大中肇


大中肇(おおなか・はじめ)〔1886(明治19)〜1950(昭和25)〕愛知県刈谷市地区で活躍した建築家。熊本県出身。福岡県立工業学校建築科(現福岡県立福岡工業高校)卒。官営八幡製鉄所に入社したが半年後に退職し、愛知県営繕課の技手として採用される。'24(大正13)に愛知県を退職し、愛知県碧海郡刈谷町(現刈谷市)に、大中建築設計事務所を開設し独立。初期のRC造による学校建築などの公共建築、個人住宅や個人医院など、生涯で70棟ほどを設計した。表現主義風のデザインが特徴。代表作として、亀城小学校本館、講堂('28)、富士松村役場('30頃)、上天温泉('30)、山中従天医院('30)、成田賢一郎邸(昭和初期)などがある。【前村・記(名古屋市立大学の瀬口哲夫先生の研究を参考にしました)】

なお、大中肇の設計した市川呉服店の彩色図面を見ると、武田五一のウイーンゼセッションの図面に大変似ています。

大中肇作品リスト(郷土研究誌「かりや」第26号他参照)

愛知県女子師範学校(1910)名古屋市(担当技手)

刈谷中学校(1919)刈谷市(工事監督)

刈谷町立高等女学校(1923)刈谷市(工事監督)

上天温泉(1927)刈谷市【現存】

亀城尋常高等小学校本館(1928)刈谷市【現存】

亀城尋常高等小学校講堂(1928)刈谷市

山中従天医院(1930)碧南市

富士松村役場(1930頃)刈谷市

東浦町役場(1950)

成田賢一郎邸(昭和初期)

市川呉服店用品部(昭和初期)刈谷市

平野邸(昭和初期)大府市

刈谷町立専修商業学校( )刈谷市

農商銀行高浜出張所( )高浜市

古居病院( )刈谷市


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前村 敏彰(Maemura Tosiaki)mmm@jmam.net