院。旧共同高田銀行の並びに、川に面して建つ左右対称の建物です。中津にある医院に似ています。

大分県豊後高田(04)

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現在隣に建つ早田内科医院の旧医院か、住宅かと思われます。外壁の塗装が新しく復元の可能性もありますが、観光コースから外れた通りに建っており、おそらくは昭和初期の建物かと思われます。

大分県豊後高田(03)

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旧高田信用組合(昭和8年築)。一見、土蔵造りの見世蔵のようですが、2階の窓にアーチが見えます。思わず、内部を覗き込んでしまいました。空家ですが、まだカウンターが残っています。

大分県豊後高田(02)

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旧共同高田銀行(大正10年築)。橋詰に建つ煉瓦造の銀行建築です。惜しいことに現在空家となっており、車庫として使われています。

大分県豊後高田(01)

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旧共同野村銀行(昭和8年築)。結構手の込んだ銀行建築です。昭和のまちおこしで有名な豊後高田の商店街の中ほどに建っています。せっかくの建物なのですが、活用の方法がいま一つ。もっと積極的に、前面に出してアピールしても良いと思うのですが。

岡山県邑久(02)

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長田医院(大正7年築)。旧邑久中学校講堂の先に古い医院があると聞き、訪ねてみました。庭木が繁っていて全貌が見えませんが、煉瓦基礎で、正面右側が特徴的です。

大分県大分(03)

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旧二十三銀行本店(大正2年築)。現在、赤レンガ館として活用されています。

大分県大分(02)

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旧大分県農工銀行(昭和7年築)。現みずほ銀行大分支店です。

大分県大分(01)

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梅の家。大分駅前の駅弁屋さんです。

山形県長井(19)

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長井の大通りに建つ洋館。正面中央の小屋根が特徴的です。窓やシャッターなどの開口部は、後に改修されていると思います。

山形県長井(18)

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駅前通りの安城中央安城。

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大通り沿いにある安城本店。

山形県長井(17)

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グンゼ長井工場。

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塀を隔てた隣の敷地には、黒い塗装の協同薬品工業。こちらは、旧郡是長井工場の建物の転用かと思われます。

山形県長井(16)

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個人邸。簡易郵便局長をなさった方の自邸とのこと。

山形県長井(15)

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長井駅(大正3年築)。旧国鉄の駅舎です。現在、山形鉄道フラワー長井線の本社が置かれています。

山形県長井(14)

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個人邸。この下見板張りの建物は、旧医院だったのではないかと思います。

山形県長井(13)

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貿上醤油店。この界隈は、造り酒屋なども集まっています。

山形県長井(12)

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旧郡役所の近所にあるパン・菓子・食料品店。ポーチが、最初からこの建物に付いていたものか、他の建物から移したものか不明です。

山形県長井(11)

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長井市立長井小学校(昭和8年築)。左右対称の総2階建て、左右にそれぞれ4教室ずつ、全長100mに及ぶ大規模な木造校舎です。

山形県長井(10)

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旧羽前銀行長井支店(昭和9年築)。現在、個人邸となっています。

山形県長井(09)

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旧西置賜郡役所(明治11年築)。現在、小桜館という名の貸しホールとなっています。来年、築130周年を迎え、記念イベントが計画されています。古い写真を見ると、ベランダの付いた玄関ポーチがあったようですので、その復元が待たれます。

山形県長井(08)

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旧桑島眼科医院(昭和5年築)。曳家で移動し、保存された洋館です。ただ、せっかく保存された建物ですが、現在は残念ながら空家状態で常時使われておりません。個人的には、常設の展示などを行ない、まちと建物の紹介に使ってこそ建物を保存した価値があると思うのですが。

山形県長井(07)

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旧小池医院(昭和6年築)。以前から気になっている建物です。この建物の直前まで道路の拡幅工事が迫ったままでストップしています。ほんの少しだけ、歩道分が建物にひっかかっているだけなのです。何としても、残したい建物です。

福島県会津若松(30)

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会津若松で見かけた洋館。

福島県会津若松(29)

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日本聖公会若松諸聖徒教会(大正14年築)。

福島県会津若松(28)

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会津服装専門学校。大規模な木造建築です。

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側面に廻ると、蔦に覆い尽くされていました。

福島県会津若松(27)

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安藤写場。一見新しそうな建物ですが、木製サッシの様子を見ると、昭和初期の建物ではないかと思われます。

福島県会津若松(26)

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東北電力会津若松支店。屋上に御社が見えます。

福島県会津若松(25)

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会津若松市役所(昭和12年築)。

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丁字路の突き当たりに威厳ある姿で建っています。

福島県会津若松(24)

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うなぎあら池。円窓、スクラッチタイルの昭和初期のアールデコ建築です。

福島県会津若松(23)

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旧ノッス博士宣教師館(明治43年築)。現在、穴澤訪問看護ステーション、穴澤指定居宅介護支援事業所として使用されています。

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同じ穴澤病院の敷地内には、同型の洋館が建っています。

福島県会津若松(22)

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旧連隊兵舎(明治41年築)。

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旧連隊の門柱です。現在、中学校の校門として使われています。

福島県会津若松(21)

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会津漆器鈴善(昭和5年築)。昨日のA・C倶楽部も、この鈴善の蔵です。

福島県会津若松(20)

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A・C倶楽部。喜多方の煉瓦蔵と似た構造です。

福島県会津若松(19)

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小汲歯科医院。建物は新しい感じですが、塗装が厚いだけで相当古い医院と見ました。

福島県会津若松(18)

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中華の店とんがらし。元々はお屋敷だったのか、料亭だったのか。

福島県会津若松(17)

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居酒屋が入っている2連アーチの看板建築。会津若松では、こうした連アーチの看板建築の建物が目につきます。

福島県会津若松(16)

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日本キリスト教団若松栄町教会(明治44年築)。野口英世が洗礼を受けた教会。

福島県会津若松(15)

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野口英世青春通りに建つ旧医院。道路に面した部分が駐車場となって、建物の際までブロック塀が迫っています。

福島県会津若松(14)

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旧黒河内胃腸病院(昭和10年築)。ちょっと整備され過ぎている「野口英世青春通リ」にある旧医院です。

福島県会津若松(13)

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旧五十嵐医院(大正12年築)。この通りは医者町で、道の両側に沢山に医院が建ち並んでいます。

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建物は新築になっていましたが、こんな煉瓦の門柱のある医院もありました。

福島県会津若松(12)

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まちかどのたばこ屋さん。屋根の上の2つの角が、洋風建築の目印です。地域によって、角の形が違うのが面白いです。

福島県会津若松(11)

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とても良い感じの、小さな洋館。隣の敷地が駐車場となり、この建物が見えるようになりました。

福島県会津若松(10)

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土蔵に洋風の左官仕事がなされています。

福島県会津若松(09)

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池田種苗店。蕪のレリーフのかわいらしさで、仲間内で話題となった物件です。

福島県会津若松(08)

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旧鈴木洋装店(昭和3年築)。

福島県会津若松(07)

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旧塚原呉服店本店(大正15年築)。第二塚原呉服店とは道を隔てた斜向かいに建ち、運動具店として現役です。

福島県会津若松(06)

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第二塚原呉服店(昭和2年築)。看板建築が、まさに看板として成立しています。

福島県会津若松(05)

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白木屋漆器店(大正2年築)。今も漆器店として活躍しています。

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この白木屋漆器店は、旧第四銀行会津支店と並んで建っています。

福島県会津若松(04)

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旧第四銀行会津支店(昭和4年築)。岡田信一郎設計の本格的な銀行建築で、現在は滝谷建設工業の社屋となっています。

福島県会津若松(03)

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旧郡山商業銀行若松支店(大正10年築)。現在、「会津西洋館」「四ツ角大正館」という飲食店として活用されています。

福島県会津若松(02)

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旧若松庶民金庫。歴史的景観指定建造物。昨日の旧会津実業信用組合もそうですが、正面上部中央が丸くなっている建物は、いかにも街の近代建築です。

福島県会津若松(01)

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旧会津実業信用組合(昭和3年築)。現在、大林組の事務所となっています。

山形県米沢(07)

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ホテル音羽屋本店(昭和12年築)。登録有形文化財。米沢の駅前に建つ、駅前旅館です。

山形県米沢(06)

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旧米沢女子高等学校(昭和10年築)。登録有形文化財。現在、九里学園高等学校として現役で使われています。

山形県米沢(05)

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旧米沢織物組合本館(大正11年築)。登録有形文化財。現在、米沢織物歴史資料館として公開されています。上杉博物館で、新築当時の写真を見ましたが、現在とはずいぶん違っています。ただ、階段の踊り場のステンドグラスなどは、以前のままです。

「まちかどの近代建築写真展 IN 下関II」開幕

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先にお知らせいたしました通り、今週月曜日より、下関市の山口銀行旧本店にて、「まちかどの近代建築写真展 IN 下関II」が開幕いたしました。

会場風景の写真が届きましたので、UPいたします(高月鈴世氏撮影)。

「全国の銀行建築 1920-1925」
~まちかどの近代建築写真展 IN 下関II~

会期:2007年11月5日(月)~18日(日)
   10:00~17:00
   (会期中、土、日は休館。ただし、18日(日)午後は、コンサートイベントがあるため開館します。最終日は16:00まで)

会場:山口銀行旧本店(山口県指定有形文化財)
   山口県下関市観音崎町10-6

主催:下関市
協力:「まちかどの近代建築写真展 IN 下関」実行委員会/近代建築探訪メーリングリスト

※明日10日より、対岸の門司で「赤煉瓦ネットワーク2007門司大会」なのですね。
http://mojirenga.navitown.com/event.htm#071031-1
「産業考古学会全国大会」も。
http://f17.aaa.livedoor.jp/~heritage/H19zenkokutaikai.html
下関市や下関市教育委員会も後援に入っている。下関市役所第一別館や、山口銀行旧本店にも、ぜひ見に来て欲しいものです。

追記
11月10日(土)、11日(日)、17日(土)は、休館でした。残念(涙)。

山形県米沢(04)

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旧米沢高等工業学校本館(明治43年築)。現山形大学工学部で、国の重要文化財に指定されています。

新潟県新潟(20)

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二葉幼稚園(大正12年築)。

新潟県新潟(18)

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スクラッチタイルの店舗。旭川などでは公設市場の建物の印象ですが、新潟ではどういう建物だったか。

竹筋コンクリートの建築物

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昭和10年代から20年にかけて、戦時下で金属不足のため、鉄筋コンクリートに代わる材料として竹筋コンクリートが研究され、実際に施工されたと言われています。

しかしながら、現在、どれが竹筋コンクリートによる物件であるかは文献では伝わっておらず、伝聞として伝わっているものばかりでした。

少々前になりますが、今年の7月、玉井孝幸先生のブログ「建築調査技術コンサルタンツ」に、決定的な情報が記載されていました。
http://brtc.at.webry.info/200707/article_5.html

昭和16年発行の古本『時局化における土木工事の施工法に関する講演会講演集』のなかに、「竹筋コンクリートの強度並びに調査」と題する発表があり、竹筋コンクリートで施工された建築物の例が載っているとのことです。

報告されている物件は、下記の4件。

農林省林業試験所の各試験地の建築物の一部
・白河(福島県)気象観測室および雨量計地下室
・鷹巣(秋田県)
・釜淵(山形県)
・十日市(新潟県)

現存しているかどうかはわかりませんが、少なくとも昭和16年までに、実際に竹筋コンクリートの建築物が建てられたことが明らかになりました。

それぞれの地元の方からの情報提供を、切望いたします。当時の建物は、現地に残っていますでしょうか。小生も、いずれ各地を訪ねてみたいと思います。

昭和16年以降にも、竹筋コンクリートの建築物は建てられたはずです。さらなる発見を期待したいものです。

新潟県新潟(17)

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旧歯科医院。「歯科」の文字跡がかろうじて読みとれます。現在は、魚屋さんです。

新潟県新潟(16)

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中村写真機店(昭和11年築)。白いタイルをまとった四角い建物で、新築当初は白亜のモダン建築だったと思います。

新潟県新潟(15)

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副知事公舎(大正10年築)。現在、レストランとして活用されています。

新潟県新潟(14)

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旧会津八一邸(昭和3年築)。北方文化博物館新潟分館として公開されています。

新潟県新潟(12)

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昨日の旧山一証券新潟支店と同じ通りに建つ店舗物件。建物の由来がわかりません。スクラッチタイルと、2階の4本のオーダーが特徴です。

新潟県新潟(11)

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旧山一證券新潟支店(昭和10年築)。現在、新和証券として現役です。

新潟県新潟(10)

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旧新潟税関庁舎(明治2年築)。国指定重要文化財。以前は新潟市立博物館として活用されていましたが、現在はその敷地内にみなとぴあ新潟市歴史博物館が新築され、空家状態のなっています。

新潟県新潟(09)

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旧第四銀行住吉町支店(昭和2年築)。現在、みなとぴあ新潟市歴史博物館の敷地内に解体・移築され、公開されています。登録文化財。

新潟県新潟(08)

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新潟県厚生農業協同組合連合会。1階部分の彫りの深さが、建物の古さを物語っています。

新潟県新潟(07)

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新潟市水道局別館。四角いRC造の建物ですが、各柱の上に自然石風の飾りがのり、窓下に飾りが付けられています。由来がわかりませんが、おそらく、新潟市水道局の旧事務所ではないかと思われます。

まちかどの近代建築写真展 IN 下関II

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昨年秋に引き続き、山口県下関市で「まちかどの近代建築写真展」を開催いたします。

今回は、「たてものから見る下関の1920年」という下関市のイベントの一環として、「全国の銀行建築 1920-1925」と題し、この6年間に建てられた、現存する銀行建築のみを展示します。

「全国の銀行建築 1920-1925」
~まちかどの近代建築写真展 IN 下関II~

会期:2007年11月5日(月)~18日(日)
   10:00~17:00
   (会期中、土、日は休館。ただし、18日(日)午後は、コンサートイベントがあるため開館します。最終日は16:00まで)

会場:山口銀行旧本店(山口県指定有形文化財)
   山口県下関市観音崎町10-6

主催:下関市
協力:「まちかどの近代建築写真展 IN 下関」実行委員会/近代建築探訪メーリングリスト

同時に、下関市側で用意した「たてものから見る下関の1920年」という写真展示もあります。

下関市のプレス発表資料
http://www2.city.shimonoseki.yamaguchi.jp/icity/browser?ActionCode=content&ContentID=1192515582008&SiteID=0000000000000

新潟県新潟(06)

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旧新潟師範学校記念館(昭和4年築)。現在、新潟大学あさひまち展示館(旭町学術資料展示館)として、新潟大学構内にて公開されています。登録有形文化財。

新潟県新潟(05)

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新津記念館(昭和13年築)。屋内のステンドグラスも必見です。

新潟県新潟(04)

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旧新潟県議会議事堂(明治16年築)。現在、憲政記念館として公開されています。

新潟県新潟(03)

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カトリック新潟教会司教館。元は、幼稚園や学校などの建物だったのではないかと思うのですが、どうでしょう。

新潟県新潟(02)

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カトリック新潟教会(昭和2年築)。2つの尖塔の三角屋根の腰部分が折れているところなどが、ヒンデルの建物らしいなあと思います。

新潟県新潟(01)

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金井写真館本店(明治20年築)。この色に驚いてしまいました。

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2000年に訪ねたときの写真は、こちら。

新潟県燕(05)

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駅前通りと国道とが接する角地に建つ。下見板張の二階家。左隣の敷地は、道路拡幅工事で削られてしまったようでした。

ALWAYS 続・三丁目の夕日

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2年前、2005年秋に公開された映画「ALWAYS 三丁目の夕日」は大ヒットとなり、昭和ブームが到来しましたが、来月いよいよその続編が公開となります。

ストーリーや小さな逸話などで、本当に泣かさる(北海道弁)映画なのですが、それとは別に、昭和30年代の風景を求めて各地でロケが行なわれており、そのロケに使われた建物などにも興味が向かいます。前作では、栃木県栃木市の「旧足利銀行栃木支店」や、岡山県岡山市西大寺の「五福通り商店街」、岡山県倉敷市玉島などでロケがおこなわれ、東京の昭和30年代の風景を再現していました。

今回の「ALWAYS 続・三丁目の夕日」では、次のようなロケ情報があります。
・東京都国分寺市東恋ケ窪の「孫の湯」
・東京都千代田区の「九段会館」
・兵庫県西宮市の武庫川学院「甲子園会館」
・群馬県館林市の神社
・静岡県島田市で「東京冬の街角」風景
・岡山県真庭市の「旧遷喬尋常小学校」
・福岡県北九州市八幡東区で「東京浅草の繁華街」風景
・山口県宇部市の「渡辺翁記念会館」
http://www.geocities.jp/always3chome/zoku-ashiato.html

こうしたロケ地の建物の他に、CGで再現された建物もこの映画の楽しみです。今回の続編の予告編を見ていたら、日本橋の橋詰に建つ旧帝国製麻ビルが、美しく映っているではありませんか!!

