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旧長崎刑務所保存をめぐる3つの主張に答える

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8月31日、諫早で開催された「旧長崎刑務所の保存と活用を考える市民フォーラム」ですが、当夜、出席された長崎総合科学大学の山田由香里さんからお電話をいただき、会議の様子などをうかがいました。また、「旧長崎刑務所の保存と活用を考える会」の栄田元信さんから、メールで状況のご報告をいただきました。長崎県建築士会長崎支部青年部のブログや、長崎新聞、西日本新聞などでも報道されております。

「市民フォーラム」((社)長崎県建築士会 長崎支部青年部のブログ、9月1日付)
http://blog.goo.ne.jp/nagasaki-seinenbu/e/1d23657a658badda0f9bbbfc5be4b48c

「高評価、一方で否定的声も 旧長崎刑務所でフォーラム」(長崎新聞、9月2日付)
http://www.nagasaki-np.co.jp/kiji/20070902/04.shtml

「「署名行動で勢いを」「解体の現実を直視」 旧長崎刑務所の保存策探る 諫早でフォーラム」(西日本新聞、9月2日付)
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/local/nagasaki/20070902/20070902_002.shtml

お話をうかがった内容や報道などを見ると、市民の間でかなり意見が割れてしまっているようです。これまでにも、近隣住民の意見は報道されていましたが、旧長崎刑務所を保存するということについての反発は報道以上のものがあるようです。近隣の地主など、直接、利害や利権の絡む問題ですので、これは止むを得ないことでしょう。

また、当ブログへのコメントとして、市民の方々からいくつか書き込みがありました。武田洋子さん、ムーミンさん、山口さん、コメントありがとうございます。それらの意見をまとめると、主張は次の3点になるかと思われます。

まず、財源の問題です。ここでも、保存するには10億円もかかるというステレオタイプの金額が提示されています。今のご時世、お金が無いのは当然ですので、お金が無いならば無いなりの保存の方法があります。また、その負担を市民に負わされるのではたまらないという意見はもっともなことで、旧長崎刑務所のような貴重な文化財級の物件の保存は、国民の財産として国全体で負担すべきでしょう。これは私見ですが、文化財の保存は、将来の子孫に残すということですから、未来への負債でも良いのではないかと考えています。後世、よくぞ残してくれたと喜ばれるか、なぜ解体してしまったと恨まれるか、ということです。

次に、なぜ今ごろ保存を言い出すのかという時期の問題です。これは、現在保存を主張している人々が、反省しなければなりません。小生も、なぜもっと早く保存を訴えなかったのかと思っています。小生の場合、2005年に出た書籍『九州遺産』に掲載されていた写真でこの旧長崎刑務所を知り、2006年の春に初めて現地で旧長崎刑務所を見、なんとか保存できないものかという思いをつのらせておりました。所有者が国であり、何らかの保存措置はするだろうという淡い期待もしておりました。今年の春、報道で民間業者への売却を知るに及び、このままでは解体されてしまうとの危機感から、ようやく行動を開始したのでした。正直なところ、旧長崎刑務所のことを知るのが遅すぎたというのは事実です。もっと早くに、この旧長崎刑務所のことを知っていればと思います。ただ、解体に着手したいまさらでは遅すぎるということは決して無く、どんな時点であれ保存が主張されたということは、まだ可能性を残しているということです。小生のように、多くの人々が旧長崎刑務所のことをまだ知りません。それらの人々に、この旧長崎刑務所の存在を知ってもらい、残すか解体するかの価値判断をしてもらわなければならないと考えています。ごく一部の役人の判断だけで、国民の貴重な財産を喪失してしまっては、後世に取り返しのつかないことになってしまいます。たとえ、多くの市民が解体を望もうとも、保存すべき価値のあるものは、利害関係抜きに判断し、保存措置が図られなければならないと考えます。

