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高校3年のときの作文

部屋の片付けをしていたら、高校3年のときの作文が出てきました。卒業間際のホームルームの時間に担任の教師が書かせたものでした。卒業後、10年くらい経って、クラス会の場で恩師から渡されたものです。

読み返してみて、「日航ジャンボ機墜落事故」の影響を受けてのものかと思いましたが、調べてみると事故よりも5年前に書かれたものでした。卒業後の生き方について、書いたものです。


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   低空飛行の安全性について

 ともかくも、現在の飛行機は恐しいほどの高さを飛ぶ。しかも、それはものすごいスピードだ。--それはすなわち何を意味するかと言えば、便利な分だけ危険である、ということではないか。

 落ちても死なない方がよっぽど良い。私はそれに決め込んだ。低空飛行は、落ちてもけがをする位だ。乗客全員死亡などという悲惨なことはおこりえない。低く飛ぼう。要は、行き先が同じであることだ。

 行き付かないかも知れない、ユックリズム。その間にジェット機は三十往復しているかも知れない。あるいはえらく怠惰で、目的達成後は遊んでいるかも知れない。あるいは、ものすごいせっかちで、次の目的、次の目的と、終わりなく忙しくしているかも知れない。けれども、ユックリズムはマイペース。遊んでいるのでもなければ、なまけているのでもない。しかも、自分を見つめながら行くのである。これこそ最高の旅ではあるまいか。

 そんな飛行機会社は商売になる訳がない。--商売をするつもりがないのだ。けれども食いはぐれることもない。つつましやかにも食ってはいける。低空飛行の飛行機会社は、僕一代だけの自己満足である。不安ではあるけれど、つまりは決して自信ではないけれど、絶望もないのだ。小さな飛行場を小きざみに飛んで、しらみつぶしに飛行場を利用して行くのだ。

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