旧広島高等学校講堂(昭和2年築)。現在、広島大学附属中・高等学校講堂として使用されており、先年、登録文化財に登録されました。
日本各地の近代建築探訪など
旧広島高等学校講堂(昭和2年築)。現在、広島大学附属中・高等学校講堂として使用されており、先年、登録文化財に登録されました。
旧広島陸軍被服支廠(大正2年築)。当時、広大な敷地に多くの倉庫が建てられていましたが、第10番庫~13番庫の4棟が現存しています(南北に一直線に3棟、南端東西に1棟)。RC造煉瓦貼りで、長さ94m、高さ17mの建物3棟が一直線に並ぶ様は壮観です。戦後は、南北の3棟が広島県、南端東西の1棟は国の機関などに使用され、現在はいずれも空家となっています。
皆実町中通り商店街の中ほどにある洋館。大きな円窓を見ると、ただの住宅とは思えません。この建物のある通りは、旧被服厰の正門から真っ直ぐに続く「被服通り」と呼ばれた通りです。
旧常磐グリース製造所倉庫(大正2年頃築)。南区大洲の猿猴川のほとりに残る被爆建物で、現在、三戸商店倉庫となっています。被爆当時は、日本特殊グリース倉庫でした。
被爆建物である旧第一高等小学校(現比治山中学校)近くの洋館(旧医院か?)。昭和初期の被爆建物ではないかと思われます。南区の猿猴川と京橋川とにはさまれたこの地区は、比較的爆心地に近い(2~3km)にも関わらず、比治山の山陰になったことで多くの建物が残っていたのではないでしょうか。ただ、現在この周囲の地域は大規模な区画整理が進められており、更地が広がっています。
津山福音ルーテル教会。古い街道沿いですが、周囲がすっかり更地になってしまっています。
(12,422歩)
日本基督教団津山城西教会。入口両側の棕櫚がいい味を出しています。
(24,219歩)
谷医院。コーナーにある入口の逆錐型の柱、ぐるりと廻った2階の窓など、モダンな建物です。
(36,823歩)
出雲街道沿いの事務所ビル。つちや写真館の入口と似た形になっています。
(32,002歩)
宝石店大丸。津山駅前通りのアーケード下で見つけました。
(30,802歩)
江見写真館(昭和4年頃築)。写真は西日で真っ白ですが、1階の半円筒形の部屋がモダンです。
(10,106歩)
山口新月園。津山の商店街で見つけた看板建築です。
(-歩)
東津山駅前通りが出雲街道と突き当たる丁字路にある事務所。よく見ると、入口部分にちょっとした細工があります。
(11,465歩)