映画「ALWAYS 続・三丁目の夕日」公式ページ
http://www.always3.jp/
Yahoo!動画「『キネマ横丁』『ALWAYS 続・三丁目の夕日』特番」
http://streaming.yahoo.co.jp/p/t/00073/v02835/

旧帝国製麻ビルは、東京駅と同じ辰野金吾の設計で、赤レンガに白い石の帯をまわした、いわゆる「辰野式」の建物でした。調べてみると、昭和62年(1987年)に解体されています。気が付くと、いつの間にか解体されていたという印象です。

解体時には大栄不動産の所有となっており、金文字で大きく「大栄不動産」と書かれていましたが、調べてみると大栄不動産がこのビルを所有したのは昭和39年。「ALWAYS 続・三丁目の夕日」で、このビルに「大栄不動産」と書かれていれば誤りということになります。

「ALWAYS 続・三丁目の夕日」は、11月3日より全国東宝系でロードショー公開です。

ALWAYS 続・三丁目の夕日―もういちど、あのときへ。 (小学館文庫)
ALWAYS 続・三丁目の夕日―もういちど、あのときへ。 (小学館文庫)

新潟県燕(04)

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大きな寺院の隣に建つ、下見板張りの二階家。

新潟県燕(03)

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丸友工業事務所。近隣の工場はトタン板張が多い中、この工場だけは下見板張りでした。

新潟県燕(02)

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旧宋村歯科医院。敷地隣に新館が建ち、そちらで歯科医院を営業中です。

宮城県白石(12)

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JR白石駅油倉庫(明治29年築)。

宮城県白石(11)

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旧銭湯。裏通りに建つ、ちょっと飾りの付いた建物です。

宮城県白石(10)

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旧医院。新しい建物が建ち、駐車場の奥に追いやられた格好になっています。

宮城県白石(09)

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旧刈田病院(明治15年築)。物置状態で、建物の手前ギリギリまで別の建物が建っています。何とか、有効に活用したい物件です。

宮城県白石(08)

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市役所の真前に建つ建物。司法書士とか代書屋の事務所ではないかと思います。

宮城県白石(07)

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日本基督教団白石教会。城下、市役所の隣に建っています。

宮城県白石(06)

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奥州白石温麺協同組合。麺の協同組合といえば、笠岡の岡山県製粉製麺工業協同組合を思い出します。

宮城県白石(05)

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今井理容所。きっちりと真四角な床屋さん。

宮城県白石(04)

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何の用途の建物なのか不明です。このシマシマは、辰野式の亜流なのでしょうか。

まちかどの近代建築写真展 IN 根津II

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明日10月6日(土)より、東京都文京区根津にある日本基督教団根津教会(登録有形文化財)を会場に、「まちかどの近代建築写真展 IN 根津II」が開幕いたします。実は、昨晩はその準備で、明け方まで展示パネル作りをしておりました(笑)。

初日の明日は、夕刻より設営現場の公開となりますが、お時間のご都合がつけば、ぜひお運びください。

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2004年にJR札幌駅コンコースを会場にスタートした「まちかどの近代建築写真展」も、今回で第10回を数えることとなりました。これまで、山形県長井市に残る郡役所や大阪市港区の天満屋ビル、山梨県甲府市のカトリック教会などを会場に、回を重ねることができましたことを、会場を提供してくださった方々、また、来場頂いた皆様に感謝申し上げます。

「まちかどの近代建築写真展」は、近代建築探訪メーリングリスト有志の撮影による、全国各地の身近な近代建築の写真展です。どこの町にも、生活や歴史を秘めた素敵な近代建築がひっそりと建っているものです。この写真展は、こうした近代建築を通じて、それぞれの町を見直しきっかけとなればと思いスタートさせました。これからも私たちの写真展が、人々の思い出や町の歴史のために役立てればと願っています。


「まちかどの近代建築写真展IN根津II」(谷中芸工展参加)

会期:2007年10月6日(土)~10月14日(日)
時間:10:00~17:00(初日は16:00から。最終日は16:00まで)
会場:日本基督教団根津教会(東京都文京区根津1-19-6)
主催:日本基督教団根津教会
企画:まちかどの近代建築写真展実行委員会
協力:近代建築探訪メーリングリスト
日本建築学会関東支部歴史意匠専門研究委員会
データベースワーキンググループ
建築から学ぶ会

*なお、この写真展は会場さえ用意いただければ、全国どこへでも出前(貸出)をいたします。空き店舗、地域スペース、学校など、町おこしなどのきっかけとしていただきたく存じます。(連絡先:gookomichi@mail.goo.ne.jp)

宮城県白石(03)

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旧街道沿いの事務所。2階の窓割りが素敵です。

宮城県白石(02)

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ヤマダデンキ。個人的に、コーナーの丸くなった建物がとにかく好きです。

宮城県白石(01)

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萬源商店。白石の駅前通りにあります。

青森県弘前(29)

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再度、市内で見かけた看板建築群。

青森県弘前(28)

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引き続き、市内で見かけた看板建築群。

青森県弘前(27)

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市内で見かけた看板建築群です。

青森県弘前(26)

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市内で見かけた謎の物件です。建物のシマシマは、モルタルでコーナーストーンを表したものかと思われます。弁護士などの事務所ではないかと思われます。

青森県弘前(25)

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旧弘前偕行社の裏手に、趣のある住宅が2棟建っています。おそらく、官舎だったのではないでしょうか。

青森県弘前(24)

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旧吉井酒造煉瓦倉庫(大正14年頃築)。弘前に行く都度、気になっていた大きな煉瓦倉庫です。近年、ギャラリーとして使用されたりしています。

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旧弘前銘醸煉瓦倉庫。現在、弘前製氷となっています。

青森県弘前(23)

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市内の幹線沿いで見つけた下見板張の洋館。事務所でしょうか。

青森県弘前(22)

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木村産業研究所(昭和7年築)。登録文化財。前川國男のデビュー作です。

青森県弘前(21)

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旧三原堂弘前支店(明治30年築)。現、一戸時計店。時計塔のかわいい、古くからの商店街に建つ弘前のランドマークです。

青森県弘前(20)

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旧高谷英城別邸洋館(昭和10年築)。弘前にある本格的ライト建築で、現在、中華レストランとして活用されています。

青森県弘前(19)

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旧青森尋常中学校(明治26年築)。現在、弘前高校構内で鏡ケ丘記念館として大切に保存されています。

青森県弘前(18)

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旧弘前無尽(昭和2年築)。旧国立第五十九銀行や日本基督教団弘前教会会堂の道路の向かいに建っている商業ビルです。

青森県弘前(17)

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旧角三呉服店(明治16年築)。市指定文化財。土蔵造の擬洋風建築です。大正6年に津軽銀行に譲渡され、平成10年まで長らく青森銀行津軽支店として使われていました。現在、弘前市立百石町展示館として公開されています。

青森県弘前(16)

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藤田記念庭園洋館(大正10年築)。登録文化財。

青森県弘前(15)

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旧第八師団長官舎(大正6年築)。登録文化財。市役所敷地に移築され、市長公舎として使われました。

青森県弘前(14)

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旧弘前市立図書館(明治39年築)。青森県指定重要文化財。一時期、民間に払い下げられ、他の場所に移築してアパートとして使われていました。昭和62年に東奥義塾が移転して追手門広場となる際に、かつて建っていた場所の近くに再移築されました。

青森県弘前(13)

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旧東奥義塾外人教師館(明治34年築)。青森県指定重要文化財。昭和62年に東奥義塾が別の場所に移転し、跡地が追手門広場として整備され、この外人教師館がそのまま旧敷地内に保存された形となりました。

青森県弘前(12)

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旧国立第五十九銀行(明治37年築)。国指定重要文化財。現在、青森銀行記念館として公開されています。かつては、日本基督教団弘前教会会堂と同じ通り沿いに建っていましたが、昭和40年代に90度振って一区画奥に移築・保存されました。

青森県弘前(11)

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日本基督教団弘前教会会堂(明治40年築)。弘前城を背にして幹線道路に面して建つ、弘前を代表する教会の建物です。現在のペイント色は、ちょっと浮いている感じがするのは小生だけでしょうか。

青森県弘前(10)

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弘前カトリック教会(明治43年築)。この教会も、以前は住宅地の中に埋もれるようにひっそり建っていたのですが、現在は広々とした敷地に美しくそびえています。

青森県弘前(09)

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弘前昇天教会聖堂(大正10年築)。弘前で計画道路や拡幅工事が活発化する以前、この教会は知る人ぞ知るといった隠れた存在でした。現在は、周囲の建物の立退きもあり、広い通りから駐車場越しに見渡せる、弘前を代表する教会の一つになりました。

青森県弘前(08)

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旧偕行社(明治38年築)。戦後、保育園として使用されていましたが、現在は弘前女子厚生学院記念館として公開されています。

青森県弘前(07)

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旧制官立弘前高等学校外人教師館(大正14年築)。旧偕行社のそばから、弘前大学構内に移築されました。きれいにペイントされた姿は、移築前の姿を思うとまるで別物のようです。

青森県弘前(06)

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旧弘前学院外人宣教師館(明治39年築)。大学の一角に大切に保存されています。

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正進会館。現在、空手の道場となっています。窓の飾りなどを見ると、軍か学校の講堂だったのではないかと思われます。

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弘前消防団西地区団第一分団屯所。前川國男の木村産業研究所を探していて、偶然見つけた屯所です。道がクランクになったところに建っています。

青森県弘前(03)

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旧弘前消防団第四分団屯所。元弘前警察署紺屋町巡査派出所で、弘前城の真裏に位置します。

旧長崎刑務所の活用方法を考える

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すでに解体も始まった旧長崎刑務所ではありますが、仮に保存が実現したとして、どのような活用方法があるかを、思いつくまま、独断で勝手に書いてみました。採算や費用度外視で、とにかくプランの種類や数を多く出すことが目的です。実現性のないムダなことだなどと考えずに、皆さんの考えもお寄せください。

●ホテルなどの宿泊施設。房舎も、当然改修して宿泊施設として利用する。倉敷アイビースクエアのイメージ。
・倉敷アイビースクエア
http://www.ivysquare.co.jp/

●刑務所博物館。旧長崎監獄を体感する体験型施設。修学旅行生や、団体観光バスによる集客を期待。博物館網走監獄のイメージ。
・博物館網走監獄
http://www.kangoku.jp/

●レストランなどの飲食店。庁舎だけ保存の場合にも有効。事例は多いが、例えば東京の小笠原伯爵邸などのイメージ。
・小笠原伯爵邸
http://www.ogasawaratei.com/html/index.html

●地域の集会所・公民館など公共施設。庁舎だけ保存の場合、公民館を新築する予算を改修・改装費用に充てれば、充分実現可能と思われる。一部は展示コーナーとして、旧長崎刑務所についての展示解説を行なう。

●たてもの園。庁舎を管理棟とし、長崎歴史文化博物館の分館として、長崎県内で解体せざるを得なくなった歴史的な建物を移築保存し野外展示を行なう施設とする。犬山の博物館明治村や、東京の江戸東京たてもの園のイメージ。
・博物館明治村
http://www.meijimura.com/index.html
・江戸東京たてもの園
http://tatemonoen.jp/

●結婚式場。歴史的な建物を結婚式場にする例は多いが、さすがにこれはムリだと思う(笑)。

●温泉施設。庁舎を利用し、スーパー銭湯的な入浴施設にする。イメージが貧弱(泣)。

●ショッピングセンターの管理棟。敷地をショッピングセンターとする場合、庁舎を管理棟として保存・活用する。

●シナリオ図書館。庁舎を利用し、諫早出身の市川森一氏の作品をはじめとする、テレビドラマや映画などのシナリオ(台本)全て収集する図書館とする。

●九州赤煉瓦博物館。九州地区の赤煉瓦建造物の資料展示を行なう。舞鶴の赤れんが博物館のイメージ。
・舞鶴市立赤れんが博物館
http://www.maizuru-bunkajigyoudan.or.jp/akarenga/index.htm

福井県勝山(04)

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町の中央部にある紡績工場の建物。周囲に建ち並んでいた別棟の建物が、今まさに解体中でした。この建物は保存されるのでしょうか。

旧長崎刑務所保存をめぐる3つの主張に答える

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8月31日、諫早で開催された「旧長崎刑務所の保存と活用を考える市民フォーラム」ですが、当夜、出席された長崎総合科学大学の山田由香里さんからお電話をいただき、会議の様子などをうかがいました。また、「旧長崎刑務所の保存と活用を考える会」の栄田元信さんから、メールで状況のご報告をいただきました。長崎県建築士会長崎支部青年部のブログや、長崎新聞、西日本新聞などでも報道されております。

「市民フォーラム」((社)長崎県建築士会 長崎支部青年部のブログ、9月1日付)
http://blog.goo.ne.jp/nagasaki-seinenbu/e/1d23657a658badda0f9bbbfc5be4b48c

「高評価、一方で否定的声も 旧長崎刑務所でフォーラム」(長崎新聞、9月2日付)
http://www.nagasaki-np.co.jp/kiji/20070902/04.shtml

「「署名行動で勢いを」「解体の現実を直視」 旧長崎刑務所の保存策探る 諫早でフォーラム」(西日本新聞、9月2日付)
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/local/nagasaki/20070902/20070902_002.shtml

お話をうかがった内容や報道などを見ると、市民の間でかなり意見が割れてしまっているようです。これまでにも、近隣住民の意見は報道されていましたが、旧長崎刑務所を保存するということについての反発は報道以上のものがあるようです。近隣の地主など、直接、利害や利権の絡む問題ですので、これは止むを得ないことでしょう。

また、当ブログへのコメントとして、市民の方々からいくつか書き込みがありました。武田洋子さん、ムーミンさん、山口さん、コメントありがとうございます。それらの意見をまとめると、主張は次の3点になるかと思われます。

まず、財源の問題です。ここでも、保存するには10億円もかかるというステレオタイプの金額が提示されています。今のご時世、お金が無いのは当然ですので、お金が無いならば無いなりの保存の方法があります。また、その負担を市民に負わされるのではたまらないという意見はもっともなことで、旧長崎刑務所のような貴重な文化財級の物件の保存は、国民の財産として国全体で負担すべきでしょう。これは私見ですが、文化財の保存は、将来の子孫に残すということですから、未来への負債でも良いのではないかと考えています。後世、よくぞ残してくれたと喜ばれるか、なぜ解体してしまったと恨まれるか、ということです。

次に、なぜ今ごろ保存を言い出すのかという時期の問題です。これは、現在保存を主張している人々が、反省しなければなりません。小生も、なぜもっと早く保存を訴えなかったのかと思っています。小生の場合、2005年に出た書籍『九州遺産』に掲載されていた写真でこの旧長崎刑務所を知り、2006年の春に初めて現地で旧長崎刑務所を見、なんとか保存できないものかという思いをつのらせておりました。所有者が国であり、何らかの保存措置はするだろうという淡い期待もしておりました。今年の春、報道で民間業者への売却を知るに及び、このままでは解体されてしまうとの危機感から、ようやく行動を開始したのでした。正直なところ、旧長崎刑務所のことを知るのが遅すぎたというのは事実です。もっと早くに、この旧長崎刑務所のことを知っていればと思います。ただ、解体に着手したいまさらでは遅すぎるということは決して無く、どんな時点であれ保存が主張されたということは、まだ可能性を残しているということです。小生のように、多くの人々が旧長崎刑務所のことをまだ知りません。それらの人々に、この旧長崎刑務所の存在を知ってもらい、残すか解体するかの価値判断をしてもらわなければならないと考えています。ごく一部の役人の判断だけで、国民の貴重な財産を喪失してしまっては、後世に取り返しのつかないことになってしまいます。たとえ、多くの市民が解体を望もうとも、保存すべき価値のあるものは、利害関係抜きに判断し、保存措置が図られなければならないと考えます。

最後に、保存を主張するのは市外の人々だけで市民は解体を望んでいるという、これまでも多くの保存運動で見られた地元が解体を望むという構図の問題です。文化財級の貴重な財産である旧長崎刑務所は、近隣住民や行政地域内の市民のものではなく、広く国民のものであるということを理解すれば、この主張はあきらかに誤りであると納得してもらえると思います。さらに、先にも述べたように、貴重な財産である旧長崎刑務所は、現在生きている者だけの財産ではなく、将来の子孫の財産でもあるということを考慮しなければなりません。小生は、これまでにもこの構図を、空間軸と時間軸の問題として、もっと視野を広げて考える必要性を主張してきました。解体してしまうということは、両軸を断ち切ってしまうということなのです。

以上、市民フォーラムを受けての、小生の感想と回答でした。

なお、この市民フォーラム前後にも、旧長崎刑務所のことが盛んに報道されています。多くの人々に、旧長崎刑務所のことを知ってもらうことが、今いちばん大切なことなのだと思います。

「貴重な西欧風れんが造りを発見 旧長崎刑務所解体現場」(長崎新聞、9月1日付)
http://www.nagasaki-np.co.jp/kiji/20070901/01.shtml

「山下啓次郎と旧長崎刑務所展 市立諫早図書館で始まる」(長崎新聞、8月28日付)
http://www.nagasaki-np.co.jp/kiji2/2007082802.shtml

「旧長崎刑務所正門など保存訴え 諫早市に「考える会」要望書…旧長崎刑務所」(読売新聞、9月4日付)
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/nagasaki/news004.htm

近く、社団法人日本建築学会九州支部より、保存要望書の提出が決まったとのことです。旧長崎刑務所が、学術的にも貴重な物件であるということが、裏付けされました。

九州遺産―近現代遺産編101
九州遺産―近現代遺産編101

福井県勝山(03)

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竹下医院。すっかり塗装のはげてしまった下見板貼りの洋館。

福井県勝山(02)

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小林眼科医院。ピンク色の塗装がカワイイ、下見板貼りの洋館。

福井県勝山(01)

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金花堂八百支店。左右対称の綺麗に整ったアールデコ調の建物。

広島県府中(09)

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この薄っぺらな円弧の看板建築の楽しさ。

広島県府中(08)

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通り側にベランダをまわしたこの建物は、いったい何の建物だったのでしょう。
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同じ通りには、やはりベランダを付けた商家の建物もありました。

広島県府中(07)

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平和堂看板店。ライオンの飾り、入口上の円弧を描く窓、右隅に小さくある円窓など、賑やかで楽しい建物です。

広島県府中(06)

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銅板葺の看板建築。3階建てに見えますが、どうやら3階部分はフェイクのようです。

旧長崎刑務所を残すカギは「用途変更」

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西日本新聞8月26日の用語解説「ワードBOX」に、旧長崎刑務所が取り上げられています。

「視点’07ながさき=旧長崎刑務所、年内解体へ 見えぬ跡地の将来像 諫早市 「保存」「開発」ともに課題」
http://www.nishinippon.co.jp/news/wordbox/display/5104/