最後に、保存を主張するのは市外の人々だけで市民は解体を望んでいるという、これまでも多くの保存運動で見られた地元が解体を望むという構図の問題です。文化財級の貴重な財産である旧長崎刑務所は、近隣住民や行政地域内の市民のものではなく、広く国民のものであるということを理解すれば、この主張はあきらかに誤りであると納得してもらえると思います。さらに、先にも述べたように、貴重な財産である旧長崎刑務所は、現在生きている者だけの財産ではなく、将来の子孫の財産でもあるということを考慮しなければなりません。小生は、これまでにもこの構図を、空間軸と時間軸の問題として、もっと視野を広げて考える必要性を主張してきました。解体してしまうということは、両軸を断ち切ってしまうということなのです。

以上、市民フォーラムを受けての、小生の感想と回答でした。

なお、この市民フォーラム前後にも、旧長崎刑務所のことが盛んに報道されています。多くの人々に、旧長崎刑務所のことを知ってもらうことが、今いちばん大切なことなのだと思います。

「貴重な西欧風れんが造りを発見 旧長崎刑務所解体現場」(長崎新聞、9月1日付)
http://www.nagasaki-np.co.jp/kiji/20070901/01.shtml

「山下啓次郎と旧長崎刑務所展 市立諫早図書館で始まる」(長崎新聞、8月28日付)
http://www.nagasaki-np.co.jp/kiji2/2007082802.shtml

「旧長崎刑務所正門など保存訴え 諫早市に「考える会」要望書…旧長崎刑務所」(読売新聞、9月4日付)
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/nagasaki/news004.htm

近く、社団法人日本建築学会九州支部より、保存要望書の提出が決まったとのことです。旧長崎刑務所が、学術的にも貴重な物件であるということが、裏付けされました。

九州遺産―近現代遺産編101
九州遺産―近現代遺産編101

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武田 洋子 2007年09月06日(木)00時01分 編集・削除

こちらの意見にご返答いただきありがとうございます。
しかしまだまだ合点のいかない部分が多いため納得はできません。
まずお金が無いなら無いなりに方法があるとのことですが、どういう方法なのか具体案があるのでしょうか?
また市ではなく国で費用を負担するなど理想論をおっしゃっていますが可能ですか?国が保存に値しないという事で売却に踏み切ったのですよ?
そして時期の件ですが、今回保存活動の代表をしている栄田氏は10年ほど前にも保存活動をされていたようです。
しかしその時も賛同してくれる人が少なかったからでしょうか、なぜか途中で頓挫しておられるのです。なぜやめてしまったのでしょう?せめてあの時もう少し今のように頑張っていたら結果は変わっていたと思います。あんなに老朽化しなくて済んだし、行政のものであれば交渉ももっと簡単だったはずです。(少なくとも私の意見も変わっていたでしょう)
フォーラムで「非常に価値のあるものだし保存したいと思うが、ただ主張を通すのは建築家・学者のエゴにすぎない。選ぶのは私たちではなく市民だ」と教授がおっしゃっていました。
確かに私も建物の全てが無くなるのは寂しいと思っています。しかし、私たちは遺産とともに莫大な負債まで後世に残すことは避けたいのです。
諫早は今人も金も他に流出しています。働く所も少なければ、買い物する所だって少ないのです。
今の場所に企業なり店なり出来てくれれば、雇用も財政もずいぶん潤うのです。私たちの生活に直結することなのです。
ただ、先程書いたように全てなくなるのは寂しいもの。
現在所有している企業の温情で一部でも残ればありがたいものですね。

凡苦楽庵 URL 2007年09月06日(木)17時40分 編集・削除

横から失礼します。
保存の問題は、教授のご指摘の通り、建築関係者のエゴかも知れません。
しかし、そのエゴを通す専門家がいないと、この地球上から文化遺産はなくなって
しまうでしょう。建築のみならず、例えば私には門外漢の絵画や彫刻においても
その価値を認める人がいて、初めて一般市民も気が付くのです。
10年前に保存運動があって挫折したそうですが、われわれ日本人が10年遅れていることの証でしょう。今回取壊されてしまったら、10年後になって初めて地元の人も
後悔するのだと思います。歴史とはある意味でそういう宿命を背負っているのかもしれません。