これを読むと、旧長崎刑務所は近隣住民のとっては「迷惑施設」でしかないようです。シロアリ被害、ぼや騒ぎ、痴漢出没などなど。しかし、これらの問題は、記事にもある通り、旧長崎刑務所そのものに起因する問題ではなく、旧長崎刑務所を15年間も放置し続けてきたことによる管理上の問題です。

地元が保存に反対するという構図は、全国各地で見られます。以前書きましたが、小樽運河保存の際も、地元は運河埋立賛成でした。妥協・折衷案でしたが、何はともあれ小樽運河が残され、今日の観光化した小樽があります。運河を残すことで、その後どのような展開があるかの想像図を描ききれずに、地元は反対したということなのでしょう。

旧長崎刑務所も、残すことで将来どのような展開がありうるかを、具体的に示す必要がありそうです。昨今、旧長崎刑務所のような歴史的価値のある物件は、観光資源としても有望なのです。

西日本新聞の記事によれば、旧長崎刑務所の今後のカギは「用途変更」のようです。確かに、刑務所の用途地域って、何だったのでしょう。刑務所機能移転後の用途地域の指定も、何だったのか興味があります。県や市は、この「用途変更」の権限で、旧長崎刑務所の保存を取引することができそうですネ。

今後の展開が何も決まっていないにもかかわらず、ただ解体だけが押し進められている現状は、本当に許しがたいです。壊してしまっては、取り返しがつかないのですから。

8月31日の市民フォーラムを期待しています。皆で知恵を出し合って、残した後の旧長崎刑務所の活気ある姿を思い描きましょう。

広島県府中(05)

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I邸。町中に構える大きな洋館です。

丘の上の白いパゴダ

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以前から気になっていたのですが、全国を旅していると、丘の上に白いパゴダが建っているのをよく見かけます。どうも、鉄道の大きな駅などから見える位置に建っていることが多いようです。例えば、札幌や釧路、熊本など。

パゴダは仏舎利塔であり、インドのストゥーパが原形です。日本には木造の五重塔や三重塔、多宝塔などの形で伝わりました。パゴダは、ミャンマーやタイなどに伝わった形です。

つまり、現在各地に見られる日本のパゴダは、それほど古いものではないということです。小生の仮説では、伊東忠太設計による大正7年築の名古屋市の日泰寺仏舎利奉安塔が最初ではないかと考えました。その後、昭和初期にいくつか建てられ、昭和30~40年代に各地に建てられたのではないかと考えました。

今回、日本のパゴダのリストを作ろうと思って検索していましたら、すでに「塔婆-現存塔婆と塔婆遺跡」というHPに、「南方式仏塔(パゴダ)」の詳細なリストが載っておりました。

このリストによると、明治44年築の静岡県袋井市の可睡斎護国塔が最初のようで、設計は伊東忠太です。リストでは、大正7年築の日泰寺仏舎利奉安塔は、覚王山仏舎利塔として掲載されています。

伊東忠太が日本に持ち込んだという小生の仮説は、一応正しかったようです。「日本のパゴダの歴史」なんて、どこかの大学で研究しているのでしょうか。建築学というより、仏教系の研究ですかね。

広島県府中(04)

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旧紡績工場事務所。1階と2階の間に、大の字をあしらった通気孔が並んでいます。

広島県府中(03)

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延藤家住宅洋館(昭和6年築)。登録文化財です。

広島県府中(02)

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平地呉服店(昭和8年築)。角地にアールを描く、スクラッチタイル貼りのアールデコ建築です。

広島県府中(01)

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旧芦品郡役所(明治36年築)。解体・移築し、現在、府中市歴史民俗資料館として活用されています。

千葉県千葉(01)

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千葉刑務所(明治40年築)。現役の刑務所として使われています。

石川県金沢(12)

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I邸。大手町のNTTとNHKの間に建つ洋館。

旧長崎刑務所の保存と活用を考える市民フォーラム

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諫早にある旧長崎刑務所の、保存・活用を考えるイベントが開催されます。主催は「旧長崎刑務所の保存と活用を考える会」。連絡先は、長崎県建築士会諫早支部(地建設計内)の栄田元信氏 (TEL:0957-24-0416、E-mail:motonobu@festa.ocn.ne.jp)。

以下、九州産業考古学会のHPよりの転載です。

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旧長崎刑務所の保存と活用を考える市民フォーラム
基調講演:高村雅彦准教授(法政大工学部)
パネルディスカッション:池田武邦氏(日本設計元社長)ほか
日時:平成19年8月31日(金)19:00~
会場:諫早市高城会館(長崎県諫早市高城町5-25)

これに併せて諫早図書館では8月28日~9月1日まで「山下啓次郎と旧長崎刑務所展」を開催しています。どうぞ足をお運びください。

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シンポジウムの開催日が、月末で週末の平日(!!)という、勤め人には一番難しい日程ですが、何とか駆けつけることができないかと思案中です。

(社)日本建築学会の全国大会が、この日まで福岡大学で開催されていますので、その後に挙って諫早にお出でいただければ良いですね。博多から特急で1時間半程度の距離ですので。

石川県金沢(08)

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旧高岡銀行(昭和4年築)。現在、金沢文芸館として転用。

石川県金沢(06)

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旧石黒ファマシー本社(大正15年築)。

石川県金沢(05)

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旧大和田銀行金沢支店(昭和3年築)。

石川県金沢(04)

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谷庄古美術店(昭和2年築)。隣の敷地ではショベルカーが動き回っていました。

石川県金沢(03)

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西町のT路地に建つ洋館。

石川県金沢(01)

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旧加能合同銀行本店(昭和7年築)。武蔵ヶ辻の角に建つモダンな銀行建築です。この度、この一角が再開発されることになり、少し曳家して保存されるとのことです。

福島県喜多方(09)

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竹内写真店。外壁の塗装が少々厚いのですが、確かに古い写真館です。

「旧長崎刑務所」保存要望書

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諫早の旧長崎刑務所ですが、とうとう「解体工事のお知らせ」が表示されたとのこと。

お水の花道ブログ
http://myhome.cururu.jp/shinnosuke0113/blog/article/41001341518

九州ヘリテージ
http://blog.kyushu-heritage.jp/?eid=488985

写真から読み取ると、施行者(解体業者)は株式会社中嶋組、発注者は株式会社ユニディオコーポレーションと株式会社新日本建設。

しかし、それぞれの業者さんに言ったところで、仕事を請け負っているだけでしょうから、その大元の発注者(すなわち入札落札者)を探して保存のお願いをするしかありません。いったい落札者は、どこの業者さんなのでしょう?? ちなみに、中嶋組は長崎市、ユニディオコーポレーションは福岡市、そして新日本建設は千葉市の会社です。

実は、居ても立っても居られずに、今月中旬に建築関係の諸団体に対し、下記の「旧長崎刑務所」保存要望書の要望をメールにて発信いたしました。半月ほど経過した現在までのところ、どの団体も何の動きも見受けられませんが……。緊急アピールでも、ホームページ上などに載せて欲しいものです。何とか、一部でも残して欲しい。旧長崎刑務所は、重要文化財級の物件ですから。

チアキさん、ゴン太さん、情報をありがとうございます。

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社団法人日本建築学会九州支部 殿
社団法人長崎県建築士会 殿
社団法人長崎県建築士会長崎支部 殿
社団法人日本建築士会連合会 殿
社団法人日本建築家協会 殿
社団法人日本建築家協会九州支部 殿
社団法人日本建築家協会九州支部長崎会事務局 殿


日本建築学会「歴史的建築リスト整備活用小委員会」で委員をしております前村と申します。

さて、報道などでもご承知の通り、先月、長崎県諫早市の「旧長崎刑務所」が民間の不動産業者に売却され、解体間近となっております。

長崎刑務所の移転後、10年あまり空家のまま放置されたことで、廃墟のような状況ではありますが、山下啓次郎設計の「旧長崎刑務所」の価値は、決して減じるようなことはありません。

これまで世間では、「旧長崎刑務所」についての正当な価値評価が行なわれていないように見受けられます。ぜひとも貴会から保存要望書を出していただき、「旧長崎刑務所」の評価を示し、何らかの形で保存されるようご尽力くださいますようお願い申し上げます。

いつ解体が開始されても不思議ではない今、貴会としても早急に対処し、広く市民に向けて保存の呼びかけを行なうべきではないかと思われます。

微力ではありますが、小生もインターネット上で、ネットワークを通じて「旧長崎刑務所」の存在と価値を広報しております。世間に「旧長崎刑務所」の価値が認知されることが、まず第一と考えております。

来月、九州で建築学会の大会が開催されます。ぜひともこの「旧長崎刑務所」の保存が大きな話題となりますよう、何とぞご協力をお願い申し上げます。

なお、建築学会、建築士会、建築家協会等に対しても、保存要望書を出すよう働きかけを行なっております。

福島県喜多方(08)

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西町のポンプ小屋。大通りの1本隣の通りにあります。

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同じ通りには、こんな建物もありました。

福島県喜多方(07)

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星医院。市内中心部の喜多方小学校の校門前にある医院です。

福島県喜多方(06)

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日本基督教団喜多方教会。田付川のほとりに建っています。

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対岸に廻り撮影してみました。

福島県喜多方(05)

三津谷集落の煉瓦蔵群。喜多方市内より4キロほど離れたところにあります。近くに煉瓦工場ができ、その薪代の代わりに煉瓦の現物支給があったとも伝わっています。

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煉瓦蔵の並ぶ三津谷集落。

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若菜家の農作業蔵(明治43年築)と下屋(昭和7年築)。黒っぽい艶やかな煉瓦は、素焼の煉瓦に益子焼の釉薬をかけて2度焼した、寒冷地対策の防水煉瓦。

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同じく若菜家の味噌蔵(大正10年築)。

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若菜家の三階蔵(大正5年築)と、座敷蔵(大正6年築)。

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ラーメン屋となっている近隣の煉瓦蔵。若菜家の下屋とデザインが似ています。

福島県喜多方(04)

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金田洋品店。明治末期築で、喜多方最古の煉瓦造見世蔵です。

福島県喜多方(03)

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大通りから横道に入った中ほどに建っているピンク色の洋館。旧医院ではないかと思われますが、由来がわかりません。庇のTのマークが、誇らしげです。

福島県喜多方(02)

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若喜商店レンガ蔵(明治38年築)。登録文化財です。手前が2階建の座敷蔵、奥が3階建の道具蔵。

福島県喜多方(01)

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若喜商店店舗(昭和6年築)。登録文化財です。当初から、2種類のタイル貼りになっていたようです。右側の出窓、左側の八角形の窓など、左右対称ではない現役のモダンな建物です。

鹿児島県鹿児島(13)

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山形屋百貨店本店(平成10年改装)。この建物は、大正5年当時の姿を復元したレプリカ建築なのですが、とても良い出来で、本当に力が入っています。
http://www.yamakataya.co.jp/kaisya/top.htm

鹿児島県鹿児島(12)

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宮崎銀行鹿児島支店。昭和20年代の建物ではないかと思います。1階の天井が高そうです。

鹿児島県鹿児島(11)

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NTT鹿児島支店。コーナーのアールの具合が、一連の逓信省建築に類似しています。

鹿児島県鹿児島(10)

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豊産業。鹿児島の港と町とのちょうど中間に位置する、事務所建築です。

鹿児島県鹿児島(09)

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日本瓦斯本社(昭和6年築)。スクラッチタイル貼りの、アールデコです。

鹿児島県鹿児島(08)

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旧鹿児島県庁本館(大正14年築)。平成14年に旧県庁舎の玄関部分のみを曳家して保存。かつては、市庁舎と同じ市電通りに面して建っていました。曳く前の姿も、そして曳いている最中も、小生は見ることができました。ずいぶん長い距離を、そして横方向への移動だけでなく、縦方向への移動もあって、結構大変な曳家でした。

「まちは生きていく」の連載終了

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先月書きました朝日新聞連載「まちは生きていく」が、先週終了しました。全22回の連載でした。朝日新聞の編集委員である、松葉一清さんのコラムです。

前回、下関の回まで報告しましたが、その後紹介された記事は次の通りです。

・横浜市山手地区
・長崎県雲仙市
・北海道恵庭市
・大阪府千里ニュータウン
・千葉県佐倉市
・岡山県倉敷市

ここまでで19回でした。そしてこの後、特定の地域だけでなく、まちおこし、地域活性化の理論や実践を行なう人の話になります。

・そこにあるロハス(西郷真理子さん・地域再生プランナー)
・ヨコハマ事始め(田村明・法政大学名誉教授)
・旅の終わりに(小林重敬・横浜国立大大学院教授)

最終回は、大分県別府市でした。「わが国現存最古をうたう大正時代の『竹瓦小路アーケード』」の報告です。

各地の商店街で、アーケードが暗く壊れたままになっており、シャッターが閉ざされています。しかしその一方で、それぞれの工夫で地域を支え、踏ん張り、まちの再生に頑張っている人々のいることが、今回のコラムで数多く報告されました。アイデア次第で、まちが楽しくなっていくということを、小生も信じたいと思います。

鹿児島県鹿児島(07)

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鹿児島市庁舎本館(昭和12年築)。

鹿児島県鹿児島(06)

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旧興業館(明治16年築)。

鹿児島県鹿児島(05)

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旧鹿児島県立図書館(昭和2年築)。現在、鹿児島県立博物館として活用されています。

鹿児島県鹿児島(04)

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鹿児島県教育会館(昭和4年築)。

鹿児島県鹿児島(03)

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鹿児島市中央公民館(昭和2年築)。鹿児島独特の、褐色の石造建築です。

鹿児島県鹿児島(02)

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旧旭相互銀行(昭和12年築)。市電通りに面して建つ、堂々とした銀行建築です。

鹿児島県鹿児島(01)

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鹿児島銀行別館(大正7年築)。先月、登録文化財への答申が出ました。正式に登録文化財の告示が出るのは、秋くらいでしょうか。

青森県弘前(02)

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旧国立第五十九銀行(明治37年築)。手ブレでひどい写真ですが、ご容赦を。

青森県弘前(01)

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日本基督教団弘前教会会堂(明治40年築)。日も傾いてから弘前に着き、ようやく撮った写真です。弘前は、また改めて撮影に行きます。

石見銀山が世界遺産入り決定

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今日、島根県の石見銀山が、ユネスコの世界遺産に登録されることが決定しました。一時は登録延期という事態ともなりましたが、まさかの逆転決定です。

世界遺産となった石見銀山の地域には、銀の積出港として栄えた温泉津の町があります。ちなみに、「温泉津」と書いて「ゆのつ」と読みます。ここはその名の通り温泉が沸いており、古い温泉場の雰囲気を残す町並みが続いています。20年位前までは擬洋風の警察署の建物も残っていたのですが、残念ながら解体されてしまいました。しかし、まだ洋風の古い旧共同浴場が残っており、また、数年前に訪ねたときには、いくつかの下見板張りの建物も見つけました。

「世界初の世界遺産登録の温泉」をキャッチフレーズに、温泉津は世界遺産登録に向けて運動を展開していましたが、とうとう本当になりました。ただでさえ細い道路に、沢山の観光客が訪れることになることを思うと、今後が心配です。

まずは、日本で初の産業遺産としての世界遺産登録決定を祝いたいと思います。世界遺産の登録名は、「石見銀山遺跡とその文化的景観」とのことです。

【追記】
ジブリのアニメ映画「もののけ姫」に出てくる「タタラ場」は、この石見銀山の製錬場をモデルとしてイメージしたとも言われています。鉱山は宝を産みますが、必ず鉱毒という問題も生じます。

青森県平賀(01)

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平賀の町で見つけた看板建築。左右対称の凝った造りで、何屋さんだったのだろうと想像をかき立てられます。

青森県尾上(02)

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ハヤシシン青森。旧金融機関か農協ではないかと思われます。

青森県尾上(01)

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旧清藤辮吉氏別邸(明治41年築)。盛美館として有名です。2度目の訪問ですが、思いの外こぢんまりとした建物です。

青森県黒石(22)

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煉瓦蔵。農業倉庫だったようです。

青森県黒石(21)

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旧松の湯。営業していれば、ぜひ入ってみたい銭湯でした。

青森県黒石(20)

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岩谷歯科医院。建物の前にある案内板は、この建物のものではなく、こみせのある伝建保存地区を紹介するものです。

青森県黒石(19)

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村上呉服店。かつては百貨店だったと思います。

「まちは生きていく」が面白い

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今月より始まった、朝日新聞朝刊の連載記事「まちは生きていく」が面白いです。書いているのは、京大建築学科出身の編集委員、松葉一清さん。

全国各地の、まちおこしや地域活性化のために尽力された闘士・志士の方々の紹介です。エピソードを交えた写真入りの記事で、さまざまな興味深い実践例が示されています。

asahi.comに掲載されていないか探したのですが、どうも載せていないようです。後日、単行本にでもなるのでしょうか。

これまでに取り上げられた町は、
・高松市丸亀町
・山口県宇部市
・徳島市新町川
・京都市三条通り
・熊本県山鹿市
・新潟県村上市
・埼玉県川越市
・岐阜県飛騨市
・茨城県古河市
・長崎県島原市
・山口県下関市

今日の下関の記事は、下関市役所第一別館の保存の話でした。第一別館の写真が誇らしいです。

これまでの連載で「あッ!」と思ったのは、村上市のまちづくりの回。「会津若松の街並み保存運動家に『道路拡幅で成功した商店街はどこにもない』とさとされた」という話でした。そうなのですよね。道路の拡幅工事を行なった町は、どこもよそよそしい新興・復興の町のようになってしまうのです。さまざまな建物がゴチャゴチャしている町こそが、魅力的な独自性のある町なのに。

川越の回で、お上に頼らないまちおこしの話も、共感しました。「好きなことなので自腹が原則」、「政治に手をだすな、お上に頼らない気概を持て、と教えられて育った」という、代表の方のお話。「気概」を持たなければなりませんネ。

以降、どの町の話が出てくるか、楽しみです。

青森県黒石(18)

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スミトモ。隣のビルに隠されてしまっていますが、塔屋のある建物です。

青森県黒石(17)

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ストゼン。右角のアールに惹かれました。

青森県黒石(16)

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金清堂時計店。マルチ薬局の斜向かいにあります。

青森県黒石(14)

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三上病院。ベランダ部分が妙に古い感じです。思うに、以前は、ベランダ・コロニアル様式の医院だったのではないでしょうか。その部材を使って、新しい建物を建てたのではないかと思うのですが、いかがでしょうか。

青森県黒石(13)

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上原呉服店。洋品店も兼ねていたのではないかと思われます。

青森県黒石(12)

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囲碁センター。よく見ると、縦長の上げ下げ窓と、アーチの付いた窓があります。

青森県黒石(11)

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北山組。小さくまとまった洋館です。

旧長崎刑務所の価値を否定したのは誰か

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旧長崎刑務所が、まだ残っていると信じて!!

旧長崎刑務所で検索していたら、「うさたろう日記 はてな版。」に興味深い資料がリンクされていました。平成18年10月10日付の「第55回国有財産九州地方審議会議事録」というもので、この中に、この旧長崎刑務所の民間不動産業者への売却にあたって、一部でも保存できないものかという審議会委員で九州大学名誉教授の樗木武氏の質問に対し、北村管財部長が説明をしています。

「(前略)それから、今、委員のほうから赤レンガ等の旧刑務所庁舎につきましての、文化財としての価値ということでございますが、この建物を文化財として保存するかどうかにつきましては、地元であります長崎県、諫早市が文化財保護法でありますとか、長崎県の文化財保護条例に基づきまして、保存を要するかどうかということを判断されることになっております。本件につきましては、私どもが長崎県、諫早市に確認した結果、いずれも保存することには該当せず、国が売却しても構わないという旨の回答を得た上で、一般競争入札を実施したところでございます。」

北村管財部長の説明では、旧長崎刑務所の保存価値について判断するのは県や市であると言っています。しかし、まずは所有者である国が判断すべきなのではないでしょうか。財務省では価値判断ができないということであれば、文化庁なり、あるいは建築学会なり建築士会なり、価値判断のできるところに聞くのが筋でしょう。この説明では、長崎県、諫早市が、旧長崎刑務所には価値がないと言ったから、保存する必要はないのだと言っています。しかし、本当に県や市は、旧長崎刑務所に価値はないと言ったのか。価値がないと言ったのではなく、保存するお金がないと言ったのではないでしょうか?

国の所有する旧長崎刑務所に対して、県や市が「保存する価値がある」と言うことは、すなわち引き取るということになるのではないか。財政的に厳しい県や市には、そのようなことを言い出すわけにはいかないだろうことは、想像できます。旧長崎刑務所には価値がないと言った当事者は、県や市であるとされていますが、これはすり替えではないか。純粋な価値判断と財政的な判断とは、全く切り離して行わなくては、判断を誤ります。

そもそも、県や市に聞く前に、所有者である国自身が旧長崎刑務所の価値判断をすべきでしょう。北村管財部長の説明では、そのことを、全く無視しています。

長崎県の担当者、諫早市の担当者の方々。旧長崎刑務所に保存の価値なしという誤った判断をしたのは、本当にあなたたちで良いのですか? 所有者としての、国の判断はどうなのですか?

かくして、正当に価値判断をされることなく、国(財務省)によって、旧長崎刑務所は売却され、今や解体寸前となっているのです。国民の、いや人類の、貴重な遺産である旧長崎刑務所が、真っ当な価値判断もされずに売り飛ばされてしまったのです。このことを、ずっと明記しておきたいと思います。

青森県黒石(10)

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旧医院か? この洋館の特徴は、右側のなだらかな傾斜屋根です。

旧長崎刑務所の設計者

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引き続き、旧長崎刑務所です。何としても残したい一心です!!

さて、この旧長崎刑務所の設計者ですが、山下啓次郎(やましたけいじろう)です。ジャズピアニストである山下洋輔の祖父としても有名です。

山下啓次郎は、1867年(慶応3年)鹿児島県生まれ。帝国大学工科大学(現在の東京大学工学部)で辰野金吾に建築を学び、卒業後、警視庁、後に司法省営繕課で技師として、明治の五大監獄と呼ばれる千葉、金沢、鹿児島、奈良、長崎の刑務所や、名古屋控訴院・地方裁判所・区裁判所などの設計を担当します。1931年(昭和6年)没。

千葉刑務所
千葉刑務所(明治40年築)は、煉瓦造の管理棟や正門などが現役で使われています。

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金沢刑務所(明治40年築)は、昭和45年の移転にともない解体されましたが、中央看守所と監房の一部、そして正門が明治村に移築され、いずれも国登録有形文化財です。

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鹿児島刑務所(明治41年築)は、昭和61年の移転にともない解体されましたが、保存運動の結果、石造の正門のみが現地に保存されています。国登録有形文化財です。

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奈良刑務所(明治41年築)は、現在も奈良少年刑務所として、煉瓦造の本館や正門などが現役で使われています。

長崎刑務所
長崎刑務所(明治41年築)は、平成4年に移転にともない閉鎖され、そのままの形で保存(放置?)され、現在に至ります。今年(平成19年)の6月中に解体予定の計画が発表されています。

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名古屋控訴院・地方裁判所・区裁判所(大正11年築)は、現在、国の重要文化財に指定され、名古屋市市政資料館として活用されています。

旧長崎刑務所は、施設がそのまま残されており、史料としても貴重です。修復・補修して文化財に指定し、何らかの形で現地に保存するべき価値の高い建物群です。

【追記】
山下啓次郎と同じ1867年(慶応3年)生まれには、建築家伊東忠太(帝国大学工科大学も同期)や、文豪夏目漱石、ジャーナリスト宮武外骨、博物学者南方熊楠、そして、海外では建築家フランク・ロイド・ライトなどがいます。

青森県黒石(09)

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クリーニング屋さん。なだらかな富士型の看板建築です。もっと円が丸ければ、典型的な看板建築なのですが。

青森県黒石(08)

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メガネの菊屋。スクラッチタイル貼り、縦長窓のしっかりした建物です。

青森県黒石(07)

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ときや。このような階段状の看板建築は、結構各地で見かけます。

青森県黒石(06)

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白鳳堂。バランスが?ですが、円窓がモダンです。

青森県黒石(05)

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りんご史料館(平成13年築)。黒石の郊外にある旧平果試験場本館(昭和6年築)を撮影しに行ったのですが、老朽化ですでに解体されており、同じ基礎の上に復元されていました。平成11年に、アユミギャラリー主催の「近代建築史への旅スケッチ展」青森展に同行して黒石を訪れたときに、バスからちらりと見たことがあります。旧平果試験場本館は、建物全面が蔦で覆われ、まさに幽霊屋敷のような建物でした。イギリスの園芸研究所「イーストモーリング研究所(East Malling Research)」の建物を模して建てられたとか。

以前の建物の写真は、こちらに載っていました。
http://www.mumyosha.co.jp/guide/hakubutu/aomori/ringo.html
http://www.net.pref.aomori.jp/kuroishi/Sight_Seeing/Sig_Ringo_en_shiryokan.html

青森県黒石(04)

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第三分団屯所(大正13年築)。青森県重要文化財。

青森県黒石(03)

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第一分団屯所(昭和初期築)。

青森県黒石(02)

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第二分団屯所(大正9年築)。黒石にはクラシカルな3つの屯所があり、パンフレットなどで町を挙げて自慢としています。この第二分団屯所は、町のT字路の正面にあります。

青森県黒石(01)

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黒石の駅前で迎えてくれるスクラッチタイルの洋館。

宮崎県宮崎(03)

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国道沿いに建つ看板建築。洋品店の建物でしょうか。

宮崎県宮崎(02)

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旧勧業銀行宮崎支店(大正14年築)。宮崎県庁のすぐ側に建つ銀行建築です。

宮崎県宮崎(01)

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宮崎県庁舎(昭和6年築)。現在、東国原知事の人気で、県庁舎をバックにした記念撮影の観光スポットとなっています。

焼失した坂邸と映画「Love Letter」

先週5月26日午前、北海道小樽市の坂邸が全焼しました。
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/society/28391.html

この建物は、田上義也設計、昭和2年築の洋館で、岩井俊二監督の映画「Love Letter」(平成7年公開)で主人公の家という設定で登場します。

設計者田上義也は、明治32年栃木県生まれ。F.L.ライトの帝国ホテル建設事務所の募集に20歳で応募し、現場でライトやレーモンドに学びます。帝国ホテル完成後、たまたま汽車に乗り合わせた宣教師バチェラーの啓示で北海道に渡り、札幌に個人設計事務所を開設し、道内各地に作品を残しました。
http://www2u.biglobe.ne.jp/~komichi/Home_page/architecture/tanoue.htm

田上義也と札幌モダン 若き建築家の交友の軌跡
田上義也と札幌モダン

岩井俊二監督の映画「Love Letter」は、中山美穂主演の淡いラブストーリーで、小樽各所でロケが行なわれ、沢山の小樽の近代建築が使われています。なぜか韓国や台湾で大ヒットし、海外からの多くの観光客が小樽を訪れロケ地めぐりをしています。

建物の焼失は、取り返しのきかない悲しい出来事です。せめても、失われた建物に残された物語を映像で呼び起こし、記憶にとどめたいと思います。

Love Letter
Love Letter

映画中、図書室でのエピソードは、小樽ゆかりの作家伊藤整が小林多喜二の思い出として書いているものに似ています。そのエピソードをもとに、小生も高校時代に小説を書いたことがありました(汗)。

大分県中津(12)

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市内で見かけた、洋館付住宅。

大分県中津(11)

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個人的に、こういう平べったい洋館が大好きです。

大分県中津(10)

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アーケードの商店街から横道に入った路地に建つ建物。この厳重な格子は、何の建物だったのでしょう。ちなみに、奥隣りは旧映画館だと思います(現パチンコ屋さん)。

大分県中津(09)

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アパート秀峰苑。中津の近代建築で、ちょっと有名(?)な建物です。外観は、どうみても銀行ですよね。旧銀行の転用でアパートというのも、珍しいです。

大分県中津(08)

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奥永薬局。10年前にも撮影していましたが、建物の状態が悪くなっているようです。

大分県中津(07)

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昨日の旧医院の並びに建つ、これも旧医院か? 10年ほど前に中津を訪れたとき、すでにポーチ部分が傾いていましたが、現在は空家のようです。

大分県中津(06)

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旧医院か? 辛島医院や旧小津記念図書館の建ち並ぶ同じ通りに建っています。2軒で1棟を分けています。

大分県中津(05)

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旧小津記念図書館(昭和12年築)。国登録文化財。現在、中津市歴史民俗資料館として利用されています。

大分県中津(04)

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辛島耳鼻咽喉科医院。現役の医院です。

大分県中津(03)

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中津カトリック教会の並びに建つ洋館。この建物も、塗装が?です。彩色が濃すぎるからでしょうか。

大分県中津(02)

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中津カトリック教会(昭和12年築)。塗装の色が?です。

大分県中津(01)

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旧農業倉庫(昭和2年築)。平成16年に、音楽ホール「リル・ドリーム」として改修し、保存・活用されています。規模の大きな煉瓦倉庫です。

北海道の建築探訪シリーズ完結

今月、北海道新聞社より『道東の建築探訪』が発行されました。

このシリーズが全6巻だったとは知りませんでしたが(笑)、今回の道東編で完結とのことです。

思えば、1995年に『小樽の建築探訪』が出、その後1997年に『函館の建築探訪』、1999年に『札幌の建築探訪』と続きました。これで終わりか、あるいは旭川か帯広あたりか(でも、1冊にするには物件が少ないかナ~)と思っていたところ、2000年に『旭川と道北の建築探訪』が出版されました。これで、都市以外の場所の建物もフォローすることがわかり、次は道南、道東もあるだろうと期待しておりました。その後、少し時間がかかりましたが、期待通りに2004年に『道南・道央の建築探訪』が発行され、そして今年2007年に『道東の建築探訪』が発行されたのです。

時間がかかってしまったために、発行までの間にも解体されてしまった建物も多く、本当に残念でなりません。しかし、こうして道新(北海道新聞社のこと)のおかげで、北海道の全地域をカバーする素晴らしい写真集が6巻も発行されました。記録としても、探訪者や観光客などの実用としても、とても貴重な資料です。そして、北大の角幸博先生をはじめとする執筆陣の方々に、お礼を申し上げます。素晴らしい本を、ありがとうございました。

他の都府県でも、こうした本が続々と出版されることを期待したいと思います。商売になりますよ(笑)。地元新聞社の方々、どうぞ、よろしくお願いいたします。小生も、全力を挙げてご協力いたしますので。

小樽の建築探訪函館の建築探訪札幌の建築探訪旭川と道北の建築探訪 建築探訪シリーズ道南・道央の建築探訪―室蘭・苫小牧・伊達・松前・上ノ国・江差・寿都・岩内・余市・江別・石狩・美唄・岩見沢・夕張ほか道東の建築探訪

岡山県勝山(01)

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日本基督教団勝山教会。裏にまわると白壁一枚の洋館です。ドアや窓などは古そうなのですが。

広島県三次(12)

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旧医院の建物。縦長の窓、腰まわりのタイル。

広島県三次(11)

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藤井内科。丸い6つの穴と、2階までの細長い窓、そして入口上のアール。モダンな建物です。

広島県三次(10)

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ジュン政岡薬局。正面が看板に覆われていますが、縦長窓の洋館です。

広島県三次(09)

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現在、美容院として活用されていますが、元々は何の建物だったのでしょうか。

広島県三次(08)

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旧勧業銀行三次支店(大正3年築)。

広島県三次(07)

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旧三次銀行本店(昭和2年築)。現在、三次市歴史民俗資料館として転用されています。国登録文化財。

広島県三次(06)

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事務所建築。川を渡った旧市街地にあります。

広島県三次(05)

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佐久間薬局。花園金物店と同系列の看板建築です。

広島県三次(04)

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花園金物店。この建物を見つけたとき、三次の町は期待できると確信しました。嬉しくなる看板建築です。

広島県三次(03)

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ガソリンスタンドの建物。アールの美しい、典型的な町の看板建築です。

広島県三次(02)

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原田興行社。市役所隣に建つ事務所です。

広島県三次(01)

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中国銀行三次支店。一連の中国銀行の建物です。

岡山県新見(01)

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旧新見郵便局(昭和6年築)。新見の町の唯一残る近代建築です。

岡山県久世(05)

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中国林業事務所。タイルの飾りがかわいらしいです。

岡山県久世(04)

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旭学舘。町家の看板建築ですが、切り抜き文字の文字額の存在感があります。

岡山県久世(03)

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久世教会。入口のポーチや2階の窓上のアーチなどの木部の細工は、確かに古いものですので、あるいは旧の教会の部材を転用しているのかも知れません。

岡山県久世(02)

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三村医院(大正期築)。久世の商店街のアーケードの中にあります。当初、真新しい感じがして、なんちゃって建築かと思って撮影しましたが、調べてみると大正期の建物とのこと。現役の医院です。

岡山県久世(01)

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旧遷喬尋常小学校(明治40年築)。国指定重要文化財。映画やCMなどでお馴染みの木造校舎です。勝手に、この校舎は丘の上に建っているものと思っておりました。そして、もっと大きな建物だと、思っておりました。中央部分の2階は、講堂になっています。

茨城県高萩(10)

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よくあるトタン看板の店舗です。雲型定規のような凸部が、中央ではなく右にずらしてあるのが面白いと思います。

茨城県高萩(09)

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高萩市商工会館。昭和20~30年代の建物かと思われます。細い筆記体の書体が面白いです。左右2つの入口から、かつては映画館か銭湯だったのではないでしょうか。2階左右の壁面が曲面を描いています。

茨城県高萩(08)

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石造の部屋と玄関です。石倉が座敷倉になっているというよりも、洋館付住宅の洋館部分が石造でできているというほうが正しいようです。玄関部分の細工も嬉しいです。

茨城県高萩(07)

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大谷石の石倉ですが、手前のテラス状になっている部分が四角い石蔵の原型のようにも思われます。

茨城県高萩(06)

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鈴木藤雄商店。ヘアーサロンいがらしの向かいにある、石造の酒屋さん。平でも多く見かけた、四角いタイプの石蔵です。

茨城県高萩(05)

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ヘアーサロンいがらし。いがらしパーマも併設されています。福島県の平でもそうでしたが、高萩でも大谷石の石倉が多く見られます。このヘアーサロンいがらしの特筆すべきは、石倉に豆タイルで装飾してある点です。

茨城県高萩(04)

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あづま鮨。看板建築の鮨屋さんも、珍しいのではないでしょうか。

茨城県高萩(03)

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上田商事自動車部品。看板建築ですが、Nのマークは建物のかつての所有者の頭文字でしょうか。

茨城県高萩(02)

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力新堂接骨院(大正15年築)。市街中心部、国道沿いに建っています。

茨城県高萩(01)

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JR高萩駅舎です。美しく補修され、維持されています。いつも、近代建築を見つけたとき、何故ここにこうした建物が建ったのかを考えます。そして、さまざま調べてみます。高萩には、かつて炭鉱があり、その積出し駅として栄えたとのこと。

岩手県一関(13)

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カトリック一関教会。昭和30年代くらいの建物でしょうか。

岩手県一関(12)

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世嬉の一酒造の敷地奥にある石倉。

岩手県一関(11)

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世嬉の一酒造の土蔵。現在、イベント蔵として転用されています。

岩手県一関(10)

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世嬉の一酒造の酒蔵。煉瓦のあしらいが美しいです。現在、レストランとして転用されています。

岩手県一関(09)

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世嬉の一酒造の精米蔵。現在、地ビールの醸造およびビアレストランとして転用されています。

岩手県一関(08)

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世嬉の一酒造の仕込み蔵(大正7年築)。現在、酒の民俗文化博物館として転用されています。

岩手県一関(06)

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世嬉の一酒造の事務所棟。

岩手県一関(05)

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林病院の敷地内にある下見板張の病棟。

岩手県一関(04)

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林病院(昭和3年築)。緑色のペンキの色が、少々不調和です。

岩手県一関(03)

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日本キリスト教団一関教会(昭和4年築)。

岩手県一関(02)

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前回一関を訪問したおり、日没で撮影することができなかった小さな建物です。明治時代の地図を見ると、このあたりは郡役所のあった区画で、現在も向かいは裁判所です。しかし、何の建物なのか見当がつきません。交番か、床屋か。左右対称の整った建物です。

岩手県一関(01)

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市内の城内で見つけた洋館。木造モルタル塗で、上げ下げ窓。左右非対称である点が興味深いです。東京にあるコンドル設計の旧古河邸に似ていると感じました。

岡山県岡山(20)

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番町の洋館で一番驚いたのが、このベランダ付の洋館です。屋根には、煉瓦の煙突が見えます。長崎や神戸などにある異人館のようです。宣教師館のような建物だったのではないかと思われます。

岡山県岡山(19)

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洋館付住宅の洋館。ほんの狭い番町の町内に、洋館が建ち並んでいます。

岡山県岡山(18)

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この洋館付住宅の洋館は、どうでしょう。堂々たる2階建ての洋館です。旧医院かと思われます。

岡山県岡山(17)

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昨日の洋館の敷地内にある屋敷倉。まさに「倉」の字のような倉です。

岡山県岡山(16)

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番町で見つけた、一番の洋館。こんな洋館が現存しているなんて、全く知りませんでした。

岡山県岡山(14)

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番町の細い通りで見つけた看板建築。細かい左官仕事です。

岡山県岡山(13)

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広瀬町の路地の奥の洋館付住宅。

岡山県岡山(12)

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広瀬町の洋館付住宅。このあたりは、空襲で焼かれずに残った地域のようです。

岡山県岡山(11)

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広瀬町の洋館付住宅。門構えや塀もモダンです。

岡山県岡山(10)

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広瀬町で見つけた岡北書店。

岡山県岡山(08)

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半田山配水池旧事務所横に建つ、和館の建物。昭和初期の建物かと思われます。由来は不明ですが、現在、植物園内の有料休憩所として利用されています。

岡山県岡山(07)

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半田山配水池旧事務所(明治38年築)。

岡山県岡山(06)

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半田山配水池一号配水池(明治38年築)、二号配水池(明治38年築)、三号配水池(大正8年築)。

岡山県岡山(05)

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半田山配水池創建量水室(明治38年築)と、増設量水室(昭和14年築)。創建量水室は煉瓦造、増設量水室はRC造です。

岡山県岡山(04)

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三野浄水場緩速ろ過池(明治38年築)。

岡山県岡山(02)

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三野浄水場旧動力室・送水ポンプ室(明治38年築)。現在、水道記念館として公開されています。

岡山県岡山(01)

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旧第十七師団偕行社(明治43年築)。偕行社とは、旧陸軍の福利厚生施設で、将校の社交場だった建物です。偕行社の建物は、旭川(第7師団)、弘前(第8師団)、金沢(第9師団)、善通寺(第11師団)、豊橋(第15師団)など、結構各地に残っています。ちなみに、旧海軍の同様の施設は水交社です。

福岡県戸畑(05)

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戸畑駅裏の旧遊廓跡。入口や窓などの開口部に、共通した特徴があります。

福岡県戸畑(04)

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昨日に続き、戸畑駅裏の旧遊廓跡。角を切り、入口とする建物が点在します。

福岡県戸畑(03)

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戸畑駅裏の旧遊廓跡。豆タイルで装飾された入口部分が、この地区では目につきます。

福岡県戸畑(02)

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ニチモウ戸畑事業所の煉瓦倉庫。共同漁業ビルの裏に残っています。

福岡県戸畑(01)

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共同漁業ビル(昭和11年築)。

福岡県八幡(14)

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旧九州鉄道茶屋町橋梁(明治24年築)。煉瓦の積み方で、表面に装飾を施しています。橋梁部分だけが切り離され、保存されています。

福岡県八幡(13)

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枝光駅そばの商店街で見つけた煉瓦倉庫。由来はわかりませんが、なかなか古そうです。

福岡県八幡(12)

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宮田山トンネル枝光側(昭和5年築)。

福岡県八幡(11)

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徳養寺。教会と見間違う外観の洋風寺院として有名でした。過去形なのは、現存の建物は、2003年にイメージ保存で建替えられたもの。下は、大正4年築の元の建物(2000年撮影)。

福岡県八幡(10)

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大蔵小学校(昭和4年築)。アールデコのかわいらしいデザインです。

福岡県八幡(09)

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下山の田橋(大正13年築)。鉄筋コンクリート造。『北九州の近代化遺産』には「南山の田橋」とあり、「一見鉄筋コンクリートアーチ橋と見紛いそうになる鉄骨をコンクリートで被覆した」橋とのこと。

福岡県八幡(08)

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中河内橋(昭和2年築)。人工ブロックによる3連アーチ橋と、1連アーチ橋。

福岡県八幡(07)

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南河内橋(大正14年築)。『北九州の近代化遺産』によれば、日本に現存する唯一のレンティキュラートラス橋とのこと。装飾も賑やかで楽しい鉄橋です。

福岡県八幡(06)

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河内貯水池管理事務所(昭和2年築)。貯水池を見下ろす高台に建っています。周囲は木々が繁り、建物を覆っています。

福岡県八幡(05)

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河内貯水池堰堤と取水棟(昭和2年築)。長年の念願適って、ようやく訪問することができました。思えば、1984年刊『近代建築ガイドブック[西日本編]』(鹿島出版会)の裏表紙の写真を見て、日本にこんな石貼りの建物があるのだと驚いたものでした。小1時間歩いて、たどり着きました。

福岡県小倉(04)

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旧到津遊園子供ホール(昭和11年築)。当時流行した、船の形の建物です。

福岡県小倉(03)

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旧寿湯。昨年秋に訪れたときに、廃業のお知らせが出ていました。現在は、販売物件です。南小倉駅前にあります。

福岡県小倉(02)

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小倉湯。左官仕事の文字と、その上部の通気窓がきいています。

福岡県小倉(01)

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旧小倉県庁舎(明治4年築)。『北九州の近代化遺産』によれば、この旧県庁舎説は怪しく、明治23年に小倉警察署として改築されたことが棟札で確認されたとのこと。

広島県鞆ノ浦(11)

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中国銀行鞆支店。中国銀行の建物は、新しい建物も様式的デザインで建てられています。この鞆支店もはたして古い建物かどうか心配ですが、スチールサッシやスチールの扉などから、古い建物だと思われます。

広島県鞆ノ浦(10)

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現役の写真屋さん。現在は外壁に波板を張っていますが、元は下見板張りだったのではないでしょうか。

広島県鞆ノ浦(09)

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こちらも、商店街の中のクリーニング屋さん。

広島県鞆ノ浦(08)

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商店街に建つ四角い建物。旧医院でしょうか。

広島県鞆ノ浦(07)

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路地の角地に建つ店舗建築。煙草屋さんでしょうか。

広島県鞆ノ浦(06)

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友光軒。もともとは理容店だったそうですが、現在は喫茶店となっています。それにしても、モダンなデザインです。

広島県鞆ノ浦(05)

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鞆ノ浦の港に面してそびえ建つ、スクラッチタイルのビル。

広島県鞆ノ浦(04)

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昨日の洋間と道を隔てた向かい側の洋館。こちらも、和館に増築した洋館です。

広島県鞆ノ浦(03)

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商家の間に建てられた洋間。和と洋のコントラストが面白いです。

広島県鞆ノ浦(02)

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平野屋。修復され、新しい外観です。

広島県鞆ノ浦(01)

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しまなみ信用金庫鞆支店。入り組んだ路地のまちかどに建つ銀行建築です。

岡山県邑久(01)

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旧邑久中学校講堂(昭和8年築)。牛窓からの帰路、たまたま見つけました。塔屋が明治の建物のようです。塔屋だけ移設したのかも知れません。

福島県平(13)

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国道沿いに建つ事務所。旧医院かも知れません。

「郡役所・半世紀の光芒」展

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1月20日より、埼玉県立文書館では「郡役所・半世紀の光芒-郡長たちのアーカイブズ-」展が開催されています。
http://www.pref.saitama.lg.jp/A20/BA18/shuzouten-190120-52-1.html

郡役所とは、明治11年に政府により設置され、大正12年に廃止された、都道府県と市区町村の間に位置する地方行政の組織でした。

建物としては、県庁などに次ぐ官庁の建物として、全国各地に威厳ある個性的な庁舎が建てられ、現存するものもあります。残念ながら、埼玉県には現存しておりません。
http://www.jmam.net/matikado/gunyakusyo.html

今回の企画展は公文書館の開催ということもあり、公文書の展示が中心ですが、埼玉県内にあった郡役所の写真パネルも展示されています。

ちなみに、埼玉県には18の郡があり、郡役所は複数の郡を組み合わせて、下記の9つがあったとのことです。

・北足立・新座郡役所:浦和宿(現さいたま市)
・入間・高麗郡役所:川越町(現川越市)
・比企・横見郡役所:松山町(現東松山市)
・南埼玉郡役所:岩槻町(現さいたま市)
・北埼玉郡役所:行田町(現行田市)
・北・中葛飾郡役所:杉戸宿(現杉戸町)
・大里・幡羅(はたら)・榛沢(はんざわ)・男衾(おぶすま)郡役所:熊谷宿(現熊谷市)
・児玉・賀美(かみ)・那珂(なか)郡役所:本庄宿(現本庄市)
・秩父郡役所:大宮郷(現秩父市)

福島県平(12)

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従来的な倉の形をした石蔵の数々。

福島県平(11)

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陸屋根の石蔵の数々。屋根材は何なのでしょうか?

福島県平(10)

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街で見かけた煉瓦倉の数々です。

福島県平(09)

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見世蔵と煉瓦蔵の間にはさまれた事務所。旭川や小樽などにも、この蔵と蔵の間の事務所の例があります。

福島県平(08)

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こちらも旧医院かと思われます。

福島県平(07)

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旧外科医院。旧大和田医院と同じ通りにあります。

福島県平(06)

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旧大和田医院。三森己代松の設計による建物とか。

福島県平(05)

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塗り分けられた商業ビル。塗り分けは別として、当初から違うデザインで3区分された長屋状の建物だったようです。

福島県平(04)

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表通りを一本入った裏道で、梢の中に胸像が見えました。台座が昭和初期風。建物もいい感じです。庭を見ると、どうも幼稚園のようですが、現役かどうか。

福島県平(03)

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旧煙草元売捌所(昭和初期)の建物。昭和というより、明治の建物のよう。ペンキの色が眩しいです。

福島県平(02)

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いわき駅を出て、最初に見つけたのがこの建物。今日は、なかなか勘が冴えています。函館にでもありそうな商業ビルです。

福島県平(01)

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原歯科医院。現いわき市の中心市街地です。小道さんのブログで、とんでもない建物が沢山残っていることを教えられ、探訪することにしました。日没まで半日歩きましたが、お宝物件が妙に残っています。駅前の再開発ビル工事が痛いです。

昨年ヒットした映画「フラガール」の舞台の町(本当は合併前の常磐市です)でもあるわけですが、映画効果はあまりない感じです(泣)。

岡山県牛窓(07)

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旧医院や旧官庁などの建物だったのではないかと思いますが、いかがでしょうか。

岡山県牛窓(06)

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聞き取りでは、旧信用金庫の建物とのことです。全く引きがとれませんでした。

岡山県牛窓(05)

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旧簡易裁判所(大正4年築)。聞き取りでは、旧検察庁とのことでした。

岡山県牛窓(03)

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旧牛窓郵便局(昭和10年築)。

岡山県牛窓(02)

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旧牛窓警察署(明治20年築)。登録文化財です。現在、海遊文化館として活用されています。

岡山県牛窓(01)

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旧牛窓銀行本店(大正4年築)。

明日より「フランク・ロイド・ライトと武田五一」展

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広島県の福山市にあるふくやま美術館で、明日より特別展「フランク・ロイド・ライトと武田五一」展がスタートします。会期は、2007年1月13日から3月11日まで。
http://www.city.fukuyama.hiroshima.jp/fukuyama-museum/schedule/special/flw_takeda/

今回の特別展にはずいぶんと力を入れているようで、記念講演会が4回も、そしてシンポジウムも予定されています。

ふくやま美術館では、2004年に特別展「武田五一・田辺淳吉・藤井厚二~日本を意匠した近代建築家たち~」を開催しており、その際の図録が好評でした。

何とか、3月に行きたいと思っています。

香川県坂出(06)

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水尾メリヤス。元は金融機関でないでしょうか。

香川県坂出(05)

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旧高松百十四銀行坂出支店(昭和5年築)。

香川県坂出(04)

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高須商会。石造のうだつが重厚です。

香川県坂出(03)

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旧坂出市立図書館(大正13年築)。

香川県坂出(02)

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旧坂出警察署(昭和12年築)。今年、解体との情報があります。アーケードに隠されていますが、円窓、円形の留置所など、壊してしまうのは惜しい建物です。

香川県坂出(01)

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角本金栄堂(昭和7年築)。駅前通と交差するアーケード通の角地に建つ、典型的な「まちかどの近代建築」です。

島根県温泉津(06)

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ミミズクのようなメダリオンが付いている建物。

島根県温泉津(05)

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この町家の2階に付いた洋風部分が、洋館の残存なのか、部分の移設なのか、あるいは当初からこのような状態なのか、見当もつきません。

島根県温泉津(04)

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角地に建つ商店です。四角い窓の配列に、面白さを感じました。

島根県温泉津(03)

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旧金融機関です。昭和30年代築位でしょうか。

島根県温泉津(02)

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全く由来がわかりませんが、旧医院か旧役場ではないかと思われます。

島根県温泉津(01)

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今年の年賀状に載せた温泉津温泉の共同浴場です。総覧には、「旧温泉文化休憩所」とありますが、隣接する共同浴場「藤の湯」の旧館ではないかと思います。

和歌山県和歌山(08)

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旧加太警察署(大正末築)。

和歌山県和歌山(06)

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旧中原家住宅洋館(大正末築)。

和歌山県和歌山(05)

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旧郭百甫診療所(明治7年築)。

和歌山県和歌山(04)

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滋野医院(大正10年築)。玄関廻りのステンドグラスや庇の飾りが美しい建物です。

和歌山県和歌山(03)

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和歌山県庁(昭和13年築)。

和歌山県和歌山(02)

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旧西本組本社ビル(昭和2年築)。登録文化財です。

和歌山県和歌山(01)

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旧和歌山無尽本店(大正14年築)。

島根県都野津(02)

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国沢内科医院。旧町役場の並びにあります。

島根県都野津(01)

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旧都野津町役場(昭和12年築)。

広島県西条(12)

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酒造会社の寮でしょうか。ペンキの色がまぶしいです。元は学校かも知れません。

広島県西条(09)

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ビルとビルの間に、梢越しにチラリと見えた洋館。本格的な洋館です。

広島県西条(08)

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近隣の立退きで姿を顕した洋館。明治期かも知れません。

広島県西条(07)

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賀茂鶴酒造(昭和2年築)。大きな事務所です。

現存するロータリーは?

「ロータリー」とは、3叉路以上の交差点内が周回道路となっていて、基本的には信号制御が不要な交差点です。
http://alcyone-pleiades.blog.ocn.ne.jp/canarias/2006/09/post_dbdb.html

フランスの凱旋門の周りとか、中国や韓国などにも見かけますよネ(行ったことが無いので、いずれも映像で)。

国土交通省のHPによれば、日本では「1934年に日本で初めて東京都の和田倉門交差点に設置されて以来、1941年までに43交差点が整備されました」とあります。
http://www.mlit.go.jp/road/soudan/soudan_06_07.html

この43交差点が、いったいどこにあったのか興味があります。現存しているロータリーも、きっとあるはずです。小生が見たことのあるロータリーは、北海道の旭川、釧路、鹿児島県の串木野、そして兵庫県の豊岡のロータリーです。これらが、はたして43交差点の中のものなのかも不明ですが、豊岡のロータリーに出会ったときは感激したものです。

きっと、国土交通省に聞けば、教えてくれるのでしょう……。けれども、それではつまらないので、皆さんの情報を募って地道に調査をしてみようと思います。ご記憶の方、また、情報をお持ちの方、ぜひご協力ください。近代建築ではなく、都市の話ですね、これは。

日本国内環状交差路リスト
http://ismusic.road.jp/rotary/rotary.html

「ロータリー」コレクション
http://glin.jp/nam/rotary.html

ロータリー探訪記
http://tamotchi.skr.jp/geo/rotary/

たずねロータリーのページ
http://civil.eng.toyo.ac.jp/~ozaki/rotary/

広島県西条(05)

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亀齢酒造の事務所。この一帯は、酒造会社の下見板張の建物が建ち並んでいます。

広島県西条(04)

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街のコーナーの建物。角を切り、屋根に半円形の飾りを載せているのが小生の好みです。

広島県西条(03)

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昨日の物件の並びの看板建築。金融機関風ですが、これも薄い建物です。

広島県西条(02)

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酒造会社の並ぶ一角に向かう商店街の看板建築。正面の四角い部分が、薄いです。

広島県西条(01)

ファイル 917-1.jpgファイル 917-2.jpg

旧県立西条清酒醸造支場(昭和4年築)。平べったい建物かと思っておりましたが、回り込んでみると、けっこう厚い建物でした。

奈良県橿原(04)

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旧高市郡教育博物館(明治36年築)。近世の環濠都市、今井町の一角に建つ、和風の近代建築。奈良県指定文化財。

奈良県橿原(03)

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近鉄橿原神宮駅(昭和15年築)。和風屋根をモダニズムでデザインした、村野藤吾の設計。

奈良県橿原(02)

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旧奈良県立畝傍中学校(昭和8年築)。現役の高校の校舎として使われているのが、感激です。

奈良県橿原(01)

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旧六十八銀行八木支店(昭和3年築)。今月、登録文化財に登録されました。

宮崎県油津(08)

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堀川橋(明治36年架橋)。石造のアーチ橋で、登録文化財。堀川は、江戸時代に難工事の末に開削された運河です。

宮崎県油津(07)

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港で見つけた倉庫。コンクリートを塗り込めたコーナーの曲線が美しいです。

宮崎県油津(06)

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杉村金物の並びにある店舗。

宮崎県油津(05)

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工場でしょうか、教室でしょうか。縦長の窓が、いい具合に並んでいます。

宮崎県油津(04)

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杉村金物の斜向かいにある店舗。モダンな造りです。

宮崎県油津(03)

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旧河野宗泰家倉庫(油津赤レンガ館)(大正11年築)。登録文化財。

宮崎県油津(02)

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杉村金物本店倉庫(大正9年築)。登録文化財。

宮崎県油津(01)

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杉村金物本店主屋(昭和7年築)。登録文化財です。

登録有形文化財の告示

先週11月9日に、登録有形文化財の告示が出ました。

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岩手県公会堂

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津山郷土博物館(旧津山市庁舎)

今回の有名どころでは、鎌倉の長谷子ども会館が登録されています。あの建物は無指定だったのかと、逆に驚いています。

兵庫県豊岡(13)

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大開通りの突き当たりを、昨日の宵田商店街とは逆側に交差する元町通りの建物群。

兵庫県豊岡(12)

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宵田商店街の建築群。大開通りの突き当たりで交差するアーケード街です。

兵庫県豊岡(11)

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大開通りの一本隣の生田通りにある建築群。

兵庫県豊岡(10)

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昨日に続き、大開通りの看板建築群。

兵庫県豊岡(09)

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大開通りの看板建築群。豊岡駅からまっすぐに続くアーケードの商店街で、市役所通りでもあります。

兵庫県豊岡(08)

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但馬信用金庫本店の隣に建つ建物。てっきり、旧本店の建物だと思っておりましたが、いかがでしょうか。

兵庫県豊岡(07)

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旧但馬貯蓄銀行(昭和初期)です。気になる建物です。新発見かと思いましたが、中尾さんが詳しくお調べでした。

兵庫県豊岡(06)

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旧兵庫県農工銀行豊岡支店(昭和9年築)。渡邉節設計の建物です。つい先年まで山陰合同銀行の看板が出ていた印象があるのですが、現在は豊岡市役所南庁舎別館として使われています。市役所の敷地とは道を挟んだ真向かいにあります。

兵庫県豊岡(05)

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旧豊岡郵便局(昭和2年築)。現在、豊岡市役所南庁舎として使われおり、市役所と同じ敷地内の角地に建っています。

兵庫県豊岡(04)

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豊岡市役所(昭和2年築)。旧豊岡町役場として建てられた建物です。広い敷地の奥に建ち、車寄せがあり、前庭がありという豪華な建物です。中尾さんのHPにある竣工当時の写真を見ると、3階部分と傾斜屋根は後の増築で、当初は中央部が塔屋になっている2階建ての四角い建物だったようです。

兵庫県豊岡(03)

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達徳会館(明治29年築)。豊岡高校の敷地内にある旧校舎です。両袖が付いていたのを、保存のために切って今の形になったものと思っておりましたが、中尾さんのHPにある竣工当時の写真によれば、校舎は別棟で、現在の建物はそのままの形です。豊岡に、このような明治の洋館が残されているとは、全く知りませんでした。

兵庫県豊岡(02)

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豊岡劇場。現役の映画館です。

兵庫県豊岡(01)

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豊岡の駅近くにある光文舎。

埼玉県桶川(05)

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中山道沿いで見つけた煉瓦倉庫。大規模な倉庫で、2棟が連なっています。

埼玉県桶川(04)

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昨日の運送会社倉庫と同じ敷地にある、住宅兼事務所の建物です。

埼玉県桶川(03)

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こちらは、桶川駅前の運送会社の倉庫。屋根飾りが美しいです。

埼玉県桶川(02)

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桶川駅前にある農協倉庫。大谷石造で、開口部のアーチ組もしっかりしています。

埼玉県桶川(01)

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坂部医院。中山道沿いで見つけました。外壁を新しく改修しておりますが、構造や屋根は旧のままのようです。それにしても、改修方法が惜しまれます。

福岡県折尾(03)

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醸造所の鉱滓煉瓦塀。正面側の荒れ方に比べ、裏側は美しく残っています。曲線が素敵です。

福岡県折尾(02)

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折尾駅前を散策します。折尾駅前に残る、西鉄の高架跡。煉瓦の組が丁寧です。

福岡県折尾(01)

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JR折尾駅(大正5年築)。鹿児島本線高架化にともない、解体のニュースが流れました。何とか残すことができないことか。

兵庫県出石(05)

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永楽館。明治築の芝居小屋です。戦後は映画館として使われましたが、昭和40年代には閉館となり、ずっと空家だったとか。現在、市の保存・復元事業が入り、2年後には芝居小屋としての再開をめざしています。桟敷、回り舞台、花道などが残っています。

兵庫県出石(04)

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事務所建築。1階部分をスクラッチタイルが覆っています。近くでは、あちこちで機織りの音が響いていましたので、あるいは繊維会社の事務所かも知れません。

兵庫県出石(03)

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旧出石町役場の車寄せ部分。建物自体は解体されてしまいました。この車寄せを眺めると、その解体が惜しまれてなりません。

兵庫県出石(02)

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旧出石郵便局。現在は、そば屋さん兼おみやげ屋さんになっており、お客の途絶えることがありません。

兵庫県出石(01)

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旧出石郡役所(明治25年築)。昭和初期に、当初建っていた町役場の敷地から現在の場所へ移築。その際に、中央ポーチの上にベランダが載っていたのを、現在の姿に改めています。

秋田県亀田(03)

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醸造所。左側の装飾の付いた四角い部分は、何なのでしょうか。

秋田県亀田(02)

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現役の理容店です。城下の入口に店を構えています。

秋田県亀田(01)

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旧亀田郵便局。郵便局のマークの細工が細かいです。

愛知県刈谷(03)

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竹内産婦人科医院(昭和初期築)。大中肇設計。

愛知県刈谷(02)

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旧上天温泉(昭和2年築)。大中肇設計の銭湯です。

愛知県刈谷(01)

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旧亀城小学校本館(大正15年築)。大中肇設計によるRC建築です。現在、刈谷市郷土資料館として公開されています。

秋田県象潟(02)

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象潟の町でみかけた煉瓦倉庫と煉瓦塀。煉瓦倉庫は、新しそうに見えます。

秋田県象潟(01)

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象潟公会堂(昭和9年築)。何か見た目に違和感があったので、郷土資料館の方にうかがうと、基礎を打ち直し外壁を新しくしたとのこと。昔の写真と比べると、壁面の装飾も、少し違っているようです。

「きいろい☆ながれぼしの旅」
http://www7.big.or.jp/~ynisihir/jpg/tohoku/akita/kisakata_cho_kokaido.JPG

埼玉県川口(06)

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川口の看板建築。かつては、もっともっと建ち並んでいたのですが、再開発でその多くがマンションに変わってしまいました。

埼玉県川口(04)

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永瀬邸(昭和11年築)。ステンドグラスのある永瀬邸とは、通りを隔てた向いにあります。

埼玉県川口(03)

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永瀬邸の倉庫、門、塀。倉庫は、かつて発電所だったとか。

「まちかどの近代建築写真展 IN 下関」開催決定

2004年より始まりました「まちかどの近代建築写真展」ですが、この度、山口県下関市の山口銀行旧本店(山口県指定有形文化財)を会場に開催することが決まりました。

お近くの方は、ぜひお出でくださいますよう、お知らせ申し上げます。

「まちかどの近代建築写真展 IN 下関」
・会期:2006年10月21日(土)~27日(金)(22日の日曜日は休)
  10:00~17:00(21日午前に設営、27日午後に撤収)
・会場:山口銀行旧本店(山口県指定有形文化財)
  山口県下関市観音崎町10-6
・主催:「まちかどの近代建築写真展 IN 下関」実行委員会
・料金:無料
「近代化遺産全国一斉公開2006」公開事業の関連行事として開催いたします。

埼玉県川口(02)

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永瀬邸(大正11年築)。敷地内に入ることができませんが、かろうじて、大きなステンドグラスがうかがえます。

埼玉県川口(01)

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旧田中徳兵衛邸(大正12年築)。登録文化財です。昨年までお住まいだった建物で、今年より常時一般公開が始まりました。

秋田県鷹巣(06)

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JR鷹ノ巣駅のランプ小屋。ちなみに、地名は鷹巣ですが、駅名は鷹ノ巣です。

秋田県鷹巣(05)

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三たび、鷹巣の看板建築。

秋田県鷹巣(04)

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引き続き、鷹巣の看板建築。

秋田県鷹巣(02)

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鷹松堂。お菓子屋さんです。鷹巣の町も、モルタル塗りの看板建築が建ち並んでいます。

秋田県鷹巣(01)

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青森県との県境に近い鷹巣の戸嶋温灸治療院。鉄道わきにあり、車窓から見えた洋館を探し求めて、たどり着きました。

岩手県花巻(02)

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花巻森林組合の事務所です。半円形に張り出したホールの、何とモダンなこと。入口横の受付も、半円形です。

岩手県花巻(01)

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宮沢賢治の童話「黒ぶだう」の舞台といわれる菊池邸(大正15年築)。老朽化による解体のニュースが広まり、現在、保存運動がおきています。

秋田県五城目(09)

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三たび、五城目の商店街の看板建築群。

秋田県五城目(08)

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昨日に続き、五城目の商店街の看板建築群。

秋田県五城目(07)

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五城目の商店街。メインストリート2本と梯子段状の街並みに、モルタル塗の看板建築群が並んでいます。

秋田県五城目(06)

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商店街の際奥突き当たりにある、煉瓦倉庫の跡。どんな建物だったのか、興味があります。

秋田県五城目(05)

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五城目の現存建築で、一番派手な看板建築。細かい左官仕事です。何屋さんだったのでしょう。

秋田県五城目(04)

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関乃湯。こうもあからさまに真四角な看板建築も、珍しいのでは。

秋田県五城目(03)

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渡辺彦兵衛商店(福禄寿酒造)の販売所でしょうか。事務所の向いにある、スクラッチタイルの建物です。

秋田県五城目(02)

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渡辺彦兵衛商店(福禄寿酒造)の蔵と事務所。登録文化財です。

秋田県五城目(01)

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五城目は、最寄りである八郎潟駅から小山を一つ越えたところにある旧城下町です。えびやは、洋品屋さん。

新潟県高田(14)

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日通の支店。規模の大きな建物で、2階は1フロアになっているようです。

新潟県高田(13)

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南第2分団のポンプ小屋。青森県や岩手県などではよく見かける屯所・番屋ですが、高田で見つけて嬉しくなりました。飲食店街の中にあります。

新潟県高田(12)

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高田カトリック教会。いろいろ歴史のある教会とのことですが、建物は新しいかも知れません。

新潟県高田(11)

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飯塚組建設の敷地内にある洋館。

新潟県高田(10)

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堀端にある、洋館付住宅。

新潟県高田(09)

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何の用途の建物なのか、新しいのか古いのか、大いに迷う建物です。

新潟県高田(08)

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旧師団長官舎(明治43年築)。市内の別の場所からの移築です。

新潟県高田(07)

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百三十九銀行高田支店(昭和6年築)。

新潟県高田(06)

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旭会館。五ノ辻稲荷神社の敷地にある公民館です。

スターハウスとY型庁舎

円形校舎に続き、次はスターハウスです。

スターハウスとは、昭和30年代、初期の公団住宅などで建てられた、Y字型に3戸を配し交差する中央部分に階段室を設けた団地です。星型住宅、星型団地などとも言われています。各戸共日当りがよく、プライバシーが保たれるという触込みだったようです。と、知ったようなことを書きましたが、じつは小生はまだ見たことがありません。
http://codan.boy.jp/yougo/index.html

スターハウスは、円形校舎と同じ時期のRC造の建物です。一般にRC造のモダニズム建築は「四角い箱」と言われますが、設計者がこれに逆らって、円や星など別の形の建物を建てようとしたのではないでしょうか。

さて、スターハウスと同じY字型の平面を持つ建物で、各辺が長い建物があります。有名なところでは、解体されてしまいましたが旧東京厚生年金病院がそうです。
http://www.yamada-mamoru.co.jp/sakuhin/old-nen/old-nen.html

最近訪問した岩手県紫波町庁舎が、このY字型の建物でした。地図からでも、はっきりとわかります。
http://map.livedoor.com/map/scroll?MAP=E141.10.16.5N39.33.7.3&ZM=12

また、長野県飯田市の合同庁舎も、このY字型の建物でした。
http://map.livedoor.com/map/scroll?MAP=E137.49.56.9N35.30.37.9&ZM=12

また、聞くところによると、北海道帯広市の市役所も、Y字型の建物だったそうです。
http://attcom.seesaa.net/article/6561942.html

この、辺の長いY字型の建物は、昭和30年代の一時期、庁舎として流行したのではないかと考えました。学問的には何と呼ばれている建物なのかはわかりませんが、仮に「Y型庁舎」と呼びたいと思います。

このY型庁舎は、円形校舎とセットで建てられる例があります。帯広がそうですし、飯田もそうです。

きっとほかにも、Y型庁舎が存在する(した)と思われます。皆さんのご近所などの情報を、ぜひお寄せください。

なお、Y型庁舎は、辺から辺への移動距離が長くなりますので、横の連絡がとりにくい、まさに「お役所的建物」だったのではないかと思われます。居住性はよいでしょうが。

新潟県高田(05)

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大島電気。こちらも、旧高田座の並びです。

旧西陣電話局が登録抹消

先週8日の官報に、登録文化財の登録抹消の告示が出ておりました。沼津の松本家住宅、京都の旧西陣電話局、神戸の布引ダムです。
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旧西陣電話局

これまでにも、登録文化財の登録抹消は、重要文化財などへのいわゆる「格上げ」にともない行なわれております。登録文化財と重複での指定ができない(らしい)ので、まず登録の抹消が行なわれ、後日、重文など他の指定となる例をいくつか見てきました。「格上げ」以外の理由での自発的な登録抹消は、北海道士別市の旧岡崎医院だけと聞いております(維持困難のため解体)。やむを得ぬ登録抹消は、例えば横手市の旅館平利が火災で全焼し、登録が抹消となっております。

今回の登録抹消は、4月に重文の答申が出されておりますので、重文「格上げ」にともなうものかと思われます。

なお、重文ならば官報にも出ますので、登録抹消の理由も調べやすいのですが、都道府県や市町村の文化財への「格上げ」の場合、なかなか情報が見つかりません。登録抹消が、「格上げ」によるものか解体によるものかと、無用な心配をしないでよいように、ぜひ登録抹消の理由も告示して欲しいものです。

新潟県高田(04)

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青山徳信商店。同じく、旧高田座の並びです。

新潟県高田(03)

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旧洋食屋。旧高田座の並びにあります。

新潟県高田(02)

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旧医院。駅近くの、雁木の通りの一角にあります。

新潟県高田(01)

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旧高田座(明治44年築)。現在も、高田日活という映画館として営業中です。表通りから少し奥に入ったところに建っています。

新潟県柏崎(07)

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旧日本石油会社柏崎工場(明治42年築)。かつて工場敷地には、多くの赤煉瓦の建物が建っていたそうですが、現在は広い更地の敷地にこの1棟のみが建っています。

新潟県柏崎(06)

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おぎた小児科医院。あるいは、新しい建物かも知れません。

新潟県柏崎(05)

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こちらも、路地の奥に見つけた建物。大きな弧のポーチは、柏崎では多く見受けられます。

新潟県柏崎(04)

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何の建物なのか不明です。

新潟県柏崎(03)

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ミヤガワ。商店街のアーケードにありました。

新潟県柏崎(01)

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旧柏崎公会堂(昭和13年築)。

現存「奉安殿」リストを作成しています

8月24日の官報で、鹿児島県瀬戸内町の「奉安殿」6棟が登録文化財に登録されました。

これを機に、現存する「奉安殿」を調べてみようと思い、ネット検索で確認できたものをリストアップしてみました。「奉安殿」には、独立棟型と屋内型とがありますが、このリストは「独立棟型」に限定したリストです。
http://www.jmam.net/b/kindai/houanden.htm

調査前の予想では、各県に2~3棟平均として、現存する「奉安殿」は100~200棟程度ではないかと考えておりました。しかし、調査を進めてみると、結構残されている感触です。

「GHQにより解体」とばかり思い込んでおりましたが、「解体」ではなく「撤去」の命令だったようですね。

現存する「奉安殿」は圧倒的に神社型のものが多く、神社・寺院などへ移築・転用されています。個人的には、ギリシャ神殿風などの神殿型が好きです。調査前に、小生が目にしていた「奉安殿」はすべてこの神殿型でしたので、神殿型のほうが多く残されていると考えておりました。

リストの記載事項の不備、また、未掲載の現存「奉安殿」の情報などをお寄せいただければ幸いです。

岩手県紫波(01)

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旧紫波郡役所。紫波町役場の敷地内(駐車場)に現存し、現在も利用されているようです。ちなみに、紫波町役場の庁舎はY字型の建物です。スターハウスの類でしょうか。

円形校舎の情報を求めます

昭和30年代に、全国で100カ所ほど建てられた「円形校舎」ですが、現在、そのほとんどが解体されてしまっています。


旧明倫小学校(鳥取県倉吉)

数年前に、「円形校舎」のページを立ち上げ、全国の円形校舎リストを作り、情報提供を呼びかけました。円形校舎に学んだ方々にとって、円形校舎はとても鮮烈な印象を残しているようで、多くの情報をお寄せいただきました。
http://www.jmam.net/b/kindai/enkei.htm

「円形校舎」でブログ検索をすると、同窓会があったり帰省したりで、円形校舎に再会した思い出が語られています。まだ、リストアップできていない円形校舎も多々あるようです。

引き続き、円形校舎の情報を求めます。円形校舎で学んだ方はもちろん、近所にあったという情報、また、円形校舎で教鞭をとったという方の、円形校舎についての印象などもお寄せいただければ幸いです。

今日の官報に登録文化財の告示

今日の官報(号外)に、登録文化財の告示が出ていました。
http://www.jmam.net/b/kindai/touroku49.htm

東京の国際文化会館や、群馬の法師温泉、JR西岩国駅駅舎などが登録文化財となっています。
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JR西岩国駅駅舎

今回、面白いと思ったのは、鹿児島県の瀬戸内町が、町内の奉安殿をまとめて6件も登録していることです。奉安殿の登録は、今回が初めてではないでしょうか? 今後、各地で奉安殿の登録が進むかも知れません。

奉安殿については、近代建築探訪メーリングリストの仲間である忠太さんのページに、詳しくまとめられています。
http://homepage1.nifty.com/tanboh/hoan01.htm

徳島県麻植(01)

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西知恵島公民館(昭和31年築)。敷地内の石碑に、築年が昭和31年とあり、驚きました。もっと古そうに思えるのですが。

福井県敦賀(05)

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敦賀倉庫の事務所のそばにある倉庫。映画館か劇場のような飾り。

福井県敦賀(02)

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日本聖公会敦賀キリスト教会。

福井県敦賀(01)

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旧大和田銀行(昭和2年築)。

福井県武生(11)

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路地の奥に見つけた、3階建の建物。

福井県武生(10)

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福井鉄道株式会社。武生の市街地の北東角にデンと構えています。

福井県武生(09)

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越前市役所の裏手でみつけた、事務所。相当規模の大きな建物です。

前村洞和を探しています

前村姓関わりで、「前村洞和」という絵師の存在を知ったのは、河鍋暁斎の自伝の記述からでした。土佐藩お抱え絵師で、江戸の本郷に居を構えており、河鍋暁斎の師であったと(河鍋暁斎も本郷在)。

知り得たのはこれだけの情報だったのですが、それからというもの「前村洞和」はどんな絵を描いていたのかをぜひ見たいものだと思っておりました。

ちなみに、河鍋暁斎と言えば、日本近代建築の父であるジョサイア・コンドルの日本画の師匠として有名ですよね(先日、ようやくジョサイア・コンドル著『河鍋暁斎』を読み終えたところです)。前村洞和から見れば、コンドルは孫弟子ということになりますか。コンドルの号は「暁英」。

河鍋暁斎
河鍋暁斎

さて、「前村洞和」で検索していたところ、遠藤英彰さんの「人生の謎学」ブログに、思わぬ記述を見つけました。
http://synch.at.webry.info/200605/article_5.html

「土佐の絵金」こと金蔵も、前村洞和の弟子であったと(洞意の号が与えられたとのこと)。河鍋暁斎の兄弟子にあたります。土佐関わりであり、絵のタッチなども似ているとは思っておりましたが、絵金と河鍋暁斎は、前村洞和によって繋がるとは。

高知県香南市赤岡町では、毎年夏「絵金祭り」が開催されており、ぜひ一度見に行きたいと思っておりました。何だか絵金も、少し身近に感じられるようになりました。
http://www.kochi-shokokai.jp/akaoka/ekinmaturi.html

絵金と幕末土佐歴史散歩
絵金と幕末土佐歴史散歩

福井県武生(08)

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旧武生市公会堂(昭和4年築)。こんなアール・ヌーボーのデザインの建物が武生にあるとは、驚きです。

福井県武生(07)

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旧中村商店(明治45年築)。再開発で空地となった駅前の区画のとなりにあり、とても目立ちます。

福井県武生(06)

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旧武生郵便局(大正3年築)。現在、設計事務所として活用されています。

福井県武生(04)

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旧大井デパート(昭和5年築)。街中に、こんな建物が建っています。

福井県武生(03)

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旧味湾海倶楽部(昭和5年築)。手前に、町家の建物が接続しています。現在、ドレスメーカー学院として使われていますが、どんな建物かわかりませんね。『近代建築ガイドブック』の写真でも、かろうじて飾りの付いた建物の外観が見えますが、現在は外壁をすっかり覆ってしまっています。屋上には、八角形の展望台があるとか。

福井県武生(02)

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井上歯科医院(明治41年築)。こちらも、庭木が大きくなって、建物が見えません。

福井県武生(01)

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旧福井警察署(明治32年頃築)。大きな寺院の敷地内に移築され、丈生幼稚園の園舎として使われています。木々が繁り、建物の全貌が写りません。

山梨県韮崎(03)

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旧道から少し奥に入ったところにある教会。案内して下さった仙道田さんは、戦後ではないかと。小生は、昭和1ケタと思いたいのだが。細かい時間のかかる手仕事ばかりの建物です。

山梨県韮崎(02)

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先日の建物と同じ通りにある、堀内写真館。左手には、屋根がガラスになっている写場が見えます。

山梨県韮崎(01)

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韮崎の旧駅前通りにある看板建築。

山梨県須玉(02)

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須玉の市街地に建つ、旧須玉郵便局。道の向い側に新しい局舎が建てられ、現在は空家となっています。

山梨県須玉(01)

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町村合併により山梨県北杜市となった須玉町津金地区にある、旧津金学校校舎(明治8年築)。藤村式の学校建築です。現在は、須玉歴史資料館となっています。同敷地内に、一時は大正、昭和の木造校舎が並び建っていたとか。

福井県鯖江(06)

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寺院の門。よく見かけるタイプの門ですが、完全な形のものを初めて見ました。あるいは、別の公共建築の門の転用かも知れません。

福井県鯖江(05)

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恵美写真館と同じ筋でみつけた物件。戦後かも知れませんが、洋裁学校などの公共の教室風。ポーチの柱が、豆タイル貼です。

福井県鯖江(04)

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鈴木医院。少し町中から外れた北国街道沿いにあります。

福井県鯖江(03)

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恵美写真館洋館の表門と洋館(明治38年築)。総覧にある、設計・施工イスルギヤとは、外人の名かと思っていましたが、石動という左官屋さんとか。

福井県鯖江(02)

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横山写真館(昭和4年築)。スクラッチタイルと、切り抜き文字が美しいです。旧鯖江地方織物検査所の建物の斜向かい、神社の参道にあります。

福井県鯖江(01)

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旧鯖江地方織物検査所(昭和10年築)。デザイン的にも、年代のわりには、古めかしい感じがします。

愛媛県西条(01)

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木原眼科。アーケードの中にあり、全貌がわかりません。

山口県下関(20)

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大洋漁業下関支社(昭和11年築)。

山口県下関(19)

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旧三井銀行下関支店(大正9年築)。

山口県下関(18)

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旧不動蓄財銀行下関支店(昭和9年築)。

山口県下関(17)

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旧赤間関郵便電信局(明治33年築)。

山口県下関(15)

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旧関門汽船株式会社(昭和6年築)。

山口県下関(14)

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旧英国領事館(明治39年築)。ご覧の通り、撮影時は修復工事中でした。

山口県下関(13)

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旧宮崎商館(明治40年築)。

山口県下関(12)

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旧下関郵便局電話課(大正12年築)。旧下関市役所第一別館として使われた後、解体の危機にありましたが、現在、活用のためにプロジェクトが展開中です。どんな活用を行っていくか楽しみです。

山口県下関(10)

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旧バプテスト教会(昭和5年築)。

山口県下関(09)

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旧バプテスト伝導社団神父レイ邸(明治38年築)。

山口県下関(08)

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梅光女学院。女子校には、近付けません。

山口県下関(06)

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旧日本メソジスト下関教会(昭和13年築)。登録文化財。

山口県下関(05)

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深井製薬工業。円窓がオシャレです。

山口県下関(04)

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山口県銀行協会下関手形交換所。

山口県下関(03)

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前記の並びに建つ、モダンビル。増築の3階部分も、アーチがあったりします。

山口県下関(02)

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下関駅から唐戸方面へ向かう途中にある、モダンな建物。円窓がポイント。

山口県下関(01)

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旧山陽ホテル(大正12年築)。

福岡県福岡(03)

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中洲でいつも気になっている建物です。角地によくある、角の円い物件です。

福岡県福岡(02)

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旧福岡県公会堂。こちらも、ご覧の通り、修繕工事中です。昨年の地震で、被害がありました。

福岡県福岡(01)

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旧日本生命九州支社ですが、現在はこの通り、修繕工事中です。屋根の工事とのことです。

熊本県三角(07)

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旧三角簡易裁判所のすぐ手前にある物件。官舎ではないかと思われます。

熊本県三角(06)

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旧三角簡易裁判所の敷地内にある煉瓦倉。書庫かと思われます。

熊本県三角(05)

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旧三角簡易裁判所。明治20年築。現在、法の館として、公開されています。

熊本県三角(04)

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三角西港の高台にある、旧宇土郡役所。明治35年築。現在、九州海技学院として使われています。

熊本県三角(03)

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三角駅の横にある、三角海運の事務所。

熊本県三角(02)

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先の中野医院のすぐ近所にある、辻医院。内科です。

熊本県三角(01)

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三角東港、三角駅裏で見つけた、中野医院。歯科です。

長崎県島原(04)

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青い理髪舘(旧小林理髪舘)。大正12年築。登録文化財。理髪店の内装のまま、喫茶店とギャラリーとして活用されています。

長崎県島原(03)

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アーケードの中にある、角の円い物件。

長崎県島原(01)

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市街地で見つけた医院。隣に新築の稲田歯科があります。おそらく、その旧館だと思われます。

長崎県口之津(02)

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町で見つけた物件。車寄せが立派です。

長崎県口之津(01)

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旧長崎税関口之津支署庁舎。明治32年築。現在、口之津町歴史民俗資料館として公開されています。

長崎県諫早(03)

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十八銀行諫早支店。昭和6年築。街中で、現役として頑張っています。

長崎県諫早(02)

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旧長崎刑務所の事務所棟。この建物はまだマシですが、他の建物は屋根が崩れはじめており、早急に対処する必要があります。

長崎県諫早(01)

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旧長崎刑務所の門です。山下洋輔の祖父、山下啓次郎の設計と言われています。現在、刑務所は移転し、空家なのですが、門は閉ざされ、高い煉瓦塀に囲まれた広い空間がポッカリと残されています。

鹿児島県志布志(03)

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寺院の庫裏です。しかし、この車寄せや建物の長い窓などから、何かの役所の建物だったのではないかと思われますが、いかがでしょう。

鹿児島県志布志(02)

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東郷医院のすぐ近くにある、中島病院。現在、空家のようです。

鹿児島県志布志(01)

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登録文化財の東郷医院。産婦人科です。

鹿児島県加治木(02)

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加治木の町で見つけた、現役の池田医院。

鹿児島県加治木(01)

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旧郷土館陳列室。登録文化財に登録されました。残念ながら、連休中は休館で、敷地に入ることもできませんでした。

鹿児島県姶良(01)

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登録文化財に登録された、山田の凱旋門。日露戦争の際の、凱旋兵士を迎えるために建てられた石造の門。念願適って、今回訪問することができました。

福岡県八幡(04)

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波里写真館。八幡に、こんな写真館が現役で残っていたとは、驚きでした。

福岡県八幡(03)

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日本聖公会八幡聖オーガスチン教会。

福岡県八幡(02)

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昭和2年築の大谷会館。官営八幡製鐡所の社員クラブハウス。

福岡県八幡(01)

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旧百三十銀行八幡支店。大正4年築。辰野金吾設計。

福岡県門司(02)

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同じく、旧サッポロビール門司工場醸造棟。

福岡県門司(01)

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門司の駅裏にある、旧サッポロビール門司工場事務所棟。現在、門司麦酒煉瓦館として公開中。サクラビールの貴重な資料が展示されています。

山梨県甲府(08)

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旧甲府郵便局。昭和4年築。「日本近代建築総覧」には、逓信省山田技師設計とありますが、これは山田守のことか? 鹿児島のNTTに似ています。

山梨県甲府(07)

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謝恩碑。大正11年、伊東忠太・大江新太郎。

山梨県甲府(06)

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武徳殿。各地にある和風の建物です。

山梨県甲府(05)

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恩賜林記念館。昭和28年築。築年にしては、古めかしい建物です。

山梨県甲府(04)

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山梨県議会議事堂。昭和9年築。

山梨県甲府(03)

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山梨県庁別館。昭和5年築。

山梨県甲府(02)

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山梨県庁南別館。旧山梨県立図書館。昭和5年築。当時流行の流線型の階段室、丸窓、入口の庇受けや受付の窓など、マニアにはたまらない建物です。

山梨県甲府(01)

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写真展で会場をご提供いただいた、甲府カトリック教会。築80年とのこと。

まちかどの近代建築写真展in甲府が開幕です

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本日、4月22日より、「まちかどの近代建築写真展in甲府」が開幕いたしました。現地の実行委員会の皆さんには、立て看板やポスター、案内状など、いろいろなものを沢山作っていただきました。また、地元オリジナルで、山梨県の近代建築の写真も、用意していただきました。初めて見る建物も多く、大収穫です。

会場は、甲府駅より徒歩5分ほどの甲府カトリック教会講堂。会期は、4月30日までです。

お近くの方々、ぜひ、お運びください。

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佐滝本店の敷地奥にある佐滝別邸(大正14年築)。

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旧市街へ向かう途中で見つけた、森の中の洋館。この建物に気付いたときには、声をあげてしまいました(笑)。

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三戸駅前の物件。三戸は、洋館が沢山残っています。

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追手町小学校の講堂。とても大きな、雨天体育場になっています。

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登録文化財の追手町小学校。

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旧柳田國男邸。東京の成城にあったものを移築。どことなく、岐阜にある武田五一の名和昆虫館に似ています。

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旧飯田測候所の敷地内にある附属棟。奉安殿のようでもあり、しかし、測候所には奉安殿は不要でしょうから、電気室や機械室でしょうか。

登録有形文化財(建造物)の告示がでました

今日の官報に、登録有形文化財(建造物)の告示がでました。

有名どころでは、小樽駅や、松山地方気象台(旧愛媛県立松山測候所)などが入っています。

先月も告示があり、2カ月続けての告示です。これまでは、年に4~5回の告示でしたが、今年からは毎月になるのでしょうか、文化庁さん。嬉しい悲鳴です。

長野県飯田(05)

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旧飯田測候所。現在、空き家です。

長野県飯田(04)

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銭湯だと思いますが、いかがでしょうか? 教育会館と同じ区画にありました。

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教育会館の隣にある、高野医院。

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飯田へ行ってきました。写真は、下伊那教育会館。

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路地の奥に見つけた、八幡町の会議場です。

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どのくらい前の建物かわかりませんが、伊東忠太の築地本願寺系の寺院です。けっこう各地に、この手の寺院があります。

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橋のたもとにある、火の見塔の付いた建物。

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旧堀谷医院(大正9年築)。登録文化財に登録されています。

岐阜県郡上八幡(03)

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旧林療院の別棟になっているレントゲン棟。大正の建物。壁には鉛が埋め込まれているとのことです。

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旧林療院(明治37年築)。現在は「郡上八幡楽藝館」として公開中です。

岐阜県郡上八幡(01)

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久しぶりに郡上八幡へ行ってきました。上記は、旧八幡町役場(昭和11年築)です。

山形県長井(01)

昨年撮影した長井の雪景色です。

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登録有形文化財の都道府県別件数

先日ご報告した告示に続き、12月27日にも再び告示がありました(文部科学省告示第184号)。

この告示を受けて、現在までの登録有形文化財の件数を、各都道府県別に集計したのが下記の表です(『総覧登録有形文化財建造物5000』より抽出)。

都道府県件数
北海道64
青森50
岩手57
宮城52
秋田124
山形83
福島78
茨木201
栃木131
群馬147
埼玉91
千葉63
東京193
神奈川110
新潟195
富山72
石川144
福井43
山梨52
長野254
岐阜65
静岡105
愛知212
三重52
滋賀231
京都204
大阪326
兵庫213
奈良94
和歌山81
鳥取82
島根44
岡山100
広島64
山口46
徳島59
香川283
愛媛69
高知208
福岡40
佐賀50
長崎49
熊本76
大分114
宮崎29
鹿児島20
沖縄10
5130

ご覧の通り、登録有形文化財の件数は、都道府県によりバラツキがあります。全部で5130件ですから、平均で100件はあるべきですが、あまり熱心ではないところも多いようです。

岐阜県岐阜

半日ほど、久しぶりに岐阜を歩いてきました。
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武田五一設計の旧加納町役場。登録文化財に登録され、市民ギャラリーとして活用されることが決まっています。

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路地に入ったところで見つけた物件。

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こちらも、大通りから一本入ったところで見つけた物件。最初、映画館かと思いました。

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旧岐阜貯蓄銀行本店。

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旧岐阜県庁舎。こういうタイプの県庁舎が残っているのは、もう数カ所になりました。

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旧日下部合資会社。かつては、引きの撮れない場所だったのですが、真向かいが駐車場となり、引き放題です。

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旧日下部合資会社の並びにある物件。

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旧日下部合資会社の斜向かいにある物件。廃墟然とした建物だったのですが、レストランとして生まれ変わり、見違えておりました。

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武田五一設計の名和昆虫研究所記念館。

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同じく、武田五一設計の名和昆虫博物館。

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登録有形文化財の告示

昨日、約半年ぶりに「登録有形文化財」の告示が出ました(文部科学省告示第165号)。先にご紹介した、静岡県小山町の豊門会館等も、今回の告示で登録されています。

これで、登録有形文化財は5,000物件を超えることになります。今年10月6日、それを記念して、文化庁のイベントも行なわれました。ちなみに、10月6日は「登録有形文化財の日」なのだとか。

登録有形文化財制度ができて9年で、5,000物件。これは、決して多い数字とは言えないでしょう。もっと登録のペースをあげなければなりません。

上記で、「約半年ぶり」と書きましたが、正しくは4カ月ぶりでした。ずっと登録有形文化財の告示が無かったような気がしておりました。今回の告示を、心待ちにしていたからなのでしょう(笑)。

神奈川県国府津

静岡県小山町へ行く途中、御殿場線の乗換で1時間近く待ち時間があったので、国府津の町を歩いてみました。ウワサには聞いておりましたが、看板建築のオンパレードです。
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静岡県小山町「豊門会館」

引き続き、静岡県小山町の豊門会館です。

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和館の玄関部分。「豊門会館」は、旧和田豊治家住宅として、明治42年(1909)頃に東京向島に建設され、大正14年(1925)に現地に移築されたとのこと。関東大震災直後の移築です。震災に耐えたのだとか。

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こちらは、いわゆる洋館付住宅の洋館部分。洋館の玄関があり、洋間が3間もあるという点で、他の洋館付住宅とは一風変わっています。これは、和田豊治がアメリカで苦学した経験があったからではないかとのことでした。

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「旧豊門青年学校」の塔屋部分。「旧豊門青年学校」は、大正末~昭和初築で、学校として建てられた建物。塔屋の先に、ほんの少しだけ銅板葺の屋根が載っているのが、小生の好みです。

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「豊門公園噴水泉」。「旧豊門青年学校」のアプローチ上にあります。いずれも、登録有形文化財に登録されています。

静岡県小山町の天然ステンドグラス

先月ご案内した、静岡県小山町の豊門会館の一般公開に行ってきました。

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この写真は、「旧青年学校」の窓。まるで、ステンドグラスのようです。

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こちらは、塔屋への階段の手すりの柱。日大名誉教授の山口廣先生のお話によれば、典型的なアールデコのデザインで、日本には結構あるデザインだとか。

静岡県小山町「旧豊門青年学校」

御殿場の隣町の小山町にある、豊門会館。その敷地内には、和館、洋館などがあり、この度、登録文化財に登録されました。

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写真は、同じ敷地内にある旧豊門青年学校の建物。いかにも、といった洋館です。

来る11月12日(土)、13日(日)に、登録文化財登録記念の一般公開が行なわれます。13日には、神奈川大の西和夫先生や、日大名誉教授の山口廣先生の講演会も開催されます。

秋田県能代の銭湯

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この建物を最初見つけたとき、何の建物だろうと思いました。映画館かとも思いましたが、煙突があることから、銭湯だと納得しました。何とも立派な建物です。戦後の大火で焼けた後の建物でしょうが、銭湯に、こんなに大きな建物が必要なのかと思います。銭湯の需要が高かったのでしょう。

秋田県能代のパン屋さん

この連休、北の方面へ行っておりました。

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この写真は、秋田県の能代で見つけたパン屋さん。能代は、戦後2度の大火があり、町の大半が焼けてしまったのだとか。このパン屋さんは、1度目の大火で焼け、その後建てたもの。昨年、映画のロケで撮影されたとのこと。

新潟県長岡

今回の中越探訪の最終地、長岡です。昨年の地震での被害はいかばかりかと心配しておりましたが、ざっと見渡したところでは、全く問題のないようです。駅近くにある「長岡戦災資料館」の入口横に、先年解体された長岡日赤の扉が保存されておりました。

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昭和2年築の長岡の配水塔。赤い帽子のような屋根が、家並みの間から望めます。

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現在、配水塔のある上水場は、水道公園となっています。そこにある、旧ポンプ室。

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管理室。

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水道公園から駅へ向かう途中で見つけた寺院。カッコイイでしょう?

新潟県三条

中越の続きで、三条です。昨年の水害、そして地震とで、大きな被害がありましたが、しっかり復興しておりました。西本願寺三条別院という、とても素敵な建物があったのですが、数年前に解体したとのこと。残念でなりません。

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北三条駅前にある医院。このあたりが、三条の旧市街の中心にあたります。

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現役の医院。

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こちらも、現役の医院。

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郷土資料館の建物。まるで、寺院のようです。

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店蔵ですが、軒を支える飾りが、アールデコです。

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東三条駅へ向かう途中で見つけた、煉瓦倉庫。

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美容院に使われております。

新潟県加茂

昨日に続き、中越の加茂です。道路の拡幅工事で、道の両側を削っているため、新品の家並みがずっと続きます。その果て、工事が未着の部分に下の旧銀行の建物がありました。

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旧銀行の建物。ドアのところにベニヤ板が打ち付けられ、基礎の部分も腐ってきています。

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何の用途の建物か。2階の見晴らし台のようになっているベランダ状の部分のみペンキを塗っていないのも不思議です。

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民俗郷土館の建物。かつて、町中にあった個人寄贈の図書館の建物を、移築したのだとか。

新潟県新津

昨日、新潟県の中越地区を歩いてきました。まず、新津から。

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市役所そばで見つけた「風俗の洋館」です。キャバレーになっている洋館は、珍しいのでは?

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こちらは、駅前通りの事務所。タイルの色が綺麗でした。

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旧銀行。

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現役の医院。地震によるものか、車寄せの左側が50センチくらい下がったままです。建物全体も、左側に下がっているように見えます。

秋田県仁賀保

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本荘の隣町である仁賀保町にある松野医院の建物。本荘もそうでしたが、驚くべきことに、今も現役の医院です。大正8年築。仁賀保の駅前にあります。
(2005年7月撮影)

愛媛県三津浜

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伊予鉄道三津駅(昭和7年築)

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山谷運送部(大正末築)

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石崎汽船(大正14年築)

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前田海運

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濱田医院
(2005年8月撮影)

佐賀県武雄

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武雄温泉の横道に入ったところで見つけた建物。医院か、役所ではないかと思われます。

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武雄温泉の楼門そばにある水月堂菓子店(昭和7~8年築)。

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辰野金吾設計の武雄温泉楼門(大正4年築)。この度、重要文化財に指定されました。

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同じく、辰野金吾設計の武雄温泉新館(大正4年築)。屋根も落ちて廃墟寸前でしたが、この度修復も終わり、重要文化財となりました。
(2005年8月撮影)

道後温泉が奇怪しいゾ

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このお盆休みに、約半年ぶりに、愛媛県の道後温泉へ行ってきました。

ここ数年、温泉をめぐるさまざまな問題が表面化し、道後温泉でも温泉に塩素を入れることが決まり、議論が沸騰しておりました。それが、いよいよ今年より実施されたのですが……。

専門的な議論は素人にはわかりませんが、明らかに泉質が変わっていることが実感できます。泉質が妙にサラサラなのです。以前は、石鹸を洗い流しても、石鹸の成分と温泉の成分によるのでしょう、ヌルヌル感が残るような状態だったのですが、今回は、全くそのようなことがありません。まるで、銭湯のような感覚です。

塩素を加えても大して温泉成分に変化はない、という分析結果が貼り出してありましたが、塩素臭がするとかいう点以外にも、明らかな違いがあります。

道後温泉本館の入泉料も値上げされておりました。本館近くの椿の湯は、旧来通り値段据え置きです。同じ源泉ですから、温泉に入るのなら、椿の湯のほうが、空いていて良いです。

道後温泉の塩素の投入は、今後、もっと問題となることでしょう。

ネットで検索してみると、「塩素殺菌による温泉水の変化」という、日本温泉総合研究所の報告もありました。

写真は、2001年12月に撮影した、道後温泉本館です。

お盆休みは旅暮らし

今日、仕事を終えてから、夜行列車(ムーンライトながら)で旅に出ます。

行き先は、まず、石川県の山代温泉、鳥取県の三朝温泉で、それぞれ「武田五一展」向けの写真撮影や取材など。次に、愛媛県の松山へ行って、これは当然、道後温泉です。三津浜も歩いてみたいと思っています。さらにさらに、福岡県へ行って、『九州遺産』の地を訪ねようと思っています。8月12日の晩から8月17日までの5泊6日(すべて車中泊です(笑))。

時間があれば、帰りがけに「愛・地球博」にも寄ってこようかと……。これは、欲張りすぎですネ。

晴れてくれれば良いのだけれど、はたして、どうなりますことか。

建築家と共同浴場

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武田五一が、3つの温泉地の共同浴場に関わっていたことは、すでに述べました。

小生は、「武田五一が温泉好きだったのではないか」という仮説を考えました。昨日、近代建築探訪MLの仲間であるチュ~太郎さんにお会いしたおり、著名建築家による共同浴場の事例はあるだろうかと尋ねたところ、辰野金吾武雄温泉(大正4年築)、岡田信一郎城崎温泉「一の湯」「まんだら湯」(昭和3年築)などの例があると、即答を得ました。さすがチュ~太郎さんです。

武田五一の共同浴場は、昭和4年の山代温泉、昭和5年の山中温泉、そして昭和9年の白浜温泉ですので、岡田信一郎の城崎温泉の例に影響を受け、武田五一に依頼があったというのが本当のところかも知れません。しかも、どちらもRC造の和風の共同浴場です。ライバル心もあったかも知れません。

しかし、何故か東日本の温泉地の共同浴場には、著名建築家の関わった共同浴場というのを聞きません。

写真は、辰野金吾設計による佐賀県の武雄温泉楼門です。この度、国の重要文化財の指定が決まりました。

武田五一と三朝温泉

武田五一に関係する温泉には、もう一カ所、鳥取県の三朝温泉があります。

三朝は「みささ」と読みます。鳥取県の中央部、倉吉の南に位置する温泉地で、世界屈指のラジウム泉として有名です。かつては「放射能泉」と宣伝しておりましたが、放射能では忌諱する方もあるようで、現在では「ラジウム泉」となっております。

さて、この三朝温泉の武田物件は、昭和9年の三朝橋(三朝大橋)と、その橋の突き当たりにある温泉旅館万翠楼です。三朝橋は、平成9年に登録有形文化財として登録されましたが、万翠楼は新築され、残念ながら現存しておりません。

三朝橋は温泉街の中央にあり、RC造ながら、青御影石の欄干や擬宝珠、石燈籠など、本格的な和風の橋のデザインとなっています。大変交通量の多い橋で、欄干が壊れたりする事故が頻繁にありますが、その都度、ちゃんと修復されております。橋のたもとには無料の露天風呂があり、橋から丸見えですので、交通事故多発の一因かも知れません。

万翠楼は、木造3階建で、望楼あり、大きな唐破風の車寄せや千鳥破風あり、各階に朱の手摺りを巡らせと、大変にぎやかな目立つ建物だったようです。武田五一研究者の小林淳男さんがおっしゃるには、同じく武田五一の設計である大阪城に、部分的に雰囲気が似ているとのことでした。三朝橋の突き当たりにあり、両方を一体としてデザインしたものと思われます。

山中温泉総湯「菊の湯」

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「武田五一と温泉」というテーマを与えられて、いろいろ調べています。

この写真は、石川県山中温泉の総湯(共同浴場)「菊の湯」です。武田五一設計、RC造で、昭和5年の建物でしたが、残念ながら老朽化で解体されました。平成4年に、旧の建物を復元して新築されました。この写真は、昨年夏に撮影してきたものです。

外観は、共同浴場とは思えない、まるで寺院のような建物で、軒先には風鐸まで付けられています。内部は、外観とはうって変わって、柱や天井にRCの構造がそのままむき出しでした。長細い建物の両側に出入口があり、内部は3室で、中央に浴室1室、各出入口に脱衣室がそれぞれ1室という構成でした。左右の脱衣室のいずれからも、同じ浴室に入る形です。おそらく、建築当時は混浴だったものと思われます。その後、男湯専用となっており、女湯はとなりにあった福祉センターの浴場を利用しておりました。

平成14年に、広場を挟んだ向かいに、この「菊の湯」とそっくりな女湯専用の共同浴場の付属した施設「山中座」が新築されました。

「高知遺産 いきなり、東京展」開催

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「高知遺産 いきなり、東京展」の開催です。

この春、高知で発売早々に話題となり、たちまち増刷となった『高知遺産』。この本の元ともなった「高知遺産展」が、東京にやってきます。会期は、7月13日から8月14日まで。会場は西池袋のポポタムさん。

写真は、昨年、小生が撮影した旧高知県立第一中学校(現、県立追手前高校)の建物。武田五一の設計です。小生は「高知遺産展」には出品しておりません、念のため(笑)。

「建築家・武田五一展(仮称)」開催のお知らせ

この秋、文京ふるさと歴史館で「建築家・武田五一展(仮称)」が開催されます。

この企画展は、東京都文京区の文京ふるさと歴史館と、愛知県名古屋市の名古屋市立美術館の共催によるもので、これまで未公開だったものなども沢山展示される予定です。

・文京ふるさと歴史館「建築家・武田五一展(仮称)」
  2005年10月22日~12月 4日
・名古屋市立美術館「名古屋近代建築運動史の群像I 武田五一-建築意匠と装飾-」
  2006年 1月28日~ 3月26日

小生も、市民協力者に入れてもらってお手伝いをしており、図録に載せる小文などを書いております。以後、文章を書くにあたって見つけた面白い情報などを、お知らせします。ご期待ください。

武田五一の3つの温泉

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話の順番が逆になってしまいました。武田五一が関わった温泉は、現在のところ3つが確認されています。これは、武田五一マニアの小林淳男さんの労作によります。

・石川県山代町「山代温泉共浴場」昭和4年
・石川県山中町「山中町営共同浴場(総湯「菊の湯」)」昭和5年
・和歌山県白浜町「崎の湯」昭和9年

これらは、残念ながら、いずれも現存しておりません。

山代温泉と山中温泉は、同じ加賀温泉郷にある隣町です。当時、山代温泉、山中温泉、そして和歌山県の白浜温泉共、鉄道が発達し、大阪から半日程度で行けるようになって賑わいはじめた温泉地でした。南と北ですが、大阪からの距離では同じような位置にある温泉地です。

和歌山県白浜温泉の「浜の湯」の建物も、武田五一の建物の特徴があり、あるいは武田五一物件かも知れません。また、同じ昭和初期の共同浴場としては、島根県江津市の有福温泉「御前湯」が現存しています。写真は、昨年小生が撮影してきた「御前湯」です。武田五一とは関係のない建物ですが、同時代の共同浴場として、白浜温泉「浜の湯」と似た点が見受けられます。

今年も「まちかどの近代建築写真展」をやります

「まちかどの近代建築写真展」が東京で開催されます。

昨夏札幌駅コンコースで、秋には山形県長井市の旧郡役所で開催した「まちかどの近代建築写真展」ですが、今年11月、東京都文京区のシビックセンターで開催することが決定しました。

「まちかどの近代建築写真展」とは、小生も参加している「近代建築探訪メーリングリスト」の有志が中心となって、日本全国の近代建築の写真を持ち寄り、皆さんに見ていただいている写真展です。とくに、文化財などの有名な建物ではなく、まちかどにある、身近な建物を紹介したいと考えております。

現在、文京区開催にあたり、文京区の近代建築の写真も展示しようと、時間を見つけては撮影を行なっております。

詳細が決まりましたら、お知らせいたします。皆さまには、ぜひ、お出でいただきたく、ご案内申し上げます。

「円形校舎」は時代のアダ花だったのか

「円形校舎」という建物がございます。

といきなり書いても、わからない方にはちっとも見当がつかないかも知れませんが、昭和30年代に日本各地で、全部で100棟くらい建てられた学校の校舎です。「円形校舎」というくらいで、真上から見るとドーナツ型をした建物で、各教室はバームクーヘン(正式には独語でバームクッヘンか)を切り分けたような形状になっております。

昭和30年代に各地で建てられたのですが、その後すっかり廃れてしまって、とんと新築されたという話は聞きません。しかし、この円形校舎で学んだ方や、地元に円形校舎があったという方にとっては、とても印象深い建物だったようでして。

それが、ここ最近、老朽化・耐震化で、建替えという話が進んでおります。それに加えて、少子化による廃校も。現役で使われている「円形校舎」は、もう30棟を切るのではないでしょうか。

「円形校舎」について、以前、ちょいとまとめてみたことがあります。
「円形校舎」

一時流行った建物が、消えて行くというのも、寂しいものです。

先日、知人と話をしておりましたら、「母校が円形校舎だった」という、何とも奇遇な出会いもございました。

群馬県伊勢崎市の旧伊勢崎市立女子高校のように、市で転用して保存することになった事例などは、本当に珍しいことです。

「うちの近所にも、円形校舎があったよ」という方、「円形校舎で学んだよ」という方、ぜひどんな風だったのかを、お知らせください。

『高知遺産』が面白そう

先月、高知県で発行された『高知遺産』という本が、地元で大ヒットしているようです。

自費出版で、2,000部発行のこの本、今月中旬に2,000部増刷が決定、6月1日出来とのこと。

こうした本が、各地で出版されると、面白くなるのですが……。

注文は、下記のフォームから。小生も、注文してしまいました。

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「竹筋コンクリート」って、ご存じですか?

「竹筋コンクリート」って、ご存じですか?

近代建築マニアの間では、岩国の「徴古館」という博物館が、昭和20年築の竹筋コンクリート造の建物として有名なのですが、これ以外の現存建築があるかどうかについて、興味を持っています。

実は先月、岩手県の一戸という町で、竹筋コンクリート造の旧銀行の建物に出会いました。確かなことはわかりませんが、竹筋コンクリート造であると伝えられているそうです。

土木系では、橋などで、竹筋コンクリート造のものがいくつか残っています。登録文化財になっている熊本県小国町の旧国鉄宮原線のアーチ橋などがそうです。他にも、九州各地や北海道などで、竹筋コンクリート造と伝えられている橋梁があります。

竹筋コンクリートは、戦前から戦中にかけて、金属不足のために、鉄筋の代わりに竹を代用したもので、そこそこ強度はあるようなのですが、造られてから長い年月が経って、果たして強度が落ちていないのか?

ご近所に、竹筋コンクリートの建物があるという方、ぜひお知らせください。とても貴重な建物です。